ハードルは、高ければ高いほど

いよいよ、渋谷で謎解きクロスの時代が始まります。受け入れられるのか、どうか。それは、正直、まだわかりません。

でも、ハードルは、高ければたかいほど「くぐりやすくなる」のです。堂々と、胸を張って、かがむことなく、その道を通っていきたいと思います。

本日の、一言でした。

さて、本題です。謎解きクロスと、直接的な関係はないのですが、もうすぐ「AI」についての電子書籍が発刊されます。電子書籍の場合、購入者へのサービスとして、pdfで何かつけるということが重要になるとのこと。

ずっと、何を贈呈すればいいのか、考えてきました。そして本日(正確には9月18日)突然に、ひらめきました。

アシモフのロボット3原則があるなら、AIの3原則もあるだろう。少し考えると、それは3原則では足りず、たぶん5原則になりそうな気がしてきました。

ユークリッド幾何学の公理が、5つだと思います。それで、5つあれば、過不足なく、AIの新しい時代を確立できるのではないか、と考えたのです。

これは、大変重要なことで、ネットで検索すると、2015年に、他の人が気づいて「人工知能3原則が必要」という論旨を展開していました。

でも、「たぶん3つでは足りない」というところで、終わっています。

私は、その続きを、考えなければなりません。

今年いっぱい、そのチャレンジをします。そしてきっと「謎解きクロスの作者が、AI五原則をつくった」と言われるようになるのです。

そうなったら、楽しいですね。

 

驚きの渋谷ストリーム

謎解きクロス・ファンのみなさま、お元気ですか?

2018年9月13日、渋谷ストリームがオープン。いよいよ、渋谷の街が、新しい時代の「世界最先端をいくエンタテイメントシティ」の姿の一端を、みせることになったのです。

渋谷ストリームには、連日、うかがっていますが、なかなかステキです。その理由の一つに「価格設定」があります。B級グルメではなく、ハイレベルな飲食店が多く荷もかかわらず、その価格帯が「手が届かない金額」ではありません。

ちょっとぜいたくすれば、いけるかな、という感じなんです。

素晴らしいですね。

そして、いよいよ。

いよいよ、2012年に生まれた謎解きクロスが、2008年に赤坂サカスでスタートしたミステリーウォークとともに、10年ごしの悲願となっていた「渋谷」の街で、行われようとしています。

2008年には、写真のように伊豆下田で、ミステリーツアーが始まったわけですが、ごく少数の特別な地域のみなさんが楽しむスタイルでした。

それが、渋谷では、変わっています。参加者は、それぞれ自分の責任で、のんびりと街歩きを楽しみます。そして、ごく自然に、とくに「ヒントを掲示」することがなくても、街そのものにある魅力が、そのままヒントになって、謎解きが進んでいくのです。

たとえばライブハウスで、こつこつと10年間、さまざまな運営のスタッフに、地域プロデューサーに支えられてライブをしてきたアーティストが、CDを作成したり、ネット配信を始めたりするのと似ています。

受け手がひろがるにつれて、一つひとつ、ライブで対応していくのにも限界がでてくる。それを補完するための仕掛けが必要になります。

もちろん、伊豆下田、信州上田など、元祖深谷でのミステリーウォークは、ライブ活動として毎年、進めさせていただきます。

でも、地域活性化が必要となるのは、元気な街になりたいのは、全国共通。ターゲットが広くなると、仕組みも、それなりの対応が必要となります。

渋谷では、商店街を紹介する「ミステリー小冊子」は作成しますし、個別の商店も、容疑者も登場しますが、そのみなさんに、ほんのちょっとのご迷惑だけで、渋谷の街を舞台とした謎解きが成立しています。

これまでのように、地域のみなさんに「運営」に参加していただき、学生さんに手伝っていただくという世界は、特別なことがない限り、実現するのは難しいとみています。

西小山で6年間もミステリーツアーができたのは、東急電鉄さんの手厚い支援と、目黒区さん、そして何よりも、地域の商店街のみなさんの熱意とご協力があったからのこと。

全国の、あらゆる土地で、それをお願いしていこうというのが、地域プロデューサーの方を探して、頑張っていただこうというのが、この10年間のチャレンジだったわけですが、そこで得たノウハウを、これからは、別なところに活用させていただきます。

具体的には、ミステリー小冊子は、たぶん、1万冊単位で「配布」されるものとなるでしょう。そこには広告が入るかもしれません。

新しい地域の活性化モデルが、実は、そこで進行しているのです。

これは、渋谷を中心に、これから進められます。

そして「渋谷スタイル」が、今後、全国のミステリーウォークのスタンダードとなることでしょう。

そんな、ステキな出逢いが、9月21日から10月21日に、渋谷で行われます。みなさん、ぜひ、この歴史的なイベントに、今後、全国から視察団が来て体験されるイベント、お見逃しなく。

 

謎解きクロスで、アマゾンが教えてくれたこと

謎解きクロスを展開する上で、アマゾンの存在は、とても大きいと感じています。いろいろあるのですが、とくに「ロングテール市場の存在」に気づかされたことがあります。

私にも、幸いなことに今もアマゾンで中古ではなく「新刊」が入手できるリアルな書籍が2冊あります。そのうち、一冊は、残念ながら私が自分買いしないと「順位」は動かないので、ロングテールでも売れてないことがわかります。

でも、もう一つの「コンサル業界本」については、だいたい5桁で推移しています。すなわち、毎日に1冊くらい、全国の誰かが買ってくれる。一年では300~400冊。それが3年経てば、1000冊になります。

これ、もの凄く「励み」になります。市場が、小さいけれども「ある」のです。ということは、そこに合ったコンテンツを提供できれば、広告はしないので爆発的には売れなくても、確実に「必要な誰か」の手にわたることを、私は実感できるのです。

謎解きクロスは、私が編み出すまでは誰もつくれなかったコンテンツ。そのコンテンツに、市場があるのか、どうか。それが知りたいという思いがあるわけですが、ロングテール市場が「ある」という事実が、私を勇気づけてくれます。

市場は、きっとある!

謎解きクロスの本は、100人に3人しか、大ファンになり、定期的に買ってくれるリピーターになることはないかもしれません。

でも、アマゾンに登場できれば、入手したいという人が、3万人くらいでてくる可能性があります。

一冊100円入手できて、3万人のみなさんに楽しんでいただけたら、300万円の元でがやってきます。その半分を投資して、いろいろな地域で謎解きクロスによるミステリーウォークができることになるでしょう。

そんな「とらぬ狸」の世界も、アマゾンが登場していなければ、100%、ありえなかったことです。

一方、私は池袋を発祥の地とする新しいタイプの書店「天狼院書店」に、大きな期待もかけています。ここで、謎解きクロスによる「オリジナルのこすてりー小説」を販売できるのではないかとみています。

これについては、今年はアプローチをしませんが、来年の4月までには、何らかのアクションを起こしたいと思っています。天狼院書店になるかどうかはわかりませんが、たとえば「特別な記念日に、500冊限定の、オリジナルの謎解きクロスを発刊する」というサービスメニューが、成立するかどうかという世界です。

年末までに「見本」をつくりたいと思っています。

本サイトでも、読めるようになるといいなぁ。

 

 

2030年の謎解きクロスに逢いたい

本当は、夜更かしをしたくなかったのですがね久しぶりに「朝まで生テレビ」を視聴。この番組、政治のジャンル以外は参考にならない気がしていたのですが「AIは人を幸せにするのか?」というタイトルに惹かれて、最後まで、お付き合い。

残念ながら、AIについて本質を知らない人、知っていてもマスコミ用に言わない人ばかりがゲスト出演していたので、話はあちこちにとび、「人を幸せにする?」という問いかけに応えられたゲストはいなくて、無理やり「労働の問題」にふっていくので、とても残念でした。

ただ、世間一般、マスコミはAIについて、どのような視点でみていて、どう理解したがっているのかは、けっこう鮮明になり、さすが、お年をめしていても、田原聡一郎さんは、今もって「取材」はしているのだなぁと、感心しました。

私も、AIについては一家言あります。それは、スターティアラボ社から電子書籍で出していただく予定の『AIと共にビジネスを進化させる11の提言
~超デジタル社会で、人間はどう生きるべきか~』という本のなかで、思う存分、語らせていただいてます。

で、朝まで生テレビのポイントは「人間と人間をつなぐコミュニケーション部分は、AIが苦手のジャンルで、万能に見えているディープランニングも進まない」というふたりなんですが、たぶん、ふつうの視聴者のみなさんは、議論の文脈から、そのような大切なことに、気づかなかったのではないかと思っています。

結論としては、こんなところ。

「ここ数年で、AIの世界標準のようなものが世界企業によってできてしまい、3周くらい遅れている日本は、出る幕がないので、敗北感はますます募るだろう。その結果、日本も、今日の世界標準である格差社会になり、ほんの数%の大金持ちと、生活できない、ギリギリのボトム層に分かれる。だから、単純な決まりきった労働で成り立つ仕事はAIに任せ、クリエイティブな仕事は、一部の大金持ち、テレビに出ているような選ばれた人々が行い(出演者は、みんな資産がある)最低限の生活を保証する社会システムの構築が急務となる」

まあ、こんな感じ。日本の教育は、平均値を上げる教育なので、いまの時代にはそぐわないというご意見など、ごもっとも。ただし、では、どうしたらいいかというときに、みんな、「今の自分のポジション=専門家」目線が強すぎて、ちょっと、共感ができませんでした。「俺たちは、スターで、特別な能力があるからここにいて議論しているのだけれど、この番組を観ている特別な能力のないみなさんは、スターの中からサポートしたい人を探して、代弁させることで、ちょっと、幸せになってよ」という感じでしょうか。

もともと、テレビ、ていうかマスコミは、上から目線であることは、間違いありません。

あ、シンギュラリティについて、もっとちゃんと議論すべきだったのですが、2045年の話など、視聴者には関係ないだろうという、ディレクターなのか、田原さんなのかのはいのょで、それぞれが「自分のうんちく」を語っただけで終わりました。

驚いたのが、みなさん2020年までに完全なクルマの自動運転ができているという主張をしていて、そこに反論する人が、誰もいなかった点。森永さんが、あの人も、いろいろ取材しているので、「反論」しようとしたら、コマーシャルの間に、話題がうつっていました。

私は、クルマの自動運転の定義によりますが、高速道路で、決まりきったラインをつづらおりのように、走っていくパターン以外は、2030年になっても、東京に自動運転のクルマが走っている社会は、こないと知っています。なぜなら、東京での自動運転の走行は、高速道路のような1次元の、サイバー空間に近いリアル世界で行われるのではなく、4次元の、とても複雑で、量子コンピュータクラスの処理速度のコンピュータがなければ走行できない、複雑極まりない、リアル世界の出来事だからです。

何が起こるか。目に見えています。東京のような場所に、リアル世界のまま、自動運転のクルマが入ってくると、昔の路面電車のように「ここのラインしか走行してはいけない」「首都高速スガイは、自動運転をしてはいけない」などというルールを作らない限り、「安全のため停止する」ので、あちこちで渋滞がおき、リアル世界の流通がストップするからです。

それに対して、鉄道のように「線路」と「駅」と「車両」で成立している交通網は、AIで対応できるので、2025年でも不思議はありません。

こういうことを主張すると、ステラのことを知らない。AIのことを勉強していない。グーグルが年間数兆円の予算で研究しているので、もうできている。知らないだけ、なんてことをいうかたもいますが、そりは真逆。

AI学者ですら、いまもってシンギュラリティらしきものが起きるリアル世界を9割の人が信じているという話を、「教科書が読めないAI」の先生がなげいてましたが(彼女は数学者でもあるので、AIの限界を知っている)朝まで生テレビに出演されたゲストのみなさんも、数学的なアタマの人はだれもいなくて、議論が比較的「9割の研究者」に近い形で進められました。まあ、マスコミなので、仕方ないのですが。

さて、ようやく、謎解きクロスの話です。

AIは、コミュニケーションが苦手です。そもそも、論理を超えるコミュニケーションは、何か計算して答えがでるというようなものではないので、AIに任せるわけにはいかないのです。その基本がわかっていれば、今日、AIについて行われている様々な議論の真偽、どれを信じて、どれを信じなくていいのかが、わかってきます。

2030年、東京では、自動運転の世界は、高速道路などの「特区」に限られます。ですから、一人でクルマに乗って運天する場合、都心の一般道を走っているときには、さまざまなセンサーで「安全・安心」を確保したクルマであることは当然なのにもかかわらず、目的地まで飲酒はできません。タクシーを拾ったら、何と「人間の運転手」が乗っています。無人ではありません。たとえ、あるラインではハンドルから手を離していたとしても、別のラインでは、交通状況によって「手動」に切り替えなければいけないからです。

で、すみません。また、ここで謎解きクロスが登場するのですが、謎解きクロスはコミュニケーションの促進に使われる、有効なツールとして、2030年も社会にいいポジションを占めていることでしょう。

2030年の、謎解きクロスが普及しているリアル世界の人々に、逢いたいなぁ。

 

 

謎解きクロスの、どこがお好き?

謎解きクロスの、どこが好きですか?

もし、アンケートをとったら、どんな答えになるのでしょうか。これは、開発当初から、ずっと考え続けてきた難問です。

謎解きクロスは、一見、ふつうのクロスワードパズルに似ているものの、実は、キーワードは「生のまま」文章のなかに嵌め込まれています。それを取り出して、クロスワードパズルのフレームに入れるところが、特長があります。言葉のジグゾーパズルなんです。

ですから、ターゲット、すなわち謎解きクロスを楽しんでいただける人は、いくつかのパターンに分かれると思っています。

まず、クロスワードパズルのファン。

次に、ジグゾーパズルのファン。

それらを包括して、パズル好きの人。

一方、問題が「文章になっている」ことから、ミステリー小説が好きな人が挙げられます。

ここまでが、謎解きクロス。それをミステリーウォークに応用すると、謎解きクロスによるミステリーウォークという、一つのジャンルができてきます。それが、本サイトで求めているターゲット。

机上で、謎解きクロスを楽しむ。ときには、好きな地域に行って、ヒントを集めながら、謎解きクロスを楽しむ。

ここで、どこにもでてこないのが「地域活性化」というテーマです。

謎解きクロスは、問題が「文章」になっているため、本のターゲットがテーマ別に広がっているように、あらゆるテーマについて、それぞれ謎解きクロスを当て嵌めることができるという汎用性があります。

広告にも使えると、パンフレットにも使えます。

え? なんでわざわざ、ふつうの文章を謎解きクロスに直さなければいけないの?

「そのほうが、受け手が楽しめるから。自ら、文章を読めるからです」

と、考えていたのですが、ここ2年くらいは、謎解きクロスにおいて、「文章を読む」ことは、必ずしも必要がないという事実に、直面しています。

キーワードだけ拾えば、それで謎解きクロスの解答は、出てしまうのです。

そこで、ミステリー小冊子では、さらなる工夫を発見しました。すなわち、謎解きクロスを解くだけでは、ミステリー小冊子の解答は不十分。そこから、「真犯人」を推察することが、最終の目標になります。

ですから、問題を「キーワードだけ拾う」としてしまうと、真犯人がわからなくなるのです。

竹早高校の同窓会会報に、謎解きクロスを採用していただいたとき、文章があるクロスワードパズルということで「文章のおもしろさ」にも、評価をいただけた。それが、今日、私の創作意欲を支えてくれています。

文章が面白ければ、キーワードだけひろうのではなく、全部、読んでしまうのではないでしょうか。

というわけで、私の「文章修業」は続きます。

みなさんは、謎解きクロスの、どこがお好きですか?

もう止められない、謎解きクロス

クリエイターにとって「あれは、私が開発しました」といえる作品を生み出すことが、人生の目標であり、かつ、プロセスのすべてなのです。

しかし、何かをゼロから生み出すのは大変です。そこで、既存の技術なり、作品なりをベースとしながら、誰も気が付かなかった世界を作り上げることを目指します。

謎解きクロスの場合、クロスワードパズルというスタンダードがあり、そのプラットフォームに、コバンザメのようにくっついて、成長してきました。そして、ある意味で、サメを超えて、新たな境地を切り開いたのです。

その副産物として、ミステリーウォークがあります。

地域を元気にしたい。しかし、それは並大抵のことではありません。そこで、ミステリーウォークが登場したわけですが、「誰も死なない、エログロ禁止のミステリー」という新ジャンルの登場が待たれていました。だって、商店街を活性化するのに、やり誰が死んだの、嫉妬して罪をおかしたなど、やっぱりそぐいません。

どうしても、暗号を解くような構造が必要だった。

そうして生まれたのが、謎解きクロスなのです。ですから、殺人事件はなく、人を活かす活人事件になりますし、パズルを解くこと、暗号を解くことが、真犯人につながるのです。

容疑者も真犯人も、みんないい人。街は、いい人で成り立っています。いい人たちが、いい人として出会う。それが、ミステリーウォークの街となります。

この新しい潮流は、すぐに、みなさんに受け入れられるコンセプトではありませんでした。100件プレゼンして、採用していただいたのは15エリアほどでしょうか。でも、問題は数ではなく、採用してミステリーウォークをしてくれたエリアがあったという事実。それが私を支えてくれました。

そして、遊んでくれたみなさんの、はじけるような笑顔。

「あ、作家の方ですか?」

「そうです。廣川です」

「サインください」

私の書いたミステリー小冊子を、そっと差し出すファン。そんなステキな体験をくれた謎解きクロスとミステリーウォーク。普及の入り口に立つまで、10年かかりましたが、もう、このブレイクは止められません。

みなさん、ぜひ、作者と一緒に、謎解きクロスが、どのようなプロセスでブレイクしていくのか、楽しんでください。

写真は、観光庁の「タビカレ」で日本一をいただいた「喜多方古代文字ミステリーウォーク」のヒト場面。廣川の隣にいる高橋さんは、「謎解きクロスは、きっとブレイクする」「郡山で、岡さんと廣川さんと三人で飲んだときが、私の人生で、もっともわくわくして、楽しい時間でした」と語ってくれました。残念ながら、すでに鬼籍に入られていますが、きっと喜多方の空から、東京を眺めてニコニコしていることでしょう。

「ほら、言った通りでしょう」

さて、明日から、ヒアリングに入ります。街の魅力を、どこまで謎解きクロスに反映できるか。戦いの日々は続きます。

 

自分に責任を課す、成功の法則

昨夜、永遠の若大将・加山雄三さんがNHK「Songs」に出演。幾多の「信じられない人生の岐路」を経て、81歳の今日も、明るく元気に歌をうたっている「理由」を「他人のせいにしないから」「どん底を何度も経験したけれど、いつも自分の責任だと思ってきたから」と語っていました。

謎解きクロスについて、私は、同じことを考えていました。

誰にも頼まれていないのに、すなわち「お金にならない」のに、役立つと信じて、謎解きクロスを極めてきました。もちろん、その間に仕事をしなければ家族を支えることができないので、仕事は人の倍くらい、してきたと思います。

そんななか、週末作家として企画書をつくり、いろいろな人に会いに行き、謎解きクロスによるミステリーウォークの実施をお願いしました。沖縄にも自費で行き、苫小牧には全国屋台村連絡協議会の中居会長から交通費を支援していただいて、かけつけて、屋台村での採用をお願いしました。

驚いたのが、結局、謎解きクロスの構造とミステリーウォークのミッションを伝えきれず、中居会長の八戸の屋台村以外、採用していただけなかったこと。2006年から関わってきた深谷市の「ふっかちゃん横丁」も、自費で週末り達人・小石雄一さんと飛んだ沖縄の「国際通り屋台村」でも、お金は全国屋台村協議会から補助金として出すことになっていたのに、何のリアクションもありませんでした。

大好きな台場一丁目商店街で、せっかく700人もの人が楽しんでくれたのに、1500人の予定だったために、打ち上げにも反省会にも声がかからなかったときも「何もないところに、700人も遊んでくれた」と考え、閉鎖型施設では、もっと運営が楽な仕組みがあるのでは? と、頼まれもしないのに、研究を続けてきました。

そのとき、私は自然体で、謎解きクロスを採用しなかったみなさんの「理解力と感性」の問題だ、などと思っていませんでした。これが10年前でしたら、そう思って切り捨てていたことでしょう。捨てることで、関わりを断ち切ることで、自分の不徳を押さえつけていたのです。

これは、謎解きクロスの仕掛けに、何か原因があるかもしれない。もっと進化する要素がみつかるかもしれない(実際、謎解きクロスのバリエーションは広がり続けています)。ミステリーウォークの運営の負荷が、二の足を踏む結果になっているのかもしれないと考え、考察を続けてきました。

そして、一昨日、その姿勢が功を奏し、決してあきらめない姿勢を貫けて、責任は自にあると、自身を叱咤激励し続けてきたおかげで、大きなプロジェクトに参画させていただくことができました。

まだ、何も始まっていませんが、私は、10年間、いつも自分責任論で謎解きクロスやミステリーウォークの完成を進めてきましたので、波のクリエイターではできないことも、たぶん、苦にならずに結果が出せると、自信がみなぎっています。

来週、ヒアリング。

再来週、原稿作成とチェック。

そして、9月10日には、あらゆる仕掛けがスタートし、印刷所は回転し始めています。パンフだけで、5万部から10万部を配布しますしミステリー小冊子も5000部から10000部、配布します。

印刷も運営も、すべて、私の責任で進めるプロジェクト。自分で自分を褒めたいところは、通常なら3ヶ月、どんなに早いプロダクションでも6週間はかかるイベント準備を、クリエイティブから印刷まで含めて、たった3週間で実現してしまうことでしょう。

私は、いつも他人のせいにしてこなかったので、どんな事態が発生しても、責任の取り方がわかっています。失敗は、たくさん重ねて、そのたびに対応策を練り、実行してきましたから、何も、怖いものはありません。

本ブログで、このプロジェクトをご報告できる日が、やっと来た事。本当に、支えてくださったみなさまとともに、喜びたいと思います。

みなさん、ありがとうございました。

 

商店街のみなさん、ごめんなさい!

このところ、毎日、謎解きクロスを使ったミステリーウォークの企画を詰めています。そのなかで、ちょっと反省しなければと思っていたことがあります。

商店街のみなさん、負担をかけて、ごめんなさい!

いきなり謝罪となりました。というのも今、課題となっているのが、商店街の負荷の件なんです。

これまで、2008年のスタート時から、私は「ミステリーウォークは、地域のおもてなし」と言い続けてきました。

しかし、2008年に150名もの市町村の代表に「地域は、来街者に、おもてなしをしてほしい。そのための、謎解きになる」と言い続けてきました。その結果、市町村から、オファーがきた件数は、10年間で、1度もありません。

何ということでしょうか。

私は、今、方針を大転換しなければいけないと感じています。この10年間で、ミステリーウォークを実現できたところは、民間企業である東急電鉄さんの紹介と手厚い支援によって実現したのは、伊豆下田、西小山、目黒区、信州上田など。

同じ信州で、松本市だけが、たまたま私が講演させていただき、副市長と懇親会で意気投合して、予算をつけてもらったというトップダウンの一例だけ。

遅ればせながら、10年も事業を続けていると、さすがに「理由」がわかってきます。

たぶん50人、いや100人、いや講演をいれると500~1000人もの、市町村の担当者に「おもてなしの街になりませんか?」と問いかけてきました。

でも、それは首長ではなく、みんな現場の担当スタッフを相手にしていた。だから、決定権がなく、誰も本気でミステリーウォークをしようなどと思わなかったということなんです。

とくに運営が面倒なミステリーウォークですから、なかなか、行政スタッフさんが「やろうよ」ということには、なりません。

喜多方では、一人、行政スタッフの方が頑張ってくれましたが、観光庁のイベントで「古代文字ミステリーウォーク」が「日本一」に輝いたにもかかわらず、観光庁の補助金がでなくなったら、自律的に「おもてなしの仕掛け」を採用することはありませんでした。

私は、お払い箱になったのです。

一方、商工会議所さんがからんでくれる地域は、続いています。ビジネスとしてみても、ミステリーウォークの効果は、なかなかのものがありますから、商工会議所さんとの相性は、比較的いい。

上田商工会議所、下田商工会議所、いずれも持続的に、謎解きクロスによるミステリーウォークを続けてくれています。

深谷商工会議所は、別な形ですが、2003年から続いてきたミステリーによる街歩きの「灯」を消すことなく、努力してくれています。

で、今までの話は「企画」と「運営」と「事務」の問題なんですが、それに、地元商店街の協力が得られるかどうかという問題があります。そのときに「街全体を考えて、おもてなしをしてください」と、商店街のみなさんに、お願いするのです。

とともに、寄付もお願いします。

そのような負荷は、私は、街の活性化のためにも必要だという認識でした。しかし、本当にそうでしょうか。

商店街のみなさんは、今まで通りに商売に専念してもらい、それでいながら、地域の魅力が浮き彫りになる方法はないのでしょうか。

参加者が、自ら、歩いて、謎を解いていく。そのとき、「商店街のみなさんには、ぜひ、街を代表して、おもてなしをしてください」と私は、いつもいつも、得意げに「お願い」をしていたわけですが、それが地域活性化の「ツボ」だと言い続けてきたのですが、それって、本当なのかという疑問がでてきたのです。

苦労して、商売をしている商店街のみなさんに、どこまで負荷をかけていいのか。自分の商店街のイベントだから、強力するのは当たり前。地域に来た人だから、おもてなしをするのは当たり前。

ちょっと、待って。

10年も、言い続けてきた私は、最近、人のいい商店街のみなさんに、負荷をかけすぎているのではないかと、気になっているのです。

商店街のみなさんは、これまで通りに、ふつうに商売をしていていただく。それなのに、いつの間にか街のブランド価値が上がり、やってくる人たちが増え、ものを買ったりする人も増え、活性化していく。

ミステリーウォークには、そんな役割も課すことができるのではないかと考えるようになったのです。

商店街の店舗には、まったく負荷をかけない問題が、待たれていると、ようやく気付いたのです。これまでも、商店主さんから、そのようなことわ言われたこともありました。

「とても、お手伝いしているよゆうはない」

西小山でも、祐天寺でも、学芸大学でも、信州の温泉街でも、そのようなことを聞きました。でも、私が一生懸命に「おもてなし」のことを説くので、街全体のために、人肌脱いでくれることも。

でも、運営はつらい。お客様がこられても、そうそう、目立った売上になるわけではありません。そこで「1年に1度にして」という声があがります。私の展開していたミステリーウォークは、「おもてなし」が日常活動であるにもかかわらず、現場では「1年に1回」しか、できないものになっていたのです。

そこで、今、謎解きクロスをフル活用することで、参加者が「自律的に」街歩きをして、商店街のみなさんは、特別なことをしないでいいパターンを研究しているのです。

かつて「京都」でミステリーウォークをしようとね実業之日本社にいた荻野さんと企画していたことがありましたが、その復活です。

街も人も、そのままでいい。

参加者のほうが、謎解きクロスで変わるのです。そして、自ら街の魅力を感じていく仕掛けです。

これはまだ、検証はできていませんが、これからの謎解きクロス&ミステリーウォークは、商店街のみなさんへの負荷を、極力減らす方向で進めていきたいと思っています。

参加者が、自律的に謎解きをして歩く仕掛け。

秋までには、編み出します。

各駅停車に彩を添える謎解きクロス

信州上田で、今年もミステリーウォークを推進していただけるとのこと。本当にありがたい。その打ち合わせとともね、残暑が終わって、すでに秋の気配が漂う信州に行き、しなの鉄道の観光列車「ろくもん」に乗ってきました。

上田に通い始めて、7~8年となりますが、いつも新幹線。特急も、高速バスも使ったことがありませんでした。

今回、しなの鉄道を満喫するという目的があったため、ふと思い立って新幹線をやめて、JRとしなの鉄道でけの、しかも快速は使うものの、ほとんど各駅停車で、行ってきました。

本を、一冊、読めました。

行きは、途中でJRの横川駅から軽井沢駅まで鉄道が途切れてJRバスとなり、待ち時間が1時間半ほどあるという、驚きの路線だったこともあり、新幹線なら軽井沢まで1時間半、しなの鉄道は待ち時間を入れて1時間半、計3時間で到着するはずが、朝9時に出て上田到着は16時なので7時間かかりました。

この3時間と、7時間の差を、どう考えるか。それが、人生に対する姿勢、価値観、すべて関わってくる哲学的な問題だと、7時間の間に思い当たりました。

新幹線指定席で行くと、3時間、仕事ができます。

各駅停車でいくと、座席の関係で、満員で立っていることもありますし、ふつうの座席で仕事モードは難しい。なので、いきおい、のんびりと読める本を持ち、読んでは考え、考えては読み。ときどき疲れて眠くなると、うつらうつら。それは瞑想のように、いろいろなことが脳裏に浮かんで消えていきます。

帰りは、行きと横川駅での待ち時間が1時間違うので、家まで6時間。新幹線の倍の時間。

ところが、どっちが充実しているかというと、各駅停車だったんです。驚きました。

これまで、3時間のところを6時間もかかったら、「無駄な時間」をすごしたと思ってしました。

でも、考える時間というのは、人生にも、仕事にも必要なんです。とくにコンセプトデザインという、わけのわからない先駆者の仕事をしている私が、考えることができなくなったら、アイデアを生み出せなくなったら、もう仕事はありません。

各駅停車は、ものを考えるのに、ちょうどいい。

新幹線や特急は、考える場ではないのです。身体がビューんと走っているので、思考が、後ろに取り残されてしまいます。

とくに謎解きをするには、各駅停車で、時間を気にせずに、じっくり考えられるというのは、適しています。

途中で、接続のために30分とか、駅で待ちます。これも、無駄ととらえれば、それまで。

人生において、無駄な時間は、どこにもありません。休んでいる時間も、仕事をしている時間と同じ、貴重な人生の時間なのです。

ああ、そういうことも、今まで気づかずに、ひたすら新幹線で目的地に行く。行ってから、すぐに人に会う。打ち合わせをする。そんなパターンで生きてきました。

なんだか、待ち時間があると、損した気分になるのです。たとえば、接続の時間が少なくて、走って、目の前でドアが閉まって、間に合わなかったとき。次の電車が15分後だと「ああ、何でもっと早くは知らなかったのか」と悔やみました。かつては。

50代あたりから、身体が動かなくなったので、また急ぐと足がもつれたり、階段を踏み外したりするもので、あまりあわてなくなりました。それでも、目の前でドア゛が閉まると、

「閉めたな! なんてこった」

と、あろうことか運転手の肩に悪態をつく自分がいました。

それが、これからは違います。もし。目の前でドアが閉まって、乗れなかったら「あ、時間をくれてありがとう」と、運転手さんに感謝できる気がします。

各駅停車は、そんなことを教えてくれました。

ちなみに、各駅停車の旅では、謎解きクロスの本が売れると思っています。きっと。それを意識して、問題を作りたいなぁと思っています。

 

世界が、微笑みかけてくれた日

みなさんは、覚えていますか?

自分が生まれた、この世界が、少なくとも「自分の自由にはならない」とわかったときの、衝撃。たぶん、小さいころの話でしょう。私の場合も、たぶん、小学生。五年生のような気がします。

でも、まだ心のどこかに、もう少し大きくなれば、大人に近づけば、もっと別な自分になれると思っていました。

そして、時はながれ。

ひょっとしたら、高校生のときかもしれません。自分が、世間でいわれている天才のような「特別な頭」をしていなかったとわかったときの衝撃は、忘れません。

大学生のときにも、衝撃はありました。結局、この世界のなかで、自分の居場所がみつからない。ここで「居場所」とは、いわば自分のために用意されている「特等席」のこと。

私の人生では、どこにも、特等席はなかったのです。だから、ゼロから自分で関わり、自分の人生を自分で切り拓かなければいけなかった。誰も認めてくれませんでした。

そうしてまた、時はながれ。

あっという間に、50歳になっていました。そこで書いた本が「週末作家入門」です。そのとき、私は「すでに作家なのではない。夢みるころはすぎたけれど、これから作家になる」と宣言しました。

そうして、さらにまた、時はながれ。

今、少なくとも「謎解きクロス」という世界は、つくることができました。私のことを作家と呼べるのかは、「新しい創作物を生み出したかどうか」にかかっていると思っていました。

私は今、自分でも、作家になったんだと感じています。時はながれましたが、よく努力もしました。そしてたくさんの人に逢い、助けられ、助けて、ここまできています。

9月19日、私は、久しぶりに、週末の達人である小石雄一さんの主催する講演会で講師を務めます。

自分が、週末作家として何を生み出してきたか。人生のなかで、ものをつくること、原稿を書くことは、どんな意味をもっていたか。そして今、どこに向かおうとしているのか。

みなさんとシェアしたいと思っています。

遅れてきた作家。廣川州伸。これから、まだまだ、たくさんの作品を書きたいと思っています。

この世界が、自分にも、微笑みかけてくれる日を求めて。