私は今、1980年7月7日から半年ほどヨーロッパを旅したときに描いていた「放浪画家」になる夢を、かなえようとしている。ひょっとしたら、一枚も「売れない画家」になるのかもしれない。
それでも、画伯になりたいと、今は思っている。そして、改めて仕事部屋に飾った自分の絵を見ていたら、あることに気が付いた。そこには「一つの空気」が流れていた。
私が、たとえばゴッホの麦畑、セザンヌの風景、モネの水連、ピカソのピエロ、ルオーのキリスト像、コローの散歩道、レンブラントの自画像、佐伯祐三のパリ、スーチーヌのほろほろ鳥などに惹かれ感動するのは、空気=雰囲気があるからだ。
ひるがえって1980年から81年にかけて、無名の放浪画家の一人として生きたいと願ったときに描いた何枚かの絵をみると、技術は稚拙で、デッサンは出鱈目ではあっても、そこにはまぎれもなく「空気」だけはあった。
私には、世界観だけは、あった。だから私は、高齢者の仲間入りをした身ではあっても、今から絵を描いてみようと思っている。
とともに、過去に描いた絵はNFTとして、みなさんに分けていくようにしたいと思っている。
絵は「もらって喜んでくれる人」もいれば「もらって邪魔だと思って嫌がる人」もいる。
でも大吉くじも、パズル小説も、ビジネス書も、みんな「もらって困る人」はたくさんいる。
そこは、課題だと思っていたのだが、覚悟はできた。無名の放浪画家として、別に「待たれていなくても」個展を開くことにする。ほしいという人があったら、NFTは実費と少しのタイムチャージで売り出す。
本物は、ハガキ絵は5000円、特別の絵は3万円、祈念すべき1980~81年の絵は10万円で譲ることにする。
そして現在、地震で消滅危機にあるエーゲ海「サントリーニ島を描いて近代美術展に入選した150号の油彩を飾ることとする。こちらは5000万円で買いたいパトロンがいたら、渡そう。
そして、どこかのシャッター商店街の活性化事業を手伝い、廣川州伸のNFT作品だけを販売。それは驚くほど、低価格で分けていきたい。自宅にアートを届けたいから。
こんな夢をみることで、私は、元気を回復している。
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