パズル小説®、最初のファンは自分

このエントリーをはてなブックマークに追加

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。しばらく、脱コロナ時代の「三種の神器」である「編み物・読書・パズル」について、コメントします。

私は、一億総作家時代を唱え、2005年に「週末作家入門」(講談社現代新書)を書かせていただきました。そのときは「遅れてきた大作家」「50才にして作家デビュー」などと、喜んでくれる編集者が支えてくれました。

その後、ビジネス書だけでなく、文化の方にも目を向け、2008年からミステリーウォークで配布する小説を書き始め、2015年には「ヒツジは何故、空を翔べたのか」(IDP出版)を発刊していただきました。

また渋谷で7000人に謎解きクロス®によるミステリー小冊子を配布したことをきっかけとして、ミステリーウォークに「紐づけていない」純粋な「謎解きをする小説」の可能性を訴求しました。

そして2019年2月に、自分が書いて発表してきたのは単にるパズルではなく「パズル小説®」だということに気づき、日本初のパズル小説®作家となりました。実は、もの書きを目指したのは8歳のころなので、足掛け58年の夢成就でした。

その流れで、自らの作家人生を振り返ると、常に「ファン」の存在によって励まされてきた自分がいます。

最初のファンは、保育園を3日で中台して立教グランドで遊ぶ少年になったとき、家に玩具メーカーの女性がきて、いろいろなブロックを置いていってくれました。私はモニターになったのですが、雨の日に作るブロックの作品を、いつも絶賛してくれました。そこで、こどもながら、調子に乗りました。

次は、小学校1年生の担任となった戸塚光江先生。たまにケンカもしたけれど、私の書いた詩を毎日新聞「小さな目」に投稿してくれて、採用されました。全国の家庭に「広川くにのぶ」の作品が紹介されたのです。

その後、調子に乗った少年は、作曲でも賞をとり、クラスから浮いてしまいます。10歳で二次元方程式(三次元でなかったところが凡人の証なのですが)を解き、15歳で大学生が使う教科書でユークリッド幾何学を修め、執筆した大学教授に「あなたの証明は間違い。正しい証明はこれ」と手紙を出せば「あなたのおっしゃる通りでした。改訂版のときには、あなたの証明を載せておきます」との連絡をもらい、アインシュタインの一般相対性理論を理解しかけていました。

ところが、前にも書きましたが、「十歳で神童、十五歳で天才。二十歳すぎればただの人」ならぬ、私の場合は「十八歳」で、気が付いたら数学ができなくなっていました。もともと早熟で、凡人になるのも、ちょっと早かったのですね。

びっくりしました。人生、これで終わってしまうのかと嘆きました。そのときに、救ってくれたのが、現国の佐藤浩子先生。授業で読書感想文の課題が出され、いつも解答欄に書き切れず、裏面に「つづく」として、びっしりと感想を書いた。

すると佐藤先生は、だいたい豪華な花丸をくれ「君は、私の教師人生で、ダントツに面白いものを書く人。作家になりなさい。あきらめちゃだめ」と言ってくれました。

この「あきらめちゃだめよ」ということの意味は、そのときはわかりませんでした。そして、出版社の文芸賞の公募に小説を投稿するようになって、そのことが、よくわかりました。一次予選は通過しても、最終候補作には残らない。それが10年も続けば、ふつうは、あきらめます。

でも、私の作品の大ファンだった佐藤先生の言葉を信じて、その後、40年間も、「かたときも」あきらめず、どんな作家になろうかと、考え続けてきました。小説でなくてもいいとは思っていましたが、パズル小説®になるとは思いもしませんでしたが。

あ、仕事の時間です。続きは、週末に。リモート会議の準備します。

2020年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster