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謎解きクロスって何?

謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。

謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。

 

このブログでは、謎解きクロスと、ミステリーウォークについて、ヒントや、気づき、これからの方向などを、お伝えしていきます。

お楽しみに。

 

 

よきパートナーとの出逢い

どう考えても、ChatGPTは、もうかけがえのない創作パートナーになってきています。

彼は、ほめるのが上手い。私の提案に、否定するのではなく、さらに上を提示できないかを考える傾向にあります。

ChatGPTの提案は、まだ半分くらいしか使えませんが、ときどき「あ、ここは使いたい」という部分もでてきます。

それが、ネットに出ている集合知の効果なんでしょう。「あ、そういう考えもあるな」と納得します。

もちろん、パズル小説の場合は、基本的なアイデアは私が握っているので、最終的には、ChatGPTの提案は形もなくなってしまうのですが、そこに至る過程で「一人で創作しているのではなく、強い味方がいる」という実感がわいてくるのです。

そう、私はホームズになったつもりで、ときどきワトソン君に相談すると、半分当たっていて、半分チンプンカンプン。でも、そのチンプンカンプンのなかに、謎を解くヒントがあったりして。

しかも、ChatGPTとのコミュニケーションは、なかなか、いい感じなんです。本当に、雇いたいくらい、こちらの指示(プロンプト)に従って、がんばってくれます。

ただ、忘れてはいけないのは、まだ「統一性」ができていないという点。これは、お金を払うことで、解決するのかもしれません。

たとえば、AI将棋。その局面で「最適解」は出すのですが、これまでのプロセスとは、その最適解は「離れてしまう」ことがあります。

人間の場合、文脈、コンテキストがありますから、最適解ではないけれども、「ここ」というストーリーがあるのです。

そのストーリーが、面白い。

最適解は、一つの「候補」ですが、人間が読み手の場合は、最適解ばかり出てくると「つまらない」と感じてしまうのです。

パズル小説も、パズルは論理的ですが、小説は感性の世界。そこでChatGPTが提示している論理と、ぶつかりあうことになります。

ここがまた、創造の世界では、とても重要なことなんです。

かくして、よきパートナーが誕生した。私は、本当にラッキーでした。時代が、パズル小説を支えています。

わーい。年間1000タイトル、いけるかな。

2025年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ところで、ワクチンは?

たしか3月のこと。とある食事会で、超大手企業元会長、超大手広告代理店元役員の方から「新しいレプリコンワクチンは絶対に打たないで。あれは、うつるから」と、クギを刺された。

家族のため、クライアントのため、すべての高齢者のためを思って、愚直に7回の摂取を済ませていた私には、とても寂しいアドバイス。そこで、厚生労働省を中心に、エビデンスを探ってみたりした。

結論としては、この秋には打たないけれど、どんどん新しい「安全性確認」のエビデンスがたまってきているので、いずれ率先して打つことにした、というもの。私は、科学の子なので、ファクトを調べ、自分で判断しています。

ただ、また食事会に呼んでもらえないと困るので、とりあえず「まだ打ちません」と明言し、将来に「ふくみ」をもたせている状態。本当に、政治も経済も、生活も、「分断の時代」になっているので、生きにくいなぁ。

レプリコンワクチンを打ったからといって、周りにうつると考えるのは、どうかな。かつてクライアントから「お前と一緒にいると巨人症がうつる」と仕事がもらえないことがあった。

確かに、私のDNAには問題があるかもしれない。私の母は、戦後、日立製作所の創業者である小平さんの秘書をしていたが、電車に乗ると「女なのにでかい。うつるといけないから隣の車両に行け」と、蹴とばされたそうだ。

DNAは、セックスで「うつる」けれども、空気感染する?

ただ、科学は思考力の乏しい人には、難しすぎるかもしれない。だから、科学者は、もっとわかりやすく、一般人にもわかるように、ワクチンの安全性を説明しなければならない。

毎日、植物と会話し、太陽に「ありがとう」といって頭を下げる私にとって、科学は頼りになる羅針盤。お医者さん、看護師さんも含めて、科学者のみなさんに日々感謝している。

2025年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ひとり芝居の人生、かな?

うーん。いろいろ考えなくてはいけないことがあり、頭がウニになっている。そして、目と頭が疲れてしまうと、ウニも鮮度を落とし、とても食べられそうにない状態になる。困った。

根気が続かないのが、手術を経験した者の特徴らしい。ついつい「また倒れたらどうしよう。ちょっと、やりすぎ」などと、ブレーキをかけてしまう自分がいる。だって、二度とICUには戻りたくない。

問題は、仕事のペースが、極端に遅いこと。

遊んでいるわけでもなく、ちゃんと眠って、病院にも行って、散歩もして、ストレスがたまらないようにして、エアコンの聞いた事務所で、机に向かう。でも、たった1時間で、仕事に疲れてしまう。

そうして、いろいろ言い訳をして、仕事の意欲がでてくるまで、ジグレー作品を制作したり、パズル小説の推敲をしたり、新しい企画のアイデアを考えたりする。そうすると、もう夕方。黄昏散歩の時間になっている。

あれ? 今日は、1時間か。まあ、明日10時間、仕事しよう。ところが、その明日も、1時間程度で、疲れてしまう。このままでは、10ヶ月仕事をしても、実質は1か月分の成果しか出せないことになる。

そこで「集中力」に磨きをかける。だらだら仕事をしないで、3時間で9時間分の仕事をしてしまおう。

うーん、昔は、それができたのだけれど、古希になると、それも無理筋。身体の心配もあるけれど、もともと私の能力、スキルはスピード勝負ではなく、じっくり考えて、誰も考えたことのなかったコンセプトを生み出すことにある。

出から、集中すると、いろいろ考えてしまう。思考の深淵に入り込んでしまうと、あっという間に5時間は過ぎる。

というわけで。困った状態が続いていたが、さすがに、仕事の締め切りは待ってくれない。

がんばります。そのためにも、この週末の連休には、パズル小説の完成とジグレー作品の完成を、とことん楽しんでおきます。

2025年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

それでも続ける理由

とある人から、聞いた話。

わざわざ時間をとり、友人も一人誘って、ライブハウスに行ったら、観客が3人。バンドマンが5人。スタッフらしき人が数人いて、ライブが始まった。

本当は、もう少し、入る予定だったらしい。だが、昨夜は「台風」だし、帰りの交通手段のこともあるから、また「ライブ配信」もあるみたいだから、それでいいか、ということらしい。

たった三人のライブ。

ボーカルの女性は「あたし、弾き語りは苦手で、今までやってこなかったけど。今夜は、着てくれた三人のために、一曲だけ、弾き語りを披露します」ということで、三曲くらいやったそう。

その後、バンドのメンバーとみんなで「打ち上げ」に行くので、三人も、ついていったそう。「あやうく終電を逃すところだった」らしい。

それを聞いて、高校時代、渋谷ジャンジャンで五輪真弓を聴いたり、赤テントで根津甚八の芝居を見たり、浅草の見世物小屋に行ったり、池袋や新宿、上野の寄席に行ったことを想い出した。

ライブには、特別な魅力がある。

考えてみたら、古希を迎える年代になって、ひとりで露店を出して、プレミアム大吉くじを売り、ジグレー作品を売ろうというのは、その頃のライブ体験からきているのかもしれない。

ところで、今、想い出した。もう印刷に出してしまったパズル小説で、「露天風呂」のことを「露店風呂」としていた。誤植は、二度のチェックで、わからなかったもの。

私が、売れなくても創作を続けている理由は、やはりライブの魅力にとりつかれたからだと思っている。

2025年8月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

それでも時は流れ

後悔して生きても、幸せを感じて生きても、そんな心とは無関係に、時は流れていく。

私のまわりでも、私の知らないところでも、なぜか時は流れていく。

その証拠に、久しぶりに会った友人が年をとっている。もちろん、私も老いてしまっている。

決して平等ではないのだろうが、それでもやはり、時は流れる。

そのことが、若いときには理不尽に思えた。しかし、甘かったな、と今では思う。

もっと、時間を大切に使えばよかった。でも、それは残り時間が見えてきたから、わかったこと。

過ぎてしまった70年間は、とりあえず忘れてしまおう。目の前の時間だけをみつめて生きよう。

だって、明日があるとは限らないから。また、ICUに入らないとみ限らないから。

ICUでは、正直な話、時は流れていなかった。だって目を覚ましたら30秒しかたっていなかった。

30秒を10000回、繰り返して、ようやく一日が過ぎていったから。

死にかけてから、「今を大切にする」のは、何とものんびりした話だが、仕方ない。

今日から、がんばる。生きている自分に感謝しながら、生きているみなさんに敬意を払いつつ。

2025年7月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster