約 5,390,000 件 (0.30 秒)

久しぶりに、「謎解きクロス」をググってみました。539万人。おそらく、年内には1000万件を突破するでしょう。ありがたいことです。

コロナ禍で、自宅でも楽しめるパズルの需要は高まっています。その関係で、謎解きクロス®も、光をあびつつあります。

あとは、影響力のある人のファンが、増えるか、増えないか。東急沿線でミステリーウォークをしたときな「廣川さん、早く有名になろうよ。絶対、これ、楽しいから。全国で通用するから」と励ましてくれた方がいました。

最初のコアなファンの姉妹。

また、西小山ミステリーツアーの時代から、深谷のイベントに来てくれたり、渋谷の「のんびり散歩」に参加してくれたり。その都度「有名になってね」という声をいただきました。裏を返すと「なんで、これを有名にできないの?」と、叱られていることなんですが。

時間はかかっていますが、2008年秋に伊豆下田でミステリーツアーを進めた時、2009年に西小山でミステリーツアーを始めたときから、少しずつ発展し、今日に至っています。

コロナ禍を超えて、謎解きクロス®とパズル小説®を全国に展開します。

2021年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ミステリー鈍行鉄人事件

鉄道ファンの鉄っちゃんにも、乗り鉄、飲み鉄、撮り鉄など、いろいろなタイプがおられますが、私の場合は、少なくとも飲み鉄で、旅鉄で、しかも各駅停車が好きという、乗り鉄でもあります。

そんな私が、今年の秋からCAMPFIREのCommunityで、1年間で制作したいと思っている作品のタイトルが、アリエント鈍行鉄人事件からミステリー鈍行鉄人事件に変わりました。

ミステリー列車であり、しかも鈍行であるという設定は、いかにもパズル小説®という感じで、気に入っています。

作家にも、いろいろなタイプがあるのでしょうが、私の場合はコンセプト主導型。コンセプトができるということは、タイトルが決まるということになります。

ミステリー鈍行って、何?

鉄人事件って、何?

そのあたりを、これから毎晩、考える人生が始まります。私の場合は、考えている時間が一番楽しい。

2021年3月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

三層構造かもしれない

2021年3月11日の朝を迎えました。東日本大震災で亡くなられたみなさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

いつも、不真面目というわけではないのですが、思いついたことは、なるべく形にして、デザインして、口にだそうと思っています。謎解きクロス®も、パズル小説®も、そのような生活から生まれました。

CAMPFIREのCommunityで長編ミステリー風パズル小説®「そして誰も死ななかった」の連載を始めたのも、想いが届いて17名のサポーターのみなさんが作品の完成を待ってくださっていることが、さらなる妄想を生みました。

CAMPFIREのCommunityの第二弾として「ミステリー鈍行鉄人事件」をつくろうと思っています。このタイトルはアガサ・クリスティ不朽の名作「オリエント急行祭神事件」のフレームを借りて行われます。

ついさっきまでタイトルは「アリエント鈍行鉄人事件」でしたが、無理にオリエントを模すことはないと思ったとたんに「ミステリー鈍行」でいいのだとわかりました。妄想が、コンセプトをうんだことになります。

この「妄想」が「暴走」していき、「独創」につながる。それがコンセプトデザインを生むことになります。

妄想・暴走・独創。

たとえば今、「パズル小説®ライブラリィ」を考えています。つい先日まで、それは妄想でした。それが、どんどん暴走し、すでに「過去のパズル小説®セット」を生み出しました。

まだ、この世界で、パズル小説®を書いている作家は、廣川州伸しかいません。一人しかいないのに、゜ライブラリィむとは、妄想に他なりません。でも、妄想が、どんどん現実になっていきます。

まず、「過去の産品セット」を30セット作成しました。これをパズル小説®ライブラリィに加えたいと思っています。次に、2021年4月から毎月、12ページのパズル小説®を500部限定で制作しようと思っています。

これは短編ミステリー小説になるのですが、3冊まとまったら「3冊セットで1200円」で販売します。パズル小説®ライブラリィに、どんどん追加されることになります。

もちろん、きっと誰も買わない。だって宣伝はしませんので。ただ、ライブラリィが用意され、購入できるようになっている、そのプラットフォームが用意されていることが重要なのです。

長編ミステリー風パズル小説®「そして誰も死ななかった」は、CAMPFIREのクラウドファウンディングで販売となります。そのあたりから話題となり始め、おそらく、著名人が読者になることで、ある日突然、ブレイクします。

妄想が暴走し、独創となった瞬間です。そのときを想定して、私は今、このブログを続けています。

2021年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

.パズル小説®ミュージアム

空模様のはっきりしない東京の週末。新型コロナ禍の行方もわからなくなってきたことも、なんだかもやもやがある本日。

でも、ようやく実感しつつあります。ミステリーウォーク、謎解きクロス、そしてパズル小説と、私は廣川州伸の「背化むを、確実に、想像しつつあるということを。

おそらく、中学生のころから作家になりたいと真剣に考え始め、高校生のときには「一つの世界を作りたい」と考えていました。そのために何をしたらいいのか。私のとれた道は、本当に、遠い道でした。

芥川賞や直木賞、文芸賞や群像新人賞などをとることで、自分の世界を構築できると信じていた私は、20代に、たくさんの駄作を書き、いろいろな公募に応じましたが、たぶん20回くらい「落選」した結果、ビジネス人となりました。

ビジネス作家の道を模索し、コンセプトデザインというジャンルを創設し、50歳のとき「週末作家入門」で、遅れてきた作家としてデビュー。夢でもあった講談社から新書を出すことも実現したわけですが、まだ、世界はなかった。

これが廣川州伸の世界だと、誰もが認める作品を、世に出していませんでした。それでパズル小説を創設したときには「これだ」と、震えたものです。

そして今、CAMPFIREのCommunityというプラットフォームを活用させていただきながら、世界の構築に入っています。

先日、一般財団法人地域活性機構の理事会で、「バーチャルミュージアム」の創造というプロジェクトを知りました。そのとき、わかりました。私は、謎解きクロスを通して、パズル小説ミュージアムを作ればいいのだと。

その具体的な内容については、週末に、よく考えてみますが、誰も踏み込んだことのない世界が、そのミュージアムには、展開されているはず。

まさに「廣川州伸ワールド」のミュージアムとなっていることでしょう。

2021年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

アリエント鈍行鉄人事件

今、CAMPFIREのCommunityにコメントを寄せていて、思いついたことがあります。

これはビジネスから学んだことですが、一つのプロジェクトを苦労して進めている最中には、それが終了したら始まる次のプロジェクトの企画を進めていることが重要。

ということで、第二弾を考えました。

アリエントは、関西弁でも九州弁でもありませんが、オリエントに近い語感では、これがよさそうです。パズル小説®では「殺人事件」は起きませんので、「哲人事件」としていましたが、ここはやっぱり「鉄道ファン」ということで、鉄人事件にしました。

12人の鉄人が、鈍行に乗り、各駅停車の車両に「乗り込んでくる」たびに、小さな「奇跡」が起きます。一つひとつは小さくても、それが12人つづくと、大きな成果を生むという物語になります。

他人を辱める「いじめ文化」ではなく、少しずつ、誰かの役にたとうとする「おもいやり文化」が、たくさんつながると、とてつもなく大きなものになっていく。そんな物語です。

12の奇跡を、これから考えます。また、楽しみが増えました。

2021年3月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

Tokyo異人伝

突然、新しい小説のコンテンツがうかんできました。

昔ながらの「私小説」の形をとりますが、もちろん100パーセントのフィクションです。

私は1955年9月、Tokyoの片隅で生まれました。父は株屋で収入が不安定。母は生命保険の外交員として働いていたようです。

生まれた時、とくに普通だったようですが、小学校にあがるころ、一つ問題がありました。体育館で記念撮影をすめため整列したとき、最後列の端にいた私は、隣の生徒よりも頭ひとつ抜きん出ていたのです。

街の写真屋のおやじから「記念撮影なので、そこの出っ張り、足を切るか中腰になるかを選びなさい」と言われました。足を切られると痛いので、中腰を選んで、みんなと同じように整列しました。

小学三年生になると、ふつうの教師の新調を超え、卒業式にはどの教師よりも高くなっていました。卒業アルバムでは、誰に教わったのか「サーカス団で活躍したい」と書きました。

誰かに強制されたわけでもありませんが、自分のことを卑下しなければ、仲間から相手にしてもらえないことが、わかっていました。仲間外れにされたくない、そんな気持ちで生活していました。

中学三年生になると、プロレス団体から勧誘されました。「強くなれば異人でもバカにされない」と言われました。私は、異人を偉人と勘違いしていましたが、身体を使わない仕事に就きたいと思い、断りました。

都立高校に入学したとき、私の身長は2メートルを超えていました。ちょうど制服が廃止された時期で、相撲取りのように浴衣を着て通いました。通勤電車のドアは185センチしかありません。

私は膝を曲げて九の字にし、背中を丸めることで、何とか車内に入れました。老若男女、初めて私を観た者は、必ず私を指さしました。半分は「化け物」という蔑みで、半分は「可哀そうに」という同情でした。

高校時代、いつも私は、自分に問いかけていました。自分が生まれてきた社会に、どこか素晴らしいことがあるのだろうか。これからやってくる人生に、何かいいことはあるのだろうか。

※こんな出だしです。「愛夢永遠」という物語とともに、「 Tokyo異人伝」は、遅れてきた作家として、どうしても書き切りたいコンテンツの一つです。

2021年3月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster