明日がなくても

明日がなくなったとしても、いつもと同じように、今日の出来事に集中し、息タイルことを楽しむだろう。たとえ今、私に殺人兵器が向けられたとしても、私は今を生きるだろう。

九死に一生を得てわかったのは、今、がすべてだということ。過去も未来も、実は「現在」の中に組み込まれていた。その現在が、ブラックホールである「死」に引き込まれたら、すべてが無の世界になってしまう。

だから、いつも今を生きる。そう、今を大切にして生きる。

2024年11月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

箸置きに大吉くじ

いつも、散歩するたびに妄想が浮かびます。

小料理屋、料亭、高級鮨店などで、カウンターやテーブル、お膳などにある箸置きに、大吉くじがピッタリではないか。料理が、すべて大吉になるし、心も晴れやかになる。

ただ、ブランドロゴ入りの大吉くじに、50円、支払えるかどうか。もし、支払えない小料理屋、料亭、高級鮨店があるとしたら、たぶん、そう遠くないうちに閉店となるだろう。

あれ? フレンチやイタリアンでもいいかな。

2024年11月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

大吉くじ®あります

地域活性のための大吉くじ活用は、信州上田とともに、群馬県の下仁田町で先行して進められています。

とくに下仁田町では、14店の飲食店で、お客様にプレミアム大吉くじを配布するというデライト・サービスを展開します。

どこに行けば、大吉くじがもらえるの?

当初から「ノボリ」が必要と考えていましたが、このたび、トライアルとして、「大吉くじ あります」のノボリを発注。

今後、販売するコンテンツは問わず、大吉くじをはいあする仕掛けがあれば、そのテンポは「大吉くじ あります」ののぼりを上げるようになります。

地域から、全国のヒット商品を!。日経PB社の記者の目が確かなら、日経トレンディの「2025年のヒット商品」にピックアップされるはず。

楽しみにしていてください。

2024年11月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ステキな夢をみた

リアルな話。

イベント会場、どうも西小山や中目黒などの商店街の路地で、抽選会場のシーンのようなのだが、大吉くじが配られている。西小山ミステリーツアーには3日で3000人が参加したので、大吉くじも3000札、用意している。

もちろん、金の鈴付きのプレミアム大吉くじ。これ、ものすごい人気になっていて、自宅に「貯めている人」がいて、みせてくれた。何マイカ、クリップで止めてあった。「ああ、こんなふうに大事にしてくれるのか」と、うれしくなった。

そのあと、まだまだ見果てぬ夢は続いたのだが、途中、たぶん上田も下田も入っている。なぜか、小さなアオガエルが二匹いて、手の中入れて、逃げないようにそっと持ち歩いていた。

あの二匹は、誰だったのだろうか。

そして、目覚めたら、まだ夜中の二時。スマホ断ちしているので、SNSのチェックはしないが、メールをチェック。ところがねこういうときに限って、なぜかしら「全部、ゴミ箱に移動」してしまう。

今、事務所に来て(ベッドから5秒で事務所なので)パソコンを起動し、30日分のゴミ箱をあさって、大切な保存すべきメールを受信ボックスの移動したところ。半年に一度くらい、こういうことがある。

何で、ゴミ箱に移動したかわからないが、何か、変な動作をしているのだろう。最初は、あわてたが、今は時間をかけて、たんねんに、取り戻すことができるようになっている。

それにしても、今まで、何度ねメールもゴミ箱送りにしたのだろうか。

スマホでメールのチェックは、引き続き、やっていくけれども、ゴミ箱送りや、返信は、ちゃっんとパソコンからするようにしよう。

夜中、週末とはいえ、30分、余計な仕事をしてしまった。ステキな夢をみたけれど、これで帳消し? まぁ、いいか。大吉くじの夢をみている人間は、世界中で、間違いなく私一人なのだから。

2024年11月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

発達障害について

最近、大人の発達障害についての本が増えていて、よく売れています。私も、10冊くらい、読みました。なぜ? だって、どうみても、私の子ども時代と、そっくりだったからです。

まず、4歳で入った保育園を3日で中退。集団行動ができなかったので、毎朝、近所にある立教大学のグランドに行き、一人で過ごしていました。

だから、小学校に入学したときには、自分の名前を「ひらがな」で書くことができませんでした。おまけに、ひどい「ドモリ」なので、友達はひとりもいませんでした。

おまけに、人よりも「頭ひとつ身長が高い」ために、二つ上の子どもとしか親交がなかった。小学校に入学し、教室に行っても、自分の机がわからない。字が読めない、書けない。知り合いがいない。

そんな私が、小学校三年生の一学期に学級委員に選ばれるのですが、それは、小学一年生の終わりに毎日新聞朝刊に、「ラッパ」という詩が紹介されたからです。

小学校二年生で描いた消防自動車の絵は板橋区で最優秀賞、東京都の展示会でも金賞をもらって雑誌にも紹介されました。

小学四年生になると、作曲コンクールで当時の小学生としては珍しく「佳作」をとり、中学一年生で応募した標語は唯一の中学生で入選し、渋沢栄一の息子である秀雄さんから直筆の手紙と賞金1万円をゲットしました。

ところが、そんな私は教室から突然いなくなる名人であり(当時は、あまり、そういうことをする人がいなかった)何をしているかというと、散歩をしていた次第。理由は、たんほぽが咲いた、桜が散りそう、とか。

もともと、廣川家は「数か月に一度、二泊三日の旅をする」家系(?)で、週末ではなく、平日に「風邪で休みを取る」習慣があったのです。

11歳のときには二次元方程式を研究していましたし、15歳のときにはユークリッド幾何学の本を読破し、証明の不具合を発見するだけでなく、正しい証明方法を提案して長い手紙を出版社に送った。

しばらくして、著者の大学教授から「あなたのご指摘の通りです。証明については、再販のときに、あなたの証明に差し替えます。感謝」という手紙をもらっている。

ところが、都立竹早高校に入学したころから、暗い穴に落ちてしまった。世界の悪い部分がみえてきて、酒・タバコを覚え、アルバイトをしては一人旅に出ることを始めた。

そう、発達障害のグレーゾーンにいた人間、そのものの人生だったことになる。当時は、そんなことは思ってもいなかったが、なくした傘は1000本。財布は30回、大事なカバンを10回以上置き忘れているし、クレジットカードの再申請は常連となっている。

運よく、サラリーマン生活を13年したものの、独立。本を50冊も描けたのは、優秀な編集者と出逢えたおかげ。彼らがいなかったら、私がビジネス作家になることは、なかった。

みんな、大人の発達障害の一面を示している。

うーん、よく社会生活をしてこられたものだ。九死に一生を得て、いきなり、絵が描きたくなったのも、やはり発達障碍者独特の「感性」を活かしたいと思ったからだろう。

25歳の自画像。近代美術展に入選したころ。

なんとか、生きているので、まだまだ、これから本領を発揮したいと思います。八対象外でも、ちゃんと社会人になれるということを、みんなにも伝えたいなぁ。

2024年11月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster