将棋が大好きだ。棋力は、とてつもなく低い。覚えたての子ども相手なら、たまに勝てるかもしれない。ふつうにやれば、すぐに負ける。
そもそも勝負する気がない。それでも、こちらの射した手に対して、どんな手を打ってくるか、未来が楽しみで仕方ない。もし、勝ちそうになっても、正解とは別の手を指す。
そんな私だけれど、将棋界のことは、ずっとウォッチしている。何せ、従妹が日本初の女流棋士の一人だったから。将棋新聞も、初回から10年くらいとっていた。
なので、棋士がAIにはかなわないとわかったとき、「もう将棋に関心を持つのはやめよう」と思ってしまった。ところが、藤井さんがすい星のごとく現れて、変わった。
棋士は、考えて、将棋を指している。それに対して、AIは考えていない。それでも、考えている人間がかなわないほど、強い。その現実が、将棋の世界なのである。
これは、生成AIとの付き合い方を示唆してくれる。
人間は、考えることから、逃げてはいけない。下手な考え休むに似たりであるにせよ、考えることそのものが、人間の特権なのだから。
AIは、将棋を指しているのでもない。だから、勝っても負けても、行動は変わらない。しかし、人間は考えている。だから、幸せにもなれるし、不幸のどん底にも落ち込む。
もっと、自分で考えたい。私は、もう遅いけれども、最近また、宇宙について考え始めた。だって、AIは、宇宙について計算することはできても、考えることはできないから。
いずれ、量子コンピュータができてしまえば、計算では、どんな転載も、かなわなくなる。それでも、量子コンピュータは、考えているわけではない。
AIは、ひたすら計算している。そして予言してしまうが、シンギュラリティがくると思われたときにも、AIは、考えていない。初期値によって、ブレてしまうから。
カオス理論と、ゲーデルの証明がある限り、AIは「考える人間」を超えることはできない。だってAIは、整数で計算しているだけだから。
プランク定数も、超弦理論の振動も、どんなに深く、多次元で計算をしても、「考える」ことはできない。
そして考えることこそ、人間存在の本質。それゆえ、私は毎晩、宇宙論を半数して、眠りにつく。いつ、死んでもいいように、何度も何度も、考えている。
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