ありがたいことに、えちごトキめき鉄道の鳥塚社長が、地域を元気にするブログで、本ブログを取り上げてくれました。
私の読者は通常は一桁。たまに二桁にいくこともありますが、コンスタントに数百人、ときに数千人の読み手をもつ鳥塚さんに取り上げられたのです。感謝しかありません。
元気になって、4月から起死回生の人生を歩みます。
さて、しばらく休んでいた本ブログ、再開してみます。まだ本調子ではなく、身体を「タテ」にしている時間も限られ、いきなり中断してベッドで「ヨコ」になるかもしれない不安もありますが、始めてみましょう。
2023年8月24日、都立病院に救急搬送され、検査後にICUに入った私は、九死に一生を得て、9月末に退院。10月は、自宅療養を続けながら、大動脈解離の再発防止対策として、左下腹部にある左脚を通っている大動脈にできた「瘤」の対応が求められていました。
手術をするとしても難しい部位なので、できる施設は限られています。
私は都立病院で、手術の上手い私立病院を紹介してもらい、診察を受けました。そのときに、都立病院からの申し送りデータを観た心臓血管専門の医師から「よく生きていてくれました」と、九死に一生を得たことを再確認したのです。
私は、手術を受けるための事前検査で1週間、入院しました。そのときは、大動脈瘤のヨコにある大動脈にカテーテルという細い管を通して、プラチナ材でできた人口血管を埋め込むことを想定していました。
いろいろ検査して、わかったことが、いくつかありました。
カテーテルで心臓への血管を調べたところ「とてもきれい。50代前半の血管です」とのこと。それはうれしかったのですが、それではなぜ、脚の太ももから心臓の手前まで、大動脈が解離してしまったのでしょう。
先生は「理由はわかりません。なぜか、心臓の手前で亀裂が止まったとしか、いえません」と言われました。
命というものは、たぶん神仏から与えられたギフトなんです。だから、死に至る理由はわかっても、生き延びた理由はわからない。ただ、生きているという事実を喜ぶのみなんです。
また、もう一つ、重大なことがわかりました。都立病院では副腎に腫瘍があると判明し、その対応が必要になっていました。ところが、手術前の検査入院をした私立病院で、さらに肝臓と甲状腺に腫瘍がみつかったのです。
その3つの腫瘍への方針がさだまらなければ、大動脈瘤の手術はできません。
ただ私は、たまたま腫瘍が見つかったことを感謝していました。大動脈解離で死を迎えたら、発症して3日で人生が終わります。ところが、もし腫瘍が悪性だったとしても、少なくとも余命は数ヶ月あるはずです。
私は、ガンより急性大動脈解離の再発防止を優先したいと思っていました。
それで、レントゲンやら造影剤を入れたCTやら、超音波の検査やり、いろいろつくして「当面は、この腫瘍が大動脈に悪さをすることはないだろう」という結論、お墨付きをもらったのです。
大動脈瘤の位置は奥まっていて神経も入り組んでいます。とても難しい手術であり、さまざまな副作用もあることなど、ネガティブな説明をたくさんうけました。でも、最初から結論は決まっていました。
それで先生には「どんなにリスクがあっても手術してください」とお伝えしました。二度とICUには戻りたくありません。何とか生き延びたのだから、さらに生きるためなら何でもしようと、腹をくくっていたのです。
また、直観として「この病院なら大丈夫」という確信もありました。
あとでたわかったことですが、この私立の大学病院は、尊敬していたアントレプレナーシップで有名なIさんが、二度、手術された病院でした。Iさんは、千葉の国立病院から、この私立病院を紹介してもらったそうです。
手術日は、2023年11月21日と決まり、18日から再入院することになりました。私の頭のなかは、手術が終わったらやりたいことで満たされていきました。希望がわいてきたのです。