ブログ
ブログ一覧
やっと誰かが
今、4年前にコロナ禍を契機に始めたサポーターのみなさんに支えられて創作した「そして誰も死ななかった(仮題)」の全面改正を企画している。そのなかで、考えているのがアガサ・クリスティの活用のこと。
ミステリー小説を書きたいと思った人は誰でも、アガサ・クリスティの発想力に打たれたことがあると思う。美術界のピカソという感じで、彼女は本格推理小説の可能性を拡大した。
たとえば、ピカソの後には、新しい絵画を生み出せない。アインシュタインの後には、誰も時空についての理論を生み出せない。エジソンの後には、誰も新発明はできない、というくらい、彼らは革新的だった。
しかし、時間はかかったけれども、その後も人類の創作意欲は衰えなかった。なので私も、先人の天才に心おられながらも、何とか、別のアプローチができないか、探ってきた。
そして古希を迎える年になった、ふりかえると、ようやく作家の足元に立っていることが実感されてきた。絵画では、ハガキ絵のジャンルならピカソに近づける。
アインシュタインには、コンセプトで出さんで対抗できるだろう。そしてエジソンには、大吉くじで、ようやく田下とに立てる気がしている。
永かった。
だも、足元に立っているということは、並んで歩きだせるということ。私は、ピカソがどうやって描いたかを知っている。アインシュタインが、どのように思考実験をしていたかも、脳がわかったいる。
同じように、アガサ・クリスティがなぜ、「そして誰もいなくなった」を描き切ることができたのか、知っている。それで今、スタート地点に立っているのだ。
あとは、何年、生きられるか。
80まで生きられたら、そこそこの作家になっている。90まで生きていたら、代表作はベストセラーになっている。そして99歳、白寿まで生きていたら、巨匠になっているだろう。
でも、そのころにお金が入っても、夢の世界旅行に出られる体力も意欲もないだろう。
前倒しにできないか。それは、私が決めることではありません。神のみぞ知るということで、私は日々、大吉WAKA集の編纂をしながら、日々こつこつと、自分のできることをやっていくだけです。

観たけれど見られなかった
だいたいにおいて、人は「自分が観たいものしか見えない」らしい。だから有言実行を心がける。少なくとも、自分で言ったこと、約束したことは見えてくるものだから。
で、CampfireのCommunityの話。今もって、どうも毎月3000名くらいの人が、コミュニティを訪れている。ただりCommunity会員は、いまもって7名のままなのである。
実は、いつ「退会されてしまう」か、とても気になっている。とくに毎月3800円も支払ってくださるお二方。で、一人は大阪在住。いただいている会費で、交通費にさせていただいた。
もう一人の怪異には、静岡在住。こちらは、交通費プラス2万円のイベント券を購入させていただきました。自分でも、「お値段以上を返さないと気が済まない」性格ゆえ、お金はたまらないと、つくづく思っている。
ただ、それでも少しずつ「メジャーデビュー」したときのために、準備を続けている。だから、今は大赤字で、先行投資が重なるばかりではあるものの、あまり心配していない。
2月には、地域の書店さんへのアプローチが始まる。
本業であるコンサル業も、本格的な勉強に入っている。新しいコンセプトが、今ほど求められる時代はない。コンセプトデザインこそ、次世代に伝えるべき遺産なのだと、気づく人も増えてきている。
ほんとに誰も知らなかった?
この夏に発刊予定の長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、どんなコンテンツになるのか。その内容は「ほんとに誰も知らなかったのか」というところが、Pointになっている。
何か起きたとき、「予兆」があったのに「気づかなかった」ということもある。昔は「そして誰も気づかなかった」になるだろうが、令和の小説では「本当に、知らなかった」ことを問題にしている。
真犯人が目の前にいるのに、誰も気づかなかったのだが、それは「まさか真犯人が自分たちの目の前にいるとは、気づかなかった」であり「その背景は、知らなかった」ということになる。
たとえば、目の前に、将来自分を殺害することになる人がいたとしても、未来のことなので「気づかない」のではなく、ほんとうに「知らない」ことになる。それが、本小説のテーマでもある。
私は、約70年も、生きてきてしまった。だから、自分の人生の目の前にターニングポイントが、いくつかあったことを知っている。今は「知っている」けれども、そのときは「知らなかった」ことになる。
要するに、あとになってみれば「大変なことが起きていた」ことを知っているけれども、その当時は「大変なことになる」という未来を知らなかった。だから、予兆にも気づかなかった。
それが、ターニングポイントでなければ、日々の何でもない現象であれば、まぁ、どうでもいい現実になる。たとえば「パートナー」との出逢いなど、人生を変える「瞬間」については、だいたい気づかないはず。
何度も、すれ違っているかもしれない。どちらかが、どちらかを、別々に発見しても、相手が誰だか知らなければ、人生と係ってくることはない。その人が、未来にどんな関係となるかを知らなければ、忘却してしまう。
コンテンツのテーマは「知っているのか、知らないのか。知っていたら気づけることも、知らなければ気づかずに、殺害されてしまうこともある。ただ、知っていても防げない現実もあるのかもしれない。
うーん、GWまで、空想を楽しみたい。

謎は深まる
長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、突然、降りてきたタイトルだけど、なぜ、それが「いいのか」は、後付けとして深まっている。
何か起きたときに、わかるまで「誰も知らなかった」ことは、意外に多いのではないか。思いつかないし、知っている人もいない事件。
表に出てきたから「わかる」のであって、こちらが探偵となって、自律的に、積極的に探究しなければ、わからない事件も少なくない、と思う。
だから、謎が、一つずつ、積み重なっていく。それがアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」の構成である。
わかっていても、誰も「そして誰もいなくなる」事態を止めることができなかった。逃げ切ることはできなかった。
同じように、一つひとつの謎を解くたびに「誰も知らなかったなど」が解き明かされていくけれども、最終的に、大きな謎解きが終わるまで、真相は知らない。
一つひとつは、わかっていても、解決していても、それが全体として何を意味するのかは「そして誰も知らなかった」ということになる。
結論としては、誰もしらなかったのは「誰も死なないのに、長編推理小説が成立する」ということ。私は、日本初のパズル小説作家として、それを証明したい。
どうかな。できるかな。
もちろん、できる。GWに完成し、出版のための編集・印刷・製本を進めていく。
お楽しみに。

そして誰も知らなかった
CampfireのCommunityを中心に、30名ものみなさまにサポートしていただき、完成&発刊を待っていた「そして誰も死ななかった(仮タイトル)」。
今年の夏には「そして誰も知らなかった」というタイトルで、1作12分冊の長編パズル小説として、自費出版することとしました。
タイトルは、もちろんアガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」のパクリですが、「誰も死ななかった」と結論を語ってしまうのではなく、「知らなかった」とすることで、謎は深まると思っています。
2月以降、週末作家として、完成させます。全国初、おそらく世界初、誰もしらなかった新しいミステリーの形を提示いたします。
サポーターのみなさん、楽しみにしてください。
ちなみに、おそらく東横線T駅にある書店では、12冊ワンセット5500円で、第一次は限定100セットとして販売してもらうことになります。
他では入手できません。
Amazonでは、おそらく「中古」として15000円以上で販売される。それは、ちょっと理不尽に思えるので、第二次は限定200セット。
以下第三次400セット、第4次800セットという感じになりますが、そのような数になってくれば、出版社で12セットを1冊にまとめて1冊1800円で5000冊。
いくつになっても、こんな夢を食べて生きている私です。こりない性格ですが、ま、いいか。
