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謎解きクロスって何?
謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。
謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。
このブログでは、謎解きクロスと、ミステリーウォークについて、ヒントや、気づき、これからの方向などを、お伝えしていきます。
お楽しみに。
唯一無二を求めた理由
不思議なことかもしれないが、私は、子どものころから「唯一無二」に、異常なほどの関心を寄せていた。
みんなが持っているものは要らなかったし、初めてみるものは「他に似たようなものがないか」を気にしていた。
一番が好きというのではにく、誰もやったことがないということが、自分の行動の判断基準になっていた。
古希になって、自分を振り替える時間が増えてくると、一つひとつの歴史に「理由」をつけたくなってくる。それは、唯一無二だったのか。ただの天邪鬼ではなかったか。
そして、ふと、一つの理由に気が付いた。
小学校に入るまで、私は「保育園中退~というか、三日しか通えなかった」こともあり、字が読めず、自分の名前も書けなかった。
昭和30年代には、まだ、そういう子どもたちが半分くらいいたから、それ自体は、別に珍しいことではなかった。
問題は、私の身長にあった。
保育園に通わなかった私は、毎日、立教グランド(今の城北中央公園)に行って、草に寝ころび、白い雲をおいかけながら、永い昼寝を愉しんでいた。
寝る子は育つ。小学校に入った時、私の身長は、クラスの平均よりも頭一つ、大きかった。
クラスの中では、何をしても目立った。いつも誰かの目に注視されていた。最初は、みんなと「合わせよう」と思ったが、何をしても、ペースが合わなかった。
それで、何をするにしても、誰にも似ていない行動をとることで、精神のバランスをとっていた。自分は、みんなとは違うという意識が、強くなった。
そんなわけで、唯一無二のものをみつけては、そこに近づいていった。その結果、古希になってもまだ、懲りずに、唯一無二の存在を探し続けている。
チャレンジを続けたい
古希を迎えたこともあり、そろそろ「終活」も検討しなければいけないと感じている。
本サイトも、その視点もあって、福田さんにリニューアルをお願いしている。
たぶん、秋には、新しいサイトで、たぶんパズル小説を中心に、廣川州伸の歩んできた個人史がわかる祭とになっていると思う。
これ、私だけではなく、私の同級生にも勧めたいコンテンツ。これから「他人の人生にチャレンジする」のは無理だが、自分の生きてきた道筋をふまえて、無理のない範囲で、新たな展開にチャレンジするのは、大いに「あり」なのではないだろうか。
そして、パズル小説は、その新サイトを通して「カスタマイズ」して、販売されることになる。これ、一冊1万円の世界だ。
謎解きクロスの構造からスタートすると、たぶん、1冊5万円の本ができあがる。はたして、そこに市場はあるのだろうか。
8月10日、友人でもあり、尊敬するビジネスの仲間でもある牛久さんと渡部さんと、新宿のバーで、10年ぶりくらいに、3人で飲むことになっている。
私は、富裕層とは無縁に生きてきたが、この二人は、富裕層のマーケティングにも通じている。
私の妄想が、どこまで通用するのか、いろいろ教えてもらいたいと思っているので、今から楽しみ。
今週は、行政を考える会もあり、お酒を飲む機会が増えてきた。無理をしないように、楽しめるといいなぁ。
絵本の街~板橋区
板橋区立中央図書館は、東上線常盤台駅から数分のところにあった時代から、よく利用していた。あの、竹早高校柔道部の「試験に出る英単語」事件があったのも、中央図書館である。
高校三年の夏休み。利根川君、堀江君と私の三人は「そろそろ受験勉強しなきゃね」と、クラスメイトが1年以上前から愛読している「シケタン」を池袋の旭屋書店で購入し、中央図書館に行った。
「それぞれ、1ページ目から覚えて、2時間後に、また集まろう」
そして、2時間後。
私は、まだ1~2ページあたりをうろうろしていた。堀江君は、20ページくらい進んでいた。で、問題の利根川君。2時間で、全頁を「覚えたかな」という。
堀江君が「すっげえな」といって、訳語を隠して「これ何?」と聞くと、初めてふれた本なのに、ほとんど記憶できていた。
「利根川、天才ちゃうか。絶対、東大受かってくれ」
と、堀江君。そして、その半年後。利根川君は東大受験には点数が足りず、別の大学を受けたものの、駿台予備校の東大コースに合格したので、そこで1年間、浪人生活をすることとなる。
1年後、彼は東大に合格し、その後、郵政省キャリア組となる。良い仕事をたくさんした。
一方、堀江君は、もともと入りたかった商船大学に現役で合格し、寮生活に入った。そして、船乗りとして世界をかけめぐった。
私は、北大受験に失敗し、二浪して都立大学に拾ってもらった。浪人していたときも、その後も、よく旧中央図書館で、たくさん本を読んだ。読んだら書きたくなり、たくさん、原稿用紙をペン字で埋めた。
私の人生は、利根川君や堀江君とはまったくの別物になってしまったが、とても懐かしいと思っている。
あそこで、謎解きクロスが飾られる日も、そう遠くはない気がする。
生涯、週末作家を貫きます
2005年10月、講談社現代新書で、「週末作家入門」を上梓していただきました。その後20年余りたち、私は「パズル小説家」として、本業作家の道を行くと宣言したくなっていました。
何て、妄想だったのでしょうか。
ちゃんと、パズル小説で売上も経たないのに、作家一本? 妄想が過ぎます。ちゃんと、ビジネスでの社会貢献を続けながら、週末に好きな絵を描き、パズル小説を書いていく。
その結果、10年後に、もう散歩するくらいしか体力が残っていない私は、パズル小説を制作し、ベストセラーを出して、作家として独り立ちする。それが正しい未来の道筋だと、ようやく気付いたのです。
というわけで、もう10年くらいは、ちゃんと社会貢献し、全国を歩いて、少しでも、地域のみなさんのお役に立てるように生きてみようと、思いなおしました。
ということは、私は「生涯、週末作家」として、終えるのです。もし、社会貢献が利益に結び付くようなことがあれば、そのときは、豪華客船で、世界一周旅行に出ましょう。世界遺産巡りが、私の夢なのです。
でも、その夢が実現しなくても、もっと大きな成果が、社会に貢献しながら、ハガキ絵を描き、パズル小説を書き続けていくのです。
もし、200冊くらい制作すれば、なかには「傑作」がでてくるはず。その作品をもって、私のチャレンジは、ひと段落するということになります。
せっかく、生き残ったのですから、もう10年、がんばります。

池野所長のご冥福をお祈りします
2026年5月30日、池野所長が旅立たれた。
私のパズル小説100作のうち、池野所長が登場するのは7割ほどあるだろうか。いずれも、探偵@ホームズ事務所の所長として、新しい時代の謎解きシリーズの象徴として、ご登場願ったもの。
剣道の達人でもあった池野所長は、難病に襲われ、惜しまれて黄泉の国に旅立たれた。最後にお会いしたのは、1年半ほど前。大手町の、とあるビルで、サイモンズの社長に招待されて、二人でフレンチコースのランチを堪能。
多くは語れませんが、ともかく、ご冥福をお祈りするしかありません。

