また、しばし消えます

だいたい季節ごとに、1週間ほど、旅に出ます。それがないと、もともとフリーダムの場でなければ生きられない私は、それこそ生きている意味を見失ってしまうから。

今回は、仕事もかねて、長野(打ち合わせは須坂)・上田(鉄道まつり)・仙台(夜は宇都宮)それにひょっとしたら寒河江に行ってきます。

もともと旅人なので、69歳になっても、日常とは異なる世界に身をおくことがないと、なんだか生きているきがしてこないのかもしれません。

ということで、いってきます。

2024年9月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

大吉BINGO 商標登録

一週間、千葉の山奥でカンヅメになり、情報デトックスをしてきた。万一のために、かろうじてスマホは残してあったが、テレビも新聞もない生活。それなりに、自分をみつめなおし、48枚の「下絵」を描いた。

 天気がよくなってきたので、本日、感性させようと思う。

そのNFTは、いずれアップするとして、山下に広がる海は怖かった。これまで、海を表面的にしか見ていなかった自分は、臨死体験をすることで、海に戻るということの「怖さ」抜きでは、海が観られなくなっていたようで。

昔から、実は、海は怖かった。それなのに、描くときは「海とは、美しいもの。光あふれるもの」という先入観があったと思う。ゴッホが観たように、世界は大きくゆれていたし、不安にみちていたし、重かった。

もともと、絵を描くということは、心象風景を描くこと。心の繁栄されない絵は、写真と同じことになる。光でみてはいけない。光の向こうにあるものが、海や風景の本質である。

そんな情報デトックスの結論を引きずって、自宅に戻ると、特許庁から「登録査定」のお知らせが届いた。朗報である。明日、登録料を支払って、本格的な全国プロジェクトに進んでいきたい。

謎解きクロス、パズル小説、大吉くじ、そして大吉BINGOの登録四天王が、ビジネスにならないはずはない。櫃との世界が、そこにあるから。小さくても、どこかに、廣川州伸の世界を待っているクライアントがいる。

それを信じて、もうちょっとだけ、生きてみようか。

2024年9月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

旅の始まり

私は、いつから人生が旅に似ていると意識したのだろうか。少なくとも12歳の頃には、そんなことは思いもせず、過ごしていたはずだ。

いや、小学2年生のとき、担任の戸塚光枝さんに逢いたくて、小石君と二人で、自転車を漕いだ。住所が頼りだったが、とうとう、逢えなかった。それでも、見知らぬ街に来た事は、どきどきの連続だった。

西部グループのボーイスカウトのような組織に入っていたので、夏にはCampで2泊、3泊は当たり前。日常生活では考えられない時空、体験が、そこにあった。そして、いつしか、旅にあこがれていた。

旅へのあこがれは、確かにあった。

小学6年生の修学旅行で日光に行き、中学3年生の修学旅行で京都・奈良に行った。日常生活とは別の場所に身を置くことが、私の旅の定義だった。加えて、家族旅行もたくさんした。

父は、小学生の私を自主休校させて、伊豆大島、伊東、箱根、志賀高原、清里など、平日の安いときに、家族旅行をさせていた。学校よりも、世界には「ステキな場所がたくさんある」ということを、体験させたかったのだと思う。

たぶん、一年に1週間ほど、私は熱を出して学校に行かなかったが、いろいろな景色にふれて、美味しいものを食べ、絵を描いて、詩をのこしていた。

なんだか、さかのぼれば、やはり子供時代になるのだろう。少年時代、地方に「ふるさと」のない都会育ちの私は、お盆休みで、級友が帰省する代わりに、勝手に、あちこちに旅をするようになっていた。

そもそも、12歳から、アパートで一人ぐらしをしている少年は、珍しい。だから自転車で旅にでたし、小学生のときにハイキングで歩いた山に、自分ひとりで行くようになった。

極めつけは、1980年、半年のヨーロッパ外遊か。あれ以来、小さな旅を重ねているが、大きな旅は、体験していない。出張で、1週間ほど外国ぐらしをしたことも、たぶん20回ほどあるけれど、そのなかで自由な旅は、いずれも、1日か、ほんの数日。

家族をもち、子どもたちを連れて家族旅行に行ったものの、それは、自由な旅ではなかった。仕事で出張し、終わったら数時間、ときには自腹で泊り、散策はしたものの、旅ではなかった、

そして私は、いつしか「人生そのものが、旅路なんだ」と思い込むようになった。どこにいても、毎日、同じ場所にいても、ICUで拘束されていなければ、私は自由に歩き回ることができる。

旅の醍醐味。

本日、山のような仕事を抱えて、出張にいくのだけれど、9月19日、69歳の誕生日には、自分と向き合うたびにでよう。

2024年9月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

誰かが光を観ている

何故、大吉くじを制作するのか。なぜ、どんどん配ってしまうのか。決して、儲かるわけでもないのに? それは、金儲けにはなりません。人儲けにもなりません。では、大吉くじを制作するベネフィットは何でしょう。

私は、大吉くじを1万人に配布できたら。そのなかの数人が、大吉くじを引くことによって、また大吉くじを「お守り」として持つことによって、心が「ほっ」としたり、ちょっとだけ勇気を得たり、ちょっとほっこりしたりする、そんなことが起きると信じているからです。

自分が、そうでした。18歳まで、おみくじとは無縁の「暗い穴」に落ちていた私は、途中、京都、奈良、浅草、鎌倉などを旅するなかで、安価なおみくじを引くようになり、財布にしのばせるようになっていたのです。

自分が、それで救われたのだから、自分と同じような危機に瀕している人も、大吉くじを引くことで、大吉であることそのもので、そこに書いてある言葉で、もう一度、生きようと思ってくれると、私は、本気で信じています。

そのような感性、価値観の人は、1万人探しても、何人もいないかもしれません。ですから、ビジネスにはなりません。でも、ビジネスにならないからこそ、誰かが命がけで取り組む必要があるのです。

私は、そのこちに賭けています。誰も、大吉くじに対する私の気持ちは、理解できないかもしれません。しかし、いつか、千羽鶴を折るように、大吉くじを制作して配布する文化が広がることを期待しています。

絶対に、どこかに、大吉くじに光を見出す人がいるはずです。その人に向けて、私は、どんどん、大吉くじを制作していきます。

2024年9月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

どこまで来ているのか

もし、近くに「死」があるとしたら、自分は過去に目を向ける。もし、死が近づいていることがわかったら、これからどうしようということよりも、自分は何を成し遂げたのかと振り返るだろう。

逆にいえば、ついつい過去を振り返ってしまうということは、死が近くにある証拠になるかもしれない。自分はまだ、ついつい過去を振り返る余裕はない。だから、たぶん、死は近くにあるわけではない。

だからといって、それがはるか遠くということもない。明日ということはなくても、来月ということは、十分にありうる。だからこそ、たまに、自分の立ち位置を確認することになる。

どこまで、きているのか。これから、何をしたいのか。

その一つ、実は「絵」を描いてみたいと思っている自分がいる。今頃、絵を描いたとしても、誰も認めてくれないだろう。それでもかまわない。私は、自分の描いた絵を、作品を、自分が好きになっている作品を遺す。

他の誰でもない、自分が生きた証として。そして、希望的観測だが、ひょっとしたら、一枚か二枚、自分にとってもいい絵が描けるのではないかと思っている。それは、やってみないとわからない。

というわけで、命がけの旅にでることになった。何が生まれるか、また、何も生まれないか。それは、行動してみなければ、わからない。そして、何をしてはいけないかも、わかっている。

死なない程度に、がんばります。

2024年9月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

やっぱり、コツコツと

みなさん、三連休の初日、いかがお過ごしでしょうか。(という枕詞は、本ブログの主旨にそぐわないので、これからは省略させていただきます。いきなり本題の時代です)

kindle出版プロデューサーの案内ビデオを5本観て、資料を読み込み、オンライン説明会にも参加して3時間半ほど、説明を伺いました。そして、主旨には賛同したものの、半年で100万円という価格設定に納得しつつ、「私にとっては実質5万円の価値」と判断して、撤退させてもらいました。

ずいぶん勉強になりました。ひょっとしたら、何かメールでもいただけるかなと思っていたのですが、こちらが引いて以来、毎日来ていた「励ましメール」もなくなり、勧誘もありません。まぁ、私の素性もバレていますから、めんどうなことは避けているということでしょう。

プロモーションでは「見込み客の発見」とともに「見込みのない客」の排除も重要な役割です。100万円を支払わない私には、もう要はないのですね。逆に、潔く、あきらめてくれたので、私としては、まぁ、よかったと思っています。

たぶん、その日の参加者約10人中1~2人が100万円を支払って、kindle出版プロデューサーになろうと、がんばるのだと思います。ただ、私にとっては、Communityに参加して得られるベネフィットは少ない。だって自分でkindle出版はできてしまうし、出版プロデュースもできてしまうから。

というわけで、今後ね。Amazonでプレミアム大吉くじセットの販売を模索しますし、大吉WAKA集2025は、kindle出版で実現しましょう。お楽しみに。

2024年9月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

kindle出版プロデューサー

みなさん、お元気ですか?

私の事務所には3台のPCがあります。今日は、暑くて使っていなかった部屋にあるPCを調整し、試しに描いてみることにしました。書きたかったのは、明日、kindle出版プロデューサーになるための「案内」としてねウェビナーをうけること。

思い起こせば、日本ビジネス作家協会を思い付いてから、早20年。日本ビジネス作家協会は成長できないままソフトランディングし、東日本大震災とともに消えていきました。

その代わり、謎解きクロスとパズル小説、そして大吉くじと大吉BINGOによる地域活性で、私は社会貢献しています。

ただ、2005年12月に講談社現代新書「週末作家入門」を上梓させていただいたときから、自分も含めて、ものづくりをした人生を充実させたい人を支援する姿勢は変わっていません。

たぶん、プロデュースできたのは、10人に満たないと思いますが、それでも「本を出せた」と喜んでもらえています。なかにはベストセラーになり、支援している私をさくっと越えてしまった人もいました。とっても名誉なことでした。

そんな私が、2023年8月に九死に一生を得て、残りの人生を考えたときに、まだまだ実現していなかった自分まの創作活動とともに、もっと多くのみなさんの支援を実現したいという強い思いにかられています。

無理をせず、みなさんの見本になりながら、たった一人で創作活動を続けながら、kindle出版でコンテンツを100冊、kindle出版プロデュースで、みなさんを支援する事業を10シリーズくらい進めていきたいと思っています。

また、成果は本ブログでシェアします。

2024年9月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

超一流

歩いていて、思いが下りてきました。

たくさんの人と仕事をしましたが、世間では二流といわれている人が、私は好きでした。たいていの人は一流を目指していますが、私は、世間の評価は二流でもいいと感じています。

だって、超一流の達人は、一流の人たちからは生まれないからです。二流とみられている人の中に、とんでもない逸材が潜んでいます。そして私もまた、自ら、丹生竜とみられていたのに、実は超一流だったということが、いつか露呈する日がくることを、信じているのです。

本日は、こんなところで。

2024年9月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

理不尽な自由

みなさん、お元気ですか?

パソコン環境が、戻りつつあります。

私のプリンターが、思いがけないCannonとビッグカメラの「新品で3年の特別保証もつけたのに、なぜか購入したインクが微妙に異なるという理由で25000円の有償修理になる」という理不尽な対応をされ、業界不振になりそうになったところを、Amazonで30000円、すなわち5000円を支払って、新品を入手するという技を使ってしのぎました。

そして、修理もせずに戻ってきたプリンターには、12000円分のインクが残っていたので、ひたすらクリーナー機能を使い続け、旧いインクを抜いて新しい、すなわち正しいインクに強引に入れ替えるという荒業を使って、何とか、「かすれているけれども、ま、いいか」くらいのクオリティに戻しました。

Cannonやビッグカメラのサービス担当者が「顧客のミス」といいはって修理に25000円を要求する理不尽に対して、いや、そんなはずはない。いや、そちらで購入したインクが、似て否なるものだったのは、店員のミスという交渉をする時間の無駄遣いではなく、自分で何とか再生を果たしたことが、うれしいのです。

また、ここ数日、ディスプレイが疲労骨折のように「ほとんど真っ暗」になってしまったことについては、DELLのサポートセンター(3年間で2万円くらい払っていたと思います)の新説なスタッフにリモートでチェックしてもらい、結局、DELLのパソコンにはDELLのディスプレイがいいという結論に。

現在、私の事務所では3台のパソコンが稼働していますが、そのどれもが、ちゃんとインターネットに接続できる環境に戻っています。ちょっと、達成感。というわけで、少し涼しくなってきましたので、仕事、そして創作活動、頑張ります。みなさんも、お元気でお過ごしください。

2024年9月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

1981年9月19日 NYで始まる

みなさん、お元気ですか?

1955年9月19日が私の誕生日なのですが、それから26年後、半年にわたる欧州周遊を経て「名もない画家」として帰国した私は、都立大学教育学部に復学し、油彩とガッシュで欧州や千葉県鴨川太海の風景を描き続けました。

いつ、どんな作品が生まれたのか、きちんと整理していなかったので、当時の作品の集大成である「アムスの街」は、1981年9月19日の制作官僚としていました。そう、その日は、ニューヨークのセントラルパークが生まれ変わるため、何とS&G(サイモンとガーファンクル)が、ほぼ10年ぶりに再結成されて、セントラルパークの再生に、一役買った日でもあります。

素晴らしい、記念日だったのです。偶然に。

2024年9月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster