インバウンドも謎解きの時代に

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昨夜、JTBの大谷さんと、北千住で一杯。二杯。三杯。そのあとは忘れましたが、楽しく旧交を温めさせていただきました。

大谷さんは、謎解きクロスの「最初にアイデアをくれた人」として歴史に残っている方です。

2009年、千葉県でミステリーウォークを展開しようと、大谷さんとJR大原駅に向かう外房線の車内で、打ち合わせ。そのとき彼が

「ぼくは、クロスワードが大好きなんだけど、謎解きの問題をクロスワードでやってくれませんか?」

といいます。私は、難題が大好きなので、ひとまず

「それ、面白いですね。できると思います。考えてみます」

と応えました。その数週間後、勝浦で初めて「クロスワードパズル」の暗号を解くミステリーウォークが行われ、180名くらいのみなさんが楽しんでくれました。

ちょうど、チリの地震で津波が勝浦まで押し寄せた時。翌年に東日本大震災があることを、まだ知らなかった私は、生れて初めて、川の水位が1メートルほど減ったあとで、3メートルほど高まって、川からあふれそうになる「津波」を観ました。

地元の古老によると、50年前にあった津波は、川の堤防を超え、水の高さは2階近くまでいったとのこと。

1年後、銚子の旭市(旧飯岡)で同じような波が来て、海に近い一軒家が100棟近く、海にもっていかれたのですが、その痕跡を確認。私が、財団の仕事で忠鉢先生に会いにいったときに打ち合わせをした喫茶店は、幸いなことに一階部分の天井近くまでの浸水ですみ、建物をもっていかれることはありませんでした。

そのとき、私は勝浦で、津波を観に行った行為を恥じ、すぐ高台に逃げなければいけなかったと反省していたのです。こういうことがなければ、自分だけ大丈夫、せっかくなら観たいと思ってしまうのですね。

そう、いずれも東日本大震災前の出来事。日本の社会は、東日本大震災の後で大きく様変わりしたわけですが、私が大谷さんに謎解きクロスにつながるアイデアをいただいたのは、2009年だったのです。

あ、昨夜。北千住に私は、2006年に深谷に向かう高崎線の中で「探偵@ホームズの事件簿」の企画書を書き、ミステリー作家の故・伊井圭さんに見せていました。そのときの企画書が廃棄資料の山から出てきたので、廃棄せず、大谷さんに見せたいと、もってきたのでした。

私は、少なくとも2006年冬の段階で、自分が深谷宿ミステリーツアーを受け継ぐこと、いずれICTを駆使した展開で、謎解きをして、「探偵@ホームズの事件簿」を書きあげることを(まだまだ道半ばですが)夢見ていたのです。

そんな大谷さんが、今度は、こんな話をしました。

「インバウンド、とりわけ中国人が楽しめる謎解きクロスを考えてください」と。

中国語は、私にはわかりません。でも、中国語が書けて、日本語がわかる人はたくさんいるので、一緒につくればいいというのです。

インバウンドについては、一昨年の3月に、神奈川県の黒岩知事に謎解くクロスによるミステリーウォークを提案させてもらったとき、

「インバウンドはできないの?」

と指摘され、英語版の謎解きクロス5×5のアルファベットのインデックスを、3日かけて作り上げたことがありました。

その後、元講談社の敏腕編集長だった和泉さんからも、同じ指摘をいただきました。大谷さんで、3人目。

私の直観では、プロデューサーが3人も「インバウンドに向け謎解きはイケル」と指摘したのですから、いけます。

英語の次は、中国語?

中国語を書ける日本人、ないし日本語にも詳しい中国人の友人を探して、企画を詰めなければ。大谷さんによると

「インバウンドで謎解きができるのは、あと2年くらい」

だということです。急いで、行かなくちゃ。