いつもサポート、感謝いたします。
日々、8月24日が近づいてきます。私にとっては自分の生命について感謝するとともに、支えてくださった、すべてのみなさまが幸せな時間を過ごされることを願う時間となっています。
昨年、2023年8月24日午前10時、自宅事務所で仕事をしていた私は、クライアントに「今から出ます」と、打ち合わせの確認をしていました。すると、いきなり下腹部に激痛があり、それはググぐと、胸の中心を上がっていき、息継ぎができなくなりました。
あわてて「すみません。ちょっと体調がよくないので、打ち合わせはリスケしてください」とメールを入れ、激痛をこらえてトイレに行きました。すでに書いたように、前夜の光物、サバ・アジ・イワシにアニサキスがいたのでは、と思っていたのです。能天気でした。
そして、2時間後、緊急搬送していただき、運よく受け入れ先もみつかり、そのままICUに入って、寝返り禁止の絶対安静、家族も含めての面会謝絶で、一週間。九死に一生を得たあとも、1ヶ月間、絶対安静は続きました。
おかげで30キロの減量に成功したものの、筋肉量がゼロに知和樹、歩けない自分がいました。ただ、それでも病室の窓から眺める都会の景色には感動がありました。世界は、とてつもなく美しかったのです。
そんなこともあって、その後、大動脈溜の主日をし、2024年元旦からリハビリ生活に入り、2024年4月から、クライアントのご厚意で仕事に復帰させていただいてます。それまでと異なるのは、クライアントのために「命がけ」で考えられるようになっていたことでしょうか。
そして、クライアントも、自分の生命力と相談して、ほんの数社に選択させていただきました。これまで、お声かけいただいた仕事は断ったことのなかった私ですが、傲慢にも、お断わりしている自分がいました。
お金どころではありません。文字通り、無一文の私ですが、生きていれば、きっといいことがあると、東京商工会議所に借金して、大吉くじプロジェクトの素材を100万円分、仕入れました。もちろん、それで儲けようなんて気持ちはまったくありません。
せっかく授かった命なのですから、できることは何でもしようと、リハビリの意味もこめて、悩める現代人の自己肯定感を高められる大吉くじに、かけていたのです。元講談社名編集長のIさんからは「無謀な」と驚かれましたが、九死に一生を得た者としては、しごく当然のことだったのです。
そして、いつ消えてもおかしくない命を内在しながら、今、1周年を迎えようとしています。このブログを読んでくれている人は、実は、このSNSブームの社会にあって、本当に親しい方しかいないのですが、私は、それでいいと思っています。
いつか、とくに若い人が、私との接点がまったくなかった若い人が、このブログに刺激されて、自ら週末作家になり、二足の草鞋をはき、創作活動を始めることを、なぜか、革新しています。その根拠⑨は、たった一つ。
自分が、そうだったからです。天才数学者エヴァリスト・ガロアの手記に刺激されて数学者を目指し、自らの枯渇した才能に幻滅しながらも、ドストェフスキーの「死の家の記録」を愛読書として、作家になることで心を守ってきた自分が、若者たちの心に響くことを、知っているからです。
私の場合、たぶん、10人に1人しか、ファンは生まれません。いや、5%かもしれません。でも、若者が1000万人いたら、5%なら50万人の人に、届く可能性があるわけです。私の人生は、それでも十分すぎると思います。
今、Campfireのcommunicationは、現在、7名のサポーターのみなさんに支えていただいています。10万人を目標にしていても、始まりは7人なんです。私は、その7名のみなさんを第一に考えて、創作活動を進めていきます。
そして、その7名のサポーターの向こうには、20名もの「いつも応援しているよ」と言っていただけるみなさんがいて、そらに向こうには、「必ず、何かを成し遂げると期待しているみなさん」が100名くらいおられます。
こんな幸せな状態でありながら、SNSで、あるいはユーチューブで、もっと多くのみなさんに自分の世界を「押し売り」する行為には、なかなか、向かうことができません。
というわけで、私はもう若くはないので、お友だちを拡大することなく、生きていくことになります。
静かに、見守ってください(実は、データだけみると、Communityの大吉WAKA集2024の1歌は、毎日100名前後の人に、コンスタントに観られているようです。驚きのことですが、こういう時代なんですね。
ありがたいなぁ、と、感謝しています。