この世界は、いつから「先が見通せない時代」に突入していたのだろうか。
もちろん、見通すことなどできないとは、わかっている。未来は、いつでも「ヒミツ」だったはず。それでも「きっとこうなる」という未来図があった。
いくつか、「こうなるぞ」という図式が頭に浮かんできた。そして、多くのことは、意外性もなく、「さもありなん」という形で、収まっていた。
ところが、たぶん21世紀になったころから「意図的に流された情報」によって、いつの間にか「こうだろう」という常識めいたことが頭の中に居座るようになる。、
それゆえに「あ、こうだったのか」と、誰も知らなかった「現実」を突き付けられるようなことが、増えた気がする。いや、確実に、増えているはず。
すぎてから、わかることが、多すぎる。予想をしても、当たらない。
当たるためには、予想が「とてもありえないこと」にまで、及んでいなければならなくなっている。
具体的には、よくわからないが、量子力学でいうところの「観察してみなければ、怒ってみるまでは、重ね合わせの状態にある」ようだ。
一体、何が起きているのか。
私には、さっぱりわからない。わかろうとしたときに、正解がどうなっているのか、それが、まったくわからない状態におかれている。
これって、何なのだろうか。社会が悪いのか、自分が悪いのか、それとも、もともと世界が、不安定なものだったはずだ。
それを、観測することで、世界の出来事を事実としてを「固めてしまう」ことになった、ということか。
世界が、こうなっていたということを、誰も、知らなかった。知らなかったけれども、現実として、起きていく。どんどん、現実が進んでいく。
かくして、私は途方に暮れている。
いいかげん、大人になって、社会の出来事には、目をつむる、目を背ける、観ないようにすることが重要になっている。
でも、それでいいのか?
今夜も、世界を変えている、情けない現実を考えることをせず、ひたすら、宇宙論を、YouTubeで確認しよう。そうすれば、きっと眠れる。
明日は、墓参りの前に、仕事の企画書を書き終えてしまいたい。
