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夢を見つづけるチカラ
私の夢は、一つではありません。いくつか、ある。二兎を追うものは一兎をも得ずですが、十の夢を追えば三兎を得ることもあるかもしれません。世界は、捨てたものではありません。
同時並行的に、行動する。夢を追いかける速度が変わることはあっても、そして時間をかけすぎることがあっても、私は、夢をあきらめない。だから、ときどき、思いもしない成功が舞い込んでくる。
大吉くじも、多くの人が「商標は無理」と思っていた。それでも、私はあきらめなかった。商標が取れたことを前提として、大吉くじを制作し、トライアルを続けた。
どうして、いつも失敗しているのに、夢をみることを止めないのだろうか。ときどき、そんなことも考える。きっと、好きなんだろうな、という結論で、夢に戻る。決して、あきらめない。
大吉くじだけではなく、謎解きクロスも、パズル小説も、まだまだ、あきらめてはいない。止めれば、気が楽になるかもしれないが、それでも「いつかはブレイクする」と、考えている。
まだ、白旗をあげる気はない。そのうち、たった一つでいいから、大成功する。そうしたら、連鎖的に、ものごとが動き始める。謎解きクロスが売れれば、パズル小説も売れる。
パズル小説が売れれば、ミステリーウォークの仕事が増え、必然的に、大吉くじの配布が増える。それらの一連の動きから、ようやく、マスコミも気づくだろう。これは、ヒットする、と。
そこで登場するのが、作家としての私。NFTが注目される。すると、エッセイが売れることになる。命が絶えるのが先か、夢がかなうのが先か。いずれにせよ、あきらめることはない。
飛行機で、世界遺産を観て歩く人生は、間に合わなかった。しかし、豪華客船に乗って、原稿を書きながら、世界一周をする夢は、まだ何とかなる。
こんなことを書くのも、新年だから。明日になれば、また仕事が始まる。それもまた、楽しいのだけれど。
夢は、あることが大切なのだから。きっと。

おおかみよ
おお、神よ。狼よ。お、女将よ。
いずれにせよ、私は60年ほど、書初めをしては大志を語っている。オオカミ少年、大ぼら吹きが、60年もたってしまうと、ただの老害かも。
それでも、毎年、言い続ける。有限、不実行となってしまうが、反省は、したことがない。毎年、元旦に誓いを立て、書初めで確認する。
どうしたら、そこにたどりつけるか。今年こそ、ブレイクできることだろう。たぶん? いえ、絶対。そして、自分がブレイクするための条件を探す。
きっと、あそこから、突破できるはずだ。と。いてもたってもいられなくなって、書き始める。ネバーエンディングストーリー。
ところが、2023年8月24日に死にかけてから、遠い未来の到達点が、わからなくなっている。
もっと近くに、たとえば数か月先に、ゴールを設定しておかないと、「次はない」と感がしいる。
悲しいけれど、それが現実。それでも、生きていられることの幸せのほうが、遠い未来の夢を設定するよりも、はるかに幸せ感が強いのである。
私たちは、今、に生きている。

ひたすら、ありがたく
新年が、なぜ、おめでたいのか。そしてなぜ、ありがたいのか。別に理由などなくてもいいのですが、ようやく気付きました。
だって、来年を迎えられるかわからないのですから、元旦に朝日が昇ることを感じられる人生は、それだけで、素晴らしいことになります。
新年は、生きて迎えられただけで、価値がある。
だから私は新年から仕事をするし、大吉くじを折り続けるし、そして、今年生きたい旅先を空想します。
去年は、ある意味ではリハビリ中だったので、奈良の都と千葉県と、いつものように信州上田や伊豆下田に加えて、山形にも行きましたが、だいたい日帰りでした。あ、飛騨高山も、講演の仕事ですが、おじゃましました。
ただ、「旅」といえる内容ではありませんでした。私にとっての旅は、最低二泊三日。できれば3泊したいところです。
今年は、もうちょっと遠くに行きたいと思っています。具体的には、たぶん沖縄に行きます。人生初の石垣島を狙っています。1週間ほど、のんびりしてきたいです。
実は、2023年9月の全身検診で3ヵ所にガン予備群がみつかり、3ケ月に1階、経過観察に入っています。そのうち、一番ヤバイのが3センチの大きさがある副腎でした。
昨年(といっても先月)10日間の薬物投入後、詳細な検査をすると、副腎のガンは、まだ「押さえられている」とのこと。ただホルモン分泌に悪さをしているので、肥満傾向がある。
これをクッシング症候群というのですが、ホルモンを止めておかないと、また130キロになり、また急性大動脈解離に襲われる可能性が高まります。
まあ、2度目の九死に一生は、ないとみていいでしょう。
そんなわけで、今年は「副腎、とっちゃいましょう」とのこと。背中にメスを入れて、転移が始まる前に、とってしまう。これで、寿命としては、10年ほどのびるようです。
こんな面白い時代に、あっけなく「さようなら」するわけにはいきません。
10年生きているうちに、大吉くじプロジェクトが成長して、日本中の何1,000,000人というみなさんが、励まされ、勇気を持って、難関に立ち向かっている世界があるかもしれません。
核戦争だけは、ご免なんですが、美しい地球のなかでも、とりわけ過ごしやすい日本にいて、まだまだ体験していないことがたくさんあります。
あと10年、生きながらえて、パズル小説作家としての人生を全うします。
みなさんも、ぜひ、私の成長を見守り、ご支援いただきたく。今年も、よろしくお願いいたします。

このブログ10周年!
何気なく、過去を振り返ってみたら、本ブログのスタートは2015年7月。ということは、2025年は10周年の年。もう10年も、何かを描いてきたことになる。
ただ、10年も書いてきたのに、まだエッセイの本が出ていないのは、きっとマスコミが「気づいていても、取り上げたくない」理由があるに違いない、などと陰謀を考えたりする。
自分の思い通りにならないことは、何でも陰謀論にしてしまえば、気が楽になる。そうか、本当は、もっと認められていいのに、邪魔されているのか。
あるいは、誰かが足を引っ張っていたのか。そういえば、30年前にテレビに出かかったとき、「こいつはテレビに収まらない」と、採用されなかったことがある。
私の場合は、さもありなん。テレビには向かない。かといってラジオも、あまり向かない。というのも、数秒間、考えてしまう癖があるから。ラジオでの沈黙は、やはりNGなのである。
専門家に「いい声してますね」と言われるから、ひょっとしたらと思ったときもあったけれど、結局、メディアの露出はリスクのほうが大きいという結論に達した。
だから、本。ところが、その本も、売れるには資本が必要となる。その結果、数えてみたら50冊ほど出せた本も、売れたのは10冊ほど。
ゴースト時代は12版も売れ、「本人以上に本人らしく書ける」と諜報された時期もあったが、著名プロデューサーから「自分の名前で書きなさい」と叱られてから、ゴーストは封印。
でもベストセラーはなかったけれど、ロングセラーは、いくつかある。私は、それで十分だと思っていた。
ところが今、シンガー・ソングライターの出版版を試みている。自作し、編集し、装丁も自分でやって、供給も自分。プロモーションも自分でやって、利益を社会還元しようと考えている。
本ブログも、フレームを作ってくれた福田さんのおかげでスタートできたのだが、まだ恩返しができないまま、いたづらに、長く続けてしまった気もないではない。
それでも、石の上にも3年。それがトリプルとなって、もう一年。10年ひと昔というけれど、まあ、持続こそが整骨の秘訣とみれば、楽しみはまだまだ残されている。
というわけで、2024年最期のブログの筆をおくとしよう。
みなさん、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

量子もつれの夢をみた
2024年も、晦日になりました。残すところ、あと一日。そして、いつものように、私はリアルな夢をみていました。そこでは、昔、まだインスピレーションが未確定だったころに観ていた夢のように、宇宙の構造についての啓示があったのです。
まず、量子もつれは、実在していると結論づけました。ただし、それは量子という超微細な、存在の根本にかかわる問題としての実在となります。
そして、私たちの住んでいる宇宙についての考察が入ります。宇宙では、どんなに遠く離れていても「量子もつれ」は存在します。なぜか。量子もつれがなければ、宇宙全体に「法則性」を玉津ことができないからてす。
もし宇宙全体に「秩序」があるなら、宇宙を構成している量子のレベルで設立した現象が、法則が、宇宙全体にも成立していなければなりません。そして、宇宙全体の構造そのものが、互いに影響し合って、存在を確かなものとしているのです。
ここで、気づきました。量子もつれという現象は、どんなに遠く離れていても、互いにシンクロできるということは、同じ物理法則で、宇宙全体が支配されていることの証拠に他なりません。
宇宙は、量子もつれによって構築されているのです。そして、その先に、たとえば光子や電子などの量子は、伝わるのに「時間」がかかる、すなわち「シンクロしていない量子」ということになります。それが、宇宙の構造なのです。
量子もつれのある料とし、量子もつれのない量子があるからこそ、宇宙に「物質」すなわち原子が生まれましたし、その原子によって組み立てられた宇宙は、アインシュタインの一般相対性理論で記述されるふるまいができることになります。
量子もつれがあるからこそ、うたゅう全体が「時空」として存在しています。それは、エルンスト・マッハが、空想したように、宇宙の端っこにある物質(を構成している原子の中にある量子)が、地球にいる人間に強く影響していることになります。
ただし、原資レベルになると、一部の量子と異なり、移動するのに時間がかかるし、光子で情報を得るにも時間がかかります。ただし、量子のレベルでは、量子もつれがあるために、宇宙は「秩序」が他待たれていることになります。
アインシュタインは、自ら、エルンスト・マッハの哲学に魅了されていたにもかかわらず、「瞬時」という概念を光子で図ることしか思いつきませんでした。それが、宇宙の秩序を玉津には必要と感じていたからです。
しかし、光子の本質だけでは、宇宙は小袿できません。宇宙は、俊二にシンクロしている別の量子たちによって、秩序を他待たれていたのです。それを「測定」する方法は、必ず、あります。その秘密は、宇宙そのものにあるとみていいでしょう。
だからこそ、量子もつれは、宇宙全体を舞台として、存在が示されたことになります。アインシュタインは、量子もつれの存在が証明されたとしても、あわてることはなかったのです。
量子が集まって原子になれば、一般相対性原理に従いますが、そして宇宙には光子より早く伝わる「原子」は存在しませんが、だからといって、量子のレベルになっても、光子がすべての理論を担保するというわけではなかったのです。
光子もまた、量子もつれを引き起こす「量子構造」によって、支配されています。だから、宇宙法則が成り立っているのです。量子論は、確率で減少をとらえようとしますし、それは「本質」から外れているようにもみえますが、実は、そうでもなかった。
光子が宇宙の果てまで届くように、その届いた先でも物理法則が成り立っていることを担保している現象として「量子もつれ」が存在していたのです。
数式では表現できませんが、私は、宇宙の構造を理解しました。よかった。生きているうちに、理解することはできないと思い込んでいました。
自分に、声をかけましょう。よいお年を。
