いつも、謎解きクロスを支援していただき、ありがとうございます。
ちょっと、考えました。なんで、人生は謎に満ちているのか。それは「自分」だけで、世界が完結していないからだと思うのです。
自分の心の中とだけ対話をしていると、謎解きは、あまり要りません。だって、すべては自分の思うがままに、進んでいくのですから。
ところが、社会との接点が広がれば広がるほど、謎が増えていくのです。謎がふえれば、そのままにして生きるわけにはいきません。何か、「理由」がなければ、生きられない。どうも、私たちの心は、そのようにできているのです。
ですから、社会との接点、それが組織と自分の関係であれ、たった一人の個人との関係であれ、いつも謎が目の前に提示される。
この謎というのは、自分のものさしで、簡単に理解することができないときに生まれる感情なのです。「なんだろう?」これが、生きることの基本なのです。
なんで、この人は、楽しそうなんだろうか。あるいは、何を怒っているのだろうか。何か、理由があると、ついつい考えうてしまうのです。
この謎解きという行為は、すこぶる人間的。そして、そのポイントは「誰のために」というコミュニケーションの部分。謎解きの背景には、理解したい、わかりあいたいという強いコミュニケーション欲求があるはずなのです。
すなわち、謎解きクロスでは「誰のために謎を解くのか」ということが、重要なのです。
おそらく、AIがどんなに進んでも、自ら謎を発見かして、それを解こうとする行為をさせるのは、きっと、とんでもなく大変なのだと思います。
たぶん、「計算」あるいは「プログラム」という、あらかじめ決められたルールでしか考えることがなければ、きっと謎には思わないし、「あれ?」という違和感ももたない。感情があるからこそ、謎が浮き上がってくる。
この謎解きということは、きっと、私たちの「脳トレ」の根本をなすのだと思っています。
これから私は、「脳トレ」に効く「謎解きクロス」を研究していきます。
さあ、これからです。
みなさん、お楽しみに。