こんな夢をみた。海辺の街に謎は深まる

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最近、また、夢をみるようになりました。

海辺の街。グランドがあり、真ん中には生簀があって、大きな海魚が、たくさん泳いでいます。夢のなかでは、よくみる光景です。ただ、ちょっと違うのが、周りにたくさん人がいる気配がしていたこと。
たとえば、村人たち。小学生たちが、はやし立てる。
「くっちまおうぜ」
「そうだ、くっちまおうぜ」
生簀の上には、大きな調理台がある。そこに、海魚がポンと載せられた。口をパクパクさせている。大きくビクッ、と跳ねることもある。小学生たちは、ほとんど死にかけた魚を、調理するわけではなく、そのままむしゃぶりつく。
私が、口をパクパクさせている海魚も、そろそろ死にかけている。
「苦しいだろうな。つらかっただろうな」
そんな声をかけて、命の終わった海魚を、私は左肩に頭を載せるようにして担ぎ、つよく抱いて、海辺の街を歩き始めた。抱いて歩くうちに、それまで海魚だった死体が、少年の死体に入れ替わっていく。
「苦しかったろうな。助けてやれなくて、ごめんね」
死体はまだ、暖かい。海辺といっても、なんだか上野のアメ横のような、築地場外のようなにぎわいのなかを、私は歩いていたのです。しばらくすると、また、少年が、まだ海魚だったころに口をパクパクさせて死にかけていた、調理台がついた生簀のところに出てきました。
そのときです。
死体の目が、少し開いたかと思うと、呼吸を始めた。
「おい、大丈夫なのか」
私は、抱えていた少年を地面に降ろして、立たせました。ちゃんと、立っています。生き返っていたのです。
「おお、よかった。もう、きみを食わせたりしないよ」
私は、かがんで、少年を抱きしめました。
「大丈夫。ぼくが守るから」

こんな夢でした。
少年の顔は、実の息子と娘を足して二で割ったような感じ。二人とも、幼稚園年少くらいまでは、いつも抱いて歩いてあるいていました。二人とも、ちょっと疲れると
「だっこ」
とせがみます。お父さんが抱きあげると、世界はさっと変わります。高みの見物ができるので、子どもたちは大好きなのでした。あのときの感触が、夢の中を支配していました。
世の中には、厳しい風が吹いています。
「くっちまうぞ」
と、みんなが思ってしますし、口をパクパクさせていても、誰も助けてくれません。守れるのは、私しかいないのです。私は、愛する人たちを、守りながら、もっと楽しく、いい人生にしてあげたいなぁと感じていたのです。

怖い夢ではなかったけれど、幸せな夢でもありません。燃える夢でしょうか。
また、本が書きたいと、おもってきました。

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また、こんな夢をみている私です。