2021年 年頭に想うこと

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謹賀新年

 

あけましておめでとうございます。

本年も、よろしくお願い申し上げます。

 

まだ若者と呼ばれていた頃、こういわれました。「君がうらやましい。どんな金持ちでも未来は買えない。それを君は持っている」……確かに若者は100年先まで生きるかもしれません。でも突然100年がくるのではなく、まず明日がある。その先は誰にもわかりません。

 

誰もが突然、死ぬかもしれない。その意味で、すべての人が時間の前では平等です。それを前提に、今をどう生きるかが問われています。そんなことを考え、昨年、私がつかんだコンセプトは「タイム・ディスタンス」でした。

 

昨年、私たちは新型コロナウィルスの本質がわからず、当面の脅威を避けるソーシャル・ディスタンスを受け入れました。三密を避けて生きる「ソーシャル・ディスタンス」は、残念ながら人と人との心の交流まで牽制してしまいます。

 

今年は、もう少し賢くふるまう必要がありそうです。そこで私が提案したのは、時間差で市場を維持する「タイム・ディスタンス」の考え方。三密を避けつつも、経済活動を維持するにはタイム・ディスタンスしかありません。

 

元旦に、タイム・ディスタンスのことを考えていたら、この現実世界と自分の行動と、どのように「同期をとるか」という問題が浮上しました。仕事も人生も、世界との接点、市場との接点で何ができるか、それが問題となるわけです。

 

人生には、世界の出来事と自分の行動がピタリと重なることがあります。もちろん偶然なのですが、その偶然を「奇跡」として珍重し、未来の行動につなげるか。ただの「過去」として忘れ去るのか、そこで人生が分かれると思います。

 

ひょっとしたら、私の人生でも、特別な瞬間は毎月どこかで、毎週どこかで、あるいは毎日のように、どこかで起きているのかもしれません。ただ、自分の目が節穴だったり、別の何かに気をとられて気づかなかったのかもしれません。

 

奇跡は、自分で意識してつかみにいかなければ、ただの出来事で通り過ぎる。これは人との出逢いも、きっと同じです。現実に出逢っていても、お互いが歩み寄れなければ、一生、つながらない人もいたはずです。

 

私の課題は、みなさんとの出逢いを奇跡と呼べる状態までもっていくこと。今年は正念場の年となる気がしています。私は今年、一つだけ奇跡をおこしたいと思っています。2021年の秋に出版される予定の本で、その奇跡が始まると期待しています。

 

そのころは、新型コロナウィルスの猛威が去っているはず。

引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 

2021年1月2日(書初めの代わりに) 廣川州伸

 

2021年1月2日