いつか、マスメディアで逢いましょう

フジテレビの屋台船が、大きくゆらいでいる。

私の人生で、テレビや大手新聞などのマスメディアとの関わりは、ほとんどない。ひたすら、地を這うように、メディアは「本」と決めていた。もちろん、テレビや新聞からのアプローチはなかった。

本を出し、講演をする。それがメディアとの、付き合い方。かつてテレビの出演依頼が来たことも2度あったが、ディレクターとの面接で、話はなくなった。

一度目は「でかすぎて尺に合わない」とのこと。まあ、15歳のときに原宿で新日本プロレスに誘われたくらいだから、ふつうの尺に合うはずがない。

逆に2回目、日本一背の高いコンサルタントというキャラでディレクターに合ったが、「廣川さん小さすぎ」と没。ジョン・ケネス・ガルブレイス は実際にお逢いしたこともあるが、確かに私より10cmは高かった。

そして今。何となく、マスメディアに登場する機会があるような気がしてきた。だって、彼らは今「斜陽ビジネス」に数えられているから。中小企業応援団として、大好きな社長さんたちを支援してきた私のターゲットに、いよいよマスメディアも入ってきたからだ。

ただ、私が描いてきたビジョンは、マスメディアでの成功ではない。ひたすら、ベストセラー作家になること。

謎解きクロス→パズル小説→大吉くじ→大吉BINGOという流れが、必ずベストセラーのつながると信じているのは、今は、私一人かもしれない。でも、宇宙のビッグバンと同じで、一度、生まれたら、一気にインフレーションモデル同様、日本、そして世界に広がっていく。

一人、100円いただければ、100万人で1億円。私は、100円の利益が出るようなベストセラーを書いたら、全国を行脚し、地域活性の仕掛けとして謎解きクロスやパズル小説を無償で書き、手作りの大吉くじを配布して歩くだろう。

春には、倉敷方面に行きます。

2025年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

やっと誰かが

今、4年前にコロナ禍を契機に始めたサポーターのみなさんに支えられて創作した「そして誰も死ななかった(仮題)」の全面改正を企画している。そのなかで、考えているのがアガサ・クリスティの活用のこと。

ミステリー小説を書きたいと思った人は誰でも、アガサ・クリスティの発想力に打たれたことがあると思う。美術界のピカソという感じで、彼女は本格推理小説の可能性を拡大した。

たとえば、ピカソの後には、新しい絵画を生み出せない。アインシュタインの後には、誰も時空についての理論を生み出せない。エジソンの後には、誰も新発明はできない、というくらい、彼らは革新的だった。

しかし、時間はかかったけれども、その後も人類の創作意欲は衰えなかった。なので私も、先人の天才に心おられながらも、何とか、別のアプローチができないか、探ってきた。

そして古希を迎える年になった、ふりかえると、ようやく作家の足元に立っていることが実感されてきた。絵画では、ハガキ絵のジャンルならピカソに近づける。

アインシュタインには、コンセプトで出さんで対抗できるだろう。そしてエジソンには、大吉くじで、ようやく田下とに立てる気がしている。

永かった。

だも、足元に立っているということは、並んで歩きだせるということ。私は、ピカソがどうやって描いたかを知っている。アインシュタインが、どのように思考実験をしていたかも、脳がわかったいる。

同じように、アガサ・クリスティがなぜ、「そして誰もいなくなった」を描き切ることができたのか、知っている。それで今、スタート地点に立っているのだ。

あとは、何年、生きられるか。

80まで生きられたら、そこそこの作家になっている。90まで生きていたら、代表作はベストセラーになっている。そして99歳、白寿まで生きていたら、巨匠になっているだろう。

でも、そのころにお金が入っても、夢の世界旅行に出られる体力も意欲もないだろう。

前倒しにできないか。それは、私が決めることではありません。神のみぞ知るということで、私は日々、大吉WAKA集の編纂をしながら、日々こつこつと、自分のできることをやっていくだけです。

2025年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

観たけれど見られなかった

だいたいにおいて、人は「自分が観たいものしか見えない」らしい。だから有言実行を心がける。少なくとも、自分で言ったこと、約束したことは見えてくるものだから。

で、CampfireのCommunityの話。今もって、どうも毎月3000名くらいの人が、コミュニティを訪れている。ただりCommunity会員は、いまもって7名のままなのである。

実は、いつ「退会されてしまう」か、とても気になっている。とくに毎月3800円も支払ってくださるお二方。で、一人は大阪在住。いただいている会費で、交通費にさせていただいた。

もう一人の怪異には、静岡在住。こちらは、交通費プラス2万円のイベント券を購入させていただきました。自分でも、「お値段以上を返さないと気が済まない」性格ゆえ、お金はたまらないと、つくづく思っている。

ただ、それでも少しずつ「メジャーデビュー」したときのために、準備を続けている。だから、今は大赤字で、先行投資が重なるばかりではあるものの、あまり心配していない。

2月には、地域の書店さんへのアプローチが始まる。

本業であるコンサル業も、本格的な勉強に入っている。新しいコンセプトが、今ほど求められる時代はない。コンセプトデザインこそ、次世代に伝えるべき遺産なのだと、気づく人も増えてきている。

2025年1月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ほんとに誰も知らなかった?

この夏に発刊予定の長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、どんなコンテンツになるのか。その内容は「ほんとに誰も知らなかったのか」というところが、Pointになっている。

何か起きたとき、「予兆」があったのに「気づかなかった」ということもある。昔は「そして誰も気づかなかった」になるだろうが、令和の小説では「本当に、知らなかった」ことを問題にしている。

真犯人が目の前にいるのに、誰も気づかなかったのだが、それは「まさか真犯人が自分たちの目の前にいるとは、気づかなかった」であり「その背景は、知らなかった」ということになる。

たとえば、目の前に、将来自分を殺害することになる人がいたとしても、未来のことなので「気づかない」のではなく、ほんとうに「知らない」ことになる。それが、本小説のテーマでもある。

私は、約70年も、生きてきてしまった。だから、自分の人生の目の前にターニングポイントが、いくつかあったことを知っている。今は「知っている」けれども、そのときは「知らなかった」ことになる。

要するに、あとになってみれば「大変なことが起きていた」ことを知っているけれども、その当時は「大変なことになる」という未来を知らなかった。だから、予兆にも気づかなかった。

それが、ターニングポイントでなければ、日々の何でもない現象であれば、まぁ、どうでもいい現実になる。たとえば「パートナー」との出逢いなど、人生を変える「瞬間」については、だいたい気づかないはず。

何度も、すれ違っているかもしれない。どちらかが、どちらかを、別々に発見しても、相手が誰だか知らなければ、人生と係ってくることはない。その人が、未来にどんな関係となるかを知らなければ、忘却してしまう。

コンテンツのテーマは「知っているのか、知らないのか。知っていたら気づけることも、知らなければ気づかずに、殺害されてしまうこともある。ただ、知っていても防げない現実もあるのかもしれない。

うーん、GWまで、空想を楽しみたい。

2025年1月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

謎は深まる

長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、突然、降りてきたタイトルだけど、なぜ、それが「いいのか」は、後付けとして深まっている。

何か起きたときに、わかるまで「誰も知らなかった」ことは、意外に多いのではないか。思いつかないし、知っている人もいない事件。

表に出てきたから「わかる」のであって、こちらが探偵となって、自律的に、積極的に探究しなければ、わからない事件も少なくない、と思う。

だから、謎が、一つずつ、積み重なっていく。それがアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」の構成である。

わかっていても、誰も「そして誰もいなくなる」事態を止めることができなかった。逃げ切ることはできなかった。

同じように、一つひとつの謎を解くたびに「誰も知らなかったなど」が解き明かされていくけれども、最終的に、大きな謎解きが終わるまで、真相は知らない。

一つひとつは、わかっていても、解決していても、それが全体として何を意味するのかは「そして誰も知らなかった」ということになる。

結論としては、誰もしらなかったのは「誰も死なないのに、長編推理小説が成立する」ということ。私は、日本初のパズル小説作家として、それを証明したい。

どうかな。できるかな。

もちろん、できる。GWに完成し、出版のための編集・印刷・製本を進めていく。

お楽しみに。

2025年1月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

そして誰も知らなかった

CampfireのCommunityを中心に、30名ものみなさまにサポートしていただき、完成&発刊を待っていた「そして誰も死ななかった(仮タイトル)」。

今年の夏には「そして誰も知らなかった」というタイトルで、1作12分冊の長編パズル小説として、自費出版することとしました。

タイトルは、もちろんアガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」のパクリですが、「誰も死ななかった」と結論を語ってしまうのではなく、「知らなかった」とすることで、謎は深まると思っています。

2月以降、週末作家として、完成させます。全国初、おそらく世界初、誰もしらなかった新しいミステリーの形を提示いたします。

サポーターのみなさん、楽しみにしてください。

ちなみに、おそらく東横線T駅にある書店では、12冊ワンセット5500円で、第一次は限定100セットとして販売してもらうことになります。

他では入手できません。

Amazonでは、おそらく「中古」として15000円以上で販売される。それは、ちょっと理不尽に思えるので、第二次は限定200セット。

以下第三次400セット、第4次800セットという感じになりますが、そのような数になってくれば、出版社で12セットを1冊にまとめて1冊1800円で5000冊。

いくつになっても、こんな夢を食べて生きている私です。こりない性格ですが、ま、いいか。

2025年1月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

きっと誰も死ななかった

パズル小説「そして誰も死ななかった」は、フィニッシュで、出版業界の壁にあたり、まだ出版してくれるところが見つかっていません。おそらく、このままでは、商業出版では無理という結論になりそうです。

そこで、発想の転換を。要は、特別な人たちが、特別な手段で「苦労しても、手に入れたい作品」であると信じて、自前で制作してしまうという考え方です。ちょっと試算すると、50万円あれば、大丈夫。

たった50万円で、25名の支援者に恩返しができるなら、それはGOサインです。だって、一人1000円を24ヶ月、24000円が20名のサポートが続いたのですから、その全部を、恩返しに使えばいいのです。

でも、50万円で、「そして誰も死ななかった」というパズル小説を印刷・製本できる出版社は、ありません。2年間、探し続けましたが、やはり無理筋。なので、発想の転換が必要でした。

そこで「12分冊」にしました。いつもの小冊子、実質20ページを12分冊にすると、240ページのパズル小説ができます。それを箱詰めにして、セットでお届けすればいいんです。

タイトルは「そして誰も死ななかった」から「きっと誰も死ななかった」に変更したいと思っています。ひょっとしたら、死んだかもしれないけれど、あいまいなまま、不確実なまま、謎は閉じていきます。

郵送料は2000円。支援者25名に配布します。別途、おそらく目黒区にあるY書店で、そこだけの限定100部として定価5000円で販売。購入してくれた人には、プレミアム大吉くじと、NFT「アムスの街」を差し上げます。

これで、「種」は蒔かれることになります。あとは、「出したい」という出版社を、静かに待ちながら、長編パズル小説の第二弾を、改めてCampfireの会員システムで進めます。

やることは、見えてきました。

きっと、大吉くじも、この流れに乗って、どんどん普及していくことでしょう。その結果をみて、古希の70歳の春、2026年4月には「廣川州伸回顧展」を開催します。

生きていれば、本人が、毎日トークもいたします。残念ながら死んでいたら、ビデオメッセージを流しましょう。まだ、あと1年あります。実現可能な「楽しみ」であることを、私は知っています。

だって、みなさんがサポートしてくれた実績があるのですから。

実は、臨死体験は3度目でした。最初の臨死体験は、二十歳のとき。心臓が止まるということが、こんなに痛いということを知って、ブラックホールの存在に気付いて唖然としたときの自画像が、これです。
2025年1月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

仕事にある幸せ

2023年8月24日、急性大動脈解離で緊急入院して九死に一生を得てから、早くも1年と4ヶ月が過ぎた。おかげさまで、まだ、生きている。

これが急性かつ悪性の腫瘍であったら、とっくに死んでいたはず。そう思うたびに、何をしようかと、考えている。

大好きなコンセプトデザインの仕事や本の制作とともに、大吉くじプロジェクトは、粛々とすすめている。それ以外に、私には、週末作家として、やるべきことがあった。

それが「ハガキ絵」の制作である。

私は、1980年に5ヶ月間ほどヨーロッパを旅して、芸術にふれてきた。そのときに、どんなに頑張っても、ピカソやルオー、マティスやゴッホにはなれないと悟った。

それは大変な衝撃だったが、一つだけ、絵に関しては「目標」をもった。それは「代表作を数点、生み出したい」という祈りにも似た願望である。

そうして生まれた、何点かは、私の手元に、少しある。私は、それを芸術DXとして、NFT化している。それを、実費で分けてはどうかと思い始めた。

いくらで売ろうか、というときは5000円でいいけれど、NFTは、やはり800円で卸して1200円で売るパターン。それを10000点売れば、原作は数千万円になるはず。

生きているうちに、それをしていきたい。

ゴッホの絵も、ピカソの絵も、本当に、人々が自宅に飾りたくなるのは、数点になるのではなかったか。

その数点なら、私も、偶然、描けるかもしれない。そして「描いた」かもしれない。ひょっとしたら、部屋に飾ってくれる人がでてくるかもしれない。

古家めぐるでは、トイレに飾っていた。やっぱり、それでは寂しいものがある。自分の部屋に、できればリビングに飾っておいてほしい。玄関でもいい。

そんな絵を「1点」生み出したい。

2025年1月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

夢を見つづけるチカラ

私の夢は、一つではありません。いくつか、ある。二兎を追うものは一兎をも得ずですが、十の夢を追えば三兎を得ることもあるかもしれません。世界は、捨てたものではありません。

同時並行的に、行動する。夢を追いかける速度が変わることはあっても、そして時間をかけすぎることがあっても、私は、夢をあきらめない。だから、ときどき、思いもしない成功が舞い込んでくる。

大吉くじも、多くの人が「商標は無理」と思っていた。それでも、私はあきらめなかった。商標が取れたことを前提として、大吉くじを制作し、トライアルを続けた。

どうして、いつも失敗しているのに、夢をみることを止めないのだろうか。ときどき、そんなことも考える。きっと、好きなんだろうな、という結論で、夢に戻る。決して、あきらめない。

大吉くじだけではなく、謎解きクロスも、パズル小説も、まだまだ、あきらめてはいない。止めれば、気が楽になるかもしれないが、それでも「いつかはブレイクする」と、考えている。

まだ、白旗をあげる気はない。そのうち、たった一つでいいから、大成功する。そうしたら、連鎖的に、ものごとが動き始める。謎解きクロスが売れれば、パズル小説も売れる。

パズル小説が売れれば、ミステリーウォークの仕事が増え、必然的に、大吉くじの配布が増える。それらの一連の動きから、ようやく、マスコミも気づくだろう。これは、ヒットする、と。

そこで登場するのが、作家としての私。NFTが注目される。すると、エッセイが売れることになる。命が絶えるのが先か、夢がかなうのが先か。いずれにせよ、あきらめることはない。

飛行機で、世界遺産を観て歩く人生は、間に合わなかった。しかし、豪華客船に乗って、原稿を書きながら、世界一周をする夢は、まだ何とかなる。

こんなことを書くのも、新年だから。明日になれば、また仕事が始まる。それもまた、楽しいのだけれど。

夢は、あることが大切なのだから。きっと。

2025年1月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

おおかみよ

おお、神よ。狼よ。お、女将よ。

いずれにせよ、私は60年ほど、書初めをしては大志を語っている。オオカミ少年、大ぼら吹きが、60年もたってしまうと、ただの老害かも。

それでも、毎年、言い続ける。有限、不実行となってしまうが、反省は、したことがない。毎年、元旦に誓いを立て、書初めで確認する。

どうしたら、そこにたどりつけるか。今年こそ、ブレイクできることだろう。たぶん? いえ、絶対。そして、自分がブレイクするための条件を探す。

きっと、あそこから、突破できるはずだ。と。いてもたってもいられなくなって、書き始める。ネバーエンディングストーリー。

ところが、2023年8月24日に死にかけてから、遠い未来の到達点が、わからなくなっている。

もっと近くに、たとえば数か月先に、ゴールを設定しておかないと、「次はない」と感がしいる。

悲しいけれど、それが現実。それでも、生きていられることの幸せのほうが、遠い未来の夢を設定するよりも、はるかに幸せ感が強いのである。

私たちは、今、に生きている。

2025年1月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster