パズル小説

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快答ルパンの冒険 第6回

■空飛ぶエンタテイメント

快答ルパンは人生の羅針盤、コンパスを持たずに詩歌(しいか)に浸る学生生活を送り、それなりに自由を満喫しているうちに、恋に落ちて結婚。マーケティング・コンサル会社の勤め人となった。
以来13年間も、ひたすら重い荷車を引きながら会社勤めを続けたが、創作意欲が衰えることはなかった。対象が文芸小説から事業企画に移り、サラリーマンでありながらコンセプトを開発する仕事を考案した。
6年間いたコンサル会社から広告制作会社に転職したのが1991年のこと。平日は、朝9時から夜9時まで仕事をする代わり、週末は「別の顔」で生きた。
コンセプトデザイン研究所の名刺を作り、無償で企画の仕事を引き受けた。
そんなライフスタイルをとった関係で、やがて最初のビジネス本を発刊できるチャンスがきた。
1995年の12月にWindows95が発売となり、翌1996年はインターネットブーム。しかし、自力でインターネットにつなげない。だから、ひたすら自力でインターネットにつなぐことだけを解説した本が必要となる。
もちろん、それだけでは本の価値は低い。しかも、どんなに丁寧に書いても100ページほどで、パソコンは自力でインターネットにつながってしまう。それでは街中の書店に並ぶ本の体をなさない。
残りの120ページをインターネットの歴史、へぇ~という話などの工夫を加えた。
その企画が通り、11月に発刊する運びとなったが、接続の説明する部分を除いたゲラが出てきたのがITS世界会議・米国オーランドへの出張直前。しかも2週間の出張から帰国した後、4日間で「完全原稿」に仕上げて印刷所に入稿しなければ間に合わないという。
それでも快答ルパンは、どうしても「自分の本」を書いておきたかった。

スーツケースにゲラを忍ばせ、支度をしてオーランドに向かった。
担当したのは警察庁ブースとITS日本事務局。朝7時に起き、ホテルから展示会場まで歩く。夜8時まで仕事をして、毎晩、クライアントを連れて食事に出た。
事務局にいる外国人のキャプテンとは仲良くなった。
「英語もろくろくしゃべれないのに、よく、ここまで来たね」
と笑われたものの、笑ってごまかした。
実は、快答ルパンは25歳のときにヨーロッパを放浪していたので、英語が通じなくても押しが強く、コミュニケーションができたのである。
ホテルに戻るのと10時くらい。そこから午後2時まで原稿をチェックし、残り120ページ分の原案づくりをした。毎日、鼻血がでた。
2週間が過ぎ、オーランドから戻ったら仕事で使う荷物を選んで積み込み、神保町にある編集プロダクションのビル前に停めた。4日間におよぶカンヅメの暮らしが始まった。
ワープロを編集室にセッティング。出版社の編集者も、知らん顔はせず、毎日付き合ってくれた。原稿をワープロで打つ。5~10ページ分を打ち終えたらフロッピーにDataを落とし、DTP担当に渡す。彼がイラストと組み合わせてデザインしている間、快答ルパンは車に戻り、15分間の仮眠ないし90分間の睡眠をとった。
その楽しいけれど厳しいラリーは、丸4日、続いた。すべてを書き終えたとき、4日間で480分、計8時間の睡眠で乗り切ったことがわかった。
苦労して愚痴(ぐち)もいわずに書いた力作だが、勤め先の社長に話すと
「休日に別の仕事をしていても解雇しないけど、会長を補佐している幹部が本を出したとわかると、休日に会社の仕事をこなす社員もいるから、しめしがつかない」
と釘を刺された。
そこで出版社と相談し、顔見知りの大学教授の名を借りた。思いがけずゴーストライターになってしまった。
しかも著者の大学教授が、
「本が売れるのは私の名前の力。あなたは本業があるから印税は受け取れない」
といい始め、印税のすべてをもっていってしまった。
そのときの経験は、後々の仕事で支えとなった。どんな事態でも道はある。また味方と思った人間も金に目がくらむこともあるから、相手を恨まず、次のことに頭を切り替える。
ちなみに当時の編集者は今も健在で、フリーの編集者として「大人のための寓話50選」(辰巳出版)をプロデュースしてくれた。

快答ルパンは企画プロデューサーとコンセプトデザイナーという二つの顔を持ち、1997年10月を迎えた。
そのころ規制緩和でスカイマーク、北海道国際航空、スカイネットアジア航空、スターフライヤーなど、主に価格優位性をもつLCC系の参入が決まっていた。
実は、この歴史には裏があり、1997年秋には、もう4社ほど新規参入候補が起業し、準備に追われていた。快答ルパンが関わったI社も、その一つ。ただ価格優位性ではなく、社長は新しい航空体験を生みたいと夢を見ていた。
小伝馬町にあるI航空の準備室には、30名ほどの社員が集まっていた。
社長は、いった。
「日米を100回以上往復したが、フライト中が苦痛。ビジネスでは仕方ないが、レジャーで乗る飛行機は楽しくしたい。私の(かん)だけど、この会社は空を飛ぶよ」
集まっていたスタッフで、社長の右腕といわれる総務部長がいた。彼は大手航空会社のA社を退職し、起業に加わった。もとCAの奥さんに「辞める」と告げたら、離婚届けとともに持ち家と5000万円の預金を取られたという。
それでも、彼はI社にかけた。

その航空機は、東京とハワイを往復するチャーター機となる。
成田からホノルルまで8時間のフライトだが、機内に入ったとたんに
「ギャー! 大変だ!」
と叫び声があがり、事件が発生する。機内には女医、探偵、助手、弁護士が乗っていて、犯人捜しがスタートする。
それを演じる芸能プロダクションと提携し、渋いキャラで、力持ちでも知られる俳優が、長い黒髪をロマンスグレーに染め、探偵役を買って出てくれた。
週末の夜には、代々木上原にある芸能プロ社長の自宅で、ホームパーティーが開かれた。
テレビで見たことがある料理研究家のおかげで、ホタルイカの酢味噌和えやマイワシのソテー、プリンスメロンを生ハムで包んだ前菜などが並び、ブレスト・パーティーが始まった。夜も更けて、石臼(いしうす)でひいたそば粉の手打ちそばが出るまで、熱い議論が続けられた。
一連のレクチャーとブレストを受けた快答ルパンは「空翔ぶエンタテイメント」というコンセプトを開発。100ページを超える企画書を作成し、提出したのが12月中旬のこと。
I航空の社長は感動し、快答ルパンに
「来年4月から広報部長として参画してほしい」
と要請する。月給は、前の会社と変わらなかったが、ゼロから航空会社を立ち上げようというドリームがあった。
翌月曜日、広告制作会社で早朝から行われる経営会議に出席した快答ルパンは、社長に退職したい旨を伝えた。
場合によっては新年早々に退社して合流しようとも思っていたが、引継ぎが多く、結局1998年3月の退社と決まったのが年末近く。

年が明け、すぐに引継ぎの仕事を始め、あいさつ回りをしているうちにがちらついた。虫の知らせを感じた快答ルパンは、今まで行ったことのなかった平日に、小伝馬町のI航空準備室に顔を出した。
社長はいなかった。徹夜明けなのかタイツ姿で顔を出した総務部長が、眉間に皺(しわ)を寄せてうなずき、快答ルパンを喫茶店に誘った。
何となく雲行きが怪しいと感じていたが、総務部長はストレートにぶつけてきた。
「昨日、社長が解任されました」
「え? まさか」
「株主から、あの社長じゃ運輸省の認可が下りないと指摘があり、J社から新社長を出してもらうことになりました」
「ちょっと待って。私は、どうなります?」
「あなたの席は……うちには、ありません」
快答ルパンの転職先は、露と消えた。
すでに辞職を申し出て引継ぎを始めていたので前職に戻れるはずもなく、彼は社会にほうりだされた。
このまま「どん底」に突き落とされるのかと緊張したが、独立してみると、退職のうわさをきいたというオーランドでお世話になった人が仕事を発注してくれた。
1998年秋のソウル、1999年秋のトロントと、事業部長が家電メーカーを退職してコンサル会社を作るまでの2回、一(れん)の仕事をすることができた。
快答ルパンの仕事はつながったが、I航空は、とうとう運輸省の許可がおりず、8月に「飛べない」ことが確定した。
快答ルパンは、空飛ぶエンタテイメントの世界を求めて、21世紀になってもチャンスを探し続けた。当 時、謎解きクロス®もパズル小説®も存在しなかったが、いずれ全国で、この手のエンタテイメントをブレイクさせたいという気持ちは、ブレなかった。

■問題です■
・コロナショックが沈静化して東京の街にも笑顔がともり、篁会の理事が集まって椿山荘で美味しい料理とビールで乾杯をするのは『ABCDE』の夜となります。

【ヒント】
□力持ち(縦10) □知らん顔(横24)□ホタルイカ(縦12)
□キャプテン(横7)

2020年4月12日

大人のための「寓話」50選 その5

■第9章・扉(表)

 ■コラム(謎解きクロス)⑤

 ■幸せになる方法

  残業があり、団地の窓の明かりが消えるころ、私は家路についた。

妻は、いい香りの化粧をつけて眠っていたが、一人娘がリビングにいた。テーブルの上に置かれた湯呑みから湯気が立っている。

「父さん、困った。興奮して、眠れない」

たしか娘は明日、バスケの試合がある。部活命の生徒にとっては最後の試合。

受験が近い娘だが、彼女は理科や数学が苦手で体育が得意。受験勉強は未知の世界だ。娘はブランド物の地味だがなTシャツを着ている。それは私が贈り物にネットオークションで競り落としたものだ。反抗期のせいでいつも言い争いになり

当たり前のことをきちんとすること。もっと素直になりなさい」

などと教訓をたれるのだが、彼女の不安そうな顔をみていると、抱きしめたくなる。

「試合も気になるけど冬季の講習が未定なので、気になる」

私は何かの足しになると思い「幸せの話」をした。長い話しが終わる頃、娘は言った。

「父さんの話、ほんと退屈。おかげで眠れそう」

 

※問題編を読み、キーワード(書体がゴシック)となる言葉を平仮名にして、次ページにある記入欄のマス目を埋めてください。そのピースは、名詞とは限りません。

 

 

2020年2月27日

大人のための「寓話」50選 その4

■第7章・扉(表)

 ■コラム(謎解きクロス)④

 ■旅に出掛けよう

私の職業は画家スリムな彼女のため、庭の花壇に咲いたバラを摘んで花瓶に生けて描いたばかり。美しいものはトゲがあり、のあるキノコは美しいが、女性の笑顔にかなうものはあるまい。彼女の仕事はナースだが、瞳ので何を考えているかわかったとしても、笑顔の前では何もできない。無策のまま従うだけである。

彼女は趣味で花を育て、街角に活けて美化を推進している。

「ネットでナウとつぶやくのも、動画で風景を楽しむのもいいけど、街を歩いてほしい」

彼女が大好きな伊豆下田の寝姿山は、仰向けに寝そべる女性の姿に似ている。

その山頂に「和(なご)み玉投げ」がある。和み玉が輪を通ると「和」が成就、先の石にあたると「和」が深まる。鐘やもいいが「和み玉投げ」も一世を風靡することだろう。いかにもリゾートエリアらしい仕掛けだから。

伊東駅から終点が伊豆急下田駅となる。そこは謎解きクロスの聖地。謎解きクロスは、東急沿線で数万人がチャレンジしたクイズ感覚の謎解きで、をされて目立たなかった地域の魅力が浮き彫りになる。さあ、旅に出よう。街をでみたすために。

 

※問題編を読み、キーワード(書体がゴシック)となる言葉を平仮名にして、次ページにある記入欄のマス目を埋めてください。そのピースは、名詞とは限りません。

 

 

2020年2月27日

大人のための「寓話」50選 その3

■第5章・扉(表)

 ■コラム(謎解きクロス)③

 ■晴耕雨読

晴れた日は、本を読みたい。たとえば掘辰雄風立ちぬは夢の世界に誘ってくれる。

その夏……私は、友人に借りた別荘の庭にコンロを出し、干したを焼いた。小麦のでタコ焼きを作っていると、声をかけられた。その人の素行は怪しかったが、食事をして合点がいく。彼女は測量技師をしつつ全国を歩き、原石を集めていた。

「森のクヌギからドングリがこぼれるように、宝石は転がっている」

彼女は子どものころ、珍しいを拾った。多くは藻屑だが琥珀がとれたこともある。

至宝は深いに隠れている。それが地殻変動で露出し、洗われて小さな石になるのよ。それをに上げて磨くとキラキラ輝く。まるで恋のように」

汗をぬぐう彼女のうなじが妙に青く、なまめかしかった。

「発掘はを引き当てるようなもの。その手法にシバリはないわ」

彼女はコレクションをみせてくれた。は少なかったが銀のにつながれた石はそれぞれの個体ごとに魅力があり、古代時間の香りがした。

 

※問題編を読み、キーワード(書体がゴシック)となる言葉を平仮名にして、次ページにある記入欄のマス目を埋めてください。そのピースは、名詞とは限りません。

 

 

2020年2月27日

仕事に効く人生に役立つ 大人のための「寓話」50選 その2

■第3章・扉(表)

 ■コラム(謎解きクロス)②

■出逢いのとき

二人が出逢った渚でのこと。花嫁はを脱いで裸足になり、砂浜を走った。が痛くなったが、そのときの経験はどんな出来事よりも印象的だった。理屈では説明できないが、幸せのモリサシで測れる範囲をこえていたのである。

彼は、いきなり交際を申し込んだ。貴女が隣りにいてくれたら何もいらない……。

それは大河ドラマのように、波乱万丈の未来に続いた。いくつかの四季を経て教会が鳴りひびき、披露宴となる。花婿への祝辞は、他のもあったのだろうが、よくできた孝行息子への賛辞として「トンビがを生んだ」という話が多かった。

花嫁は気品あるウェディングドレスを脱ぎ、明日から長い旅にでる。ズタ袋には、少しのお金と、たくさんの夢をつめこんで歩き始めた。二人は家庭の習慣という垣根を超え、メリハリのある人生を送ることだろう。花嫁は、母に言われた。

「たとえ倦怠期がきても、大好きなクイズ番組でも見ながら、笑い合うのよ」

気長に待ち続ければ、幸せを照らす明かりは消えることはないのだから。

な人だったと言われる、確かな(あかし)となる道を、二人で歩んでいく。

 

※問題編を読み、キーワード(書体がゴシック)となる言葉を平仮名にして、次ページにある記入欄のマス目を埋めてください。そのピースは、名詞とは限りません。

2020年2月27日

仕事に効く人生に役立つ 大人のための「寓話」50選 その1

辰巳出版から発刊された「仕事に効く人生に役立つ 大人のための「寓話」50選」には、謎解きクロスの問題が5問、挿入されています。ぜひ、ごらんください。

ここでは、掲載した問題の「文章」のみもご紹介します。

■第1章・扉(表)

■コラム(謎解きクロス)①

 ■顔がサイコー

実りのになるころ、商店街にはさまざまなが並んで賑やかになる。

商店会長の父も、70歳の古希を迎えた。昔の仲間からは「そろそろ息子に仕事をゆずればいい」と言われている。たぶんその話……父から居酒屋に呼び出された。家ではビールモドキしか飲めない父はうれし泣き。逆に私は笑うには福来ると笑っていた。

父は今、秋祭りの話し合いを進めていたが、いい案がなかった。ジャンケン大会をしても相子の場合はどうするかなど、細かいところで異論が出てくる。

結局、奇異に映るのかもしれないが「謎解き」をすることになった。それぞれの店舗のドア引戸にヒントを貼って街歩きをしながら、を確認する。最近は商店会員の成り手も少ないので、若い人が参加できるイベントにしたいというのが動機だ。

私は、友人のパズル小説家を手配して謎解きを企画。をもてあましていた父は、どこかから探偵ホームズのコスチュームを借り、商店街を歩いた。

お腹子どもがいた嫁は顔に白いを塗ってヒゲを書き、エルキュール・ポアロになりすますと、若いお客様を相手に探偵役を謳歌していた。

 

※問題編を読み、キーワード(書体がゴシック)となる言葉を平仮名にして、次ページにある記入欄のマス目を埋めてください。そのピースは、名詞とは限りません。

 

 

 

2020年2月27日

パズル小説 快答ルパンの冒険<4>

■第4話『初日の出』

 

 

 

東京で生まれ、青春時代を送った快答ルパンは永い間、自然は美しく、人の開発が進んだ都会は「汚れている」と思い込んでいた。

 

しかし、そんな固定観念が通じない稀有(けう)な瞬間がある。

それは夕日が沈んだ後、朝日がのぼる前、思いがけず雪景色になっていた都市の空間など。そこにある景色は昔から人々の心をふるわせ、多くの絵師(えし)が男女の営みを記した秘画(ひが)とともに、大切にしてきた風景である。

確かに人生には、ときどき特別な時間が流れていた。

竹早高校2年生となっていた快答ルパンは、大晦日に気の合った同級生の家に行き、隠れて酒を飲む楽しみを共有した。

ポテトチップをツマミに缶ビールを飲み、年越しそばの代わりに鍋焼きうどんを食べて温まってから、誰彼ともなく「初日の出を観よう」ということになった。

四人は全員、元旦の昼までの予定は未定なので、ちょっとした遠出ができた。

 

東京で生まれ育った私たちは、小学校の遠足で江ノ島、鎌倉、修学旅行は日光に行った。その経験から、初日の出が観られそうな場所は江ノ島だった。せっかくなら(なぎさ)のある海辺に行き、水平線から立ち上がる初日の出を観たかった。

 

集まった仲間は、快答ルパンを入れて四人。

別に麻雀などの賭け事をするわけではなく、国電に乗って田舎の駅まで行くにはボックス席が楽しく、四人が理想的な仲間となった。

もっとも大晦日の特別ダイヤの深夜便は朝のラッシュ並みに混み、座席に腰かけることはなかった。

 

都会の空を舞うのは黒いカラスだが、海原を旋回する白いカモメは優雅だった。

江ノ島で見た初日の出は銀紙につつんで好きな女性に届けたいほど秀逸で、そこには特別なチカラがあるような気がした。

元旦にもかかわらず、新宿にあるサウナが正月料金2割増しとなって営業していたので汗をながし、昼前、四人はそれぞれの家族が待つ家に帰った。

 

それ以後、四人は大晦日になると集まり、江ノ島に向かった。

いつも逢っている四人ではなかったが、なんとなく「特別なこと」をしている気持ちになり、誰も別の友人を誘わないまま、同じ面子で大晦日に集まった。

 

その四人は、どうなったのか。

 

□エンジニアになったKは明治大学に通い、男気のあるまっとうな社会人となった。

□調理師免許を持つHは同窓生の中で変わり者。2019年2月、帰らぬ人となった。

□ソニー盛田さんの従兄弟Aは二十代で水商売に入り、酒と女と涙の中で行方不明に。

□快答ルパンは大学を休学してヨーロッパを放浪。勤め人を15年して自由に戻った。

水平線から昇る太陽が観たいから、太平洋側は変わらなかったが、神奈川県側ではなく、次第に千葉県、具体的には館山・鴨川・勝浦・大原・九十九里・銚子と、まだ知らない土地に向かった。

遠出をするようになると、指定席券を買って特急に乗った。膝の上に自家製の塩辛などを並べ、ワンカップをちびりちびりとなめて過ごした。

 

同じ朝日なのに、元旦に出てくる太陽は神々しい。

 

「一年の計は元旦にあり」は、中国の伝統的な年中行事やしきたりを解説した明代の書「月令広義」に由来する。

正確には「一日(いちじつ)の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり」という一文。ここで「晨」は朝を指し、「春」は正月を意味する。

この戒め(いましめ)は「1日の初めとなる朝、一年の初めである正月にこそ計画を立てるべき」となる。たとえば王位を継承する者にとって初日の出を拝むことができれば安泰となるだろう。

 

大学を卒業しても就職しても、結婚して子どもが生まれても、快答ルパンの生活は安定することがなく、家計は火の車。それにもかかわらず「作家になる」との筋違いな辞意を伝えて、彼は3回、転職を経験している。

クライアントだった旭化成へーベルハウスで自動制御の家を建て、独立して内勤から外勤に代わり、本を書くようになっても初日の出を愛でる人生を送ってきた。

 

夕焼けはノスタルジックで美しく、朝日もまた美の活力を感じさせ、あまりにも弱い人間を威嚇(いかく)し続けた。

人生がどんなに汚れていても、想いを寄せた馴染み(なじみ)の女性が他人と恋におちて、騙し討ちのような手際よさでラブホテルに入り、そこでを重ねたとしても、自然の美の存在感を超える出来事は知らなかった。

たとえ衣文掛け(えもんかけ)に、快答ルパンがプレゼントしたディオールのマフラーが無造作に駆けられていたとしても、必ずやってくる初日の出は、いつも美しかった。

 

その女性に色仕掛けを仕掛けようと書いたラブレターも、愛に関わる語彙(ごい)の知識を得ただけで徒労に終わっても、雪化粧をしたばかりの街は無条件に美しかった。かの天才詩人の「汚れちまった悲しみに……」という言葉をかみしめ、快答ルパンは人生の坂を駆けのぼった。駆け落ちていたことも知らずに。

 

西日本は1995年1月17日、東日本は2011年3月11日、非常時となった。

それでも大晦日はあり、四人組の三人とは疎遠になったものの、快答ルパンは一人で車を走らせ、海辺を目指した。

 

できるなら水平線から太陽が昇るスッキリした初日の出を求めているが、快答ルパンは、まだ一度も、その賭けには勝ったことがない。

それでも、今年は水平線から昇る太陽を観て、日本初の作品を世に問い、ミリオンセラーを飛ばして、豪華客船に乗って世界遺産をめぐる旅に出ようと祈ることだろう。

 

 

■ヒント

【縦10】騙し討ち

【縦12】衣紋掛け

<横7>色仕掛け

<横24>非常時

 

 

 

2020年2月1日

パズル小説 快答ルパンの冒険<3>

■第3話『居場所』

快答ルパンは、なかなか自分の居場所を持てなかった。それは本来なら人生の見本となるべき親が、頼りないことに由来するのかもしれない。

 

親の因果が子に報いという。

快答ルパンは、子どものころから異形だった。これは個人情報なので私が勝手に語るわけにはいかないが、誰が観てもわかる明確な違いが、彼の人生を変えていった。

彼には二歳上の兄貴がいたが、彼は少なくともカタチの上ではみんなと同じ。それゆえ親の期待度が高く、公務員上級職として生きることになる。

一方、次男坊として生まれた快答ルパンは性質が素直であったこともあり、兄が通った保育園には行かず、幼少期は野良として生きた。

春・夏・秋と、天気がよければ彼はグランドにある芝生に寝ころび羽毛のように浮かぶ白い雲を追い、眠りに就いた。

冬、グランド一面に真っ白な雪が積もったときは、さすがにダイレクトに寝ころぶことはできなかったのだが。

彼の家は、給食費が未納となる経済状況ではなかったが、駄菓子屋での買い食いは許されなかった。その代わり母には菓子を持たされた。それを粉雪にまぶしてアイスだと思って食べたりした。そのとき彼は、自分の居場所はここだという気がしていた。

ところが竹早高校で、快答ルパンは自分の立ち位置が見つけられない。

15才で同級となった生徒たちの大半が連鎖反応のように自分の居場所に収まっていく。

毎日登校して授業に出るにもかかわらず、彼には居場所がなかった。それで覚悟を決めて、都会に繰り出した。

竹早高校には自由の空気が流れ、授業をサボって大人社会をのぞきに行く猛者も少なくなかった。Aの胸にはゴールデンバット、Bの胸には場外馬券、Cの胸には意図は知らなかったが四つ折りの1万円札が数枚、収まっていた。

快答ルパンは、そこに群がる生徒の輪に入れず、給水塔の屋根に上って街を眺めて過ごした。勉強だけでは物足りず、自分の人生に何かを追加をする必要があった。

 

二浪して入った大学でも居場所がなく、高校と同じように講義をサボって土方のアルバイトを始めた。格安の航空チケットを買って、ヨーロッパに行こうと思った。

そんなとき村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が芥川賞をとった。

その作品は、群像新人賞のときから気になっていた。というのも選考理由に、吉行淳之介が書いたことが気になっていた。

「ふつう原稿は黒いペンで書くが、村上龍氏は青いボールペンで書いていた。そこに新しい時代の機運を感じたので推挙した」

それは、常識破りとのこと。どんな人物か観てみたかった。

そこで土方のアルバイトで連れていかれた池袋の工事現場から抜け出し、村上龍の新刊を買ってサイン会に並んだ。

そこに居たのは独身の女性ばかり。快答ルパンは、土方仕事でのように流れた汗を吸って重くなった作業着の上に、親方が持っていた青いガウンを羽織って、長い列に並んだ。いつの間にか、作業着は乾いていた。扇風機が回る書店内は天然の乾燥機となっていたに違いない。なかなか順番はこず、彼の咽までカラカラになっていた。

書店の奥に置かれた長ケテーブルの上には限定100冊という初版「限りなく透明に近いブルー」が積まれ、書店員が書籍代と100番までの整理券を交換して歩いた。

村上龍は一人ひとり、買ってくれた初版本に「Reu」と描き入れた。快答ルパンは、その文字が森に生えているシダのように湿って見えた。

サイン本を手渡すとき、村上龍はサングラスをした顔をあげたが、ブランド戦略なのだろう、一言も声を発することなく、座ったままであった。

快答ルパンの順番がきた。彼は言った。

「おめでとう」

村上龍は男の声にビクッとしたが、すぐ立ち上がり手を握った。後で知ったのだが、村上龍は昔の友人を探していたらしい。

本を書けば、それまで逢えなかった友人が祝いに来る機会になる。

「ありがとう」

村上龍は自分を果報者と感じていた。もっとも彼は作家という居場所をみつけたが、快答ルパンに居場所はなかった。

現場に戻ると、親方が工事現場の総支配人に当たる人に怒られていた。快答ルパンが、昼休みを過ぎても仕事に戻らなかったからだ。

「もう1時間も遅刻だぞ。どうしてくれる」

「彼は考古学を専攻する学生で、日ごろ貝塚の発掘で鍛えているから仕事は早いんでさぁ。すぐに追いつきます」

「また、うまいこと言って。彼の手当ては、払わないからね」

「かんべんしてくださいよ。彼には看護が必要な母親と、夫婦喧嘩して家に帰ってきたまま、働きもせず元のに収まらない姉がいるんです」

「それが、何の関係があるんだよ」

「このうら盆には死んだ父の初供養もあるし、お金が要るんです」

「それはかわいそうだけど」

「でしょう。昨日はジャイアンツが惜敗したし」

快答ルパンは、亡き父から自分の入るを譲り受けた。もう20年も前のことで、以来、父の墓参りのときには自分の居場所も確認に行く。

その墓石には『愛夢永遠』と刻んであった。快答ルパンは、その近くにABCDEFを建て、終の棲家とすることを夢見ている。

 

 

■ヒント

【縦10】乾燥機 【縦12】サイン会

<横7>ダイレクト <横24>果報者

 

 

2020年2月1日

パズル小説 快答ルパンの冒険<2>

■第2話『とりあえず、京都』

十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人という。

快答ルパンも、高校時代はクラスの中にたくさんいた天才児の一人だった。

香港の若者たちの動向も気になるものの、還暦を過ぎた自分の未来も気になっている。私たちの行先は、本当に自由だったのだろうか。

 

京都には、何度も訪れている。

最初は14歳、中学の修学旅行のときだった。古都の異質な景色が忘れられず、大阪万博で親戚のマンションに一週間ほど滞在させてもらったときに再訪している。

その次は、竹早高校生となって最初の夏、快答ルパンは15才になっていた。ユースホステルの予約をとる時間はなかった。そもそもお盆の時期は予約がとれない。そこでガイドブックには、

「困ったら神社仏閣のユースホステルに行き、相談しなさい」

と書いてあった。現地に行けば何とかなるらしい。家族に置き手紙を残し、朝の5時頃、池袋駅に向かった。切符売り場で、

「とりあえず、京都まで」

と口にすると、

「ビールじゃねぇぞ、このガキ」

という声が聞こえたが、幻聴かもしれない。快答ルパンは、相手の表情から読み取った言葉を、頭の中で反芻する癖があった。

「で、どこに行きたいの?」

民営化など夢にも思わなかった時代、国鉄職員は怪しい少年に横柄だったが、それがまた少年の目にはカッコよく映った。

快答ルパンは、あたかもユースホステルの予約がとれているかのように装って、京都から奈良を、1カ月かけて回るスケジュールを告げた。

「途中、大阪にいるおじさんのところに寄るかもしれません」

「おじさん? なるほどね。もう一度聞くけど、新幹線は使わないの」

「はい。急行を乗り継いで行きます」

「わかった。がんばれよ」

若い駅員が短冊のような厚手の紙にパンチを入れ、その日の日付と有効期限を青いゴム印で印字すると往復切符のような周遊券ができあがった。

 

快答ルパンは東京駅に出て、東海道線を乗り継いで京都に向かった。新幹線ではなく、急行を利用するところが、なんだか楽しかった。周遊券が使えるのは関西エリアだけであり、途中下車ができなかったので、駅休憩室にある木製のベンチで寝た。彼にとって、待合室のベンチで寝るのは初めてではなかった。

 

中学二年の夏、冒険をしたいと思った快答ルパンは、東武東上線小川町駅で降り、登山道入口に入って二本木峠に向かった。

かつてハイキングで来た道を、他の登山客にまじって登った。

ときどき登山客とは挨拶の言葉を交わした。身体の大きかった彼を、周りは大人だと思っていたことだろう。

二本木峠までは順調だった。だが下りに入って、ちょっと冒険しようと思い、寄居駅までの道をカットできるかもしれないと言い聞かせて脇道に入った。失敗しても戻れると、軽い気持ちでいた。

だが、たどりついた場所は四方八方に道らしきものはなく、深い緑に囲まれていた。

それから五時間が過ぎても、彼は山林の底にいた。山の夕暮れは足が速い。あたりから光が逃げだし、あっという間に漆黒の闇に包まれた。

怖かった。しばらくじっと目を凝らしていると、たまたま快晴だったので、木立の間から星空が見えた。手探り、足探りをして少しずつ前に進んだ。

「このまま命を落としたら、事故で死んだことになるのだろうか」

歩きながら、自分の葬儀を考えた。遺族の代表として、父は何を語るのだろうか。自分の息子が、どんな少年だったか、ささいなことを列挙して涙するのだろうか。そんなことを考えながら、ひたすら前に進んだ。

夜の十時を回ったころ。耳を澄ますと自動車が走る音が聞こえた。

「どこかに舗装された道路がある」

快答ルパンは車道に出て、それを伝って歩いていくと東武東上線の寄居駅にたどり着いた。急に、腹が空いた。

駅前には、Yうどんの自動販売機が置かれていた。駅前の酒屋にも自動販売機があったので、迷うことなくワンカップを買った。

温かい天ぷらうどんをすすりながらコップ酒を飲んだ。

快答ルパンは、自分が何かに生かされていることを感じながら、改札の横にある待合室のベンチで眠ったのである。

話はもどるが、とりあえず京都の駅舎に立った快答ルパンは、電車の中でさんざん眠ったので、まったく眠くなかった。

煌々とテラス裸電球の下で、持ってきた文庫本を読んだ。

そこには、日本各地に伝承された怖い数え歌について書かれていた。当時の流行りなのかゲゼルシャフトやゲマインシャフトという言葉が頻繁に出てきた。何のことかつかめなかったものの、未知の世界にわくわくした。

高校生になって夜更かしには慣れていたつもりだったが、午後二時を回ると、さすがに睡魔に襲われた。待合室にある蚊取線香の煙の風下に立ち、煙を汗にまみれた素肌にこすりつけ、ホームの端にあるベンチに戻った。

最初は効果が感じられたが、やがて効かなくなる。そこで渦巻きの途中で蚊取線香を折り、残った線香にはマッチで火を点け、自分の寝床であるベンチの下に立てかけると、いつの間にか羽音は聞こえなくなった。

 

京都・奈良に行ってみて、15才ながら目からウロコが落ちたのは、世界の誰一人、自分を待っていなかったという事実だった。

それが、快答ルパンが最初につかんだ世界の原理原則である。

東京で生活していれば帰る家があった。自分の存在を、無条件に認めている父母がいた。何をするにも、必ず大人たちの目があった。

ちょっと冒険をして横浜に行っても、父母が遠隔操作をしているかのように、見えない絆で結ばれて、安心感が生まれていた。

高校に入って、家族とは何かの同盟を結んでいるかのように価値観をシェアしていた。そのなかで、冒険のできない男は価値がないというものがあった。行くか行くまいか迷ったら、必ず冒険する法を選んだ。そこには、誰かが待っていたのである。

しかし、とりあえず京都に行き、街歩きをしてみると、誰も自分を待っていなかったことに、今さらながら気づかされた。

価値の有無以前の問題として、自分の存在そのものが、京都に流れる歴史と比べて、あまりにも短く、また小さなものであった。自分は、ただの点にすぎない。だから、誰も気に留めないし、誰も待っていなかった。

「自分は、大変な世界に生まれてしまったのではないか」

そのことを考えると、背筋が寒くなり、胸が痛んだ。

 

土産に古布を使った巾着を買った快答ルパンが東京に戻ったのは、9月に入ってからのこと。すでに高校の授業は始まっていた。

その後、快答ルパンは、自分の存在が誰にも「待たれていない」社会に生まれてしまったことに、大きな不安を感じるようになる。深く、暗い穴に突き落とされ、青空が見えていた入口にフタをされてしまった、そんな不安にさいなまれることになる。

 

それから、半世紀になろうとしている今、快答ルパンも、すでに人生の結果を半分くらい知ってしまった。

かつての天才たちも還暦を越えているが、ただの人と変わらなかった。メカの天才だった彼は、片田舎の工場で自動車部品を作っていた。サッカー部の彼は中年太りがそのまましぼんだ容姿となり、子どものサッカーの話題を熱心に語っていた。

三十代までハッとする美を見せていた彼女は、化粧に手間をかけても若さにはかなわないと悟り、アウトドア派に変身。深い皺の側面まで色づいていたが、

「私は百歳までをしたい」

と豪快に笑っていた。後輩の女子に手あたり次第に手を出して雷魚というあだ名がついた彼は、名簿では行方不明になっている。

大皿に盛ったソース焼きそばを平らげた胃袋も、今では小皿で済んでしまう。料理への関心もうすれ、カロリーの総だけが気になって仕方ない。

もちろん、変わったのは天才だけではない。真面目な好青年は中年になって色男になり、飲食店を転々として、ジゴロのような生活を続けた。その結果、トイレ掃除だけは達人になれたとうそぶいている。

高校のときから、公務員を目指す兵もいた。ただ多くの者は、君子危うきに近づかず。何の冒険もせず、休み時間には単語帳を開き、暗記に集中していた。

まさか自分が、企業社会からアウトを宣告されるとは思わなかったに違いない。

 

さて、今回はここまでとしよう。

京都・奈良でどんな冒険が待っていたのか、それは次回に触れることとしたい。

 

快答ルパンの夢は、ヨーロッパの豪華寝台列車に乗って古城をめぐることだ。

いつもABCDEFGに入りびたり、朝はモーニングコーヒー、昼はパスタのランチ、夜はフルコースのディナーをとる。かつて体験した冒険に想いをめぐらせながら。

 

■ヒント

【縦10】数え歌 【縦12】天才児

<横7>色男 <横24>コップ酒

 

 

2020年2月1日

快答ルパンの冒険<1>

パズル小説 快答ルパンの冒険<1>

【日本初・パズル小説家】廣川州伸(74回生)

 

 

□パズル小説は、廣川が開発した謎解きクロス®というパズルを使った小説で、本稿は特別に書き下ろしたもの。全体のタッチは江戸川乱歩調ですが、パズル小説は子どもから大人までカップルでも家族でも安心して楽しめるようエロ・グロ禁止となっています。

 

□快答ルパンは、廣川が書くパズル小説の舞台として設定された探偵@ホームズ事務所のライバル。探偵@ホームズと知恵比べをする快答ルパンは、いつも難しい問題を何題か提示します。

 

□快答ルパンの冒険は、原則として毎月1回アップする予定。その問題は謎解きクロス®9×9を使った本格的なパズル小説となります。

 

■プロローグ

 

ある晴れた日の朝。

「大変です! 池野所長、起きて!」

と叫んだのは、アルバイトで探偵の助手をしている、大学生の東島君。

そこは東京・渋谷にある雑居ビルの一室。玄関に『探偵@ホームズ』という看板のある小さな事務所である。

もっとも探偵といっても、その事務所では殺人などの凶悪事件や夫婦ゲンカなどのややこしい事件を調べることはしない。

彼らの専門は、地域の文化や歴史、魅力が失われたという謎を解明することで、罪のない話が大半だ。心の傷をえぐることもないので、痛みもなかった。

「東島君、どうしました? まさか、また快答ルパンが……」

「さすが所長。素晴らしい推理力。勉強になります」

「おいおい、朝からヨイショしなくてもいいよ。ぼくのところにも快答ルパンから挑戦状が届いたからね。今度は、ある書店にまつわる謎解きらしい。神奈川のほうに冒険に行き、江戸川乱歩の世界を盗んできたらしい」

「なんか、不思議な窃盗ですね」

「確かに、セットになっている!」

以下、快答ルパンの挑戦状に書かれている謎を提示しておこう。

 

□第1の謎(快答ルパン)

 

横浜①スタジアムが見える高台の一軒家で、その難事件は幕を開けた。

たまには男の②手料理でも作るかと新しいレシピを探しに図書館に行った帰り道でのこと。私は、そびえたつ洋館の門前で怪しい一団の一人に声をかけられた。

「あら、こんばんは。どちらまで?」

彼女は、はっとする③目鼻立ちの美人だが、よく見れば顔なじみだ。

「ちょっと図書館に。あなたは?」

「この洋館でミステリー・パーティがあると聞いてきたのですが、呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないの」

「へぇ。ミステリー・パーティですか。なんだか面白そうですね」

「よかったら一緒に参加しません? 会費は5千円ですが」

そんなことを話しているうちに、門前の人々の数も増え、やがて玄関から執事らしき黒服の老人がでてきた。

「申し訳ありません。呼び鈴が故障していたようで。さ、お入りください」

私たちは洋館の中に入った。大きな玄関の扉を開けると、フランス料理の匂いが漂ってきた。

通された④応接間の中には、すでに少なからぬ先客がいた。彼らは、いつから飲んでいたのだろう。数時間後、出窓の外はすっかり銀世界になっていた。

庭で⑤雨ざらしになっていた竹細工の人形も真っ白になり、とても寒そうだ。

と、そこに叫び声があがった。

「ギャー! 誰かー!」

どうも、洋館の二階らしい。誰も走り出さないので、仕方なく私が階段をのぼって駆けつけてみると、廊下の突き当たりのドアを例の執事が叩いている。

「ここは寝室ですが、中から叫び声が聞こえたので来てみますと、ドアに鍵がかかっていて開きません」

私は、斧を振り下ろした。

開いた穴から手を入れて、ロックを外す。室内は暗かった。廊下の明かりから、ベッドの上に寝そべる人影が見えた。動かない。私は、室内のスイッチを探して明かりをつけた。そのとき風が吹き抜けた気がした。

「あ、あれは!」

ベッドの上には、お定まりの死体があるほか誰もいなかった。窓は、どれも内側から鍵がかかっていたし、秘密の通路も、動物が出入りするような煙突もない。

これは密室なのである。私は、死体に触るのは苦手だ。というより、それが生れて初めてみる、たぶん本物の死体?

もしミステリー・パーティだとわかっていなかったら、そもそもドアを打ち破って中に入ることはしなかった。誰かが死体に近づき、ここで殺人事件が起きたことを宣言した。

「ぼくは医学部の学生です。確認します」

私は、ちょっとだけ冷静になってきた。これがミステリー・パーティなら、真犯人は、この近くにいる。数えてみると、室内には8人が入り込んでいた。

この中の誰かが真犯人なのだろうが、見つけるのは容易ではない。なぜなら、すでに「その瞬間」はすぎてしまったから。

少し落ち着いてきた私は、こんなことを考えた。

密室でおきた事件は⑥被害者加害者の区別がつかないことがある。すなわち、自作自演というやつだ。

命がけで演技すれば、密室で事件を起こし、入口を壊して入った者と入れ違いに廊下に出て、まるで今かけつけたように目撃者になることもできる。

そもそも⑧大都会には、江戸川乱歩の小説にある黒蜥蜴のような女性がいる。実は、洋館の前で会った彼女も、集まっていた人も、みなグルだったのかもしれない。

窃盗団は⑨努力家であるとともに、互いに助け合う互助会のようなもの。

「SNSで調べたら殺された人は水泳の⑩指導員。詳しい情報はプロフィールが非公開で、よくわからないわ」

その後、彼女は⑪独り言を言うので、私は近くに落ちていた紙の余白に殴り書きをした。その紙は⑫カレンダーだったが、事件とは無関係とは思われなかった。

そのとき突然、私は思い出した。その洋館のことを、街の住人が何と呼んでいたのか。そして理解した。私たちは、とんでもない難事件の渦中にいることを。

 

さて、謎を解くための準備は整った。

 

これまでの文章には①から⑫までの記号が付けられている。しかもその記号には、読み仮名にすると5文字のゴシックのキーワードが含まれている。

それぞれ、キーワードは窃盗、もといセット、すなわちペアになっているが、不思議なことに、5文字の「ど真ん中」の文字が共通になっている。

その①~⑫の文字を解答記入欄に記入れば「第2の謎」は解けるだろう。

■第2の謎

 

■はじめに

 

おそらく、みなさんも竹早高校図書室の数十倍の時間を、都心にある書店で過ごしたのではなかったか。快答ルパンも例外ではない。

三省堂、書泉とならんで、快答ルパンが好んで立ち寄ったのが、Y堂である。

今回、快答ルパンは、横浜へと冒険に出た、そこでY堂の歴史を学びながら、本好きの容疑者の中から、Amazonでパズル小説を購入し、書評で★五つの高評価を残し、友人知人に「意外に面白いし、全部解くのは大変だけれど、購読者特典として謎解きクロスの作り方もゲットできるから、お買い得の本」などと勧めてくれた真犯人は、一体、誰かを謎解きしていただきたい。

 

■容疑者登場

 

快答ルパンの提示した謎は、単純である。

お金を払って「謎解きクロスを使ったパズル小説」を、Amazonで購入してくれた「とってもいい人」を見つけることだ。

その容疑者は、以下の五人となる。

 

【容疑者】

□吉岡新鮮さん……新鮮な記事を書くジャーナリスト

□篠辺修業さん……天気予報を伝える人気キャスター

□高倉孝匠さん……甲子園を目指す野球チームの監督

□中村光臨さん……清里の野菜で作る和食料理の達人

□薩田美子さん……イタリア直輸入の雑貨店オーナー

 

■東島君、容疑者にせまる

 

東島君は、まず飯田橋に行き、吉岡さんが経営している出版社の応接室に入った。

出版業界の現状に詳しい吉岡さんに、Y堂の歴史について教わりたいと電話を入れてあったのである。

「東島君、快答ルパンは書店に関心があるようだね」

「はい。今回の謎解きは出版業界、というよりも書店の歴史を知る必要があります。博学の吉岡さんなら、Y堂の歴史をよく知っていると思いまして」

「Y堂ね。快答ルパンの提示した謎解きクロスの解答は、たしか9文字。横浜の文字が入るような気がするけど、どうかな。伊勢佐木町かもしれないし」

「なるほど、参考になります」

 

ここで吉岡さんが2時間かけて東島君に語ってくれたY堂の歴史を、かいつまんで、といってもちょっと長いが、紹介しておこう。

 

東京・神奈川・千葉に店舗を展開し、伊勢佐木町に本店を構えるY堂。

その名は論語の「徳不孤、必有隣」という言葉に由来している。意味は、徳を積んだ人は孤独にならず、必ず隣に誰かいるようになるということ。

そこには、隣近所に住む人が自然に集まるような場所になってほしいとの思いが込められていた。

Y堂を創業した大助の父は源蔵といい、新潟県小千谷市で生まれた。

源蔵の家は農家だったのかもしれないが、源蔵自身は麻織物の小千谷縮(おぢやちぢみ)行商人となり、たまに横浜に来て商売をしていたという。

源蔵は、横浜で妻となる女性と巡り逢って結婚し、根を下ろした。そして明治10年代の中ごろ、横浜市尾上(おのえ)町で「貸本屋」を始めた。

創業者の大助は、源蔵の四男として明治17(1884)年に生を受けたものの、大助が2歳のとき、源蔵と死別。

そこから、大助の労苦が始まる。

 

家業を継いだ長男の貞造は、尾上町から、隣接する吉田町に移って「Y堂」という書店を開業した。明治27(1894)年のことである。

明治33(1900)年に、大助の姉ロクと結婚した鐘太郎によって「第二Y堂」が開業すると「Y堂」は「第一Y堂」に改称した。

その後Y堂は「書店」として暖簾分けを進め、最盛期には「第一」から「第八」まであったという。

明治42(1909)年、大助は現在の伊勢佐木町本店所在地の一角にあった倉田屋という書店が廃業したお蔭で「第四Y堂」を開業することができた。

そこは、木造2階建て間口2間(3.6m)、奥行き3間(5.4m)という狭い店舗だったが、大助にはかけがえのない場所となった。

 

Y堂が創業した横浜は港町であり、当時の日本のなかでも、特別な土地柄であった。何よりも、横浜の人たちはハイカラ好きだった。

それでY堂では、創業の初期から万年筆、鉛筆、ノートなど「文具」の品ぞろえに力を入れた。

もちろん外国の貴婦人や船員相手の踊り子に気に入られたいというよこしま意図はなく、純粋にファッショナブルな新商品を好むという気質があったのだろう。

これは余談になるが、東京ではカジノ特区が話題になっているが、横浜こそそれが相応しい場所ではないだろうか。

近隣には、界に誇るの街、横浜中華街がある。もってこいの土地柄だろう。

 

■なぜか、篠辺さん登場

 

ここまで話したとき、容疑者の篠辺さんが遊びに来た。

「あ、これは珍しい。篠辺くん、なんとかホールディングス副社長を退いてから、何だか楽しそうだね」

「今まで、責任ばかり重くて、肩がこっていましたから」

「ストレスがないってことは、いいことだけど、今日は何か?」

「それが快答ルパンから、しちめんどくさそうなメールがきたんで、吉岡先輩に相談しようと……東島君がいるということは……謎は解けたの?」

「いえ、篠辺さん。今、吉岡さんにY堂の歴史を教わっていたのです」

「Y堂の歴史……確かに、快答ルパンの謎解きには欠かせないな。ぼくも、快答ルパンは横浜まで冒険に出ると思う。吉岡さん、ぼくにもY堂の歴史を聞かせてください」

「わかりました。Y堂といえば……」

吉岡さんは、東島君と篠辺さんの二人に語りかけた。

「あそこの社員は地味だけど、まじめによく働く。創業者の大助も、大晦日には帳面の整理で帰れず、元日の始発の市電で帰る状態。さすがに今日、そんなことをしたらブラック企業とみられてしまう……」

以下、ふたたび吉岡さんの話を、かいつまんで紹介しておこう。

 

あまり楽しみのなかった当時、書店で働くという仕事そのものに、大きな価値を見出すことができた。

人生とは、決して甘いものではなく、書物には人生のにも薬にもなる真実が含まれているが、言の葉には、未来を変えるだけの魔力もひそんでいる。

書店員がまじめなのは、そんな書物にある世界を、市井の人々に届けようという強いミッションがあるからだ。

Y堂は、順調に成長していった。大正時代の伊勢佐木町本店は、西洋風の凝った装飾の建物に変えた。

2階の上の看板にある文字は金色に輝いていた。

 

ところが、大正12年9月1日の関東大震災が襲った。

当時、横浜の人口は約45万人だったが、横浜は東京よりも地震の被害が大きく、一晩で市街地の中心部がほとんど壊滅。

その死者は23000人ともみられている。

なかでも一番ひどかったのは伊勢佐木町周辺。そこは飲食店が並んでいて火災が非常に多く発生したため、Y堂を始め伊勢佐木町周辺が、すっかり燃えてしまった。

明確な記録はないものの、横浜の温度計の示度は、きっと数百度を超えていたことだろう。

当時の伊勢佐木町警察署が管轄していた区域では、死者だけで12000人と、全体の半分が亡くなっている。もし東北を襲った東日本大震災のように大きな津波がきていたら、被害は数倍に拡大したはずだ。

 

震災で倒壊した企業の多くが横浜の外に出ていくなか、Y堂は再建を目指し、復興に努めた。

今思えば、関東大震災という大きな天災から立ち直って喜んだのも束の間のこと。わずか20年もたたないうちに、日本は戦争という地獄のような人災に遭遇する。

 

■突然、中村さんも加わった

 

「へぇ。そんなことがあったんですね」

「東島君は平成生れだから、昭和の戦争は何も知らないだろうね」

「何も知らない……そんなこと言われたら、いくら大人しいボクでも平静にはなれません……なんちゃって。吉岡さん、こんな感じでいいですか」

「まあ、30点かな」

などと話しているところに、また容疑者がやってきた。

吉岡さんは、高倉さんを見て笑った。

「あ、高倉さん。けっこう飲んでいますね」

「そんなことはありません。スコッチだけ」

東島君は、笑っていいのか悪いのか判断がつかず、篠辺さんをチラリと見たがガックリと脱力感がただよっていたので、それにならった。

「ところで、みんな何していたの? まさか快答ルパン?」

「どうも快答ルパンは、Y堂の歴史に関わる冒険に出たらしいと、池野所長から連絡があってね、それで東島君にY堂の歴史を伝えていたところなんだよ」

「それで、何かわかった?」

「まだ、なんとも……」

 

昭和16(1941)年12月、太平洋戦争が始まると、戦争という狂気が、すべての国民を武装した過激派に変えてしまった。

尋常ではない非常時になると、市民は、まるで何かが乗り移ったような憑代(よりしろ)の状態にあったのかもしれない。

戦時下では、「同位角は等しい」などという幾何学の本に象徴される理科系の本が売れたものの、盛り場の伊勢佐木町界隈にも軍の工場ができたりして、すっかり様変わりしていく。伊勢佐木町のY堂は木造2階建てであった。

そのこともあり、昭和20(1945)年5月29日の空襲で、十万発以上といわれる焼夷弾によって、あたりは焼け野原と化し、Y堂も灰となった。

 

昭和20(1945)年8月15日。真夏の昼下がり、日本は終戦を迎えた。

戦後、Y堂は本牧の倉庫で営業を再開したものの、伊勢佐木町の敷地は米国の駐留軍に接収された。

伊勢佐木町にY堂本店が復帰したのは、昭和31(1956)年のことである。

中2階がある店舗のデザイン。その当時、横浜で洋書を本格的に扱っていたのはY堂くらいだったという。今でいうY堂ギャラリーの発想に近いものがあった。

昭和30年代、洋書は大きな木箱に入れられて船便でやってきて、横浜の倉庫に収まった後、Y堂に運ばれた。

そのとき、高倉さんのスマホが鳴った。

「はい、高倉です。ああ、竹早高校テニス部のパーティ、横浜異人館を予約してくれたのね。場所はネットにも出てないから、伊勢佐木町にあるY堂本店の1階で待ちあわせとしよう……会費5000円で飲み放題って、いいんじゃない」

高倉さんが、篠辺さんに目で合図をする。二人は、竹早高校時代にダブルスの名コンビとしてならし、都大会でも活躍した歴史がある。

高倉さんがスマホから耳を離したので、吉岡さんはY堂について語り始めた。

 

■そして容疑者全員が揃った

 

飯田橋にある吉岡さんの会社に集まったのは、アルバイト探偵の東島君、それに容疑者の吉岡さん、篠辺さん、高倉さん。

東島君は、ストーリーの都合上、ここに容疑者全員が集まってくれれば話ははやいと思っていたところ、都合よく中村さんが顔を出した。

高倉さんが、ドヤ顔でつぶやいた。

「おいおい、また遅刻かよ」

「そんなことないよ。ここに集まろうって約束していたわけじゃないから。何時に来ても、遅刻じゃないよね」

「なるほど。で、君もやっぱり快答ルパン?」

「そう。これから横浜スタジアムに生ビールを飲みに、いや野球観戦でいくんだけど、気になって立ち寄ってみました」

「ナイターか。昨日は横浜が負けて」

中村さんがそこまでいいかけると、紅一点の容疑者が割って入った。

「泣いた……ですよね」

「あ、薩田さん。イタリアじゃなかったの?」

「そうそう、旅行ばかりしてはいられません。わたしもY堂の歴史に興味があります。人にも会社にも、書店にも歴史があるのね」

容疑者たちは、再び、吉岡の話に耳を傾けた。

 

今も、Y堂本店のある伊勢佐木町界隈では、夕刻になると飲食店に灯りがともる。

カフェでは、二の腕からにかけて隠す七分袖のブラウスを着た女性が、生ビールのジョッキを豪快に傾ける。ツマミカジキのソテー。

もちろんバーのカウンターでは、一人静かにバーボンをなめる男もいる。

ちょっと癖毛の髪は長いが、地毛を丹念に洗っているのだろう、さらさらとして清潔感がある。その傍らにある小冊子には、武者小路実篤のによる『Y』の文字があった。

 

Y堂では、お客様とのコミュニケーションを図るため、昭和42(1967)年12月に広報誌を発刊した。

創刊号には「楽しい読みものとして、お客様とのコミュニケーションの役割を果たすために企画した」という挨拶文がある。

深夜。伊勢佐木町のカフェでY堂の広報誌を手にした女性が、とある洋館に帰っていく。

そこは江戸川乱歩の作品にでてきそうな建物でABCDEFGHI『○○○○○』と呼ばれている。

 

さて、名探偵諸君。ヒントは、すべて本文に隠されている。

『謎解きクロス9×9』を解いて、その言葉を語った容疑者を特定させていただきたい。

 

健闘を祈る!

 

 

 

 

 

 

2020年2月1日