パズル小説®と菜根譚をつなぎ、人生について、コロナショックを逆手にとって、考えるという技術を、今、磨いています。というのも、私には、このコロナウィルスが、生命の星地球で、人類が、「このまま、生態系のトップに君臨させるわけにはいかない」という、何かの意思表示ではないかと、そんな気がしてならないからです。
世界をどうみるかによって、私たちの人生は、豊かにもなり、また批判ばかりで、つまらないものにもなり下がります。せっかく、美しい自然があるのに、いい風が吹いているのに、それを感じられないまま、自宅にこもっている私たち。そこから、何も学ぶことができないとしたら、人類は、とても生態系のトップとして生きるしかくはない、そんな気がしてなりまらせん。
具体的には、2月ころに感じていたのですが、新型コロナの「戦略」が、人間の身体に染み入って、そこで繁殖し、なるべく多く、自身の複製を広めようとするわけですが、新型コロナの側からみて「役割を終えた人間」には「死」を与えて、新型コロナウィルスも、一緒に死んでしまうわけですが、そのときには、すでに自身の複製が他の人間を介して拡散しているわけです。
その感染を広げるプロセスで、新型コロナウィルスは「なんでもない人間」を用意しました。本人は、病気の兆候がないので、日常的な生活を続けていける。そのことで、どんどん広がっていくわけです。この、忍者のような、「自分は大丈夫です」という顔をさせる戦略をとれるところが、考えさせるポイントです。
怪しくないのです。ふつうなのです。病気に見えないのです。私たち人間は、こういうものについて、弱い。たとえば、ぞナビのようになってくれたら、すぐに「大変だ」と用心できるのですが、何げない顔で、当たり前のように生活をしている「感染者」をつくることが、新型コロナウィルスの「ずるがしこい」戦略になっています。
人類に問われているのは「想像力」です。目の前にある「病気になったら大変だ」という表層的な世界でわかることから一歩出て、誰でも、感染するかもしれないし、病状がでてないまま感染させている人もいるという事実せを「恐ろしい」と感じ取れる想像力。これは、たとえば地球温暖化の原因が二酸化炭素の過度な排出だとわかったときに、100年後の地球の状態を創造して、人類の一人ひとりが、自分のできる行動がとれるのか、人類は、そういう生物なのかというところが、今、問われているのです。
たとえば、新型コロナウィルスと戦っている医療チームの家族をバッシングするとか、流通を支えているドライバーに、兵器で消毒薬をプシュッとかけてしまう「とんでもないアホ」たちがいるわけで、その頭の悪さ、想像力の欠如、自分の行動が社会にどのような影響を及ぼすのか、創造できない度量の狭さを耳にすると、人類は、危ないと感じることになります。
私たち晩類に、生態系のトップに居続けられる「創造力」が、備わっていれば、やがて、コロナショックは、静かに、収束していくことでしょう。ところが「自分だけよければ、他人のことなんて知らない」という利己的な遺伝子の権化のような、あさはかな人々が二割くらいいるとしたら、人類、危ないかもしれません。
残りの八割で、他人の幸せを自分のことのように思える「想像力」を発揮して、新型コロナウィルスに対抗したいところです。
78億分の1の意見ですが、祈りをこめて。パズル小説®作家として、これから社会に出ていく者として、ひとこと、書かせていただきました。このテーマで「大人のための寓話」を、作ってみらうと思います。
みなさん、お元気で。