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謎解きクロスって何?
謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。
謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。
このブログでは、謎解きクロスと、ミステリーウォークについて、ヒントや、気づき、これからの方向などを、お伝えしていきます。
お楽しみに。
八雲堂書店、快挙!
東横線の都立大駅にある八雲堂書店。いきなり大吉くじプロジェクトの資料を贈りつけてしまった、地域の書店さん。賽は投げられたので、あとは返事をいただけるまで待つしかなかった。
そして、メールが届いた。
社員のほとんどが「スルーすべき」との意見だったが、私は、一度会ってみようと思った、とのこと。2年前に撮影されたユーチューブでは「専務」だっていたが、今は「社長」となっていた。
社長が逢いたいといってくれるのだから八雲堂書店は生き残った。素晴らしい快挙である。私は、コンサルもしながら、八雲堂書店を唯一無二の「特別な書店」になってもらうべく動き始める。
12月は繁忙期で時間がとれないが、来年になったら、会えるとのこと。本来なら、正月の初売りに「大吉くじ あります」のノボリ旗を掲げて八雲堂書店大吉くじプロジェクトを始めたかったが、あわてることはない。
来春、じっくり説明して、都立大学駅にある小さな街の書店が、全国からも注目され、「八雲堂詣で」が生まれるように、仕掛けていくことになる。
一年後、凄いことになっている。
伊豆下田では、12月19日に、商工会議所で観光DXの講演を予定している。ここでも、大吉くじプロジェクトが動き始める。私の見立てが正しかったことが、あちこちで証明されることになる。
まず、下仁田町で800個配られ、信州上田の謎解き散歩で400個。一年後に、信州上田で600個配布され、先日、下仁田町で2000個が配布された。
来年の1月19日の下仁田青空市では1400個、配布されることになる。一人の手では、そろそろ限界があるが、それでも私は10000個の作成、配布を目指して、制作を続けている。
その流れのなかに、来年、八雲堂書店が加わる、かもしれない。
この「かもしれない」という部分は、実は、けっこう重要。これからの展開は、私しか、まだ知らない。
かつて、2009年7月に伊豆下田にプレゼンにいったとき、10年後にミステリーウォークが全国500ヶ所以上で展開されていることを私は「知っていた」けれど、誰も理解していなかった。
同じように、10年後、全国の書店の500ヶ所で「大吉くじ」が配布されている。
出発点は、八雲堂書店、なのかもしれない。万歳。
50年前
私と今の若者との相違点は、たくさんかる。なかでも大きいのが、50年前を知っているか、どうか、だと気が付いた。私の記憶の中には、確かに50年前の出来事が、こびりついている。
その頃の作品は、赤面ものではあるものの、残っている。それゆえ、未来をみる「幅」が、50年前を知らない若者と違っている。その良し悪しはあるものの、決定的な違いだ。
私が二十歳のとき、私は、その事実を知ってはいたが「実感」できなかった。そして、50年以上、生きてきた先輩たちの言葉を抹殺していたように思えている。
言葉というよりも、そもそも、50歳以上の人々の存在そのものが、二十歳の私には「年寄り」として抹殺されて、みえていた。私が観ていたのは、せいぜい四十代までの男女だった。
おそらく、今の若者たちも、似たようなものではないか。
そして私は今、大吉くじプロジェクトを普及させようとしているものの、「なしのつぶて」攻撃に遭って、少し焦っている。このまま、社会に埋もれてしまうのかもしれない。
だれも気づかないまま、十年後に、注目されるのかもしれない。
前は、それでも「いい」と思っていた。しかし、そんなことを言う余裕はない。それが、来年70歳を迎える私の実感。
私の50年前の時間が、あのころに貯めた人生の時間が、これから生きるかどうか。生きる前に、死んでしまうのか、どうか。いずれにせよ、私は、また画家になろうとしている。
まだ終われない
毎日、想っています。まだ、終われない、と。
だから、誰に強要されるわけでもなく、ひたすら大吉くじを折り続けています。そこで発見したことの一つに、職人は、幸せなんだということです。
仕事でも、こつこつと何かを組み立てたり、作ったりするのは、本当に、幸せです。
私が、ときどき思い出す光景。
15年ほど前になりますか。いすみ鉄道に取材に行くと、あの有名な社長が事務室で、一所懸命に店頭販売の鉄道グッズを組み立てていたのです。
取材は、ここでいいですか?
社長が、手を動かしながら、取材に応じるというのです。こんな社長、あまりみたことがありませんが、とっても幸せそうな、大黒様のような笑顔でした。
これが、鳥塚さんの強みです。マスコミで経営革新の寵児とあがめられていた彼自身が、自分の思いついた企画で乗務員の貴重な時間を奪っては申し訳ないと、自分で1000個を組み立てる。
もちろん、自分の仕事に専念しているスタッフは、手伝おうともしません。それは、決して「冷たい」というのでばなく、企画を言い出して、成功させたい本人が組み立てる、そこがいい。
講演でも、よく、その話をさせていただきました。だって、長井フラワー線の社長も、自分で考えた企画を自分で発注し、イラストも描き、組み立てていたからです。
できる中小企業の社長には、例外なく、そんなようなことがあります。そして手作業をしているときに、みんな幸せそうな顔をしている。やらされ仕事ではないからです。
そんなことを思い出しながら、週末は、せっせと大吉くじを折り続けている私です。
もちろん、明日からは、しっかりコンサル系の仕事をします。どちらも、大切な仕事であり、楽しくて仕方ないから。
八雲堂書店
さきほど、東横線の都立大学駅から徒歩1分にある街の本屋さんに、謎解きクロスとパズル小説、大吉くじプロジェクトとNFT販売の資料を作成し、自分の著書8冊ほどを添えて、宅配便で贈った。
これまで、京都祇園の料亭、ANA元会長、銀座の高級クラブのママ5人、最近ではワタミの渡邊会長と、大吉くじセットを贈っているが、返事をいただき、支援してくれたのはANA元会長の篠辺さんのみ。
なかなか厳しい現実があるものの、一方で、下仁田町では商工会と中之嶽神社の支援を得て大成功を収めるなど、大吉くじプロジェクトは確実に成長に向かって動きだしている。
もし、私が発案者でなければ、こんな素晴らしいプロジェクトは、ほっておかない。公私ともに全面サポートして、ヒット商品に押し上げるように努めることだろう。
しかし、料亭も銀座のクラブも、ワタミ会長も、なしのつぶて。
もう。二度と係ることはないだろう。ワタミのブランド戦略に、少し寄与したこともある私だが、残念ながら、縁がなかった。そういうものなのだろう。
来年、八雲堂書店前で「大吉くじ あります」のノボリ旗が立てば、書店の未来は明るい。立っていなければ、いずれ、都立大から書店は姿を消すことになる。
私は、経営陣が「わかっている」と期待している。
有名になってから「大吉くじを活用したい」とオファーをしても、手遅れなのである。円がなかったと、あきらめていただこう。逆に「唯一無二の書店になりたい」という気概があれば、未来は乗り切れる。
いずれにしても、賽は投げられた。
深さと浅さの違い
私は、どうもAIが生成する人間の画像に、なじむことができない。この世のものとは思われない、違和感を感じてしまう。カメラマンの写真はOKだが、その写真を活用して合成された作品には、何となく違和感がある。
言い方は、難しいが、とくに女性や子どもの場合、AIの画像は「キモイ」のである。笑顔が、おかしい。具体的には言えないものの、ぞくっとする。怖い。なぜかと、ずっと考えていたが、最近、少しわかってきた。
きれいだけれど、浅いのである。表層しか、見えない。その向こうにある、人生もない。たとえば、ピカソの絵は凄いと感じるが、レジュの絵は表層的に見えてしまう、そんなことになる。
ド・ラ・フレネーやニコラ・ド・スタレーも、ずって観ていられる。ジュルジュ・ルオーやレンブラント、コロー、もちろんゴッホやセザンヌ、みんな素晴らしいと感じている。その感性ゆえか、AIのビジュアルに違和感がある。
これは、おそらく、「違和感のある人と、ない人」がいるという世界。もともと脳の機能が、遺伝や生誕のときのDNA配列、その後の生育環境によるDNAスイッチのオン・オフの関係で、一人ひとり異なることからきている。
だから、誰がいいとか悪いとか、正解か間違いかという単純な問題ではない、もともと、CGのアニメに強い違和感があったので、その延長で、AI芸術があるのかもしれない。
なぜ、こんなことを考えているかというと、実はギャラリーを借りて、自分の作品を展示・販売しようと思っているからだ。ひょっとしたら、100人いたら数人は、お金を出して、私の絵を買ってくれるような気がしている。
1点5000円のハガキ絵。これが、売れるかどうか、楽しみ。1000枚のハガキ絵ができたら、ギャラリーを借りたい。それは、大吉くじのプロモーションことかを検証する場でもある。