快答ルパンの冒険<1>

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パズル小説 快答ルパンの冒険<1>

【日本初・パズル小説家】廣川州伸(74回生)

 

 

□パズル小説は、廣川が開発した謎解きクロス®というパズルを使った小説で、本稿は特別に書き下ろしたもの。全体のタッチは江戸川乱歩調ですが、パズル小説は子どもから大人までカップルでも家族でも安心して楽しめるようエロ・グロ禁止となっています。

 

□快答ルパンは、廣川が書くパズル小説の舞台として設定された探偵@ホームズ事務所のライバル。探偵@ホームズと知恵比べをする快答ルパンは、いつも難しい問題を何題か提示します。

 

□快答ルパンの冒険は、原則として毎月1回アップする予定。その問題は謎解きクロス®9×9を使った本格的なパズル小説となります。

 

■プロローグ

 

ある晴れた日の朝。

「大変です! 池野所長、起きて!」

と叫んだのは、アルバイトで探偵の助手をしている、大学生の東島君。

そこは東京・渋谷にある雑居ビルの一室。玄関に『探偵@ホームズ』という看板のある小さな事務所である。

もっとも探偵といっても、その事務所では殺人などの凶悪事件や夫婦ゲンカなどのややこしい事件を調べることはしない。

彼らの専門は、地域の文化や歴史、魅力が失われたという謎を解明することで、罪のない話が大半だ。心の傷をえぐることもないので、痛みもなかった。

「東島君、どうしました? まさか、また快答ルパンが……」

「さすが所長。素晴らしい推理力。勉強になります」

「おいおい、朝からヨイショしなくてもいいよ。ぼくのところにも快答ルパンから挑戦状が届いたからね。今度は、ある書店にまつわる謎解きらしい。神奈川のほうに冒険に行き、江戸川乱歩の世界を盗んできたらしい」

「なんか、不思議な窃盗ですね」

「確かに、セットになっている!」

以下、快答ルパンの挑戦状に書かれている謎を提示しておこう。

 

□第1の謎(快答ルパン)

 

横浜①スタジアムが見える高台の一軒家で、その難事件は幕を開けた。

たまには男の②手料理でも作るかと新しいレシピを探しに図書館に行った帰り道でのこと。私は、そびえたつ洋館の門前で怪しい一団の一人に声をかけられた。

「あら、こんばんは。どちらまで?」

彼女は、はっとする③目鼻立ちの美人だが、よく見れば顔なじみだ。

「ちょっと図書館に。あなたは?」

「この洋館でミステリー・パーティがあると聞いてきたのですが、呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないの」

「へぇ。ミステリー・パーティですか。なんだか面白そうですね」

「よかったら一緒に参加しません? 会費は5千円ですが」

そんなことを話しているうちに、門前の人々の数も増え、やがて玄関から執事らしき黒服の老人がでてきた。

「申し訳ありません。呼び鈴が故障していたようで。さ、お入りください」

私たちは洋館の中に入った。大きな玄関の扉を開けると、フランス料理の匂いが漂ってきた。

通された④応接間の中には、すでに少なからぬ先客がいた。彼らは、いつから飲んでいたのだろう。数時間後、出窓の外はすっかり銀世界になっていた。

庭で⑤雨ざらしになっていた竹細工の人形も真っ白になり、とても寒そうだ。

と、そこに叫び声があがった。

「ギャー! 誰かー!」

どうも、洋館の二階らしい。誰も走り出さないので、仕方なく私が階段をのぼって駆けつけてみると、廊下の突き当たりのドアを例の執事が叩いている。

「ここは寝室ですが、中から叫び声が聞こえたので来てみますと、ドアに鍵がかかっていて開きません」

私は、斧を振り下ろした。

開いた穴から手を入れて、ロックを外す。室内は暗かった。廊下の明かりから、ベッドの上に寝そべる人影が見えた。動かない。私は、室内のスイッチを探して明かりをつけた。そのとき風が吹き抜けた気がした。

「あ、あれは!」

ベッドの上には、お定まりの死体があるほか誰もいなかった。窓は、どれも内側から鍵がかかっていたし、秘密の通路も、動物が出入りするような煙突もない。

これは密室なのである。私は、死体に触るのは苦手だ。というより、それが生れて初めてみる、たぶん本物の死体?

もしミステリー・パーティだとわかっていなかったら、そもそもドアを打ち破って中に入ることはしなかった。誰かが死体に近づき、ここで殺人事件が起きたことを宣言した。

「ぼくは医学部の学生です。確認します」

私は、ちょっとだけ冷静になってきた。これがミステリー・パーティなら、真犯人は、この近くにいる。数えてみると、室内には8人が入り込んでいた。

この中の誰かが真犯人なのだろうが、見つけるのは容易ではない。なぜなら、すでに「その瞬間」はすぎてしまったから。

少し落ち着いてきた私は、こんなことを考えた。

密室でおきた事件は⑥被害者加害者の区別がつかないことがある。すなわち、自作自演というやつだ。

命がけで演技すれば、密室で事件を起こし、入口を壊して入った者と入れ違いに廊下に出て、まるで今かけつけたように目撃者になることもできる。

そもそも⑧大都会には、江戸川乱歩の小説にある黒蜥蜴のような女性がいる。実は、洋館の前で会った彼女も、集まっていた人も、みなグルだったのかもしれない。

窃盗団は⑨努力家であるとともに、互いに助け合う互助会のようなもの。

「SNSで調べたら殺された人は水泳の⑩指導員。詳しい情報はプロフィールが非公開で、よくわからないわ」

その後、彼女は⑪独り言を言うので、私は近くに落ちていた紙の余白に殴り書きをした。その紙は⑫カレンダーだったが、事件とは無関係とは思われなかった。

そのとき突然、私は思い出した。その洋館のことを、街の住人が何と呼んでいたのか。そして理解した。私たちは、とんでもない難事件の渦中にいることを。

 

さて、謎を解くための準備は整った。

 

これまでの文章には①から⑫までの記号が付けられている。しかもその記号には、読み仮名にすると5文字のゴシックのキーワードが含まれている。

それぞれ、キーワードは窃盗、もといセット、すなわちペアになっているが、不思議なことに、5文字の「ど真ん中」の文字が共通になっている。

その①~⑫の文字を解答記入欄に記入れば「第2の謎」は解けるだろう。

■第2の謎

 

■はじめに

 

おそらく、みなさんも竹早高校図書室の数十倍の時間を、都心にある書店で過ごしたのではなかったか。快答ルパンも例外ではない。

三省堂、書泉とならんで、快答ルパンが好んで立ち寄ったのが、Y堂である。

今回、快答ルパンは、横浜へと冒険に出た、そこでY堂の歴史を学びながら、本好きの容疑者の中から、Amazonでパズル小説を購入し、書評で★五つの高評価を残し、友人知人に「意外に面白いし、全部解くのは大変だけれど、購読者特典として謎解きクロスの作り方もゲットできるから、お買い得の本」などと勧めてくれた真犯人は、一体、誰かを謎解きしていただきたい。

 

■容疑者登場

 

快答ルパンの提示した謎は、単純である。

お金を払って「謎解きクロスを使ったパズル小説」を、Amazonで購入してくれた「とってもいい人」を見つけることだ。

その容疑者は、以下の五人となる。

 

【容疑者】

□吉岡新鮮さん……新鮮な記事を書くジャーナリスト

□篠辺修業さん……天気予報を伝える人気キャスター

□高倉孝匠さん……甲子園を目指す野球チームの監督

□中村光臨さん……清里の野菜で作る和食料理の達人

□薩田美子さん……イタリア直輸入の雑貨店オーナー

 

■東島君、容疑者にせまる

 

東島君は、まず飯田橋に行き、吉岡さんが経営している出版社の応接室に入った。

出版業界の現状に詳しい吉岡さんに、Y堂の歴史について教わりたいと電話を入れてあったのである。

「東島君、快答ルパンは書店に関心があるようだね」

「はい。今回の謎解きは出版業界、というよりも書店の歴史を知る必要があります。博学の吉岡さんなら、Y堂の歴史をよく知っていると思いまして」

「Y堂ね。快答ルパンの提示した謎解きクロスの解答は、たしか9文字。横浜の文字が入るような気がするけど、どうかな。伊勢佐木町かもしれないし」

「なるほど、参考になります」

 

ここで吉岡さんが2時間かけて東島君に語ってくれたY堂の歴史を、かいつまんで、といってもちょっと長いが、紹介しておこう。

 

東京・神奈川・千葉に店舗を展開し、伊勢佐木町に本店を構えるY堂。

その名は論語の「徳不孤、必有隣」という言葉に由来している。意味は、徳を積んだ人は孤独にならず、必ず隣に誰かいるようになるということ。

そこには、隣近所に住む人が自然に集まるような場所になってほしいとの思いが込められていた。

Y堂を創業した大助の父は源蔵といい、新潟県小千谷市で生まれた。

源蔵の家は農家だったのかもしれないが、源蔵自身は麻織物の小千谷縮(おぢやちぢみ)行商人となり、たまに横浜に来て商売をしていたという。

源蔵は、横浜で妻となる女性と巡り逢って結婚し、根を下ろした。そして明治10年代の中ごろ、横浜市尾上(おのえ)町で「貸本屋」を始めた。

創業者の大助は、源蔵の四男として明治17(1884)年に生を受けたものの、大助が2歳のとき、源蔵と死別。

そこから、大助の労苦が始まる。

 

家業を継いだ長男の貞造は、尾上町から、隣接する吉田町に移って「Y堂」という書店を開業した。明治27(1894)年のことである。

明治33(1900)年に、大助の姉ロクと結婚した鐘太郎によって「第二Y堂」が開業すると「Y堂」は「第一Y堂」に改称した。

その後Y堂は「書店」として暖簾分けを進め、最盛期には「第一」から「第八」まであったという。

明治42(1909)年、大助は現在の伊勢佐木町本店所在地の一角にあった倉田屋という書店が廃業したお蔭で「第四Y堂」を開業することができた。

そこは、木造2階建て間口2間(3.6m)、奥行き3間(5.4m)という狭い店舗だったが、大助にはかけがえのない場所となった。

 

Y堂が創業した横浜は港町であり、当時の日本のなかでも、特別な土地柄であった。何よりも、横浜の人たちはハイカラ好きだった。

それでY堂では、創業の初期から万年筆、鉛筆、ノートなど「文具」の品ぞろえに力を入れた。

もちろん外国の貴婦人や船員相手の踊り子に気に入られたいというよこしま意図はなく、純粋にファッショナブルな新商品を好むという気質があったのだろう。

これは余談になるが、東京ではカジノ特区が話題になっているが、横浜こそそれが相応しい場所ではないだろうか。

近隣には、界に誇るの街、横浜中華街がある。もってこいの土地柄だろう。

 

■なぜか、篠辺さん登場

 

ここまで話したとき、容疑者の篠辺さんが遊びに来た。

「あ、これは珍しい。篠辺くん、なんとかホールディングス副社長を退いてから、何だか楽しそうだね」

「今まで、責任ばかり重くて、肩がこっていましたから」

「ストレスがないってことは、いいことだけど、今日は何か?」

「それが快答ルパンから、しちめんどくさそうなメールがきたんで、吉岡先輩に相談しようと……東島君がいるということは……謎は解けたの?」

「いえ、篠辺さん。今、吉岡さんにY堂の歴史を教わっていたのです」

「Y堂の歴史……確かに、快答ルパンの謎解きには欠かせないな。ぼくも、快答ルパンは横浜まで冒険に出ると思う。吉岡さん、ぼくにもY堂の歴史を聞かせてください」

「わかりました。Y堂といえば……」

吉岡さんは、東島君と篠辺さんの二人に語りかけた。

「あそこの社員は地味だけど、まじめによく働く。創業者の大助も、大晦日には帳面の整理で帰れず、元日の始発の市電で帰る状態。さすがに今日、そんなことをしたらブラック企業とみられてしまう……」

以下、ふたたび吉岡さんの話を、かいつまんで紹介しておこう。

 

あまり楽しみのなかった当時、書店で働くという仕事そのものに、大きな価値を見出すことができた。

人生とは、決して甘いものではなく、書物には人生のにも薬にもなる真実が含まれているが、言の葉には、未来を変えるだけの魔力もひそんでいる。

書店員がまじめなのは、そんな書物にある世界を、市井の人々に届けようという強いミッションがあるからだ。

Y堂は、順調に成長していった。大正時代の伊勢佐木町本店は、西洋風の凝った装飾の建物に変えた。

2階の上の看板にある文字は金色に輝いていた。

 

ところが、大正12年9月1日の関東大震災が襲った。

当時、横浜の人口は約45万人だったが、横浜は東京よりも地震の被害が大きく、一晩で市街地の中心部がほとんど壊滅。

その死者は23000人ともみられている。

なかでも一番ひどかったのは伊勢佐木町周辺。そこは飲食店が並んでいて火災が非常に多く発生したため、Y堂を始め伊勢佐木町周辺が、すっかり燃えてしまった。

明確な記録はないものの、横浜の温度計の示度は、きっと数百度を超えていたことだろう。

当時の伊勢佐木町警察署が管轄していた区域では、死者だけで12000人と、全体の半分が亡くなっている。もし東北を襲った東日本大震災のように大きな津波がきていたら、被害は数倍に拡大したはずだ。

 

震災で倒壊した企業の多くが横浜の外に出ていくなか、Y堂は再建を目指し、復興に努めた。

今思えば、関東大震災という大きな天災から立ち直って喜んだのも束の間のこと。わずか20年もたたないうちに、日本は戦争という地獄のような人災に遭遇する。

 

■突然、中村さんも加わった

 

「へぇ。そんなことがあったんですね」

「東島君は平成生れだから、昭和の戦争は何も知らないだろうね」

「何も知らない……そんなこと言われたら、いくら大人しいボクでも平静にはなれません……なんちゃって。吉岡さん、こんな感じでいいですか」

「まあ、30点かな」

などと話しているところに、また容疑者がやってきた。

吉岡さんは、高倉さんを見て笑った。

「あ、高倉さん。けっこう飲んでいますね」

「そんなことはありません。スコッチだけ」

東島君は、笑っていいのか悪いのか判断がつかず、篠辺さんをチラリと見たがガックリと脱力感がただよっていたので、それにならった。

「ところで、みんな何していたの? まさか快答ルパン?」

「どうも快答ルパンは、Y堂の歴史に関わる冒険に出たらしいと、池野所長から連絡があってね、それで東島君にY堂の歴史を伝えていたところなんだよ」

「それで、何かわかった?」

「まだ、なんとも……」

 

昭和16(1941)年12月、太平洋戦争が始まると、戦争という狂気が、すべての国民を武装した過激派に変えてしまった。

尋常ではない非常時になると、市民は、まるで何かが乗り移ったような憑代(よりしろ)の状態にあったのかもしれない。

戦時下では、「同位角は等しい」などという幾何学の本に象徴される理科系の本が売れたものの、盛り場の伊勢佐木町界隈にも軍の工場ができたりして、すっかり様変わりしていく。伊勢佐木町のY堂は木造2階建てであった。

そのこともあり、昭和20(1945)年5月29日の空襲で、十万発以上といわれる焼夷弾によって、あたりは焼け野原と化し、Y堂も灰となった。

 

昭和20(1945)年8月15日。真夏の昼下がり、日本は終戦を迎えた。

戦後、Y堂は本牧の倉庫で営業を再開したものの、伊勢佐木町の敷地は米国の駐留軍に接収された。

伊勢佐木町にY堂本店が復帰したのは、昭和31(1956)年のことである。

中2階がある店舗のデザイン。その当時、横浜で洋書を本格的に扱っていたのはY堂くらいだったという。今でいうY堂ギャラリーの発想に近いものがあった。

昭和30年代、洋書は大きな木箱に入れられて船便でやってきて、横浜の倉庫に収まった後、Y堂に運ばれた。

そのとき、高倉さんのスマホが鳴った。

「はい、高倉です。ああ、竹早高校テニス部のパーティ、横浜異人館を予約してくれたのね。場所はネットにも出てないから、伊勢佐木町にあるY堂本店の1階で待ちあわせとしよう……会費5000円で飲み放題って、いいんじゃない」

高倉さんが、篠辺さんに目で合図をする。二人は、竹早高校時代にダブルスの名コンビとしてならし、都大会でも活躍した歴史がある。

高倉さんがスマホから耳を離したので、吉岡さんはY堂について語り始めた。

 

■そして容疑者全員が揃った

 

飯田橋にある吉岡さんの会社に集まったのは、アルバイト探偵の東島君、それに容疑者の吉岡さん、篠辺さん、高倉さん。

東島君は、ストーリーの都合上、ここに容疑者全員が集まってくれれば話ははやいと思っていたところ、都合よく中村さんが顔を出した。

高倉さんが、ドヤ顔でつぶやいた。

「おいおい、また遅刻かよ」

「そんなことないよ。ここに集まろうって約束していたわけじゃないから。何時に来ても、遅刻じゃないよね」

「なるほど。で、君もやっぱり快答ルパン?」

「そう。これから横浜スタジアムに生ビールを飲みに、いや野球観戦でいくんだけど、気になって立ち寄ってみました」

「ナイターか。昨日は横浜が負けて」

中村さんがそこまでいいかけると、紅一点の容疑者が割って入った。

「泣いた……ですよね」

「あ、薩田さん。イタリアじゃなかったの?」

「そうそう、旅行ばかりしてはいられません。わたしもY堂の歴史に興味があります。人にも会社にも、書店にも歴史があるのね」

容疑者たちは、再び、吉岡の話に耳を傾けた。

 

今も、Y堂本店のある伊勢佐木町界隈では、夕刻になると飲食店に灯りがともる。

カフェでは、二の腕からにかけて隠す七分袖のブラウスを着た女性が、生ビールのジョッキを豪快に傾ける。ツマミカジキのソテー。

もちろんバーのカウンターでは、一人静かにバーボンをなめる男もいる。

ちょっと癖毛の髪は長いが、地毛を丹念に洗っているのだろう、さらさらとして清潔感がある。その傍らにある小冊子には、武者小路実篤のによる『Y』の文字があった。

 

Y堂では、お客様とのコミュニケーションを図るため、昭和42(1967)年12月に広報誌を発刊した。

創刊号には「楽しい読みものとして、お客様とのコミュニケーションの役割を果たすために企画した」という挨拶文がある。

深夜。伊勢佐木町のカフェでY堂の広報誌を手にした女性が、とある洋館に帰っていく。

そこは江戸川乱歩の作品にでてきそうな建物でABCDEFGHI『○○○○○』と呼ばれている。

 

さて、名探偵諸君。ヒントは、すべて本文に隠されている。

『謎解きクロス9×9』を解いて、その言葉を語った容疑者を特定させていただきたい。

 

健闘を祈る!

 

 

 

 

 

 

2020年2月1日