世界が、微笑みかけてくれた日

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みなさんは、覚えていますか?

自分が生まれた、この世界が、少なくとも「自分の自由にはならない」とわかったときの、衝撃。たぶん、小さいころの話でしょう。私の場合も、たぶん、小学生。五年生のような気がします。

でも、まだ心のどこかに、もう少し大きくなれば、大人に近づけば、もっと別な自分になれると思っていました。

そして、時はながれ。

ひょっとしたら、高校生のときかもしれません。自分が、世間でいわれている天才のような「特別な頭」をしていなかったとわかったときの衝撃は、忘れません。

大学生のときにも、衝撃はありました。結局、この世界のなかで、自分の居場所がみつからない。ここで「居場所」とは、いわば自分のために用意されている「特等席」のこと。

私の人生では、どこにも、特等席はなかったのです。だから、ゼロから自分で関わり、自分の人生を自分で切り拓かなければいけなかった。誰も認めてくれませんでした。

そうしてまた、時はながれ。

あっという間に、50歳になっていました。そこで書いた本が「週末作家入門」です。そのとき、私は「すでに作家なのではない。夢みるころはすぎたけれど、これから作家になる」と宣言しました。

そうして、さらにまた、時はながれ。

今、少なくとも「謎解きクロス」という世界は、つくることができました。私のことを作家と呼べるのかは、「新しい創作物を生み出したかどうか」にかかっていると思っていました。

私は今、自分でも、作家になったんだと感じています。時はながれましたが、よく努力もしました。そしてたくさんの人に逢い、助けられ、助けて、ここまできています。

9月19日、私は、久しぶりに、週末の達人である小石雄一さんの主催する講演会で講師を務めます。

自分が、週末作家として何を生み出してきたか。人生のなかで、ものをつくること、原稿を書くことは、どんな意味をもっていたか。そして今、どこに向かおうとしているのか。

みなさんとシェアしたいと思っています。

遅れてきた作家。廣川州伸。これから、まだまだ、たくさんの作品を書きたいと思っています。

この世界が、自分にも、微笑みかけてくれる日を求めて。