人生は、大切なことに出合うタイミングで大きく差がでるものです。もちろん、たいせつなことの中には、大切な人が含まれることは、いうまでもありません。
もし、自分の人生が、ここで終わるとしたら、一体何をするだろうか。その問いかけをつきづられたのは、中学生のころ。私は、早熟の天才でした。
この天才という意味は、一般的な使い方とは少し違っているかもしれません。私たちは、すべからく、天才。だって、何かの天才を持ちあわせてなければ、この世に生まれて、ある程度の年代まで育っていないですから。
問題は、「何の天才?」という部分。
私は、まず発明家になろうとしました。高校1年生で、実用新案を取得した人間は、そう多くはないはず。ところが、その頃は理論物理学者になって宇宙の法則をとらえたいと本気で考えていました。
中学生のときに、図書館で大学で使う幾何学の本を借り、全部読んで、そのなかの1つに証明の間違いがあることを発見し、レポート用紙3枚分の「正しい証明」をつけて出版社に投稿。著者の大学教授から「次回の版で、あなたの証明に差し替えます」と返信をいただきました。うれしかった。
ところが、高校生になり、1年生のときはよかったのですが、2年生のときに、脳が「鈍く」なりました。私の天才期は、そこで終わっていたのです。
焦りました。それまで簡単に解けていた問題も、いくら考えても解けません。別人になっていたのです。そのときのショックは大きく、村上春樹のいう「暗い穴」に落ちたことを知りました。怖かった。
世界のどこからも、求められていないかもしれないのです。自分の居場所が研究所だとばかり思って楽しく学んでいた数学や物理学が、数式を観ても「ピン」とこないのです。
あら、書き始めたらとまらなくなりました。
これは「愛夢永遠」という、たぶん2025年あたりに書くことになる自伝的パズル小説なかで、詳しく語られることになるでしょう。
さて、今日は、ここでやめておきます。脳の成長が止まってしまった私は、ドストエフスキーとカフカにはまります。
中学生の頃から憧れていた川端康成から離れ、日本人では椎名麟三や大江健三郎を読みつつ、自分もまた、理論物理学者にはなれなかったけれども、小説家にはなれるかもしれないと思い直して、かろうじて、暗い穴から這い上がったころには、20才になっていました。
いやいや、明日をみつめる私が、50年前のことを書いていては、まずいでしょう。
明日は、きっと未来志向になっています。