五感のハーモニー

謎解きクロスのファンのみなさん、お元気ですか?

今夜は、音楽プロデューサーの大川正義さんと青山で企画会議。音楽業界の今と、これからについて、大いに語っていただきました。

大川正義さん、いわく。若い人達に届く音楽をプロデュースしたい!

私もまた、若い人達にも読んでもらえる本を書きたい。心から、そう思っていました。

最後に、大川正義さんに、コンセプトデザインを残し、再会を約束して別れました。いつものように、すっかり、ご馳走になってしまいました。

今年、大川正義さんと、五感のハーモニーを奏でる本を作ります。きっと。

謎解きクロスではありませんが、音楽は人生を豊かにする。それを実感しています。

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寒いですね〜

謎解きクロスのファンのみなさん、お元気ですか?

冬将軍がやってきて、いよいよ寒さも本番。

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こんなときは、謎解きクロスを考えながら、知恵熱に期待すると、しましょうね〜

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写真は、埼玉の深谷です

明日、きっと空の向こうで

謎解きクロスファンのみなさん、こんばんは。

おかげさまで、謎解きクロスの未来が、見えてきました。これまで、組み立ててきたことが、一気に開花することになりそうです。

私たちクリエイターは、明日、成功する日がくることを信じて、日々、作り続けるしか、できることはありません。その姿を見て、支援する人がでてくる、作品を見て、ファンが増えていくことで、その未来が、確実なものとして生まれてくるのです。

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明日、新たな展開を迎える謎解きクロスを、引き続き、よろしくお願いします。

5000万人の1パーセント

nazo_logo2謎解きクロス ファンのみなさん、お元気ですか?

昨夜、NHKで、ウォーキング人口が5000万人時代を迎えたというテーマで特集を組んで放送していました。日本では、毎年、4300ものウォーキングの大会が開催されるそうです。

謎解きクロスによるミステリーウォークは、たぶん、ウォーキングのジャンルには入らない、運動を目的としたイベントではないのですが、それでも、この5000万人という数字には、勇気づけられました。

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謎解きクロスによるミステリーウォークは、地域の商店街にある、このようなヒントを探して歩き、地域の魅力を自ら発見していきます。歩くことが目的ではなく、謎解きをする手段として、のんびりと散策していきます。

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ミステリーウォークは、地域の魅力を自ら発見することが目的ですから、発見される商店街のお店が、参加してくれる探偵たちを、おもてなしすることになります。

あ、写真を紹介する方法がわかったかもしれません。

2017年は、リアルな写真で、謎解きクロスによるミステリーウォークをリポートします!

 

2017年は、一緒に飛翔しましょう!

謎解きクロスファンのみなさま、お元気ですか?

2016年、本当にお世話になりました。謎解きクロスは、世の中になかった新しいパズルの構造をもっていますので、まだ、作者は廣川州伸一人。それゆえ、実はもうブレイクしているというご指摘もいただいているのですが、あゆみは、のんびりとしています。

でも、着実に進化しています。だって、それが創作物の特長なのですから。自在に進化して、進んでいけるのも、まだせ黎明期だからです。たとえば、クロスワードパズルが、世の中にでたとき、何のルールもなかったはずです。それが今、作者のためにルールが設けられています。

謎解きクロスも、2017年には新しいバージョンが生まれます。

これは、元旦に、本サイトで公開されることになります。もともとの発案は、朝日新聞のOさんです。彼は4年前、千葉総局長だったときに「天声地語」という人気お天気コラムをスタートさせました。私が今、ウェザーニューズ社の委託で書かせてもらっている、あの天声地語です。

彼は、夏目漱石の「こころ」を、新潮社と組んで、ふたたび世に送り出したコンセプトデザイナーでもあります。

そのOさんが「夏目漱石で謎解きクロスができないす」という宿題を出したのが、たぶん2年前。

そして、何ということでしょう。2年後の今、その謎が解けました。来年から、みなさんは「こころの謎解きクロス」を目にすることになるでしょう。

もちろん、地域活性化の潮流は、泊まりません。謎解きクロスを使ったミステリーウォークは、目黒区を中心に、千葉と埼玉、神奈川、伊豆下田&信州上田はもとより、三重、石巻や佐渡、岡山や島根と、広がっていくことでしょう。

そして謎解きクロスファンのみなさんも、2017年は3万人、2018年は10万人、2019年には20万人、そした東京オリンピックの年には100万人を超えるみなさんが、謎解きクロスを、ごく当たり前に楽しんでいるはずです。

ぜひ「黎明期の謎解きクロス」を、忘れないでください。コメントの書き込みも、写真の掲載も、まだできないこのサイトですが、根気よく、おつきあいいただき、感謝いたします。

ちゃんと、謎解きクロス単体で収益がでるようになりましたら、このサイトも、もう一度、わが友人でありパートナーでもある福田さんにご尽力をお願いして、パッと刷新していただきます。

来年、その日がくることを願って。

みなさん、よいお年をお迎えください。

参加、ありがとうございました

謎解きクロスファンのみなさん、ご無沙汰しています。

2016年の「謎解きクロス」による地域活性化は、12月20日の「のんびりイベント散歩」ミステリー小冊子「目黒のキセキ」の、真犯人応募クイズの投稿締め切りをもって、幕となります。

私の勝手な試算になりますが、2016年は

「信州須坂」「埼玉深谷」「信州上田」「伊豆下田」そして東京は「祐天寺」「大岡山北」「洗足」「学芸大学」「駒場東大前」「中目黒」の計10ヶ所

で行われ、延7000人のみなさまが「謎解きクロス」によるミステリーウォークを楽しんでくださいました。ありがとうございます。

深谷で参加された方を祐天寺にご招待する新しい試み、祐天寺でお会いした参加者と、中目黒で再会する楽しさなど、それぞれの地域同士の交流も、まだ少ないですが、でてきました。

とくに、2008年に居ず下田で「第1回」のミステリーウォークを実施してから、上田電鉄の森社長(当時)が「下田の次は上田」でと言われたことから仕掛けがスタートし、6年かけて実現に至った「信州上田」と「伊豆下田」との連携は、これから、新しい地域活性化の実例として、語り継がれることでしょう。

信州と伊豆。実は、商工会議所同士に交流があったりして、なかなか面白いことも、わかってきています。

来年は、トリ年。もちろん、ヒツジだって空を翔びますから、飛躍の年になることは間違いありません。

少し、来年に向けた抱負を語りましょう。

謎解きクロスは今、「雑誌」に進出することも考えています。もともと、雑誌とクロスワードパズルは、相性がいいのです。ただ、注目する「好奇心のある」「勇気のある」アントレプレナーがいなかっただけ。

地域でいえば、新たに仕掛けるところとして「石巻」「佐渡」「石見銀山」「岡山」なども上がっています。

2006年、「埼玉深谷」からスタートした私のミステリーウォークの企画は、当初、「沖縄」でも進めようとしていて、JTBさんの協力を得て、2009年には視察にもいっています。

そして、全国のカフェスペースでは「謎解きカフェ」が配布されるかもしれません。東京や埼玉では、すでに「謎解きカフェ」を配布したいという店舗がでています。

これも、すぐにブレイクしそう。ありがたいことです。

いずれ、このサイトは謎解きクロスや謎解きカフェの「解答」が発表される場として、知られるようになるでしょう。

みなさん、誰も知らなかった状態から、このサイトに注目していただき、本当に感謝いたします。

来年も、よろしくお願いいたします。

みなさんのご多幸、祈念しつつ。

のんびりイベント散歩への参加について

謎解きクロスファンのみなさま、お元気ですか?

本サイトは、コメントをいただきましても、具体的にメールの返信をするシステムにしていません。将来は、それができる体制にしたいと思います。そのときまで、お待ちください。

そうはいっても、コメントの内容は、私も読むことができます。

回「目黒区のイベントに参加したいのだけれども、どうしたらいいの?」というご質問をいただきました。この場で、お答えさせてください。

東急電鉄のサイトで「とくらく」というものがあります。そこにアクセスしていただくと、9月20日から「のんびりイベント散歩」の告知が出ます。そこから「参加申し込み」ができますので、ぜひ申し込んで、謎解きクロスの世界をお楽しみください。

私も、全部ではありませんが、不定期に参加します。ひょっとしたら、お目にかかれるかもしれません。楽しみにしています。

祐天寺「かぜのまい」で逢いましょう

謎解きクロスファンのみなさん、おはようございます。台風、大丈夫でしたか?

いよいよ、9月。謎解きクロスの秋が近づいてきました。

今回は、特別に私信を公開します。深谷宿ミステリーツアーを企画推進する深谷商工会議所さんと、目黒のんびり散歩を企画推進する目黒区商連さんのスタッフにあてた、10月15日、「深谷と目黒の交流イベント」についてのお願いです。

下記、ご一読ください。

深谷市は、目黒区とも縁が深い日本の株式会社の祖
渋沢栄一の生誕の地です。
しかし、中山道を中心に、商店街がさびれていき
地域再生が求められていました。
そこで、深谷商工会議所の村岡氏が、深谷市在住の
ミステリー作家の伊井圭氏に相談。2003年に、第1回
深谷宿ミステリーツアーが始まりました。
そのミステリーツアーを、深谷だけでは、もったいない
と、全国展開を試みたのが、ビジネス書を書いていた
廣川州伸です。
廣川は、伊豆下田、勝浦、西小山、喜多方、松本など
でミステリーツアーを実施して、昨年「目黒のんびり
イベント散歩」の企画とミステリー問題を作成させて
いただきました。
残念ながら、伊井圭さんは2年前に亡くなられたの
ですが、昨年から、深谷宿ミステリーツアーは廣川
が引継ぎ、今年も第17回を4月に実施しました。
その4月、街歩きの謎解きとともに、正解者には
「ミステリー小冊子」を配布し、謎解きをしていた
だきました。
その正解者のなかから、抽選で15組30名を選び、
東京の「のんびりイベント散歩」にご招待するという
のが、今回、大型バスでお伺いするみなさんです。
15組には、家族も連れてきて、みんなで楽しんでは
どうかとお声かけしているので、人数は40名近くに
なりそうです。
のんびりイベント散歩6回のうち、廣川は、すべての
展開に立ちあえるわけではありませんが、最初と最後
は、予定しています。
目黒区役所の駐車スペースを確保してくださるならば
廣川が、そこでバスを待ち、みなさんを祐天寺まで
お連れします。
40名もの人が、ずらずらと並んで移動するのは
ご迷惑をおかけしますので、みなさんには、ばらけて
家族単位になっていただき、街歩きを楽しんで、14時
までに帰ってきていただくようになるかと思います。
深谷と目黒が、謎解きのミステリーでつながるという
とても珍しい、イベントになります。これを継続し
たとえば「のんびりイベント散歩」でも、来年の
深谷宿ミステリーツアーにご招待するとか、少なくとも
案内はしちゃうとか、交流が進めば、廣川としては
本望です。
目黒区長は、西小山ミステリーツアーでも、いつも
挨拶にきてくださり、地域活性化に熱心に取り組んで
くださる方。
もし、挨拶のときに、深谷から来た「名探偵集団」
のご紹介をしていただけると、イベントとしても
盛り上がると思います。
また、祐天寺の商店街のみなさんからは、来られた
方に、地域で使える商品券(一人300~500円?)を
用意して、歓迎してくれると聞いています。ぜひ
実現してください。

 

こんな夢をみた。海辺の街に謎は深まる

最近、また、夢をみるようになりました。

海辺の街。グランドがあり、真ん中には生簀があって、大きな海魚が、たくさん泳いでいます。夢のなかでは、よくみる光景です。ただ、ちょっと違うのが、周りにたくさん人がいる気配がしていたこと。
たとえば、村人たち。小学生たちが、はやし立てる。
「くっちまおうぜ」
「そうだ、くっちまおうぜ」
生簀の上には、大きな調理台がある。そこに、海魚がポンと載せられた。口をパクパクさせている。大きくビクッ、と跳ねることもある。小学生たちは、ほとんど死にかけた魚を、調理するわけではなく、そのままむしゃぶりつく。
私が、口をパクパクさせている海魚も、そろそろ死にかけている。
「苦しいだろうな。つらかっただろうな」
そんな声をかけて、命の終わった海魚を、私は左肩に頭を載せるようにして担ぎ、つよく抱いて、海辺の街を歩き始めた。抱いて歩くうちに、それまで海魚だった死体が、少年の死体に入れ替わっていく。
「苦しかったろうな。助けてやれなくて、ごめんね」
死体はまだ、暖かい。海辺といっても、なんだか上野のアメ横のような、築地場外のようなにぎわいのなかを、私は歩いていたのです。しばらくすると、また、少年が、まだ海魚だったころに口をパクパクさせて死にかけていた、調理台がついた生簀のところに出てきました。
そのときです。
死体の目が、少し開いたかと思うと、呼吸を始めた。
「おい、大丈夫なのか」
私は、抱えていた少年を地面に降ろして、立たせました。ちゃんと、立っています。生き返っていたのです。
「おお、よかった。もう、きみを食わせたりしないよ」
私は、かがんで、少年を抱きしめました。
「大丈夫。ぼくが守るから」

こんな夢でした。
少年の顔は、実の息子と娘を足して二で割ったような感じ。二人とも、幼稚園年少くらいまでは、いつも抱いて歩いてあるいていました。二人とも、ちょっと疲れると
「だっこ」
とせがみます。お父さんが抱きあげると、世界はさっと変わります。高みの見物ができるので、子どもたちは大好きなのでした。あのときの感触が、夢の中を支配していました。
世の中には、厳しい風が吹いています。
「くっちまうぞ」
と、みんなが思ってしますし、口をパクパクさせていても、誰も助けてくれません。守れるのは、私しかいないのです。私は、愛する人たちを、守りながら、もっと楽しく、いい人生にしてあげたいなぁと感じていたのです。

怖い夢ではなかったけれど、幸せな夢でもありません。燃える夢でしょうか。
また、本が書きたいと、おもってきました。

「謎解きクロス入門」を書いたら、10年以上前にメルマガで配信していた「愛夢永遠」という自伝小説の着手に入りましょう。この「愛夢永遠」は、自伝小説でありながら、新聞小説の乗りで進み、なんと100回目で、真実が告げられます。実は、100回のすべてが「謎解きクロス」の構造をしていたのです!

こんな小説を書ける人は、世界中で、謎解きクロスの作者である廣川州伸しんいません。

たとえば、今、上の文章が「謎解きクロス7×7」で解けます、なんとことになっていたら、ちょっと驚きでしょう。しかも、100回分のメッセージをジャンニ並べたら、100×5文字=500文字あり、句点・読点をうまく打てば、それ自体が、101回目のエピローグの文章になっているのです。

東京オリンピックのある2020年には、謎解きクロスを楽しむ人は100万人を突破します。(まだ1万人ですが、3年で10万人。その時点で、大手ゲーム会社と提携しますので、ユーザーはすぐに10倍になるのです)

また、こんな夢をみている私です。

時は流れ、謎は深まる

もちろん、人生の謎解きに終わりはありません。それなのに、どうして解決したがるのでしょうか。
人生には、残念ながら終わりがある。終わりがあるとわかったときから、じゃあ、何で始まったのかと、謎が深まっていくのです。
その謎は、とくに夜に際立っています。

夜になると、どうしても、眠らなければいけない。明日のために、眠らなくてはいけないのに、謎が深まっていくのも夜なので、なかなか眠ることかぜできません。

ド・ラ・フレネーという画家がいました。東急文化村の美術館で、回顧展が原枯れました。美の女神に心臓をつかまれたまま、彼は四日間、一睡もせずに200点以上の油彩を描き、歓喜のまま、四回のアトリエから身を投げます。
さて、誰が、フレネーを殺したのでしょうか。

死の直前の4日間に書かれた油彩のなかでも、出色なのは「船出」という、たった3回ほどしか筆を入れていない作品。
観ていると、船が、こちらから向こうに向かって、出港するのが伝わってきます。たぶん、3秒で描かれた、一枚の油彩。

そこに、フレネーの人生が凝縮されていたのです。
それでも私は、誰が殺したのかと、考えてしまうのです。

そこで殺さなくても、自分を終わりにしなくても、よかったのです。そうしい、多くの凡人は、活きてきたのです。
何も、飛び降りなくてもいい。もう、十分ソラを翔んできたのですから、そこで終わりにしなくてもよかったんです。

フレネーの絵は、中学3年のときの美術の教科書に出ていました。アトリエにね立っている自画像。とてもシックな、そして淋しい絵でした。

こういう絵を描く人には、かなわないなぁと思いながら、中3の夏に、私は画家となり、1か月間、受験勉強もしないで、朝から晩まで、絵を描いて過ごしていました。

ふー。

私が、なぜ、そんなことをして生きていたのか。それは、「早熟だから」としかいいようがありません。

そういえば、15歳の夏、高校1年生の夏に京都と奈良と滋賀に、三週間ほど遊び、東京に戻ってきてからも、脱力感にさいなまれ、鎌倉に行きました。

そこで、川端康成に遭ったのです。

荻須高徳の凱旋展の席上で。花束を持って、坊主頭の高校1年生、16になったばかりの青年に、本気で嫉妬していた川端康成。

その半年後に、ガス自殺をするなんて知りませんから。

その後、高校三年生になって、私が書いた川端康成の評論や、小説を読んだ国語の先生から「君は早稲田に行って小説家になるといい。いろいろな学生を見てきたけれど、君の文才はピカイチだよ」と言われ、私はちょっと救われる。

そうか、小説家になれば、私でも生きていけるのかもしれない。あの川端だって、じいさんになるまで生きてこれたのだから。

そんなことを考えていた未成年が、今、どうしてビジネス作家になり、コンセプトデザインを作り出しているのか。

その謎を、なんだか、解き明かす時期がきているような気がします。

そのためにも、私は「謎解きクロス」をブレイクさせて、その後、じっくりと、歴史に残る小説を書き始めましょう。

昔の私を知る人は、「廣川くんは、二十歳のころから、ずっと同じことを語っているねぇ」ということでしょう。

人生の謎を解く前に、やることが多すぎて、多すぎて。とりあえず、眠って、明日の謎解きの時間を待ちましょう。