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謎解きクロスって何?
謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。
謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。
このブログでは、謎解きクロスと、ミステリーウォークについて、ヒントや、気づき、これからの方向などを、お伝えしていきます。
お楽しみに。
なぜ、ベストセラーが書けないのか
実は、私はR&Dという会社でマーケティングの基礎を体験的に学び、SDGという会社でマーケティングの実戦を体験的に学び、その上で新規事業開発専門のコンセプトデザイナーとして独立。
およそ、失われた30年をコンサルタント&美辞寧作家として活動してきました。
なので、自分の本が、なぜロングセラーはあるものの、ベストセラーがなかったのか、その理由は、とうにわかっています。私の書いた絵が売れないのも、ちゃんと理由があります。
それは、マーケティング理論としては、当然なのです。だって「現在の顧客ニーズ」に対応できていないのですから。
小説も、そうです。そもそも小説は「読者目線」に立てなければ、書いても誰も読みません。あの大沢在昌さんですら、読者目線のことを真に理解するので「初版の作家」と言われていたのですから。
読者からみて、どうすれば「わくわく」するのか。それを察知して、展開するのが「小説家」の役割です。そのなかで、ベストセラーが生まれます。ところが私は、はなから、そんな気はありません。
だって、そのような小説を書く人は、市場にごまんといるのですから。そもそも、江戸川乱歩やシャーロック・ホームズを読めば、私の「自分目線」の本を読むよりも、絶対楽しい。
ですから、私は50冊ほど本を発刊していただきましたが、よく売れた本は、編集者が一杯、指摘してくれて、手をかけてくれて、何とか売れるように工夫してくれたもの「のみ」となっています。
で、そもそもの原点が「私中心」なので、その他の創作活動は、私にはできなかったのです。
だから、たとえば丸善に3段くらい並べてくれた「ゾウを倒すアリ」(講談社)にしても、内容は素晴らしいもので、装丁デザインもバッチリだったのに、初版6000部で、しぼんでいきました。
講談社現代新書「週末作家入門」は、初版13000部、増刷が3回ありましたが、結局「講談社現代新書」というブランドで売れていたもので、読者視点にたっていたかというと、実は疑問なのです。
私が、もっと徹底的に顧客視点に立てていたら、コンテンツの仕掛けも、コンテキストの流れも、もっと読者に寄り添っていたはず。それが、私の限界でした。
逆に、ゴーストライターをしていたときには、M先生に取材をして書いた本は、あれよあれよと12刷くらいまでいきました。毎月「増刷しました」という報告をいただきました。
それは、私がmarketing理論にのっとって、ゴーストライターに徹していたから、できたことです。ところが、自分の本となるは、私は「コンセプトデザイン」にこだわるようになります。
自分の本なのですから、一字一句、自分が納得しなければ進みません。
そして、次々と「降りてくる」アイデアを盛り込んで、どんどん先に進んでいきます。時々、編集者に「これは何ですか?」と聞かれて、直接、説明して説得してしまいます。
その結果、読者目線ではない「何か宇宙人が書いたもの」が生まれます。その本は、たぶん「3年早かった」のです。その後、似たようなコンセプトの本がでてきて、その「3年」ということを知ります。
半年、早いくらいが「ベストセラー」にすることなんですが、そういうマーケティング理論は、自分のことについては、一切、考えていません。
結果、「読みたい人が読めばいい」という、本としては大失敗の作品が生まれます。超優秀な編集者は、私の次々と出てくる「提案」に、だんだん、読者目線がゆらいできます。
ほんとうに、これまで、失礼しました。
というわけで、今週水曜日、私の本を10冊以上、編集してくれた名編集長が、「人生の法則」の企画について、相談に乗ってくれます。
彼に恩返ししたいのですが、たぶん、私は自分のコンセプトデザインを訂正するつもりはありません。
だから、軽く飲んで(私はノンアルなんですが)急行をあたためて、お別れとなるはずです。
ちょっと寂しいけれど、私は私。時代が追い付いてくるまで、まだまだ、つくり続ける必要があると認識しています。

ご注意ください
いつもお世話になります。本サイトを制作してくださったFさんから「怪しいメールが来ている」とご指摘を受けました。私から、みなさまにラインなどの入会、メール変身などを求めることは一切ありませんので、もし、変なメールが届きましたら、クリックせず、消してください。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
きっと出逢える
そう、つくり続けることで、「いつ、誰かと出逢っても大丈夫」な人生に変わります。これ、つくり続けていないと、チャンスと巡り合うこともありません。
きっと、どこかに、いてくれる。まるでシンデレラのような、よく考えたら気味の良くない古希オヤジですが、それが私の歩む道であり、それ以外のどこにいっても、逢える人はいないと、わかっています。
思えば、小野政吉さんと出逢い、吉田民尚さんと出逢いました。川端康成とも出逢い、あのシケイロスとも逢って話をした。それは、どん底にありながらも、ひたすら書き続けてきたからにほかなりません。
だから、描き続ければいい。あまり、売り込みのことは、考えないでいい。だって、面白くないから。
いつか、きっと逢える。今までだって、逢って来たから。

ひたすら、つくり続けよう
AI全盛期に突入し、何でも自分で完結してしまう「錯覚」に陥っていた、私。マンガまで、AIに任せれば、うまく作ってくれるのではないかと、またもや、妄想に走る。
でも、私の使っているChatGPT5.2は、冷静だった。残念ながら、AIの実力は、まだそこまで達していない、とのこと。
とくに著作権問題をクリアするためにも、少なくとも企画、制作の「要」の部分は、自分で制作する必要がある。確かに、そうなのだろう。そもそも、もしマンガを活用するのであれば、なんでも自分で作るのではなく、原作に徹して、その先を考えてもらうべきだった。
反省。
パズル小説の印刷がうまくいったから、ついつい、最終系まで、自分でできてしまうのではないかと、思っていた。
私は、文章の作家と絵画の作家に、徹しよう。販売は、また別の人とコラボすればいい。もう少し、待とう。いずれ、よきパートナーと再会できるはず。
任せよう。これからも、プロに。

誰もいなかったら、どうしよう
実は、たまに考えます。パズル小説や、大吉くじを作り続けて、絵も描き続けて。その結果、お金をじゃぶじゃぶつぎ込んで、その結果、市場に出して、誰も見向きもしなかったら、どうしよう。
実際、この問いかけは、15歳の頃から、たまに出てくる本質的な疑問の一つでした。何をつくっても、誰も、認めてくれなくても、続けていくべきなのか、どうか。
認めてくれるから、誉めてくれるから、「いいよ」って言ってくれるから、創作に向かうことができるのです。もし、だれも認めてくれなかったら、それでも続けていいのか、と。
たとえば25歳のとき。千葉の鴨川にある父の別荘に三ケ月くらいこもって、絵を描き続けたことがある。いつか、自分のしていることを、誰かが認めてくれる日が来ると、信じようと必死でした。
そのときも、小説を書き、水彩画を描き、一人で海を眺めていたのです。今と、基本的な構造は、そう変わりません。ということは、それが自分の人生ということになるわけです。
ということは、社会が認めてくれるのは「ご褒美」のようなものであり、私の人生の本質ではないことになる。
大丈夫。誰も認めてくれていなくても、どんどん高みに上っていこう。誰も、ついてこられない高みにのぼって、パズル小説と大吉くじとジグレー作品が、一つの店舗で統合されるビジョンを夢見て。
