八雲堂書店

さきほど、東横線の都立大学駅から徒歩1分にある街の本屋さんに、謎解きクロスとパズル小説、大吉くじプロジェクトとNFT販売の資料を作成し、自分の著書8冊ほどを添えて、宅配便で贈った。

これまで、京都祇園の料亭、ANA元会長、銀座の高級クラブのママ5人、最近ではワタミの渡邊会長と、大吉くじセットを贈っているが、返事をいただき、支援してくれたのはANA元会長の篠辺さんのみ。

なかなか厳しい現実があるものの、一方で、下仁田町では商工会と中之嶽神社の支援を得て大成功を収めるなど、大吉くじプロジェクトは確実に成長に向かって動きだしている。

もし、私が発案者でなければ、こんな素晴らしいプロジェクトは、ほっておかない。公私ともに全面サポートして、ヒット商品に押し上げるように努めることだろう。

しかし、料亭も銀座のクラブも、ワタミ会長も、なしのつぶて。

もう。二度と係ることはないだろう。ワタミのブランド戦略に、少し寄与したこともある私だが、残念ながら、縁がなかった。そういうものなのだろう。

来年、八雲堂書店前で「大吉くじ あります」のノボリ旗が立てば、書店の未来は明るい。立っていなければ、いずれ、都立大から書店は姿を消すことになる。

私は、経営陣が「わかっている」と期待している。

有名になってから「大吉くじを活用したい」とオファーをしても、手遅れなのである。円がなかったと、あきらめていただこう。逆に「唯一無二の書店になりたい」という気概があれば、未来は乗り切れる。

いずれにしても、賽は投げられた。

2024年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

深さと浅さの違い

私は、どうもAIが生成する人間の画像に、なじむことができない。この世のものとは思われない、違和感を感じてしまう。カメラマンの写真はOKだが、その写真を活用して合成された作品には、何となく違和感がある。

言い方は、難しいが、とくに女性や子どもの場合、AIの画像は「キモイ」のである。笑顔が、おかしい。具体的には言えないものの、ぞくっとする。怖い。なぜかと、ずっと考えていたが、最近、少しわかってきた。

きれいだけれど、浅いのである。表層しか、見えない。その向こうにある、人生もない。たとえば、ピカソの絵は凄いと感じるが、レジュの絵は表層的に見えてしまう、そんなことになる。

ド・ラ・フレネーやニコラ・ド・スタレーも、ずって観ていられる。ジュルジュ・ルオーやレンブラント、コロー、もちろんゴッホやセザンヌ、みんな素晴らしいと感じている。その感性ゆえか、AIのビジュアルに違和感がある。

これは、おそらく、「違和感のある人と、ない人」がいるという世界。もともと脳の機能が、遺伝や生誕のときのDNA配列、その後の生育環境によるDNAスイッチのオン・オフの関係で、一人ひとり異なることからきている。

だから、誰がいいとか悪いとか、正解か間違いかという単純な問題ではない、もともと、CGのアニメに強い違和感があったので、その延長で、AI芸術があるのかもしれない。

なぜ、こんなことを考えているかというと、実はギャラリーを借りて、自分の作品を展示・販売しようと思っているからだ。ひょっとしたら、100人いたら数人は、お金を出して、私の絵を買ってくれるような気がしている。

1点5000円のハガキ絵。これが、売れるかどうか、楽しみ。1000枚のハガキ絵ができたら、ギャラリーを借りたい。それは、大吉くじのプロモーションことかを検証する場でもある。

2024年11月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

11.23 勤労感謝2000札、配布

下仁田ネギ祭りでは、下仁田町商工会ブースにおいて、大吉くじ2000札が配布された。配ったのは、私と商工会の事務局長なので、掛値なく、わずか5時間で、みなさんの手元に届けられたことになる。

もちろん、「いかがですか」と勧めたのは私と局長だが、受け取らない人もいる。

そのなかで、私の感触としては、「何、これ」「大吉くじ、です」「へぇ、くじなの」となり、用意した箱には「1回引いて」とあるので、引こうとする。そのときに、すかさず「どうぞ。みんな大吉ですから」となる。

ここで半数以上の人が「えー、大吉」と、吹き出したり、ニッコリしたり、大笑いして「わー、凄いじゃない」となった。しかも、迷っていた人も「ラッキー」として、楽しんでいる。

その笑顔に、こちらもほっこりして「安心して、引いてください」というと、みんな、大喜びしていた。「中を見て、大吉ビンゴの数字をみつけて「何かもらえるの」と聞く人も、10人に一人はいた。

そんな人には「何ももらえないんですが、みんな大吉なので、みんなラッキーになります」というと、ここでまた笑顔になり「いいね。ありがとう」と、大切そうにしまっている。

100にに一人か二人「えー。全部大吉だったら意味ないじゃん」と言われたが、私は「お守りです。縁起物で、お祓いもされています」というと、納得されていた。

写真をとるヒマもないまま、朝10時から15時までの5時間、配布しつづけた。商工会の局長も「こんなに人気となったとは、事件です」と、感動してくれた様子。

実は、スタッフも、これまで「効果は未知数」と、様子見、トライアルの面もあった。しかし、私は知っていた。大吉くじのコンテンツにふれた人々が、けっこう大切に、大吉くじを扱っていたことを。

2000札を配り終えてから、広い会場を歩いて回った。もし、地面に大吉くじが落ちていたら、拾うためだ。ところが、私がみた限り、一札も落ちていなかった。やっぱり、ちょっと「畏れ多い」のだろう。

おみくじに興味がなければ、最初から引かない。「お祓いされている」というと、100人中99人は「凄い」というけれど、一人は「あ、じゃあ要らない」となる。神社がお嫌いな人か、宗教上の問題か。

いずれにせよ、謎解きクロスファンは2割、パズル小説ファンは5%という感触だったが、大吉くじと組み合わせることで、私のプロジェクトは、新たなフェーズを迎えることとなった。

あとは来年、NFTを販売するプロセスを加えること。楽しみだなぁ。

2024年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

未来は、平等にやってくる

来年の4月、新たな社会人600名のみなさんに、講演させていただく機会があるかもしれない。まだ企画段階だが、廣川州伸の話を聞かせたいという、奇特なプランナーさんがいる。

ありがたいことだ。決定は来年の2月だが、私は、来年の四月に間に合うように、新社会人に向けた本の執筆を考えている。もう、企画が決まったものとして、準備するのが、私のジョブスタイルだから。

来年、70歳になる老兵が、20歳前後の若者に、何を語るか。50年も経験の差がある若者の心に、何を遺せるのか。それを考えることは、何と楽しいことなのか。

古くて手垢のついた発想だが、「70年生きてきた私が、タイムマシンで20歳の自分に会いに行けたら、何を語りたいか。大丈夫、あと50年は生きられると伝えられるだけで凄いことで、人生が変わるかもしれない。

しかし、もっと大事なことも、いくつかある。その一つが、すべての人は「今=現在」しか生きられないという事実だろう。どんなに望んでも、過去にもいけないし、未来にもいけない。

この「現在しか生きられない」というシバリは、絶対である。ということは、どんなに経験を積んでも、今しか生きられないという点で、未来は平等。すべての人は、明日に向かって、同じ直線に乗っている。

だから、どんな人生を送るべきか、決まってくる部分がある。

今から楽しみではあるが、私は今日も、自分が現在できることを、精一杯、やることに専念する。出し惜しみなく、行動する。だって、明日は、ないのかもしれないから。

2024年11月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

「くじ」と「みくじ」の差

「大吉くじ」は、登録商標です。2023年3月3日時点では、ネットのどこにも、またメディアの記事にも「大吉くじ」という言葉はなく、プロモーションなどでの独占的使用権(商標)が、特許庁から認められています。

 ところで、2023年5月に、2023年正月に、名古屋で「大吉みくじ」というものが制作され、配布された。好評なので、今後も続ける旨の記事が出てきました。同じようなことを考える人は、いるものです。

 ただ、ちょっと気になったのは「大吉くじ」の構造、すなわち、そこで制作される「大吉みくじ」が、形容詞が異なる「大吉」というところ。私の企画書そのままのような文章で、みんな大吉というアイデアの背景を語っているところ。

 まあ、そういうこともあるでしょう。そこにあるコンセプトは、私が考えて好評していたものと、ほとんど変わりません。

 実は「企画」には著作権がないので、誰がパクッてもいい。社会がよくなけば、地域が活性化すれば、企画はパクリでかまわない。それゆえに、著作にして著作権を発生させたり、商標登録をしておく。

すると、少なくとも私は、「大吉くじ」のネーミングを安心して使える。この大吉くじの商標ライセンス料でボロ儲けするつもりはなく、むしろ逆で、名古屋のような事例が、たくさんでてほしいと思っています。

で、それはいいとして、「大吉くじ」と「大吉みくじ」は、何が違うのかという問題あります。

「くじ」は、たくさんのものから「当り」などを引き当てる「抽選」の意味になりますが、「みくじ」は「御籤」ともかきますが「神籤」すなわち「神」の意思を示す「籤」になり、神社などでは、そこに「御」というていねいな言葉をつけて「おみくじ」としている。

私は、「大吉くじ」でワンセットで商標登録をしているので、今後も「大吉みくじ」も「大吉おみくじ」も展開するつもりはない。

全国のマーケッターのみなさん、決して「パクリはNG」と、商標の利用禁止訴訟などおこすつもりはさらさらないので、どんどん「大吉くじ」を流行らせていただきたい。

2024年11月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

埋もれていく不安

毎日、少しずつ大吉くじを作っている。おえそらく、金の鈴付きのプレミアム大吉くじが、2000札くらい、事務所に山積みになっている。

六畳ワンルームの事務所での存在感は大きい。

また、自作の「ハガキ絵」も、オリジナルは30点ほどだと思うが、NFTにして額に知れたものが、400点ほどあると思う。

いずれも、顧客に頼まれた商品ではない。

パンフレットも、たくさんある。ただ、もっと先にやりたいことが山積しているので、それができるまで、Amazonでの大吉くじの販売はない。

また、NFTも、条件は整えているものの、まだバーコード化したり、市場に出したりはしていない。これからなのである。

今、また持病の急性大動脈解離が起きれば、今度は間違いなく「九死に一生を得ることができなかった」となり、恐怖のブラックホールにおちていく。

そのとき、きっと大吉くじも、ハガキ絵も「何で、こんなことに情熱をもってとりくんでいたのかなぁ」と、あきれられ、廃棄されることだろう。

後継者も、配布してくれる仲間も、今はいない。

ただ、7人が、サポートしてくれている。それを励みに、日々、大吉くじを折り続けている。

2024年11月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

地域から立ち上がる道

大吉くじ ありますのノボリは、なかなかいい感じ。11月13日に、クルマで下仁田町商工会に行って、店舗やイベントでの活用について、打ち合わせしてきまた。街にたなびく「大吉くじ」が、全国に広がる日は、そう遠くない気がしています。

2024年11月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

こんな夢を見た

毎晩、夢を見ているのだが、今朝のは、ちょっとステキな夢だった。何よりも、パステル調の、ミュージアムのような建物が、よかった。

ロープウェイに乗って、たどりついたのは近代的なプラネタリウム。明るいままで、天井をみると、ちゃんと星座や天の河が観られる。

ファミリーが遊んでいて、子どもの声が聞こえる。

と、いつものように、私はトイレを探す。だいたい、和風旅館、大きな観光ホテル、あるいは時代をさかのぼって学生時代に住んでいた下宿で、トイレを探す。

あった。明るく、きれいで清潔なトイレ。とても広い。どんどん進んでいくと、ソファがあった。そこに、茶色い縫いぐるみがおいてある。

そこに放尿するのかと思ってびっくりしていると、こどもの声で「そこは違うよ」と。確かに、さらに奥にはちゃんと、アサガオが並んでいた。

その一つで用を足しているうちに、目覚めた。子どもの頃は、ここでオネショになるのだが、大人の私は、ちゃんと目覚めて、トイレに行くことができる。

いずれ、ここで、おもらしをするようになる。ただ、どうせもらすなら、こういうステキな、パステルカラーのトイレに行きたい。

ま、まだ先のことと信じているのだけれど。

2024年11月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

きらめく時間

夜の街を歩いて、気づくことがある。みんな、暗闇が怖いということ。夜の街のどこかに、きっと、あのブロックホールがある、そんな気がしてきた。

一昨日、フレンチをごちそうになり、久しぶりに伝説の人と話ができた。どうしても急性大動脈解離の話になり、九死に一生を得たことを、長くならないように、伝えることになる。

そこで励まされた言葉が「その体験を書いてください」。まさに、私は、自分の体験を語れる時代に入ったということか。そういえば、竹早高校の同窓会でも、臨死体験が感動につながった。

これまで私は他人を取材して、彼が体験したことを、自分のことのように語ることで、講演を成立させてきた。だが、もう一歩、聴講者の心に踏み込めなかった。

それは「自分の体験」の重みがなかったから。

これから私は、この世界には「今」しかなかったという体験を語り継いでいくことになる。たとえ明日がなくても、少なくとも、考えて、感じている私がある限り、まだ「今」はある。

それが私の、体験したこと。

だから「今」を大切にして、「今」を正直に生きたい。その視点に立つと、すべての外界は貴重にみえてくるし、自分が生きていることの奇跡が、いとおしくなる。

人との出逢いが、大切なことも、そこから来ている。

2024年11月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

明日がなくても

明日がなくなったとしても、いつもと同じように、今日の出来事に集中し、息タイルことを楽しむだろう。たとえ今、私に殺人兵器が向けられたとしても、私は今を生きるだろう。

九死に一生を得てわかったのは、今、がすべてだということ。過去も未来も、実は「現在」の中に組み込まれていた。その現在が、ブラックホールである「死」に引き込まれたら、すべてが無の世界になってしまう。

だから、いつも今を生きる。そう、今を大切にして生きる。

2024年11月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster