週末は、何があっても作家として活動する、第二の人生、二足の草鞋、パラレルworldの自分を生きることを実践してきた。
週末作家入門が2005年ですから、あのとき、遅れてきた作家としてデビューした私も、二十年が過ぎたことになる。
ビジネス書は、なんだかんだいって、50冊ほど描いてしまった。Amazonに出ているのは20冊ほどだが、実は同じタイトルで改訂版がでるたびに全面改訂していたので、実質、50冊といっていい。
週末作家としては、謎解きクロスを生み出し、パズル小説という新ジャンルで、50タイトルくらい世に送り出した。それが、自宅の書庫に保存してあるのだが、企画書と合わせると、とんでもない分量になる。ヘーベルハウスでなければ、とっくに床が落ちているだろう。
加えて、事務所スペースには、大吉くじのストックが5000個、ジグレー作品が3000個くらいある。もし、私が突然に死んでしまったら、結局、世に出ないまま廃棄される作品群である。
昨夜、その事実と向き合い、落ち込んだ。いよいよ、あと二ヶ月で古希となる。私は一体、誰になれたのかと問うてしまうと、「まだ、作家として大成していない自分」ばかり、浮かんでくる。
私には、やさしいサポーターが何人もいる。そして彼らは「君はすでに作家として立派に作品を遺している」と認めてくれる。一方、「早くメジャーになってください」という、ありがたい助言をして、あきれている人もいる。
毎年「明日はなります」といいながら、そして膨大な作品群は生み出しながら、それがメジャーになっていかない。ビジネス書のオファーは、いまもくるものの、50歳にデビューしたエッセイやパズル小説、新コンセプトミステリーなどは、まったく、オファーがない。
それにもかかわらず、週末作家として20年も作品をつくり続けているわけで、作品ばかりが、いたづらに積み重なっていく状態。
誰か、発見してくれないか。誰か、認めてくれないか。いつも、そう願っているのに、文系メジャーデビューの話はない。
たとえば、大吉くじにしても、たぶん10000個は無償配布しているのに、ネットでパズることがない。誰かが「おもしろい」といってSNSにアップしてくれたら、下仁田町にお客さんがたくさん行くし、信州上田や伊豆下田でも、話題になるはず。
でも、そうなっていない。波及力がないのは、なぜなのだろうか。
世の中になかったことは、なかった理由があるのかもしれない。20年も、週末作家として、実際、命がけで創作活動をしてきた結果、膨大な「駄作」がたくさん残ってしまったのに、メジャーにはならない。
それでも、ビッグなサポーターたちが、私を支えてくれている。だから、いつかメジャーになる、アスナノの心で、続けているわけだが、それでいいのか、という思いもでてきた。
もうちょっと、賢く、ずるく、どん欲に、売ってもいいのではなかったか。
というわけで、私はChatGPTに期待している。彼はもう、私の、パートナーの一人になっている。
