■快人五面相の誕生
いくら愛する江戸川乱歩先生の『怪人二十面相』の著作権が切れているとしても、それをそのまま活用するのは忍びない。作家魂が、泣く。
謎解きクロスもパズル小説も、ただの言葉ではあるものの、その背景には『まだ誰も生み出したことのない作品を創造する』という大志がある。
私も江戸川乱歩先生を尊敬し、恩を感じてはいるが、ただの隠し芸で終わりにするわけにはいくまい。これは人としての品(ひん)格の問題だ。
たとえば遠い外国、孤立する島に10名の仲間が集められる。
そこで謎の図画に書かれた暗号の通りに、次々と殺人が……。
登場人物が、それぞれ知恵を出し合って実業家美人のお供を守ろうとするストーリー。殺されるときに何か合図をしている死体。
晩餐のシメに食べたもやしソバも、きっと何か意味があるのだ。ただ、いくら秀逸なミステリーを書いても、その根本的な謎解きのコンテキストが、あの作品に似ていたらアウトだろう。アガサ・クリスティの作品と設定が似ている。
それは狸のすること。モノマネであり、これでは日本国内で通用しても、外貨を稼ぐことはできない。
檸檬という短編で、梶井基次郎は富士山の形ではなく重さを語った。作り物の模型などにはない大自然の重さ。
暖をとる火鉢は、布で包めば持ち運びができる品(しな)だが、冨士山は動かない。運べない。その重さを感じたいという梶井基次郎。
そこで登場するのが、怪人二十面相ではない真逆のキャラクター。それを私は快人五面相と呼ぶことにする。彼の好きな音楽はジャズではなく演歌だ。
事件を起こしては、ゴメン、ゴメンと謝る、気が弱いスーパースター。それがパズル小説の主人公なのである。