謎解きクロス開発物語<9>

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謎解きクロスによるミステリーウォークの原点は、1982年秋に行われた「黄金を探せ」という角川春樹氏の企画・運営したビッグイベントにありました。

あの年、何があったのか。

いずれ、小説にするネタなので、肩透かしですみませんが、ここでは書けません。お金になるネタなんです。

私たちは、黄金はゲットできませんでしたが、角川春樹氏から、なかなか入手ができなかった、発酵されたばかりの500円銀貨を10枚、いただきました。口止め料でした。

20年くらい前、九段下のフレンチの店で、角川春樹氏の隣のテーブルで食事をしました。たまたま、なんですが、何番目か忘れましたが、若い奥さんと一緒でした。あれだけ、破天荒な企画を進め、世間を騒がせたのですから、何人もの女性と結婚し、別れ、そしてまた恋をするのも、まあ、いいのでは。薬物中毒も、自己責任ということで、私は、そんなものかなぁと思って、観ていました。

さて、ベルタルべに戻ります。角川氏が「黄金を探せ」を世に出す前年、1981年に、ちょっとした事件がありました。スポーツ新聞に「代々木公園で100万円がみつかる」との記事。暗号を解いたら、100万円が埋めてある場所がわかり、そこに行ったら缶に入った100万円があったというのです。

その翌週、「第二弾」が、同じくスポーツ新聞に出ました。暗号文とイラストと、100万円の争奪戦に参加する方法がでていました。暗号の本を2000円(3000円かも)で購入すれば、発見できる確率が高まるとのこと。

私は、その本を書い、研究しました。そして、東十条の飲み屋に行って、高校時代の友人を呼び出し、チームを組んで宝探しに出たのです。

宝のある場所は、東京とは限りません。関東地方にあるということです。ただ、暗号を解いてみると、「哲学堂に埋まる宝あり」という文章ができました。真夜中に、富士通に勤めている友人を呼び、4人で探索に出ました。30mくらい測れるメジャーと方位磁石、穴を掘るシャベルを持った4人組は、哲学堂のグランド周辺にある照明塔を起点として、掘る位置を決めました。夢中で掘っていると、見回りの警察官が二人、立っていました。

「何をしているんですか?」

「死体を埋めているわけじゃありません。宝物を探しているのです」

「こんなところを、掘ってはダメでしょう」

「確かに。ご説明しましょう」

私は、交番まで同行し、スポーツ新聞や暗号ブックを見せて、

「これは、実際にある街を使ったゲームなんです」

と説明をしました。当時の警察は、けっこう話がわかり、

「それは楽しそうですね。穴を掘ってもいいですが、なるべく元通りに埋め直しておいてください」

朝が来ました。

とうとう、100万円は出てきませんでした。

それから15年後、私は、このゲームの仕掛け人と仕事をすることになります。ビックリしました。

「本を売るためのプロモーションだった」

とのこと。私は、すべてヤラセだと思っていましたが、最初の100万円はヤラセだったけれど、2回目の暗号問題は、

「群馬県の、とある観光地(伊香保)に隠したが、誰も発見できず、回収した」

ということを聞きました。

そんなことがあった後の、「黄金を探せ」だったのです。

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