ブログ
ブログ一覧
謎解きクロスを聞いてみた
パズル小説をChatGPTに聞いてみたら、なかなか面白い返答をもらったので、調子に乗って「謎解きクロス」を聞いてみた。
【私】 こんにちは。「謎解きクロス」について、なるべく詳しく教えてください。
【AI】 「謎解きクロス」に関する情報は、アップロードされたファイルには見当たりませんでした。もし具体的なコンテキスト(例えば、ゲームやパズルの名前、特定の出版物など)があれば教えてください。そうすれば、より正確な情報を提供できます!
【私】 はい。「謎解きクロス」は、商標登録されているコンテンツで、ミステリーウォークの問題などに活用むされています。本も出ています。
【AI】
「謎解きクロス®」は、日本初の新しいクロスワードパズルで、問題文が箇条書きではなく、一つのエッセイや小説などの文章になっている点が特徴です。 ナゾトキクロスこの形式を活かして作られた物語は「パズル小説®」と呼ばれ、ミステリー小説のストーリーを楽しみながら、キーワードを拾い集めてクロスワードを解き、最終的に真犯人を探すという新感覚の謎解き体験を提供します。 福山図書館
「謎解きクロス®」は、地域活性化のための謎解きイベントとしても活用されており、伊豆下田、信州上田、松本、須坂、群馬の下仁田、福島の喜多方、東京の西小山、中目黒、祐天寺、渋谷などで実施されています。 ナゾトキクロス
書籍としては、2019年6月に「小学生から大人まで楽しめる!謎解きクロス® パズル小説 新感覚ミステリーからの挑戦状」がごきげんビジネス出版より刊行され、電子書籍やオンデマンド印刷で入手可能です。 Amazon
また、リアル脱出ゲームを手掛けるSCRAP出版からは、直木賞作家の道尾秀介氏とコラボレーションした「究極のクロスワード本」が発売されており、超リアルな捜査資料をもとに未解決事件を解き明かす内容となっています。 スクリプ出版社
なお、「謎解きクロス®」は商標登録されており、パズル名を商標として登録することで、同じ名称で他社が商売することを防ぐ効果があります。 ノート
このように、「謎解きクロス®」は、文章形式の問題文とクロスワードパズルを組み合わせた新しいスタイルのパズルであり、書籍やイベントを通じて多くの人々に楽しまれています。
【私】 ありがとうございました。とても参考になりました。
【AI】 どういたしまして!お役に立ててよかったです😊 「謎解きクロス®」、面白そうですね!もし実際に挑戦してみたり、新しい情報があれば、ぜひ教えてくださいね✨ また何かあれば気軽にどうぞ!
パズル小説って何?
■ChatPTに聞いてみました。
「パズル小説」について教えてください。
【AI】
「パズル小説」とは、読者に推理の楽しみを提供するミステリー小説の一種で、論理的な謎解きが重視される作品を指します。特に本格ミステリーに分類されることが多く、探偵役が論理的推理を駆使して事件を解決する構造が特徴です。
【パズル小説の特徴】
■論理的な謎解き
・犯人当てやアリバイ崩しなど、読者が論理的に推理できる要素がある。
・伏線や手がかりが適切に配置され、後の展開で明らかになる。
■フェアプレーの原則
・読者に対して、探偵と同じ情報が提供され、公正な謎解きが可能。
・クローズド・サークルの設定が多い
・孤立した屋敷や密室など、登場人物が限られた環境で事件が起こることが多い。
■探偵役の存在
・探偵が論理的に事件を解決する役割を担う。
■代表的な作家と作品
・アガサ・クリスティ(『そして誰もいなくなった』)
・エラリー・クイーン(『Yの悲劇』)
・ジョン・ディクスン・カー(『三つの棺』)
・松本清張(『点と線』)
・綾辻行人(『十角館の殺人』)
※パズル小説は、読者が推理を楽しむために設計された構造を持ち、論理的な謎解きの魅力が詰まっています。興味があれば、古典的な本格ミステリーから読んでみるのもおすすめです!

AIによろしく!
私は、AIのすばらしさを知っている。しかし、AIをクリエイティブな作業に使おうとは思わない。
なぜなら、クリエイティブという人間にとって一番大切で、苦しいけれども達成感のある行為を、手放したくはないからだ。
自分が作ったものよりも、ロボットが作った料理のほうが、結果としては「美味しい」と評価されるかもしれない。人間では、とてもできないアート作品も、AIなら、あっという間につくり出してくれる。
ただ、そこにはクリエイティブな場面はない。一番おいしいところ、生きていてよかったと思える瞬間がないまま、結果だけが「整ってしまう」ことになる。
自分で考えること。自分で手を動かしい、つくりあげること。AIにやらせたほうが効率的で、作品も、世界のクリエイターの「いいとこどり」をしてくるので、完璧にみえるかもしれない。
ただし、そこには人間特有の「あそび」がない。
あそびがない時間は、プロセスが「つまらない」ので、人間に達成感や充実感、幸福感をもたらすことはない。
私は、生成AIが生み出した疑似アートには、違和感を感じる。写真でもそうだ。生成AIがつくり出した絶世の美女には、一分のスキもない。しかし、3秒で「あきる」。
手前みそになるが、私が自分で描いた絵は、3時間、飾っていても、あきない。それどころか、30年飾っていても、いつも「お、なかなかやるじゃないか」と感じられる。
それは、苦労して自分で描いたという体験があるからだ。
他の人には、その体験がない。なので、私の絵は、私が思っているほど、価値はないだろう。
それでいいと、私は思っている。そして、私のように、みんなに「自分で描いた絵」を学に入れて飾ってほしいと思っている。それが、私の使命、ミッションとなる。
私は、実売価格5000円で、自分の描いた絵を提供したいと思っている。額に入れて8000円。それで儲けるつもりはない。ただ、その絵が気に入ったら、ずっと飾っておいてほしい。
そして、自分にとっての「絵」を発見して、それを飾って、生活のなかに「自己肯定感」を生む場をつくっていただきたい。それが私のミッションなのである。
大吉くじは、AIにはできない。だから、私が、一つひとつ、手作りをしている。
そして、私が大吉くじを作っているとき、幸せな時間を過ごしていることを、感じ取っていただきたい。
すでに、1万個以上の大吉くじを制作した。
その時間、私は、とても幸せだった。これをロボットや、コンテンツ制作、考えることをAIに任せてしまったら、人生の楽しみはなくなってしまうだろう。
これが、生成AIとの「付き合い方」なのである。
あ、さうだ。大吉くじについて、AIに聞いてみよう。chatGPTは、知っているだろうか。

棋士は考えている
将棋が大好きだ。棋力は、とてつもなく低い。覚えたての子ども相手なら、たまに勝てるかもしれない。ふつうにやれば、すぐに負ける。
そもそも勝負する気がない。それでも、こちらの射した手に対して、どんな手を打ってくるか、未来が楽しみで仕方ない。もし、勝ちそうになっても、正解とは別の手を指す。
そんな私だけれど、将棋界のことは、ずっとウォッチしている。何せ、従妹が日本初の女流棋士の一人だったから。将棋新聞も、初回から10年くらいとっていた。
なので、棋士がAIにはかなわないとわかったとき、「もう将棋に関心を持つのはやめよう」と思ってしまった。ところが、藤井さんがすい星のごとく現れて、変わった。
棋士は、考えて、将棋を指している。それに対して、AIは考えていない。それでも、考えている人間がかなわないほど、強い。その現実が、将棋の世界なのである。
これは、生成AIとの付き合い方を示唆してくれる。
人間は、考えることから、逃げてはいけない。下手な考え休むに似たりであるにせよ、考えることそのものが、人間の特権なのだから。
AIは、将棋を指しているのでもない。だから、勝っても負けても、行動は変わらない。しかし、人間は考えている。だから、幸せにもなれるし、不幸のどん底にも落ち込む。
もっと、自分で考えたい。私は、もう遅いけれども、最近また、宇宙について考え始めた。だって、AIは、宇宙について計算することはできても、考えることはできないから。
いずれ、量子コンピュータができてしまえば、計算では、どんな転載も、かなわなくなる。それでも、量子コンピュータは、考えているわけではない。
AIは、ひたすら計算している。そして予言してしまうが、シンギュラリティがくると思われたときにも、AIは、考えていない。初期値によって、ブレてしまうから。
カオス理論と、ゲーデルの証明がある限り、AIは「考える人間」を超えることはできない。だってAIは、整数で計算しているだけだから。
プランク定数も、超弦理論の振動も、どんなに深く、多次元で計算をしても、「考える」ことはできない。
そして考えることこそ、人間存在の本質。それゆえ、私は毎晩、宇宙論を半数して、眠りにつく。いつ、死んでもいいように、何度も何度も、考えている。

生成AIとの付き合い方
生成AIに短歌を作らせ、おまけに英訳までお願いしたら、75点くらいの、正しいけれども微妙な短歌を考えてくれた。そこで、よくよく考えてみた。
この技術を、私は、どのように活用すれば、いいのだろう、と。結論は、わかっている。ただ本当に、それで大丈夫かと、研修を重ねた。人体実験である。
この考察は、生成AIに限らず、テレビやネット、というよりもコンテンツ全般にわたるものだった。スマホやテレビやネットやSNSが悪いのではなく、「使い方」なのである。
クリエイティブな生活は人間にとって大変重要なもの。クリエイティビティこそ、私たち人類のもつ「宝物」なのである。その宝物が、AIに奪われようとしている。
そう考えたときに、思い当たることが少なくなかった。そして自分の生活を振り返って、三人の言葉を思い出した。
まず、在原業平の和歌。
「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」
~2023年8月22日、急性大動脈解離で救命搬送された私は、ICUに入る前に、あまりにも突然の入院だったので、辞世の句を古今和歌集に借り、長男に伝えていた。
1週間後、九死に一生を得て、何とか生還した私は、その後1か月間ほどすべての情報から遮断された病室で過ごした。
そのチカラを借り、1年後、2024年9月19日に千葉太海で50点余の「ハガキ絵」を制作。それは、かつて画家を志していた私にとって生存を確認できる重要な手段でもあった。
その後、減塩・禁酒生活をつづけながら、スマホ断ちをしたり、都会断ちをしたり、試行錯誤を繰り返した。そして、改めて、あま偉大な哲学の巨人に思い当たった。
デカルト「我思う。故に我在り」
パスカル「人間は、考える葦である」
詳細は省くが、生命があることの奇跡を実感できた私にとって、宇宙を考え、人間存在の意味を考えることは自然なことであった。
それに対して、テレビやネットでシャワーのように流れてくる情報が、いかに空しいものか、思い知らされる。世の中は便利だけれども、自分にとっては、よくない面もある。
前からテレビのコンテンツ、とくにバラエティは大嫌いで、なるべく観ないようにしてきたが、なぜ、嫌いか、改めて確認できた。
テレビも、ネットも、バラエティと呼ばれるコンテンツは、例外なく、私の生きるチカラ、想像するチカラを奪っている。元気がなくなる。それに尽きる。
ただ、スマホが悪いわけではなかった。スマホ断ちでは、仕事にならない。問題はスマホではなくコンテンツである。必要な情報は、ちゃんと価値を生むので受信してokとなる。
ちょっと、省略するが、生成aiも、似たような視点で使ってみて、確認できたことがある。
短歌を作らせたり、イラストを作らせたりしても大活躍している生成aiだが、クリエイティブな部分を生成aiに任せてはいけないと私は思っている。
なぜか。
それは、クリエイティビティが、人間存在の根源に係っているからに他ならない。
ゼロからイチを生む楽しさこそ、人間を鍛え、進歩させ、そして何よりも「幸せ」にしてきた。クリエてぃぷな作業は、達成感、到達感を生み、それが大きな幸福感につながる。
その、一番大切な、デカルトとパスカルの発見した人間存在の根源を、あっさりと生成AIに差し出してはいけない。
一番美味しいところを、他人にあげてどうする。生成AIに上げて、どうするのか。バラエティは他人のommunityの楽しさであり、出演者の幸せであり、自分のものではない。
結局、そういうことだ。
私がカーナビを使わず、地図情報のみを使って運転しているのも、同じ理由。ドライブの楽しさが、カーナビによって半減してしまう。
私たちは、旅人である。
旅は、自分で考え、自分で行動するから楽しい。観光ツアーも決して悪くはないけれど、それだけに固執すると「旅」での感動がうすれていく。
自由な「旅」こそ、人生の醍醐味。
旅人は、移動の効率を求めたり、損得で旅先を判断することはしない。出逢いを「金」で測ったりもしない。
生成AIとも、テレビとも、ネットとも、SNSとも、私は自由にアクセスして、自由に活用する。ただし、向こうから一方的に意見を押し付けてくるようなコンテンツは、観ない。
まあ、そんな感じなんです。はい。
