台風の目になりたい

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最近は、あまり耳にしませんが、かつて「番狂わせ」をするかもしれない個人やチームを指して「これは台風の目になるかも」という話を、よく聞いた気がします。

最近、耳にしないのは「台風で災害に遭った人たちの気持ちを逆なでする」として、炎上するからかもしれません。

今、ネットの世界では炎上ばやり。日常生活で怒りが満ちているのでしょうか。ともかく「そんなことで?」という内容でも、私たちは怒ります。私も、待ちを歩いていると怒ることは一度や二度ではありません。何をしても、人が多いので「あれ?」という人たちがいます。一人でも変な人はいますが、ちょっと数が増えると、とたんに豹変することがあります。

たとえば、二人か、せいぜい三人しか通れない歩道を、スポーツバッグを下げた若者たちが、列をなしてやってきます。そんなとき、みなさんはどうしますか?

自然に、道を譲るのがエチケットのような気がしていましたが、50人くらいの集団が歩いてくると、立ち止まり、道のわきに出て通り過ぎるのを待つのが、ふつうのようです。

でも、昔の人間の私は、体力がなくてケンカが弱いにもかかわらず「大名行列じゃあるまいに」と怒り、そのまま前に歩いていきます。すると、恐ろしいことに「話に夢中で前をみていない者」や「スマホに夢中で前をみてない者」が多数派。

当然、ぶつかります。私は、そういうときには必ず膝が出ます。手を出すわけにはいかないので、膝を挙げて腰のあたりを弾き飛ばします。当然、何人か、倒れます。そしてようやく、何が起きたか気が付くのです。ぶつかるまで、気が付かないなんて、おかしいですよね。

私に、再び怒りがこみ上げてきます。

あ、もちろん相手が女性の場合は、そんことはしません。車道に出て、対向車を停めるか、大きく蛇行してもらって、しのぎます。

でも、怒りは収まりません。

そういうことが、最近、とくに増えている気がしています。そして、私の怒りが伝わると、みんな「すみません」と謝るのかと思ったら、何か不思議な生物でも見るように、驚いた顔で起き上がり、さっさと逃げていきます。その後ろに列を作っていた若者たちも、さすがに気づくのでしょう。無言で、なんとなく2列が1列になります。私が歩いている間だけですが。

つい最近、駅のホームでのこと。カギのついたキーホルダーのようなものを、高校生が落としました。気づかずに(そう見えました)友だちと話しています。友だちも、気づかなかったようです。

拾って、「落としたよ」と渡してあげたのですが、顔に何の変化もなく、ただ、受け取ってポケットにしまいました。

まあ、ありがとうございますと、喜んでくれると創造していた私が、甘ちゃんでした。

今まで、電車の中でスマホを落とす人がいて、何十台と、ひろってあげました。お礼を言われたことは、本当に少ないです。これ、老若男女、そうなんです。拾われたことを、よろこんでいないというのが、顔でわかります。

一体、世間で何が起きているのでしょうか。

何が、私たちを、つまらない人生に引き込んでいるのでしょう。道を歩いていて、ぶつかりそうになったら互いに避ける。ぶつかったら、互いに謝る。落とし物をしたら拾うし、拾われたら感謝する。

そうすることが当たり前の車かいのほうが、私は居心地がいいし、楽しいのですが、「かかわりになりたくない」という人にとってみたら、拾ってくれる人も、さわりたくない相手なのでしょうか。

そんな、うっぷんだらけの現実社会に対して、たとえばメイド喫茶にいけば、何でもかんでも尽してくれるし、キャバクラに行けば、つまらないおしゃべりにも、よろこんでくれる。

そして、そこにお金が介在する。

一体、誰が、そんな社会を目指したのでしょう。

というわけで、小さな怒りが連なって、大きな怒りを忘れるようになっていると、私はみているのですが、どうでしょう。

ところで、台風の目になりたい、と思った私は今、謎解きクロスを全国区に広げようと必死であがいています。なので、台風に備えているみなさんには、ちょっと申し訳ないのですが、台風が来ていることが、実は、とてもうれしい。

これは、散歩しながら、思ったことです。

謎解きクロスは、ミステリー界の台風の目になるかもしれない。今、本気で、そんなことを考えています。