故郷の街は、謎だらけ

老いた母の介護のこともあり、私は、生まれ落ちた上板橋の地で生活しています。本来、ここは「故郷」なのですから、街を歩けば、知り合いがたくさんいるはず。

でも、東京の板橋あたりは、だいたい貸家住いが多く、よくても借地。なので、自分で家をもとうとすれば、地主の長男は別として、東上線を下って、埼玉県に出て、和光市、朝霞、志木、川越あたりに居を構えるのが一般的。

なので散歩していると、少なくとも同級生の家があったあたりは、見知らぬ名前の家が建ち、あるいはアパートやマンションになり、たぶん小学校で100名、中学校を入れれば200名くらい見知った同窓生がいて、家も知っていたはずなのに、今は数えるほどしかない。

しかも、本日、あかるい秋の陽射しの下で歩いてみてわかったのだが、その両手の指で数えられるほどしか残っていない家のなかで、4軒が、2階の雨戸が閉まっていた。

一階にも、人の気配がない。表札は、昔のまま。ということは、私の同級生は、結婚したりして、どこかのマンションに住み、残った同窓生の親が残り、そのまま『開かずの間だけの家」になってしまった。たぶん。

数少ない、2階を使っている家の一つは、中学のときには板橋区一の偏差値を持ち、その美貌でも知られたH嬢の家。私の22歳のころの、いわゆる彼女だった女性が、住んでいるはずの家。

とても懐かしい気もするが、とても恥ずかしい気もする。

お互い、別れてから40年間、麹町で何度か、大通りをへだてた向こう側の遠くにいるのを見かけたことがあったものの、お互い、気づいてはいたものの、すり寄ることもなく、少なくとも20年は、会っていない女性の。住んでいる家。

そう考えると、他に残っている何軒かの家も、その前を通りかかるだけで、とても恥ずかしい。だって、お互い、見知っていたのは50年も前のこと。今は、まったくの別人であり、接点はない。

ないのだけれど、会ってみたい気もしてくる。

こういう感情は、リアルの世界には、向かない気がする。こういう、恥ずかしい気持ちと、会いたい気持ちと、懐かしい気持ちと、でも、時の流れの重さを感じて愕然とするような予感もあり、リアルな場で、そんなことがあったら、とても耐えられそうにない。

かくして私は、ミステリー小説の世界に逃れる。

楽しみが、増えてきました。私は、これからフィクションの世界に、遊びにいきます。そういう年代に、やっと、なったんだと思うと、ちょっとばかり感動しています。

 

 

各駅停車に彩を添える謎解きクロス

信州上田で、今年もミステリーウォークを推進していただけるとのこと。本当にありがたい。その打ち合わせとともね、残暑が終わって、すでに秋の気配が漂う信州に行き、しなの鉄道の観光列車「ろくもん」に乗ってきました。

上田に通い始めて、7~8年となりますが、いつも新幹線。特急も、高速バスも使ったことがありませんでした。

今回、しなの鉄道を満喫するという目的があったため、ふと思い立って新幹線をやめて、JRとしなの鉄道でけの、しかも快速は使うものの、ほとんど各駅停車で、行ってきました。

本を、一冊、読めました。

行きは、途中でJRの横川駅から軽井沢駅まで鉄道が途切れてJRバスとなり、待ち時間が1時間半ほどあるという、驚きの路線だったこともあり、新幹線なら軽井沢まで1時間半、しなの鉄道は待ち時間を入れて1時間半、計3時間で到着するはずが、朝9時に出て上田到着は16時なので7時間かかりました。

この3時間と、7時間の差を、どう考えるか。それが、人生に対する姿勢、価値観、すべて関わってくる哲学的な問題だと、7時間の間に思い当たりました。

新幹線指定席で行くと、3時間、仕事ができます。

各駅停車でいくと、座席の関係で、満員で立っていることもありますし、ふつうの座席で仕事モードは難しい。なので、いきおい、のんびりと読める本を持ち、読んでは考え、考えては読み。ときどき疲れて眠くなると、うつらうつら。それは瞑想のように、いろいろなことが脳裏に浮かんで消えていきます。

帰りは、行きと横川駅での待ち時間が1時間違うので、家まで6時間。新幹線の倍の時間。

ところが、どっちが充実しているかというと、各駅停車だったんです。驚きました。

これまで、3時間のところを6時間もかかったら、「無駄な時間」をすごしたと思ってしました。

でも、考える時間というのは、人生にも、仕事にも必要なんです。とくにコンセプトデザインという、わけのわからない先駆者の仕事をしている私が、考えることができなくなったら、アイデアを生み出せなくなったら、もう仕事はありません。

各駅停車は、ものを考えるのに、ちょうどいい。

新幹線や特急は、考える場ではないのです。身体がビューんと走っているので、思考が、後ろに取り残されてしまいます。

とくに謎解きをするには、各駅停車で、時間を気にせずに、じっくり考えられるというのは、適しています。

途中で、接続のために30分とか、駅で待ちます。これも、無駄ととらえれば、それまで。

人生において、無駄な時間は、どこにもありません。休んでいる時間も、仕事をしている時間と同じ、貴重な人生の時間なのです。

ああ、そういうことも、今まで気づかずに、ひたすら新幹線で目的地に行く。行ってから、すぐに人に会う。打ち合わせをする。そんなパターンで生きてきました。

なんだか、待ち時間があると、損した気分になるのです。たとえば、接続の時間が少なくて、走って、目の前でドアが閉まって、間に合わなかったとき。次の電車が15分後だと「ああ、何でもっと早くは知らなかったのか」と悔やみました。かつては。

50代あたりから、身体が動かなくなったので、また急ぐと足がもつれたり、階段を踏み外したりするもので、あまりあわてなくなりました。それでも、目の前でドア゛が閉まると、

「閉めたな! なんてこった」

と、あろうことか運転手の肩に悪態をつく自分がいました。

それが、これからは違います。もし。目の前でドアが閉まって、乗れなかったら「あ、時間をくれてありがとう」と、運転手さんに感謝できる気がします。

各駅停車は、そんなことを教えてくれました。

ちなみに、各駅停車の旅では、謎解きクロスの本が売れると思っています。きっと。それを意識して、問題を作りたいなぁと思っています。

 

GWの迷走

謎解きクロスのファンのみなさん、GWはいかがお過ごしですか。

福島県の新甲子温泉にある甲子高原フジヤホテルにて、地域活性の達人たちで、ホテル再生事業のコンセプトづくりをするワークショップに参加させていただきました。

とっても楽しく、興味深いワークショップ。ここから、新生フジヤホテルの新しい歴史がスタートする、そんな思いを強くした二日間でした。プロデュースしてくれた東急電鉄のTさん、そして宿泊させてくれたオーナーに感謝いたします。

で、例のごとく、そこでも私は「謎解きクロス」のトップ営業マンとして、みなさんに紹介させていただきました。

そして、約20名のプロのみなさんに、ちょっとした余興として、2016年秋に行われた「信州上田 謎解きウォーク」と同じ問題とヒントを、甲子高原フジヤホテルのロビースペースで展開させてもらったのです。

ありがとうございました!

その結果を少し書きます。

地域活性化を進めている現役プロデューサーのみなさんのうち、関心を示してくれた人が10名。ただ、実際に謎解きまでしてくれた人が3名。その内訳は、建築家と漫画家は女性、一人は著名なビジネス作家の男性です。

ご参加、ありがとうございました。

その他の人は、目の前に広がっている謎解きの空間よりも、今いる素晴らしい環境と、素晴らしい人たちとの会話と、これから打ち出す新生フジヤホテルのコンセプト開発に夢中で、謎解きをする人はいませんでした。

ちょっと残念でもあり、まあ、そうだろうなぁという気持ちもありました。

で、ちょっと迷走してみました。

謎解きをしてみたい、パズルを解いてみたいという欲求は、私にとっては「当たり前」のものなんですが、地域をよくしたいという思いにあふれたみなさんの2割程度しか、関心はなかった。この数字をどうみるかで、今後の展開がきまってきます。

この数字は、たぶん、一般的な数字なんだと思います。

謎解きクロスという世界は、面白い、興味がある人には深く入り込めますが、そうでない人にとっては「なにそれ」の世界なのでしょう。

例えば昨年、10000②の人が街歩きのミステリーウォークを楽しんでくれました。私は、ミステリーウォークに参加されたみなさんの後ろをついていき、みなさんが謎解きクロスを見て楽しんでいる状況に感動していたわけですが、その人々は、そもそも謎解きに興味がある人だったんですね。

一般のみなさんは、ミステリーにもクロスワードパズルにも、謎解きにも興味はないのです。そのことを前提に、マーケティングを考えたほうがいいのですね。

謎解きクロスは、特別な人たちが楽しむゲームなんです。

ですから、これはひろくマスとしてPRしても、ひっかかりは少ない。特別なターゲットが集まる場に、PRすべきなんです。そして、2割という数字は、かなり高いのです。きっと。

かつて、有栖川有栖さんが、こう言ってました。

「ミステリー小説を書くときに、本を読む人のうち、9割が面白いといってくれる内容ではなく、9割が関心を示さなくても、1割がものすごく興味をもってくれる内容にしたい」

私の勧めている謎解きクロスも、同じような気がしています。

本を読まない人に、謎解きクロスの魅力を伝え、ミステリー小説を手渡しても、それはスル―してしまうだけ。本を読み、なかでもミステリーが好きで、その理由がホラー的な要素ではなく「謎解き」にあるというみなさんが、ターゲットなのです。

そんな迷走のなかで、ホテルですすめる謎解きクロス。ちょっと考えています。オペレーションが大変なのですね。オペレーションが必要ない、ミステリーウォークができるといいのです。

まず、問題は「無人のスペース」に置いてあるだけ。ヒントは、ホテルの中に何ヶ所か「謎解きクロス」が掲示されている。ただ、それだけでは解けません。その他に、何ヶ所か「謎解きクロス」ではない「言葉」が、現地に行くとわかるしかけ。

それを組み合わせて問題にすれば、ホテルに戻って、「謎解きクロス」と「現場の言葉」のミックスで謎解きが自動的にできるという仕掛け。

そんなことを考える、いい環境の新甲子温泉。これから、通うことになりそうです。

 

 

インバウンドの謎解き

ひとつ、大きな課題があります。2020年、東京オリンピックの年には、昨年の2倍、4000万人の外国人観光客が、この日本にやってくる。そんな計画が進んでいます。

この4000万人という数が、どれだけ凄いのか。2000万人だって、超えるのが大変でした。その次の目標は3000万人かと思ったら、一気に4000万人。

最初は「無理でしょう」と思いましたが。でも、京都のことを考えてみました。京都には、毎年500万人の外国人観光客がやってきます。その8倍が4000万人。

京都には、年間、5000万人の観光客がやってきます。あ、もう4000万人を超えました。そうです。日本人が4500万人も、京都に来る。だったら、日本には、北海道と九州があり、東北があり、四国がある。これだけで、500万人×4で2000万人。京都が500万人。あと1500万人を、関東で受け入れればいい。

すると、中国地方が調整役として残っているから、年間4000万人は、不可能な数ではないのかもしれません。

ただし、ただ宿泊施設を用意すればいいのか、ということでもないでしょう。民泊は難しいので、廃校となった小学校とか、過疎化している地域の公民館とか。あまりこなくなった旅館とか。空いている場所は、何でも活用し、アルバイトの人材を集めて、宿泊施設に変えていきます。

そうやって、ハードの面は、予算がつけば早急に、整備することができます。で、問題。こころは、置き忘れていませんか?

こころは、どこにあるのですか。そこに謎解きクロスによるミステリーウォークが、役立つのかもしれません。日本に来て、ただ自然を観たり、食事をしたりするのではなく、ちょっと謎解きがあることで、受け身だった観光に、自分の意思が入っていきます。

謎解きクロスの、インパウンド対応。その意味。気持ちの在り方を変えること。受け身の観光って、そもそも、つまらない。でも、うっかりすると、そんな国になってしまいます。

日本を、探検に行こう!

そんな気持ちになれるように、ちょっとした謎解きで、こころのスイッチをオンにする。それが謎解きクロスです。

お、日本は面白い!

それが、謎解きクロスのできること。そこから先は、スイッチが入った外国人観光客のみなさんを、どうやって「おもてなし」するか。それぞれの地域で、それぞれの栃の「良さ」を、素直に出していければいい。スイッチさえ、入っていれば、そこは不思議の国の、楽園になる。

きっと。

信州松本ミステリーウォーク

謎解きクロスのファンのみなさん、お元気ですか?

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信州松本でも、ミステリーウォークを三回、実施させていただきました。懐かしい、松本城。公園で、信州新蕎麦祭りがあり、そこで、浅間温泉ミステリーウォークのチラシを配布。

おかげで、盛況でした!

ありがとうの気持ちを込めて。そして、また、信州松本でミステリーウォークができるように、松本に来ています。

 

寒いですね〜

謎解きクロスのファンのみなさん、お元気ですか?

冬将軍がやってきて、いよいよ寒さも本番。

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こんなときは、謎解きクロスを考えながら、知恵熱に期待すると、しましょうね〜

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写真は、埼玉の深谷です

時は流れ、謎は深まる

もちろん、人生の謎解きに終わりはありません。それなのに、どうして解決したがるのでしょうか。
人生には、残念ながら終わりがある。終わりがあるとわかったときから、じゃあ、何で始まったのかと、謎が深まっていくのです。
その謎は、とくに夜に際立っています。

夜になると、どうしても、眠らなければいけない。明日のために、眠らなくてはいけないのに、謎が深まっていくのも夜なので、なかなか眠ることかぜできません。

ド・ラ・フレネーという画家がいました。東急文化村の美術館で、回顧展が原枯れました。美の女神に心臓をつかまれたまま、彼は四日間、一睡もせずに200点以上の油彩を描き、歓喜のまま、四回のアトリエから身を投げます。
さて、誰が、フレネーを殺したのでしょうか。

死の直前の4日間に書かれた油彩のなかでも、出色なのは「船出」という、たった3回ほどしか筆を入れていない作品。
観ていると、船が、こちらから向こうに向かって、出港するのが伝わってきます。たぶん、3秒で描かれた、一枚の油彩。

そこに、フレネーの人生が凝縮されていたのです。
それでも私は、誰が殺したのかと、考えてしまうのです。

そこで殺さなくても、自分を終わりにしなくても、よかったのです。そうしい、多くの凡人は、活きてきたのです。
何も、飛び降りなくてもいい。もう、十分ソラを翔んできたのですから、そこで終わりにしなくてもよかったんです。

フレネーの絵は、中学3年のときの美術の教科書に出ていました。アトリエにね立っている自画像。とてもシックな、そして淋しい絵でした。

こういう絵を描く人には、かなわないなぁと思いながら、中3の夏に、私は画家となり、1か月間、受験勉強もしないで、朝から晩まで、絵を描いて過ごしていました。

ふー。

私が、なぜ、そんなことをして生きていたのか。それは、「早熟だから」としかいいようがありません。

そういえば、15歳の夏、高校1年生の夏に京都と奈良と滋賀に、三週間ほど遊び、東京に戻ってきてからも、脱力感にさいなまれ、鎌倉に行きました。

そこで、川端康成に遭ったのです。

荻須高徳の凱旋展の席上で。花束を持って、坊主頭の高校1年生、16になったばかりの青年に、本気で嫉妬していた川端康成。

その半年後に、ガス自殺をするなんて知りませんから。

その後、高校三年生になって、私が書いた川端康成の評論や、小説を読んだ国語の先生から「君は早稲田に行って小説家になるといい。いろいろな学生を見てきたけれど、君の文才はピカイチだよ」と言われ、私はちょっと救われる。

そうか、小説家になれば、私でも生きていけるのかもしれない。あの川端だって、じいさんになるまで生きてこれたのだから。

そんなことを考えていた未成年が、今、どうしてビジネス作家になり、コンセプトデザインを作り出しているのか。

その謎を、なんだか、解き明かす時期がきているような気がします。

そのためにも、私は「謎解きクロス」をブレイクさせて、その後、じっくりと、歴史に残る小説を書き始めましょう。

昔の私を知る人は、「廣川くんは、二十歳のころから、ずっと同じことを語っているねぇ」ということでしょう。

人生の謎を解く前に、やることが多すぎて、多すぎて。とりあえず、眠って、明日の謎解きの時間を待ちましょう。

交差点で考えたこと

交差点で考えた。

この世界は、謎で満ちている。そして、そこに謎があるのなら、解いてみたくなるのが人情である。

謎が解けても、前に進めるとは限らない。ただ、謎解きをしないまま歩くのは心地よくない。

かくして私は考え、謎解きをして歩き始める。

ふたたび、交差点で立ち止まるまで。

夏目漱石の草枕のように蘊蓄のある文章にはならなかったが、今の私の、正直な気持ちである。

おやすみなさい。

夏休みは、しなの鉄道「ろくもん」で

長野県の第三セクター鉄道であるしなの鉄道には軽井沢〜長野を走る観光列車「ろくもん」があります。

列車は大幅に改造された115系電車。外見こそ115系電車の面影を残しますが、中身はまったく異なります。JR九州の列車などのデザインを手がける水戸岡鋭治さんのデザインです。

お食事付きのプランもありますが直ぐ売り切れるそうです。(7,8,9月は売り切れています。)

乗車券指定席プランもあります。こちらはお近くの旅行会社でも手配できます。

詳しくはしなの鉄道のホームページをご覧ください。

この夏はしなの鉄道ろくもんに乗ってでかけませんか?

 

2015年7月10日 | カテゴリー : , 旅の空で | 投稿者 : wpmaster