起死回生(5)

8月24日に急性大動脈解離てせ緊急入院し、九死に一生を得て、40日後に何とか退院をした私ですが、大動脈解離の原因が判明したわけではありません。

原因の候補は、いくつかありました。糖尿病、高血圧、メタボ、睡眠時無呼吸症候群、肝臓、甲状腺、副腎の三ヶ所にみつかった腫瘍、猛暑による疲労と一日15時間パソコンの前に座って原稿を書いていた悪しき習慣、などなど。

血管がボロボロになっていて、過度のストレスから、一気に太ももから心臓の手前まで亀裂が走ったらしい、とまではわかっているのですが、その原因がわからなければ再発防止の手立てがありません。

入院時は128キロありましたので「この人はメタボで、糖尿病に違いない」ということで、毎日血液検査をし、血糖値を調べていました。

高血圧の薬を飲み、便通の薬を飲み、血管を強くする薬を飲みました。その結果なのか、もともと大丈夫だったのか、大病した直接的な原因がわかりません。

眼科でも「絶対に眼底に糖尿病の症状がみつかる」という話でしたが、ちゃんと調べても「糖尿病の痕跡はみられない」とこと。

心臓も、1ヶ月ほど毎日、というか24時間、心電図を図って記録してあるのですが、不整脈が少しみられるくらいで、決定的な病は見当たらないとのことでした。

睡眠時無呼吸症候群の検査も、2日間しました。平均として1時間に64回、無呼吸になっていたそうで「即刻、何らかの治療を受けて」ということで、手術をする私立病院にも、申し送りが行われました。

ちなみに、入院時に128キロあった体重が108キロまでおちて退院となったのですが、私立病院では「1時間に何回か無呼吸のときがあったが、これくらいなら何も心配することはないということでした。

都立病院から、大動脈瘤の外科手術をするために移った私立病院でも、1週間の検査入院をして、カテーテルを入れて、心臓に至る血管をつぶさに調べてみても、「あ、血管は、とてもきれいですね」となります。

数値でいうと、50代前半の血管とのことですが「では、どうして大動脈解離になったのでしょう」と聞いてみても「不思議ですね。こんなに明確に、広範囲に裂けているのに、亀裂が心臓の手前で止まっているのも不思議」

最終的には、左の太ももにつながる大動脈の解離を防止する手術として、カテーテルを使って、プラチナでできたステントとか呼ばれる器具を埋め込む手術が行われる予定でいましたが、手術の数日前に、こう告げられました。

「ステントを入れてもいいんですが、身体に異物が入ることになり、将来、何か重大な悪さをする可能性もあります。廣川さんは手術に耐えられる状態ですから、カテーテルを使わず、開腹して直接、大動脈瘤を処置します」

その若い外科医は、他の病院から週2日だけ、心臓や血管の外科手術のためにこられている先生で、どうも「神の手」をお持ちらしい。なかなかのイケメンで、看護師にも、患者さんにも人気の様子。

ただ、私の薬の処方箋を書くときに、たとえば今日が11月12日なら、11月19日という日付を入れてしまい、私の薬が薬局で出せなかったり、手術以外のところではミスが多い。ちょっと天才肌のような雰囲気があります。

これは手術後のことですが、術後の経過をみてもらうために外来として、その先生のところに行ったときのこと。予約時間の2時間後に、ようやく診察となったが、カルテを書き始めてすぐ、緊急の呼び出し。

「すいません。ちょっと様子をみてきますので、5分くらい、ここでお待ちいただいても大丈夫ですか」と。私は、もちろん「わかりました。ここ(診察室)では落ち着かないので、外の長椅子のところにいます」と見送りました。

次に、若き神の手を持つ外科医が戻ってきたのは、3時間後。緊急の手術を、ひとつ、済ませてきたという。

私の大動脈瘤は、とても難しい位置にあったのですが、7時間の手術によって、大成功に終わったのです。麻酔が入ってから目が覚めるまで、夢をみることなく、私の身体は「外科手術後のICU」に運ばれたのでした。

2024年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

起死回生(4)

ありがたいことに、えちごトキめき鉄道の鳥塚社長が、地域を元気にするブログで、本ブログを取り上げてくれました。

私の読者は通常は一桁。たまに二桁にいくこともありますが、コンスタントに数百人、ときに数千人の読み手をもつ鳥塚さんに取り上げられたのです。感謝しかありません。

元気になって、4月から起死回生の人生を歩みます。

さて、しばらく休んでいた本ブログ、再開してみます。まだ本調子ではなく、身体を「タテ」にしている時間も限られ、いきなり中断してベッドで「ヨコ」になるかもしれない不安もありますが、始めてみましょう。

2023年8月24日、都立病院に救急搬送され、検査後にICUに入った私は、九死に一生を得て、9月末に退院。10月は、自宅療養を続けながら、大動脈解離の再発防止対策として、左下腹部にある左脚を通っている大動脈にできた「瘤」の対応が求められていました。

手術をするとしても難しい部位なので、できる施設は限られています。

私は都立病院で、手術の上手い私立病院を紹介してもらい、診察を受けました。そのときに、都立病院からの申し送りデータを観た心臓血管専門の医師から「よく生きていてくれました」と、九死に一生を得たことを再確認したのです。

私は、手術を受けるための事前検査で1週間、入院しました。そのときは、大動脈瘤のヨコにある大動脈にカテーテルという細い管を通して、プラチナ材でできた人口血管を埋め込むことを想定していました。

いろいろ検査して、わかったことが、いくつかありました。

カテーテルで心臓への血管を調べたところ「とてもきれい。50代前半の血管です」とのこと。それはうれしかったのですが、それではなぜ、脚の太ももから心臓の手前まで、大動脈が解離してしまったのでしょう。

先生は「理由はわかりません。なぜか、心臓の手前で亀裂が止まったとしか、いえません」と言われました。

命というものは、たぶん神仏から与えられたギフトなんです。だから、死に至る理由はわかっても、生き延びた理由はわからない。ただ、生きているという事実を喜ぶのみなんです。

また、もう一つ、重大なことがわかりました。都立病院では副腎に腫瘍があると判明し、その対応が必要になっていました。ところが、手術前の検査入院をした私立病院で、さらに肝臓と甲状腺に腫瘍がみつかったのです。

その3つの腫瘍への方針がさだまらなければ、大動脈瘤の手術はできません。

ただ私は、たまたま腫瘍が見つかったことを感謝していました。大動脈解離で死を迎えたら、発症して3日で人生が終わります。ところが、もし腫瘍が悪性だったとしても、少なくとも余命は数ヶ月あるはずです。

私は、ガンより急性大動脈解離の再発防止を優先したいと思っていました。

それで、レントゲンやら造影剤を入れたCTやら、超音波の検査やり、いろいろつくして「当面は、この腫瘍が大動脈に悪さをすることはないだろう」という結論、お墨付きをもらったのです。

大動脈瘤の位置は奥まっていて神経も入り組んでいます。とても難しい手術であり、さまざまな副作用もあることなど、ネガティブな説明をたくさんうけました。でも、最初から結論は決まっていました。

それで先生には「どんなにリスクがあっても手術してください」とお伝えしました。二度とICUには戻りたくありません。何とか生き延びたのだから、さらに生きるためなら何でもしようと、腹をくくっていたのです。

また、直観として「この病院なら大丈夫」という確信もありました。

あとでたわかったことですが、この私立の大学病院は、尊敬していたアントレプレナーシップで有名なIさんが、二度、手術された病院でした。Iさんは、千葉の国立病院から、この私立病院を紹介してもらったそうです。

手術日は、2023年11月21日と決まり、18日から再入院することになりました。私の頭のなかは、手術が終わったらやりたいことで満たされていきました。希望がわいてきたのです。

2024年1月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

商標登録証

みなさん、お元気ですか。

ついに、特許庁から「大吉くじ®」の商標登録証が届きました。有限会社フジヤマコムさんと共同で登録したもので、弁理士事務所のプロテックさんに、拒絶理由への対応をお願いして実現した「快挙」になります。

2024年4月から、パズル小説®、謎解きクロス®ともからませ事業化していきます。大吉くじは、みんなの希望です。

2024年1月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

起死回生(3)

新年、あけましておめでとうございます。パラダイムシフトが起きているなかで迎えた元旦、書初め、2024年初の通院と、初詣は除いて、だいたいのイベントを終えて、ようやく一息ついています。

今年も、厳しい時代は続くと思いますが、みなさん、身体に注意して、健康第一でお過ごしください。無理を重ねると、いつしか、私のように起死回生を狙う道しかなくなってしまいます。

さて、本文は、起死回生の3回目になります。前回は、途中で用事が入って、中断したままになっていました。しかし、年が変わったのですから、新たな気持ちで、起死回生について期しておきたいと思っています。

2023年8月24日に緊急入院してから、2024年1月7日現在、私はお酒を一滴も口にしていません。二十歳を迎えてから、私はお酒を呑まない休肝日は、累積しても30日に満たないと思います。

というのも、眠る前に、晩酌をするか、もの思いにふけりながらいっぱいやるか、いずれにしろ、今日が人生最期の日かもしれないと感じ、生きている幸せをかみしめなければ、寝床に入れなかったからです。

とくに、ここ10年は、一回に90分以上、睡眠することができなくなっていました。そう、今、急性大動脈解離での入院は必然だったと考えているのは、そんな自分の身体の構造が、それこそ身をもって感じていたからです。

ということで、今回は、ここまで。薬を飲み、軽いリハビリをして、無理ない程度に仕事をする時間です。

2024年1月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster