パズル小説 快答ルパンの冒険<2>

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■第2話『とりあえず、京都』

十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人という。

快答ルパンも、高校時代はクラスの中にたくさんいた天才児の一人だった。

香港の若者たちの動向も気になるものの、還暦を過ぎた自分の未来も気になっている。私たちの行先は、本当に自由だったのだろうか。

 

京都には、何度も訪れている。

最初は14歳、中学の修学旅行のときだった。古都の異質な景色が忘れられず、大阪万博で親戚のマンションに一週間ほど滞在させてもらったときに再訪している。

その次は、竹早高校生となって最初の夏、快答ルパンは15才になっていた。ユースホステルの予約をとる時間はなかった。そもそもお盆の時期は予約がとれない。そこでガイドブックには、

「困ったら神社仏閣のユースホステルに行き、相談しなさい」

と書いてあった。現地に行けば何とかなるらしい。家族に置き手紙を残し、朝の5時頃、池袋駅に向かった。切符売り場で、

「とりあえず、京都まで」

と口にすると、

「ビールじゃねぇぞ、このガキ」

という声が聞こえたが、幻聴かもしれない。快答ルパンは、相手の表情から読み取った言葉を、頭の中で反芻する癖があった。

「で、どこに行きたいの?」

民営化など夢にも思わなかった時代、国鉄職員は怪しい少年に横柄だったが、それがまた少年の目にはカッコよく映った。

快答ルパンは、あたかもユースホステルの予約がとれているかのように装って、京都から奈良を、1カ月かけて回るスケジュールを告げた。

「途中、大阪にいるおじさんのところに寄るかもしれません」

「おじさん? なるほどね。もう一度聞くけど、新幹線は使わないの」

「はい。急行を乗り継いで行きます」

「わかった。がんばれよ」

若い駅員が短冊のような厚手の紙にパンチを入れ、その日の日付と有効期限を青いゴム印で印字すると往復切符のような周遊券ができあがった。

 

快答ルパンは東京駅に出て、東海道線を乗り継いで京都に向かった。新幹線ではなく、急行を利用するところが、なんだか楽しかった。周遊券が使えるのは関西エリアだけであり、途中下車ができなかったので、駅休憩室にある木製のベンチで寝た。彼にとって、待合室のベンチで寝るのは初めてではなかった。

 

中学二年の夏、冒険をしたいと思った快答ルパンは、東武東上線小川町駅で降り、登山道入口に入って二本木峠に向かった。

かつてハイキングで来た道を、他の登山客にまじって登った。

ときどき登山客とは挨拶の言葉を交わした。身体の大きかった彼を、周りは大人だと思っていたことだろう。

二本木峠までは順調だった。だが下りに入って、ちょっと冒険しようと思い、寄居駅までの道をカットできるかもしれないと言い聞かせて脇道に入った。失敗しても戻れると、軽い気持ちでいた。

だが、たどりついた場所は四方八方に道らしきものはなく、深い緑に囲まれていた。

それから五時間が過ぎても、彼は山林の底にいた。山の夕暮れは足が速い。あたりから光が逃げだし、あっという間に漆黒の闇に包まれた。

怖かった。しばらくじっと目を凝らしていると、たまたま快晴だったので、木立の間から星空が見えた。手探り、足探りをして少しずつ前に進んだ。

「このまま命を落としたら、事故で死んだことになるのだろうか」

歩きながら、自分の葬儀を考えた。遺族の代表として、父は何を語るのだろうか。自分の息子が、どんな少年だったか、ささいなことを列挙して涙するのだろうか。そんなことを考えながら、ひたすら前に進んだ。

夜の十時を回ったころ。耳を澄ますと自動車が走る音が聞こえた。

「どこかに舗装された道路がある」

快答ルパンは車道に出て、それを伝って歩いていくと東武東上線の寄居駅にたどり着いた。急に、腹が空いた。

駅前には、Yうどんの自動販売機が置かれていた。駅前の酒屋にも自動販売機があったので、迷うことなくワンカップを買った。

温かい天ぷらうどんをすすりながらコップ酒を飲んだ。

快答ルパンは、自分が何かに生かされていることを感じながら、改札の横にある待合室のベンチで眠ったのである。

話はもどるが、とりあえず京都の駅舎に立った快答ルパンは、電車の中でさんざん眠ったので、まったく眠くなかった。

煌々とテラス裸電球の下で、持ってきた文庫本を読んだ。

そこには、日本各地に伝承された怖い数え歌について書かれていた。当時の流行りなのかゲゼルシャフトやゲマインシャフトという言葉が頻繁に出てきた。何のことかつかめなかったものの、未知の世界にわくわくした。

高校生になって夜更かしには慣れていたつもりだったが、午後二時を回ると、さすがに睡魔に襲われた。待合室にある蚊取線香の煙の風下に立ち、煙を汗にまみれた素肌にこすりつけ、ホームの端にあるベンチに戻った。

最初は効果が感じられたが、やがて効かなくなる。そこで渦巻きの途中で蚊取線香を折り、残った線香にはマッチで火を点け、自分の寝床であるベンチの下に立てかけると、いつの間にか羽音は聞こえなくなった。

 

京都・奈良に行ってみて、15才ながら目からウロコが落ちたのは、世界の誰一人、自分を待っていなかったという事実だった。

それが、快答ルパンが最初につかんだ世界の原理原則である。

東京で生活していれば帰る家があった。自分の存在を、無条件に認めている父母がいた。何をするにも、必ず大人たちの目があった。

ちょっと冒険をして横浜に行っても、父母が遠隔操作をしているかのように、見えない絆で結ばれて、安心感が生まれていた。

高校に入って、家族とは何かの同盟を結んでいるかのように価値観をシェアしていた。そのなかで、冒険のできない男は価値がないというものがあった。行くか行くまいか迷ったら、必ず冒険する法を選んだ。そこには、誰かが待っていたのである。

しかし、とりあえず京都に行き、街歩きをしてみると、誰も自分を待っていなかったことに、今さらながら気づかされた。

価値の有無以前の問題として、自分の存在そのものが、京都に流れる歴史と比べて、あまりにも短く、また小さなものであった。自分は、ただの点にすぎない。だから、誰も気に留めないし、誰も待っていなかった。

「自分は、大変な世界に生まれてしまったのではないか」

そのことを考えると、背筋が寒くなり、胸が痛んだ。

 

土産に古布を使った巾着を買った快答ルパンが東京に戻ったのは、9月に入ってからのこと。すでに高校の授業は始まっていた。

その後、快答ルパンは、自分の存在が誰にも「待たれていない」社会に生まれてしまったことに、大きな不安を感じるようになる。深く、暗い穴に突き落とされ、青空が見えていた入口にフタをされてしまった、そんな不安にさいなまれることになる。

 

それから、半世紀になろうとしている今、快答ルパンも、すでに人生の結果を半分くらい知ってしまった。

かつての天才たちも還暦を越えているが、ただの人と変わらなかった。メカの天才だった彼は、片田舎の工場で自動車部品を作っていた。サッカー部の彼は中年太りがそのまましぼんだ容姿となり、子どものサッカーの話題を熱心に語っていた。

三十代までハッとする美を見せていた彼女は、化粧に手間をかけても若さにはかなわないと悟り、アウトドア派に変身。深い皺の側面まで色づいていたが、

「私は百歳までをしたい」

と豪快に笑っていた。後輩の女子に手あたり次第に手を出して雷魚というあだ名がついた彼は、名簿では行方不明になっている。

大皿に盛ったソース焼きそばを平らげた胃袋も、今では小皿で済んでしまう。料理への関心もうすれ、カロリーの総だけが気になって仕方ない。

もちろん、変わったのは天才だけではない。真面目な好青年は中年になって色男になり、飲食店を転々として、ジゴロのような生活を続けた。その結果、トイレ掃除だけは達人になれたとうそぶいている。

高校のときから、公務員を目指す兵もいた。ただ多くの者は、君子危うきに近づかず。何の冒険もせず、休み時間には単語帳を開き、暗記に集中していた。

まさか自分が、企業社会からアウトを宣告されるとは思わなかったに違いない。

 

さて、今回はここまでとしよう。

京都・奈良でどんな冒険が待っていたのか、それは次回に触れることとしたい。

 

快答ルパンの夢は、ヨーロッパの豪華寝台列車に乗って古城をめぐることだ。

いつもABCDEFGに入りびたり、朝はモーニングコーヒー、昼はパスタのランチ、夜はフルコースのディナーをとる。かつて体験した冒険に想いをめぐらせながら。

 

■ヒント

【縦10】数え歌 【縦12】天才児

<横7>色男 <横24>コップ酒

 

 

2020年2月1日