謎解きクロスの、どこがお好き?

謎解きクロスの、どこが好きですか?

もし、アンケートをとったら、どんな答えになるのでしょうか。これは、開発当初から、ずっと考え続けてきた難問です。

謎解きクロスは、一見、ふつうのクロスワードパズルに似ているものの、実は、キーワードは「生のまま」文章のなかに嵌め込まれています。それを取り出して、クロスワードパズルのフレームに入れるところが、特長があります。言葉のジグゾーパズルなんです。

ですから、ターゲット、すなわち謎解きクロスを楽しんでいただける人は、いくつかのパターンに分かれると思っています。

まず、クロスワードパズルのファン。

次に、ジグゾーパズルのファン。

それらを包括して、パズル好きの人。

一方、問題が「文章になっている」ことから、ミステリー小説が好きな人が挙げられます。

ここまでが、謎解きクロス。それをミステリーウォークに応用すると、謎解きクロスによるミステリーウォークという、一つのジャンルができてきます。それが、本サイトで求めているターゲット。

机上で、謎解きクロスを楽しむ。ときには、好きな地域に行って、ヒントを集めながら、謎解きクロスを楽しむ。

ここで、どこにもでてこないのが「地域活性化」というテーマです。

謎解きクロスは、問題が「文章」になっているため、本のターゲットがテーマ別に広がっているように、あらゆるテーマについて、それぞれ謎解きクロスを当て嵌めることができるという汎用性があります。

広告にも使えると、パンフレットにも使えます。

え? なんでわざわざ、ふつうの文章を謎解きクロスに直さなければいけないの?

「そのほうが、受け手が楽しめるから。自ら、文章を読めるからです」

と、考えていたのですが、ここ2年くらいは、謎解きクロスにおいて、「文章を読む」ことは、必ずしも必要がないという事実に、直面しています。

キーワードだけ拾えば、それで謎解きクロスの解答は、出てしまうのです。

そこで、ミステリー小冊子では、さらなる工夫を発見しました。すなわち、謎解きクロスを解くだけでは、ミステリー小冊子の解答は不十分。そこから、「真犯人」を推察することが、最終の目標になります。

ですから、問題を「キーワードだけ拾う」としてしまうと、真犯人がわからなくなるのです。

竹早高校の同窓会会報に、謎解きクロスを採用していただいたとき、文章があるクロスワードパズルということで「文章のおもしろさ」にも、評価をいただけた。それが、今日、私の創作意欲を支えてくれています。

文章が面白ければ、キーワードだけひろうのではなく、全部、読んでしまうのではないでしょうか。

というわけで、私の「文章修業」は続きます。

みなさんは、謎解きクロスの、どこがお好きですか?

もう止められない、謎解きクロス

クリエイターにとって「あれは、私が開発しました」といえる作品を生み出すことが、人生の目標であり、かつ、プロセスのすべてなのです。

しかし、何かをゼロから生み出すのは大変です。そこで、既存の技術なり、作品なりをベースとしながら、誰も気が付かなかった世界を作り上げることを目指します。

謎解きクロスの場合、クロスワードパズルというスタンダードがあり、そのプラットフォームに、コバンザメのようにくっついて、成長してきました。そして、ある意味で、サメを超えて、新たな境地を切り開いたのです。

その副産物として、ミステリーウォークがあります。

地域を元気にしたい。しかし、それは並大抵のことではありません。そこで、ミステリーウォークが登場したわけですが、「誰も死なない、エログロ禁止のミステリー」という新ジャンルの登場が待たれていました。だって、商店街を活性化するのに、やり誰が死んだの、嫉妬して罪をおかしたなど、やっぱりそぐいません。

どうしても、暗号を解くような構造が必要だった。

そうして生まれたのが、謎解きクロスなのです。ですから、殺人事件はなく、人を活かす活人事件になりますし、パズルを解くこと、暗号を解くことが、真犯人につながるのです。

容疑者も真犯人も、みんないい人。街は、いい人で成り立っています。いい人たちが、いい人として出会う。それが、ミステリーウォークの街となります。

この新しい潮流は、すぐに、みなさんに受け入れられるコンセプトではありませんでした。100件プレゼンして、採用していただいたのは15エリアほどでしょうか。でも、問題は数ではなく、採用してミステリーウォークをしてくれたエリアがあったという事実。それが私を支えてくれました。

そして、遊んでくれたみなさんの、はじけるような笑顔。

「あ、作家の方ですか?」

「そうです。廣川です」

「サインください」

私の書いたミステリー小冊子を、そっと差し出すファン。そんなステキな体験をくれた謎解きクロスとミステリーウォーク。普及の入り口に立つまで、10年かかりましたが、もう、このブレイクは止められません。

みなさん、ぜひ、作者と一緒に、謎解きクロスが、どのようなプロセスでブレイクしていくのか、楽しんでください。

写真は、観光庁の「タビカレ」で日本一をいただいた「喜多方古代文字ミステリーウォーク」のヒト場面。廣川の隣にいる高橋さんは、「謎解きクロスは、きっとブレイクする」「郡山で、岡さんと廣川さんと三人で飲んだときが、私の人生で、もっともわくわくして、楽しい時間でした」と語ってくれました。残念ながら、すでに鬼籍に入られていますが、きっと喜多方の空から、東京を眺めてニコニコしていることでしょう。

「ほら、言った通りでしょう」

さて、明日から、ヒアリングに入ります。街の魅力を、どこまで謎解きクロスに反映できるか。戦いの日々は続きます。

 

自分に責任を課す、成功の法則

昨夜、永遠の若大将・加山雄三さんがNHK「Songs」に出演。幾多の「信じられない人生の岐路」を経て、81歳の今日も、明るく元気に歌をうたっている「理由」を「他人のせいにしないから」「どん底を何度も経験したけれど、いつも自分の責任だと思ってきたから」と語っていました。

謎解きクロスについて、私は、同じことを考えていました。

誰にも頼まれていないのに、すなわち「お金にならない」のに、役立つと信じて、謎解きクロスを極めてきました。もちろん、その間に仕事をしなければ家族を支えることができないので、仕事は人の倍くらい、してきたと思います。

そんななか、週末作家として企画書をつくり、いろいろな人に会いに行き、謎解きクロスによるミステリーウォークの実施をお願いしました。沖縄にも自費で行き、苫小牧には全国屋台村連絡協議会の中居会長から交通費を支援していただいて、かけつけて、屋台村での採用をお願いしました。

驚いたのが、結局、謎解きクロスの構造とミステリーウォークのミッションを伝えきれず、中居会長の八戸の屋台村以外、採用していただけなかったこと。2006年から関わってきた深谷市の「ふっかちゃん横丁」も、自費で週末り達人・小石雄一さんと飛んだ沖縄の「国際通り屋台村」でも、お金は全国屋台村協議会から補助金として出すことになっていたのに、何のリアクションもありませんでした。

大好きな台場一丁目商店街で、せっかく700人もの人が楽しんでくれたのに、1500人の予定だったために、打ち上げにも反省会にも声がかからなかったときも「何もないところに、700人も遊んでくれた」と考え、閉鎖型施設では、もっと運営が楽な仕組みがあるのでは? と、頼まれもしないのに、研究を続けてきました。

そのとき、私は自然体で、謎解きクロスを採用しなかったみなさんの「理解力と感性」の問題だ、などと思っていませんでした。これが10年前でしたら、そう思って切り捨てていたことでしょう。捨てることで、関わりを断ち切ることで、自分の不徳を押さえつけていたのです。

これは、謎解きクロスの仕掛けに、何か原因があるかもしれない。もっと進化する要素がみつかるかもしれない(実際、謎解きクロスのバリエーションは広がり続けています)。ミステリーウォークの運営の負荷が、二の足を踏む結果になっているのかもしれないと考え、考察を続けてきました。

そして、一昨日、その姿勢が功を奏し、決してあきらめない姿勢を貫けて、責任は自にあると、自身を叱咤激励し続けてきたおかげで、大きなプロジェクトに参画させていただくことができました。

まだ、何も始まっていませんが、私は、10年間、いつも自分責任論で謎解きクロスやミステリーウォークの完成を進めてきましたので、波のクリエイターではできないことも、たぶん、苦にならずに結果が出せると、自信がみなぎっています。

来週、ヒアリング。

再来週、原稿作成とチェック。

そして、9月10日には、あらゆる仕掛けがスタートし、印刷所は回転し始めています。パンフだけで、5万部から10万部を配布しますしミステリー小冊子も5000部から10000部、配布します。

印刷も運営も、すべて、私の責任で進めるプロジェクト。自分で自分を褒めたいところは、通常なら3ヶ月、どんなに早いプロダクションでも6週間はかかるイベント準備を、クリエイティブから印刷まで含めて、たった3週間で実現してしまうことでしょう。

私は、いつも他人のせいにしてこなかったので、どんな事態が発生しても、責任の取り方がわかっています。失敗は、たくさん重ねて、そのたびに対応策を練り、実行してきましたから、何も、怖いものはありません。

本ブログで、このプロジェクトをご報告できる日が、やっと来た事。本当に、支えてくださったみなさまとともに、喜びたいと思います。

みなさん、ありがとうございました。

 

商店街のみなさん、ごめんなさい!

このところ、毎日、謎解きクロスを使ったミステリーウォークの企画を詰めています。そのなかで、ちょっと反省しなければと思っていたことがあります。

商店街のみなさん、負担をかけて、ごめんなさい!

いきなり謝罪となりました。というのも今、課題となっているのが、商店街の負荷の件なんです。

これまで、2008年のスタート時から、私は「ミステリーウォークは、地域のおもてなし」と言い続けてきました。

しかし、2008年に150名もの市町村の代表に「地域は、来街者に、おもてなしをしてほしい。そのための、謎解きになる」と言い続けてきました。その結果、市町村から、オファーがきた件数は、10年間で、1度もありません。

何ということでしょうか。

私は、今、方針を大転換しなければいけないと感じています。この10年間で、ミステリーウォークを実現できたところは、民間企業である東急電鉄さんの紹介と手厚い支援によって実現したのは、伊豆下田、西小山、目黒区、信州上田など。

同じ信州で、松本市だけが、たまたま私が講演させていただき、副市長と懇親会で意気投合して、予算をつけてもらったというトップダウンの一例だけ。

遅ればせながら、10年も事業を続けていると、さすがに「理由」がわかってきます。

たぶん50人、いや100人、いや講演をいれると500~1000人もの、市町村の担当者に「おもてなしの街になりませんか?」と問いかけてきました。

でも、それは首長ではなく、みんな現場の担当スタッフを相手にしていた。だから、決定権がなく、誰も本気でミステリーウォークをしようなどと思わなかったということなんです。

とくに運営が面倒なミステリーウォークですから、なかなか、行政スタッフさんが「やろうよ」ということには、なりません。

喜多方では、一人、行政スタッフの方が頑張ってくれましたが、観光庁のイベントで「古代文字ミステリーウォーク」が「日本一」に輝いたにもかかわらず、観光庁の補助金がでなくなったら、自律的に「おもてなしの仕掛け」を採用することはありませんでした。

私は、お払い箱になったのです。

一方、商工会議所さんがからんでくれる地域は、続いています。ビジネスとしてみても、ミステリーウォークの効果は、なかなかのものがありますから、商工会議所さんとの相性は、比較的いい。

上田商工会議所、下田商工会議所、いずれも持続的に、謎解きクロスによるミステリーウォークを続けてくれています。

深谷商工会議所は、別な形ですが、2003年から続いてきたミステリーによる街歩きの「灯」を消すことなく、努力してくれています。

で、今までの話は「企画」と「運営」と「事務」の問題なんですが、それに、地元商店街の協力が得られるかどうかという問題があります。そのときに「街全体を考えて、おもてなしをしてください」と、商店街のみなさんに、お願いするのです。

とともに、寄付もお願いします。

そのような負荷は、私は、街の活性化のためにも必要だという認識でした。しかし、本当にそうでしょうか。

商店街のみなさんは、今まで通りに商売に専念してもらい、それでいながら、地域の魅力が浮き彫りになる方法はないのでしょうか。

参加者が、自ら、歩いて、謎を解いていく。そのとき、「商店街のみなさんには、ぜひ、街を代表して、おもてなしをしてください」と私は、いつもいつも、得意げに「お願い」をしていたわけですが、それが地域活性化の「ツボ」だと言い続けてきたのですが、それって、本当なのかという疑問がでてきたのです。

苦労して、商売をしている商店街のみなさんに、どこまで負荷をかけていいのか。自分の商店街のイベントだから、強力するのは当たり前。地域に来た人だから、おもてなしをするのは当たり前。

ちょっと、待って。

10年も、言い続けてきた私は、最近、人のいい商店街のみなさんに、負荷をかけすぎているのではないかと、気になっているのです。

商店街のみなさんは、これまで通りに、ふつうに商売をしていていただく。それなのに、いつの間にか街のブランド価値が上がり、やってくる人たちが増え、ものを買ったりする人も増え、活性化していく。

ミステリーウォークには、そんな役割も課すことができるのではないかと考えるようになったのです。

商店街の店舗には、まったく負荷をかけない問題が、待たれていると、ようやく気付いたのです。これまでも、商店主さんから、そのようなことわ言われたこともありました。

「とても、お手伝いしているよゆうはない」

西小山でも、祐天寺でも、学芸大学でも、信州の温泉街でも、そのようなことを聞きました。でも、私が一生懸命に「おもてなし」のことを説くので、街全体のために、人肌脱いでくれることも。

でも、運営はつらい。お客様がこられても、そうそう、目立った売上になるわけではありません。そこで「1年に1度にして」という声があがります。私の展開していたミステリーウォークは、「おもてなし」が日常活動であるにもかかわらず、現場では「1年に1回」しか、できないものになっていたのです。

そこで、今、謎解きクロスをフル活用することで、参加者が「自律的に」街歩きをして、商店街のみなさんは、特別なことをしないでいいパターンを研究しているのです。

かつて「京都」でミステリーウォークをしようとね実業之日本社にいた荻野さんと企画していたことがありましたが、その復活です。

街も人も、そのままでいい。

参加者のほうが、謎解きクロスで変わるのです。そして、自ら街の魅力を感じていく仕掛けです。

これはまだ、検証はできていませんが、これからの謎解きクロス&ミステリーウォークは、商店街のみなさんへの負荷を、極力減らす方向で進めていきたいと思っています。

参加者が、自律的に謎解きをして歩く仕掛け。

秋までには、編み出します。

各駅停車に彩を添える謎解きクロス

信州上田で、今年もミステリーウォークを推進していただけるとのこと。本当にありがたい。その打ち合わせとともね、残暑が終わって、すでに秋の気配が漂う信州に行き、しなの鉄道の観光列車「ろくもん」に乗ってきました。

上田に通い始めて、7~8年となりますが、いつも新幹線。特急も、高速バスも使ったことがありませんでした。

今回、しなの鉄道を満喫するという目的があったため、ふと思い立って新幹線をやめて、JRとしなの鉄道でけの、しかも快速は使うものの、ほとんど各駅停車で、行ってきました。

本を、一冊、読めました。

行きは、途中でJRの横川駅から軽井沢駅まで鉄道が途切れてJRバスとなり、待ち時間が1時間半ほどあるという、驚きの路線だったこともあり、新幹線なら軽井沢まで1時間半、しなの鉄道は待ち時間を入れて1時間半、計3時間で到着するはずが、朝9時に出て上田到着は16時なので7時間かかりました。

この3時間と、7時間の差を、どう考えるか。それが、人生に対する姿勢、価値観、すべて関わってくる哲学的な問題だと、7時間の間に思い当たりました。

新幹線指定席で行くと、3時間、仕事ができます。

各駅停車でいくと、座席の関係で、満員で立っていることもありますし、ふつうの座席で仕事モードは難しい。なので、いきおい、のんびりと読める本を持ち、読んでは考え、考えては読み。ときどき疲れて眠くなると、うつらうつら。それは瞑想のように、いろいろなことが脳裏に浮かんで消えていきます。

帰りは、行きと横川駅での待ち時間が1時間違うので、家まで6時間。新幹線の倍の時間。

ところが、どっちが充実しているかというと、各駅停車だったんです。驚きました。

これまで、3時間のところを6時間もかかったら、「無駄な時間」をすごしたと思ってしました。

でも、考える時間というのは、人生にも、仕事にも必要なんです。とくにコンセプトデザインという、わけのわからない先駆者の仕事をしている私が、考えることができなくなったら、アイデアを生み出せなくなったら、もう仕事はありません。

各駅停車は、ものを考えるのに、ちょうどいい。

新幹線や特急は、考える場ではないのです。身体がビューんと走っているので、思考が、後ろに取り残されてしまいます。

とくに謎解きをするには、各駅停車で、時間を気にせずに、じっくり考えられるというのは、適しています。

途中で、接続のために30分とか、駅で待ちます。これも、無駄ととらえれば、それまで。

人生において、無駄な時間は、どこにもありません。休んでいる時間も、仕事をしている時間と同じ、貴重な人生の時間なのです。

ああ、そういうことも、今まで気づかずに、ひたすら新幹線で目的地に行く。行ってから、すぐに人に会う。打ち合わせをする。そんなパターンで生きてきました。

なんだか、待ち時間があると、損した気分になるのです。たとえば、接続の時間が少なくて、走って、目の前でドアが閉まって、間に合わなかったとき。次の電車が15分後だと「ああ、何でもっと早くは知らなかったのか」と悔やみました。かつては。

50代あたりから、身体が動かなくなったので、また急ぐと足がもつれたり、階段を踏み外したりするもので、あまりあわてなくなりました。それでも、目の前でドア゛が閉まると、

「閉めたな! なんてこった」

と、あろうことか運転手の肩に悪態をつく自分がいました。

それが、これからは違います。もし。目の前でドアが閉まって、乗れなかったら「あ、時間をくれてありがとう」と、運転手さんに感謝できる気がします。

各駅停車は、そんなことを教えてくれました。

ちなみに、各駅停車の旅では、謎解きクロスの本が売れると思っています。きっと。それを意識して、問題を作りたいなぁと思っています。

 

世界が、微笑みかけてくれた日

みなさんは、覚えていますか?

自分が生まれた、この世界が、少なくとも「自分の自由にはならない」とわかったときの、衝撃。たぶん、小さいころの話でしょう。私の場合も、たぶん、小学生。五年生のような気がします。

でも、まだ心のどこかに、もう少し大きくなれば、大人に近づけば、もっと別な自分になれると思っていました。

そして、時はながれ。

ひょっとしたら、高校生のときかもしれません。自分が、世間でいわれている天才のような「特別な頭」をしていなかったとわかったときの衝撃は、忘れません。

大学生のときにも、衝撃はありました。結局、この世界のなかで、自分の居場所がみつからない。ここで「居場所」とは、いわば自分のために用意されている「特等席」のこと。

私の人生では、どこにも、特等席はなかったのです。だから、ゼロから自分で関わり、自分の人生を自分で切り拓かなければいけなかった。誰も認めてくれませんでした。

そうしてまた、時はながれ。

あっという間に、50歳になっていました。そこで書いた本が「週末作家入門」です。そのとき、私は「すでに作家なのではない。夢みるころはすぎたけれど、これから作家になる」と宣言しました。

そうして、さらにまた、時はながれ。

今、少なくとも「謎解きクロス」という世界は、つくることができました。私のことを作家と呼べるのかは、「新しい創作物を生み出したかどうか」にかかっていると思っていました。

私は今、自分でも、作家になったんだと感じています。時はながれましたが、よく努力もしました。そしてたくさんの人に逢い、助けられ、助けて、ここまできています。

9月19日、私は、久しぶりに、週末の達人である小石雄一さんの主催する講演会で講師を務めます。

自分が、週末作家として何を生み出してきたか。人生のなかで、ものをつくること、原稿を書くことは、どんな意味をもっていたか。そして今、どこに向かおうとしているのか。

みなさんとシェアしたいと思っています。

遅れてきた作家。廣川州伸。これから、まだまだ、たくさんの作品を書きたいと思っています。

この世界が、自分にも、微笑みかけてくれる日を求めて。

オーダーメイドの謎解きクロス

地域活性化の仕事は、すべて「オーダーメイド」となります。というのも、本来、全国の市町村で、全国多々ある「地域」と呼ばれるエリアで、同じ商店街は一つもなく、同じ嗜好をもつ住民もいないからです。

ところが、ここ30年のうちに、とくに21世紀になってから、全国の商店街の顔が、整形されて、どこも「こぎれいな美人」になり、個性がはぎとられていきました。

すなわち「違うということ」が「異質」として排除され、全国、どこにいっても同じ品質という名のもとに、均一化が図られていったのです。

均一ということは、いい面もあるとともに「自由度」や「楽しさ」が減っている、そこのバランスを考えなければなりません。高品質で均質化されれば、すべていいというものではありません。

謎解きクロスも、地域活性化のミステリーウォークも、ルールや形式は「均一化」されているものの、その共通ルールがシンプルでわかりやすいものであるがゆえに、「問題」は、地域の数だけ作ることができます。すなわち、100%オーダーメイドなのです。

最近、均質化されている地域ですが、均質化されてしまったからこそ、その地域にいかない希少性に光があたり、そこでしか体験できない魅力を知りたい、伝えたい、体験してほしいという思いが、謎解きクロスの問題に反映されていきます。

謎は、地域の数だけある。イベントの数だけあるのです。

すべて、オーダーメイド。それにもかかわらず、前回のブログで述べたように「点と線」がつながって、不思議な符合をもつ図形が描かれている、そんな感じです。

実は、世界は魅力的なデザインで満ちていて、そのデザインは、FC展開されている店にはない、大きな価値を打ち出しているのです。

地域活性化とは、「みんなちがってみんないい」ことの発見。

だから、謎解きクロスは量産がききません。でも、5年間も、関わっていると、それなりに作品世界できてきます。

本サイトは、その集大成となることでしょう。

でも、その価値が「お金」に代わるには、もうしばらく時間が必要。それまで、単価が高くて、ご迷惑をおかけしますが、これからも、よろしくお願いいたします。

謎解きクロスの「点と線」

還暦まで生きてしまうと、人生において、だいたい「これから、どんな展開になるか」という見通しが立つようになります。いいことも、悪いことも、突然やつてくるのではなく、「あの点」と「この点」が、いずれ結びつくと感じたり、実際、結びついてきたりと、そんなことが増えてきます。

でも、大きな視野に立ってみると、「あ、実は、関係していたのか」と、不思議に感じることもあります。別に意図して進めたわけでもないのに、調べてみたら、符合していたというケースです。

まず、「深谷」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」のラインがあります。

次に「渋谷・西小山」「五島慶太」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」というラインもあります。

ここで、「渋沢栄一」「伊豆下田」は「伊豆急行」「五島慶太」というラインになり、実は「五島慶太」は「信州上田の青木村」の出自。

さきほどの「渋沢栄一」のふるさと「深谷」と「信州上田」がつながります。

てころで「謎解きクロス」の関係でいえば、2008年に東急電鉄さんの紹介で「伊豆下田」でミステリーツアーができ、2009年に「渋沢栄一」が開発した産業地、遊郭のある「西小山ミステリーツアー」が始まりました。

その西小山ミステリーツアーは、私の友人のミステリー作家・故伊井圭氏が2003年に始めた「深谷宿ミステリーツアー」を源泉としています。伊井圭さんが亡くなられた後、深谷で謎解きクロスによるミステリーツアーを、私が進めているのですが、ここで、複雑な点が線で結ばれていることがみえてきました。

登場人物の一人「五島慶太」さんは、東急電鉄の創業者であることはいうまでもありませんが、昭和34年8月14日、伊豆急行の開通を目にする前になくなられたのですが、日本経済新聞社の「私の履歴書」のプロフィールで、こう書かれています。

『昭和初期の財界不況に遭遇、「しばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。時には社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、みな断られて小雨の降る日比谷公園を渋沢秀雄君とションボリ歩いたこともあった』

ここで「謎解きクロス」と「渋沢秀雄」がつながってくるから、人生は不思議です。もちろん「廣川州伸」というちっぽけな点も、でてきます。

1968年の春。中学1年だった「廣川州伸」は、「渋沢秀雄」という人物から書留をもらいました。なかには、達筆な筆(万年筆)の挨拶状とともに、1万円が入っていました。「渋沢秀雄」は、「渋沢栄一」の四男です。何で、彼が私に1万円を送ったのか。それは、「廣川州伸」が、小さな親切運動の標語に応募し

君の手は ゴミを拾う手 捨てない手

で、中学生ながら、優秀賞をとったからでした。そのときの渋沢秀雄の手紙は、私には価値がなく、大正八年生れの父が「この人は凄い人だよ。よく、こんな偉い人から手紙をもらえたな」と感激して、涙している姿を見て、1万円だけ受け取って、手紙は父に預けました。父は、礼状を書いたはずです。

一万円は、当時、ニニ・ロッソが大好きだったので、トランペットを買いました。余談ばかりですみません。

「渋沢秀雄」は、「五島慶太」と、昭和初期の不況のときに、日比谷公園を歩いていたのです。

私は、必ず謎解きクロスによるミステリーウォークを「日比谷公園」ですることになるのですが、そこは10代のころから、何度も何度も歩いてきた場所の1つ。

「廣川州伸」は「五島慶太」とも、「渋沢栄一」を通して、つながっていたのです。なんだか、凄いことになりました。

これから、私は「渋谷」とも、深く関わっていくことになるはず。そのとき、「五島慶太」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」「深谷宿」「信州上田」「伊豆下田」「西小山」など、点と線で結ばれた歴史のなかで、一体、どのような図形が描けるのでしょうか。

実は「廣川州伸」「謎解きクロス」を加えることで、これから全国に知られる、大きなムーブメントが始まることになります。

 

誰と仕事がしたいですか?

謎解きクロスファンのみなさま、お元気ですか?

本ブログは、謎解きクロスの開発者である廣川州伸が、日々の記憶として、みなさまにお伝えしたいことを、自由に書き留めておくものです。話題は、そのときどきに「書きたい」と思ったことを、受けようとかは考えず、なるべくストレートに、素直に表現したいと思っています。

謎解きクロスは、5年ほど前に研究を重ねて生み出した、新しいタイプのクロスワードパズルです。

そのときは、まさか特許になるとは思わなかったので、情報をどんどん公開していました。情報公開から6カ月以内なら(ソフトウェア特許でもビジネスモデル特許でも、何かの機械にソフトを重ねて申請するにしても)特許は認められるとのこと。

特許庁に通って、いろいろご指導を受けたのですが、結論としては「もう特許をとるには遅いものの、すでに実績がある部分については著作権で守られる」ということが判明。

かくて、本サイトは、なかなか重要なポジションになっていることがわかってきたということです。

ブログで展開している内容を含めて、謎解きクロスは、すべて著作物なんです。クロスワードそのものは特許でも何でもなく、誰でも制作することができますが、特別な形式美をもつ「謎解きクロス」については、作者である廣川州伸に、著作権が発生しています。

で、これまで5年間、私は「誰に強制されるでもなく、誰に発注されるでもなく」謎解きクロスの問題を作り続け、地域活性化のためにミステリーウォークに、謎解きクロスを活用し続けてきました。

おかげさまで、今は年間数万人規模で、謎解きクロスを解くという利用者の方がでています。

その数が、100万人を突破すると、きっと何か新しいことが始まる。たとえば、本サイトが、月間で100万人のみなさんに観ていただくようになれば、当然ながら「広告」を出すことができます。

地域活性化の視点では、たとえば鉄道会社さんが、バナー広告を出してくれる。自治体さんが、出してくれる。地域の商工会議所さん、商店街さん、みんな少しずつ、出してくれる。

何が起こるでしょう。

もし、その収入が月間で50万円を超えたら、私は、毎週の週末に、全国の「地域商店街」を支援するために、自作の謎解きクロスをもって、プレゼンに行けるでしょう。

これまで、自腹で通っていた世界も、このサイトが活況となることで、地域のみなさんに、正々堂々と、「サイトの広告で得たお金で来ましたから、交通費と宿泊費はいりません」というお話ができることになります。

そこで何が起こるのか。

微力ながら、いろいろな地域に、謎解きクロスによるミステリーウォークのパッケージを届けることができます。

これは、10年前に描いていた世界そのものです。

さあ、面白くなりました。

来年、謎解きクロスの本が、多発的に発刊されることになります。その本が引き金になって、本サイトのアクセスはビッグバンのように、「あ」と思ったら、100万人の定期的にアクセスしてくださる利用者の参加する謎解きサイトになっているはず。

みなさんは今、そんな未来の姿の、「ゼロの時代から知っている歴史の目撃者」となっているのです。

赤羽のコロンビーノ、川口のCO民家、そして深谷のFMふっかちゃん。竹早高校の同窓会である「篁会会報」の謎解きクロス。

いずれも、まだほとんど知られていなかった謎解きクロスわ採用し、PRに一役買ってくれたことになります。

感謝するとともに、本サイトを作成してくれている三重県四日市に在住のパートナー福田さんに、改めて深く感謝いたします。

ふくちゃん、また、四日市に飲みに行きます!

 

どこで利益を得るのか

謎解きクロスは、登録された商標です。

ただ、それは権利ビジネスをするためのものではありません。むしろ逆で、どんどん、みなさんに使ってほしい。決して、訴えることはしません。私が、謎解きクロスを商標登録して守ったのは、普及するときに、誰かから「それは使えない」と指摘される事態を避けるためです。

そこまで説明すると、「では、どこで利益を得るのか」と聞かれます。持続可能なビジネスにしなければ、謎解きクロスも、それで進めるミステリーウォークも、決して普及していきません。

一般的に、商店街にはお金がないので、補助金などが潤沢に使える場合は別として、謎解きクロスに資本投下をしてくれる、そんな夢のようなことは起きません。

もし、謎解きクロスの作品で「売上」になり、利益になるとしたら、それは「原稿料」の形になります。

謎解きクロスは商標ですが、それで作られたミステリー小説は、著作権で守られています。著作権があるということは、創作物ですので、作品として原稿料(印税)をいただくことができます。

そこが、私の勧めるべきビジネスモデルなんです。

これは、10年前から、決めていました。原稿料をいただける場合に、私は、ミステリーウォークを実施します。

どこで利益を得るか。その一点しかありません。それ以外ところは、私は、それぞれの作家や、プロデューサーのみなさんが、別の項目で売上をつくり、利益を得ていただきたい。

先日、あるプロデューサーの方から「廣川さん、ミステリーウォークを10万円や20万円で受注してはだめ。少なくとも100万円はとらないと」とご指導いただきました。

トータルでは、そうかもしれません。

でも、それは私がする仕事ではありません。私は、原稿料をいただくために、地域に足を運び、取材し、そして謎解きクロスという作品を書くのです。

その結果、みんなが待ちにある謎に目を向け、街歩きが好きになり、ひいては、この世界が「案外、捨てたものではない」と、生きるに値する世界だと、自ら気づいてくれることが、私のミッションです。

世界は、謎でみちている。そしてその謎は、きっと解ける。楽しく解ける。そんな場所を、たくさんつくりたいなぁ、と思っています。

いよいよ、都心で、謎解きクロスが始まります。「あ!」と驚く仕掛けで、その謎解きは進んでいきます。その仕事を受注するとき、私は、相応の原稿料をいただき、自分の責任で、地域のみなさんに取材し、地域の魅力を肌で感じられるように、待ちを歩き、頼まれもしないのに、何度も何度も、飲食店に入り、飲んで食べ、話、そして町を彷徨します。

現場に即した、歩いて感じられることを重視したミステリー。それが私のつくる作品です。