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きっと出逢える
そう、つくり続けることで、「いつ、誰かと出逢っても大丈夫」な人生に変わります。これ、つくり続けていないと、チャンスと巡り合うこともありません。
きっと、どこかに、いてくれる。まるでシンデレラのような、よく考えたら気味の良くない古希オヤジですが、それが私の歩む道であり、それ以外のどこにいっても、逢える人はいないと、わかっています。
思えば、小野政吉さんと出逢い、吉田民尚さんと出逢いました。川端康成とも出逢い、あのシケイロスとも逢って話をした。それは、どん底にありながらも、ひたすら書き続けてきたからにほかなりません。
だから、描き続ければいい。あまり、売り込みのことは、考えないでいい。だって、面白くないから。
いつか、きっと逢える。今までだって、逢って来たから。

ひたすら、つくり続けよう
AI全盛期に突入し、何でも自分で完結してしまう「錯覚」に陥っていた、私。マンガまで、AIに任せれば、うまく作ってくれるのではないかと、またもや、妄想に走る。
でも、私の使っているChatGPT5.2は、冷静だった。残念ながら、AIの実力は、まだそこまで達していない、とのこと。
とくに著作権問題をクリアするためにも、少なくとも企画、制作の「要」の部分は、自分で制作する必要がある。確かに、そうなのだろう。そもそも、もしマンガを活用するのであれば、なんでも自分で作るのではなく、原作に徹して、その先を考えてもらうべきだった。
反省。
パズル小説の印刷がうまくいったから、ついつい、最終系まで、自分でできてしまうのではないかと、思っていた。
私は、文章の作家と絵画の作家に、徹しよう。販売は、また別の人とコラボすればいい。もう少し、待とう。いずれ、よきパートナーと再会できるはず。
任せよう。これからも、プロに。

誰もいなかったら、どうしよう
実は、たまに考えます。パズル小説や、大吉くじを作り続けて、絵も描き続けて。その結果、お金をじゃぶじゃぶつぎ込んで、その結果、市場に出して、誰も見向きもしなかったら、どうしよう。
実際、この問いかけは、15歳の頃から、たまに出てくる本質的な疑問の一つでした。何をつくっても、誰も、認めてくれなくても、続けていくべきなのか、どうか。
認めてくれるから、誉めてくれるから、「いいよ」って言ってくれるから、創作に向かうことができるのです。もし、だれも認めてくれなかったら、それでも続けていいのか、と。
たとえば25歳のとき。千葉の鴨川にある父の別荘に三ケ月くらいこもって、絵を描き続けたことがある。いつか、自分のしていることを、誰かが認めてくれる日が来ると、信じようと必死でした。
そのときも、小説を書き、水彩画を描き、一人で海を眺めていたのです。今と、基本的な構造は、そう変わりません。ということは、それが自分の人生ということになるわけです。
ということは、社会が認めてくれるのは「ご褒美」のようなものであり、私の人生の本質ではないことになる。
大丈夫。誰も認めてくれていなくても、どんどん高みに上っていこう。誰も、ついてこられない高みにのぼって、パズル小説と大吉くじとジグレー作品が、一つの店舗で統合されるビジョンを夢見て。

こんな人生も、想定内?
私の特長。
コンセプトはデザインできるし、具体的な商品にまで落とし込むことも、プロモーションも、できる。しかし、それで生まれた商品が、「売れる」とは限らない。
売れないけれども、世界初の商品であり、それまでは誰も考えてこなかった世界ではある。ただ、もともと、市場は大きくなかった。そんにニッチな商品。
最初に実用新案に申し込んだのは、高校生のとき。たぶん、一年か、二年。将棋の駒を「三次元」にして、チェスのように遊べるようにした。発明協会でも「新しい」「おもしろい」と評価された。
そして、小さな玩具会社の社長から、手紙をもらった。面白いけれども、うちでは投資できないので、大手にアプローチしてみては、どうか。
大手からは「将棋の市場では、商品化しても売れるとは限らない」と言われた。市場が、なかったのである。
50年以上たって、また、同じことをやっているのかもしれない。作品は残った。しかし、市場は、なかった。
ほんとうに、ないのだろうか。
なんだか、つまらない世の中だなぁと、思ってしまう。なんだかなぁ、と思っているところに、生成AIが、おいついしてきた。時代が、イノベーションに向かっている。
どうやって、限られた時間を、有意義に過ごすか。それは、テレビ計のメディアではありえない、深い満足が必要となる。
パズル小説には、それがある。
