謎解きクロス@上田城(信州うえだ謎解きさんぽ2020上級編)

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2020年11月1日(日曜)~11月30日(月曜)上級編

以下は、昨年、松本城で配布された謎解きクロス®の問題です。

信州上田のみなさんに向けて、このような問題をオリジナルで制作し、本サイトにアップします。街歩きのあとで、お楽しみください。。

【謎解きクロス】

謎解きクロスは、問題の文章のなかにあるキーワードをクロスワードのフレーム(5ページ&14ページ)にあてはめ、解答を探すパズルです。この謎解きクロスを使ったエッセイや物語、パンフレットなどを「パズル小説」と呼んでいます。では、第一の謎を解いていきましょう。

■第1の謎

知人いずれアヤメかカキツバタ

私の名は『学人(がくと)』。信州で生まれた父が、よく学ぶ人となれとつけた名前だ。

父が南国生まれだったら楽人、フランスで生まれたらGAKUTOHだったかもしれないが、学人と名付けられたおかげで三十歳になっても、文化を研究する財団に勤め、学んでいる。

その日、学人はJR松本駅お城口のロータリーに居た。フランス人の知人に頼まれて、松本市内を案内する予定だった。

ちょうど平日の昼どきなので、ロータリーは、大勢の人であふれていた。

地元の人のほか、アジアやEUから来た観光客も多い。その人込みのなかにあってカレンがどの人物か、学人にはすぐにわかった。

その理由は、彼女が20代のフランス人であること。ブログに顔写真が載っていたこと。そして何より、彼女がフランスの大学で日本語を勉強していたことである。

日本には、大志をもってやってきたのだろう。

学人が、それらしき人物の前に立つと、カレンから声をかけてくれた。

「こんにちは、学人さん。いいお天気ですね」

カレンの青い瞳が、学人をまっすぐに見つめていた。

陽光のかげんなのか、の瞳がエメラルドグリーンに見えている。学人は、カレンのなかに吸い込まれる気がして、まともに見返すことができなかった。

カレンは、フランスの大学でも憧れのだったに違いない。

「カレンさん初めまして。私が松本を案内させていただきます。どこか、行きたい場所はありますか?」

「ありがとう。あなたは、わたしの……そう、ラッキーゴッドね」

「ラッキー? ああ、福の神ですか。照れるな」

「だって松本城の中に入り、高みの見物をするのが私の夢でしたから」

「松本城とは、素晴らしい。ぜひ、ご一緒に」

「ありがとう」

「現在、日本全国をみても、天守の建物を残しているは12例しかありません。そのうち『五重の天守』を持つのは、松本城と姫路城だけ。建造されてから430年近くも災害や戦争を耐え抜き、今は松本市民の誇りとなっています」

「とても素晴らしい、歴史のあるお城ですね」

松本城は、戦いに備えて緻密(ちみつ)な計算のもとに建てられたに違いない。

 (かわら)ひとつとっても、頑丈な屋根になるよう知恵(ちえ)をしぼっている。

松本城内に入り、磨き上げられて艶(つや)のある廊下を歩けば、きっと感動するに違いない。唯一ともいえるメカが鉄でできたクギだが、材木で天守や人の重さを支える技術は、半端なものではない。

戦うことを想定した備えをもつ天守が戦国時代に、40年後の江戸時代初期に、戦う構えのないが建築された。

戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一、松本城の歴史的な特徴のひとつだ。

「松本城の模型は、いかにも日本らしいデザインを感じさせるものでしょう」

「ステキね。友だちへのギフトにしよう!」

「これは市民の松本城へのに他なりません」

松本城の周りは、もともと硬い岩盤があったわけではなく、湿地帯となっていた。それゆえ、天守の地下に材木をイカダのように組み合わせ、その上に石垣を組むなど、沈下しない工夫がなされている。幾多の苦難を乗り越えて建てたことも、松本城の人気の理由だ。

学人はカレンに言った。

「松本城は、私たちの誇りです」

■謎解きクロスの解き方

問題で太字になっているキーワードをピックアップし、それを平仮名に直してパズルのフレームに入る位置を探してください。

それぞれの言葉につながる言葉を探し、関連づけていくと……すべての言葉がつながります! 最後にABCDEの文字をつなげ、それが意味のある言葉になれば正解です!

■第2の謎!

JR松本駅前で、フランスから来たカレンと合流した学人は、松本城の魅力を語り続けた。

「松本城は、私たち市民の□□□□□(第1の謎の答え)です!」

■松本城の魅力

国宝・松本城は、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬には尾根に雪をかぶったアルプスと、四季折々の景観が楽しめる。

季節ごとに姿を変える松本城で、雄大な景色の中に立つ平城の天守は、圧巻である。

とくに堀に姿を写し出す天守は人気が高く、例年多くの観光客でにぎわうことになる。

学人は、あまりクジ運のいいほうではなかったが、その日はラッキーなことが続いた。何よりも、カレンと一緒に歩けることが、幸せな気持ちを運んでくれていたのである。

松本城の天守は、大天守(だいてんしゅ)、乾小天守(いぬいこてんしゅ)、渡櫓(わたりやぐら)、辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、月見櫓(つきみやぐら)の五棟で構成されている。

「学人さん、天守って、お店のオーナー?」

「それは店主で、字が違います。日本のお城の場合、天を守ると書く天守は、戦国時代以降に建てられた高い建築物のことを指しています。天守閣という言い方は、俗称ということです」

学人は城の庭園に入り、ところどころが植えられた庭の案内を開始した。手入れの行き届いた庭と天守が織りなす風景を見せていく。

「学人さん、日本の庭は本当にきれい。日本のみなさんは、道路にゴミも捨てないですね」

「この土地の習いで、何をおいても教育に力を入れています。教育はゴールド以上、プラチナに値すると考え、美意識もあります」

カレンはまた、松本城が木造建築であることにも感動していた。

今年はパリで大事件が起きた。

屋根が焼け落ちたノートルダム大聖堂も、カレンが愛した木造建築であった。

「火災には弱いけど、私はプレハブではなく、木造の建築が好きなんです」

■松本城の天守

質実剛健という言葉がある。松本城は、飾り気がないシンプルな外観だが、心身ともに強くたくましい。

松本城は標高590メートルの盆地に位置している。平地に築かれた平城。天守の外観は五重、内部は六階という構造だ。

なぜ、外部と内部が異なるのだろうか。

松本城の外観は、層塔型のように下から上に向かって細くなっている。

その内部の3階に屋根裏部屋のように外から見えない階がある。

松本城は、構造は望楼型でありながら外見は層塔型のように見える天守なのである。

■シンプルなものは美しい

その日、カレンを案内している学人の心には、とてもさわやかな春風が吹いていた。天守に入るとタイムトラベルをする気分になる。

パリに戻って日本紹介の記事を書くカレンのため、学人は松本城事管理務所で許可をもらい、城内の写真撮影をした。

 天守の入り口では、カレンもを脱いで袋に入れて入場した。

フランスで生まれたカレンに靴を脱ぐ習慣はなかったが、日本文化を研究している彼女には何の抵抗もなかった。

天守は、壁面の上部を白漆喰、下部を黒漆塗りの下見板で覆っている。この漆喰の白と漆塗りの黒の対比が、絶妙な美を醸し出していた。

松本城を案内し、築城の技術を語ると、カレンはステキな笑顔を見せて言った。

「シンプルで、ビューティフル!」

学人の心に、かつて流行った名が流れていた。気持ちが空回りすることもなく、城をめぐる話題も、種切れとなることはなかった。

■すべての物には歴史がある

戦国時代の城は、敵と戦い、敵から領国を守るための戦略拠点の性格が強く、強固な城が造られた。

松本城の大天守・渡櫓・乾小天守は、こうした時代の末期に、関東の徳川家康の監視という役割を負って築造されたもともいわれる。

豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により創建された大天守・乾小天守・渡櫓の3棟は、文禄2~3年(1593~4)にかけて築造されたというのが松本市の公式見解である。

戦いを想定した備えとして、三棟には鉄砲狭間(さま)・矢狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓を115カ所も設置してある。

また一階壁面の一部を外に張り出してその床面を開け蓋をつけた、鉄砲を撃つための石落を11カ所も設けている。

天守の壁は一・二階で約29センチメートルと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60メートルとして、鉄砲戦の備えを持っていた。

「こういう地道な研究成果も、国際化の時代なのでしょう。世界中に発信されています」

学人は以前、東京に行って城の歴史を研究する学会の部会に参加したことがある。そのとき、世界各国から、中世の城が好きで研究している学者が集まっていたことに衝撃を受けた。

そんな話をすると、カレンは言った。

「類(るい)は友を呼ぶもの。松本城に興味を持ち、松本を愛する人が全国、そして世界から、たくさんやってくるといいね」

「彼らにも、特別なご利益(リヤク)を!」

【トリビア】松本城にある階段は計139段あるが、最も急な傾斜は大天守4階で61度ある。

松本城の天守のなかで、戦うことを想定した備えをもつ大天守・渡櫓・乾小天守の三棟が戦国時代末期に、それから40年後の江戸時代初期の平和になった時代、戦う備えをほとんどもたない辰巳附櫓・月見櫓の二棟が建てられた。

すなわち異なる時代にわたって建築された城が、松本城なのである。

松本城は贅沢な装飾はなくシンプルである。

「GWは観光客でごったがえし、城内に入るまで長い行列ができました。長時間、並んでまで入るのは変という彼女と、入りたい彼と仲たがいするカップルもいたようです」

「サムライと忍者が練り歩く祭りを観たことがあります。松本城に忍者はいたのですか?」

「いたとは思いますが……(はがね)の身体をもつ忍者は陰の存在で、表舞台に出なかったから、詳しいことは、私にもわかりません」

■危機を救った人々

廃藩置県で藩は解体し、城郭は売り払われ、取り壊される運命となった。松本でも門や櫓などが壊され、天守は競売にかけられ235両あまりで落札され、壊されることになった。

このような状況下で、市川量造が中心となり、松本城天守を会場とした博覧会の開催が計画され、借用の申請を行っている。許可が下り、天守をつかった博覧会が開かれたことで、観覧料などの資金が集まり、天守を買い戻すことができたといわれている。

二の丸には、明治18(1885)年、県立の松本中学校の校舎が建てられた。その初代校長が。小林有也(うなり)である。明治33(1900)年、市川量造が植物試験場とした本丸が、松本中学校の校庭として使用されるようになる。

【トリビア】235両は今のお金で400万円ほど。

これを機に、小林校長等むは天守の保存運動に乗り出した。

明治34年には「松本(城)天守閣保存会」を発足させ、寄付を得つつ、明治36年から修繕工事を進め、大正2年に完了させた。

学人の説明に、カレンも胸が熱くなる。

「学人さん、がんばって。どんな資産でも、時とともに価値が目減りします。伝える人と、伝える仕組みがなければ、江戸時代から伝わる逸話(いつわ)も忘れられていくのです」

松本城内を案内した後、学人は彼女を小料理屋に誘った。もっと伝えたいことがあった。

 メイン料理は、肉は信州名物の山賊焼き、魚は信州サーモンのオイル焼きを選んだ。

「SNSのイイネがたくさんもらえそう」

【トリビア】戦国時代につくられた天守1階の壁の厚さは約29センチ、矢や鉄砲玉が通らない厚さ。

■何故、天守は焼けなかった?

戸田康長(やすなが)が松本城に入ってむかえた初めての新年、元和4(一六一八)年正月26日の夜のこと。持筒頭(もちづつがしら)の武士・川井八郎三郎という者が、本丸御殿で夜中の城の守りをしていた。

ちょうど月が出たころ、誰かが自分の名前をよんでいるのが聞こえた。ふり向くと、緋(赤)の袴を着たお姫様が立っていた。

思わず八郎三郎は、その場にひれ伏した。

お姫様は、錦の袋を八郎三郎に与えて、澄んだ声で言った。

『これから二十六夜様をまつり、米3石(ごく)3斗(と)3升(しょう)3合(ごう)3勺(しゃく)たいて祝えば城は栄えていくでしょう』

八郎三郎は、このことを康長に伝えた。康長は、天守六階の梁の上に二十六夜様を祀った。

また毎月26日、お餅を供えた。

享保12(一七二七)年、本丸御殿が火事にあったとき、天守が焼けなかったのは二十六夜様のおかげだと語り伝えられている。

「松本城が世界遺産クラスの建物となったのも、二十六夜様おかげかな……?」

■謎~抜け穴はあったのか

学人は階段を上るたびにカレンの手を取り、松本城についてのウンチクを伝えた。

天守一階には、周囲が約2メートル四方、深さ約1メートルのスッポリと口を開けた窪みがある。

学人は、カレンに質問をした。

「何かな? 昔、ここから地下を通って外に行く抜け道があるといわれていました」

その伝説を検証するため、昭和の大修理のときに調査すると、その痕跡はなかったという。

本丸から城外までぬけ穴を掘ることは、湧水地帯に囲まれた松本城では不可能なことだった。

「忍者が出入りする道はなかったのね」

「そう、ロマンは顔だけにしておくよ」

カレンは学人の顔を見て、ため息をついた。

■清正は二頭を連れ帰った!

松本城の天守が完成した頃、加藤清正が江戸からの帰りに立ち寄った。

築城者である石川康長は清正をもてなし、帰る時に土産として選りすぐりの名馬を二頭連れてきて、

『この馬のうち、一頭を差し上げます』

と伝えた。すると清正は、

『あなたほどの目利きが選んだ馬をどうして私が選ぶことができましょう』

と言い、二頭とも連れて帰ってしまった。

一頭を良い馬として選べば一方は駄馬ということに。また悪い馬を選べば清正は見る目が無かったと人々に笑われるかもしれない。

二頭とも連れ帰ることで、それを避けることができる。この清正の行動を聞いた人々は、

『さすが清正公』

と大いに感心した。

この話は江戸時代に書かれたという『続撰清正記(ぞくせんきよまさき)』にある。

学人の話は、松本城にまつわるエピソードにとどまらず松本全体から信州に広がり、全国、アジア、カレンの住むフランスにまで飛び、着地しないまま時間切れとなった。

南国にあるたわわに実った果物のように、まだまだ話はつきなかった。

「松本城は、戦国・江戸、そして現代につながる歴史からの□□□□□(第2の謎)なんです」

■謎解きクロスの解き方

これで問題は終わりです。それぞれ青い太字のキーワードを探すと、すべての言葉がつながります! 最後にABCDEの文字をつなげ、意味のある言葉になれば正解です!

 

 

2020年9月11日