直木純の夢をみた(前半)

みなさん、お元気ですか? 本当に見た夢の話。

どこかの高校でのこと。かつて同じ3年B組だったアイドル歌手の直木純。彼を、3年B組の全員が応援し、家族そろって歌合戦とかいう番組でテレビ収録があると、私を除く、ほぼ全員が収録会場に行き、応援しました。

ところが私はというと、彼とはウマが合わず。だって彼はAめぐみ以上の資金で大々的に芸能界デビューしたアイドル。月に数回しか竹早高校には来ないし、私のすぐ近くの席で芸能界の話ばかりしているんで、正直、苦手でした。

そして、高校三年生の私は、授業をさぼって美術室にこもりっきり。朝、登校して代返を頼んだら、銀座の画廊巡りをしたり、鎌倉美術館に行って絵を見たりしていたので、直木純とは、すれ違いも多かった。

テレビ収録にも、私は、呼ばれてもいませんでした。そんなことがあったことすら、気にかけていなかった。でも、彼が住んでいた家髭右゛めたる゛で飲み会があったときには呼ばれ、朝まで飲み合ったこともあります。

そのとき、直木純に言われました。廣川って、俺のこと大嫌い゛まかかしッカーが上手いな。尊敬しているよ」などと、18歳の酔っ払いの目で応えていました。

竹早高校生とアイドル歌手の二刀流の直木純は、体育の授業には出てきました。体育は代返がきかないので、授業にでてないと高校卒業ができないからです。本当に、メッシのようなドリブルで、10人抜きも軽々と゛めたる゛こなしていました。

晩秋に体育祭があり、全学年前クラス対抗サッカーで、一年下のクラスと対戦したときのこと。イレブンのポジションはキャプテンの直木純が決めました。私はFWで、直木純はMF。

「俺が走れーっていったら、ゴールめがけて、全力疾走してくれ。廣川の頭に合わせてロングパスをするから、そのままゴールまで駆け抜ければ、ゴールだ」というのです。

その場面は、やってきました。直木純が「廣川ー」と叫んだので、私が走り出すと、直木純が打ったロングパスが、走っている私の額に向かって、ものすごいスピードで飛んできました。ゴール前で、ピタリと一致。

ところが、その奇跡的なパスに驚いて、私は向かってきたボールを本能的に避けてしまったのです。ゴールならず。その30年後、六本木で開かれた同窓会で卒業後、初めて会った直木純が、そのことを覚えていました。

「あのとき、目をつぶって駆け抜けていたらゴールだったのに」と。「ごめんな」と私。直木純は、すでに18歳の娘がいるパパでしたが、やっぱ、カッコよかったなぁ。「駆け抜けるだけで、よかったんだよ」

私には、それができなかった。

その直木純が、68歳として、私の夢にでてきました。相変わらず、ダンディ。ちょっと太っていたけれど、やっぱり直木純。廊下で、私は本名を呼び、元気だったか、俺がわかるか、と聞きました。

私たちはハグしあい、「ちょっと病気して、半年ばかり入院してたよ」「え、何の病気 ?」「ほら、もんたよしのりの、あれ」私は、直木純とのツーショットがほしくなり、近くの人にスマホを渡しました。

直木純を私は、抱きかかえ、スマホに収まりました。そして、朝、目覚めたのです。なんだか、彼が最期に会いに来たのかもしれないと感じていました。そんなわけで、ここに書かなければと思ったのです。

68歳は、いつ死んでも、おかしくない。家族そろって歌合戦には、高校のクラスメートとしてK君とH君が出演して歌ったそうです

直木

2024年5月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ただ、ひたむきに

みなさん、お元気ですか? 私は、九死に一生をえたこともあって、まだ本調子ではないのですが、ひょっとしたら倒れる前より、元気です。

臨死体験もしてしまったので、私なりに、死んだらどうなるのか、わかっています。ということは、やっぱり、生きていることの幸運をよろこぶと同時に、自分にできることを最大限にやって、少しでも、社会に貢献しておきたいです。

私がいたから、救われましたといわれるような、役に立つこともしていきたい。大吉くじは、必ず、ひとさまの役に立つはず。そこには、自信をもっていい。そして今、8名もの支援者を得て、普及活動がリスタートしました。

クラウドファウンディングのCampfireには、幻冬舎が大本ですから、賛否両論。批判もあることは、知っています。そして、communityは、深く関わっているお友達やパートナー以外は、入会しないという話も、聞いています。

それでも、九死に一生を得た私は、今という瞬間を大切にしたいので、ともに歩いていただける仲間を求めています。8名のみなさん、ありがとう。必ず、大吉くじを日本の新たなスタンダードにしていきます。

ご期待ください。

2024年5月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ロストGW

みなさん、お元気ですか?

GWが終わってしまいました。絵を描きたいと思っていたのですが、前半に組んでいた仕事のペースがあがらず、今朝、ようやく納品したという感じ。一枚も、描けていません。

一ヶ月前に具材を購入し、描いてもいないのに、さらに絵具を買い足し、どんな絵にしようかデッサンはできていたのに、心、そこにあらず。

自由人でなければ、他の何かを抱えているときには、私の場合、絵は描けません。プロではないのですから、苦しんで、描くこともありません。

出来上がった絵を、とことん自己満足して「いい絵だな」と感じて、一日中、眺めている~客観的にみれば、だいぶ気持ちの悪い趣味ですが、芸術は、そういうものです。

誰かを喜ばせたいと描く絵もあるのでしょうが、それは売れる絵、プロの世界です。

私は、とことん文人画。だから、GWに、描きたかった。次の機会は、お盆休みになりそうです。

2024年5月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

GWの愉しみ

みなさん、お元気ですか?

2024年のGWも、いよいよ後半に突入します。といっても、サラリーマンではない私にとっては、いつもと同じ、仕事半分、創作活動半分の、変わらぬ日常が続いています。

それにしても、と、最近、よく考えています。自分は、すでに作家になっていると、日々の生活で、実感しているのです。作家になっていることは間違いないのですが、ただ、つくり出した作品が「売れるかどうか」は、また別問題ということになります。

あのゴッホですら、生きているうちに、弟のテオ以外に買ってくれる人はいませんでした。ピカソのように、マラガで生まれ、バルセロナからパリに出て、青の時代を経て、あっという間に天才画家として認められ、死ぬまで大金持ちでいた人は、例外中の例外なのでしょう。

作家であっても、もうかっていない人は、たくさんいます。ただ、こつこつと、自分の世界を築いて、作品を作り続ける。たとえ売れなくても、作り続ける。売れなくても本を書き、パズル小説を開発し、注文がきたわけではないのに、大吉くじを、すでに5000札ほど制作しています。

何をしているのか、なんて後悔はしていません。これからも、どんどん制作し、世間のみなさんが「発見してくれる」のを待ちます。

で、このGWですが、5月5日まで、仕事三昧。2023年の8月24日から40日も絶対安静にして、その後も、開腹手術のために20日も入院して、整えた身体ゆえ、まず、休んでいた分の仕事は、少なくとも、ちゃんとしておきたいのです。

そのうえで、5月6日は、ほぼ20年ぶりに、はがき大の「点景」を描きます。それが、今回の、九死に一生を得たあとの、私のGWです。

絵が描けたら、pdfにして、NFTに登録したいと思っています。それが、大吉WAKA集で展開される大吉くじのコンテンツの一つになります。もう、20年も描いてないのですが、作家として、きっと描けると確信しています。

まぁ、売れないとは思いますが、素人にしては上手な文人画くらいには、なると楽観しています。しばし、お待ちください。

2024年5月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster