誰のせいでもなく~2020年は閉じていく

みなさん、お元気ですか?

日々の仕事に追われ、ブログに向き合うことができないまま、クリスマスまで走ってきました。一言だけ、ご挨拶を差し上げたいと思って、ページを開きました。

謎解きクロス®は、きっと今年、飛躍のチャンスを迎えていました。しかし、それは「努力しなさい」ということで、チャンスがきていることはわかっていても、具体的な行動に移るには、世界を支配しているコロナウィルスの鎮静を待つしかなさそうです。

ネットをみると、なんだか半分くらいが「批判」で今年を振り返っているみたいで、読む気になりません。批判だけの人生を贈りたい人は、どうぞ、ということで、クリエイターとしては、ここでいつも、太陽を感じて、歩いていきたいと思っています。

仕事も人生も、今がどんな状況であっても、それは誰かのせいではありません。いいことも、悪いことも、ひっくるめての人生なのです。コロナ禍も、オリンピックができなかったことも、あっと驚いた「講演収入」がなくなったことも、誰のせいでもありません。

もちろん私のことでいえば、謎解きクロス®がブレイクできなかったのは、コロナ禍のせいでもなく、すべて私の責任です。それを、しっかりと受け止めたところから、明日、そして来年が始まることになります。

みなさん、ぜひ、来年の謎解きクロス®とパズル小説®の展開に、ご注目ください。時代の風邪に乗って、全国に展開できているはずです。

良いお年をお迎えください。

2020年12月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ある日、突然には始まらない

パズル小説®作家の廣川州伸です。いつもご支援いただき、深く御礼申し上げます。

今日は、ちょっと生意気なことを書きます。ものごとは、すべて、「ある日突銭」には、始まらないというのが、私が実体験から学んだことです。ラッキーなことは、すべて、「お膳立て」の結果でした。

たまたま、なんてことが起きるのは、本当に珍しく、ありがたいことなのです。ですから、人と人との出逢いは、ありがたいのです。

で、パズル小説®も、それが来年、ベストセラーになるりも、実現したら、ということですが、みなさんには「たまたま」でも「偶然」でもなく、地道に、日々、準備してきたということが、みえています。

でも、そのプロセスを知らない人からみたら「何て、ラッキーなやつなんだ」と勘違いするかもしれません。

ベストセラーも、ミリオンのヒット曲も、背景には必ず、そこを求めて推進してきた人、夢をもち、それをあきらめなかった人がいて、なおかつ、そのことに気付いて、応援してくれる人がいます。

500人の、成功した経営者に、そのことを聞くと、みんな「思い当たる」といいました。だいたい、10年から20年、そのことが始まるまでに努力を重ねていました。

そういう人にしか、成功は、ほほえまないのです。

一方、世にある「成功を解く書物」の、なんとあさはかなことか。ラッキーが、ただ夢をみるだけでいい、願うだけで叶うなら、誰も、10年20年と、努力をかさねていったりはしません。

というわけで、私は2006年からミステリーウォークの推進を始め、パズル小説の模索も、2010年から進めてきました。そう、勝浦で、最初にクロスワードパズルを使った謎解きを考案したのが、2010年の3月。

あのときは、チリ地震による津波で、勝浦の河川が3メートルほど高くなり、逆流していくのを見ていました。まさか1年後に、東日本大震災となるなど、知りもせず。

それから10年。だから、私は知っています。そろそろ、チャンスはめぐってきます。そのチャンスをものにしたら、みなさんに、作品として、おすそわけいたします。ご期待ください。

2020年12月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

パズル小説®で、何が変わるのか

おはようございます。日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。本来、沖縄の各地をレンタカーでまわり、パズル小説®のサンプルをもっとプレゼンしているとひろですが、コロナ禍の第三剥が収まらず、規定のキャンセル料を支払って、不要不急の外出を自粛しました。

東京にいると、仕事が際限なく入ってきます。週末は、たまっていた10時間分のテープを聞き、20時間かけて原稿化します。何度計算しても「48時間のうち30時間の仕事」になるため、残念ながら、この週末は、作家活動はお休みとなります。来週、じっくりとビズる小説®に取り組みます。

ところで、なぜ私が人生の余暇時間のすべてをかけて、パズル小説®の全国展開を目指しているのか。年末なので、改めて考えてみました。そう、もう師走ですし、うっかりしていると何の反省もなく、元旦を迎えてしまいます。だから、こういう仕事がこんでいるときこそ、考えることが必要となります。

で、考えました。降りてきました。それは、いずれパズル小説®が全国の地域プロデューサーに注目され、「このやり方なら、コロナ禍でも、地域の魅力を報せることができるなぁ」と気づき(実は、まだまだ、ごく一部の人しか気づいてません)アプローチしてくれると信じているから。

それは、広告という手法を知らなかった人が、ブランディングを知らなかった人が、PRという手法を知らなかった人が、少数だが、地域で進められているパズル小説®を入手し「これって、うちり地域でもいけるんちゃう?」と思って、連絡してくれることになると、そんなロジックです。

地域プロデューサーは、あらゆる手法を駆使して、自らの手で、地域のみなさんとともに、地域の魅力をあぶりだし、それを伝え、確認するツールをもつべきです。いまもって、「パンフレット」と「スタンプラリー」だけでは、あまりにもさみしいでしょう。

ところが残念ながら、みなさんが知っている「あの地域プロデューサー」さんは、まだパズル小説®の可能性に気づいていません。というより、そこに「お金のにおい」「儲かりそうな話」がみえないため、めんどうだなぁという感覚が先に来て「しばらく、様子見」となるからです。

みなさんが知っている、マスコミに出ている有名な地域プロデューサーさんは、あなたの地域では活躍してくれません。あの九州の熊本でキャラクターを開発してくれた先生(もちろん私も大好きで、何度か面識がありますが)のような方は、本当にまれなのです。

では、どうしたらいいのか。たとえば深谷市にも、上田市にも、下田市にも、下仁田町にも、東急沿線にも、しなの鉄道にも、「儲かるか」より先に、「地域の魅力を、どう伝えるかを真剣に考えている地域プロデューサーがいて、パズル小説®の展開を支援してくれています。

そうです。自分のいる地域は、地域に住んでいるプロデューサーが、進めるほかないのです。

有名な地域プロデューサーさんが補助金をもってきてくれて地域活性化をすすめるときの、5分の1で同じ効果が得られます。たとえば500万円の予算で、有名な地域活性化策を進めようと思うのであれば、一般財団法人地域活性機構に連絡し、100万円の予算でパズル小説®を2000部制作することができます。

てずれみなさん、そのことに気付くはず。というのもパズル小説®こそ、今年の流行語大賞に輝いた「三密」に正しく対処する有力な方法の一つだからです。そのことに気付いている有名な地域プロデューサーもおられますが、いかんせん「効果的ではあるが俺は儲からない」と感じて、手が出せない。

では、どうすればいいのでしょう。

かんたんなことです。有名な地域プロデューサーにコンサル料を支払うのではなく、地域産品を10万円(1回のコンサル)分購入し、パズル小説®の制作を依頼し、「自ら」地域のみなさんに配布すればいいのです。あなたが、地域プロデューサーとして、自分の大好きな地域を輝かせればいいのです。

来年、もっと、たくさんのみなさんがパズル小説®の効用に気付いてくれること。それが私の、2021年の抱負となります。パズル小説®を使って、みなさんが大好きな地域を、輝かせてください。

来年も、よろしくお願いいたします。コロナ禍は続きそうですが、よいお年をお迎えください。

2020年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ごめんなさい、沖縄のみなさん

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。

12月3日から、GoToCampaignとは別に、個人的に3泊4日の休みをとり、パズル小説®の沖縄バージョンを作成して、少しでも、沖縄のみなさん、ひいては全国のみなさんに、元気になっていただきたいと、2ヶ月前から企画していた、私の沖縄パック。

宿も、レンタカーも、飛行機も、三密対策をして、計画もバッチリでしたが、さすがに、今の状況で、出張はできません。泣く泣く、キャンセルさせていただきました。もちろん、バッチリと、キャンセル料金20%を支払い、少しは、関係者のみなさんにも、ご協力できたかと。(たぶん、GoToで申し込んでいたら、キャンセル料金は、かからない措置がとられたと思います)

その分、東京で、しっかりと原稿を書きます。

来年の春は、ちゃんと「ビジネス関連なら全員PCR検査をする体制」と「ビジネス関連なら、全員ワクチンを打つ体制」の見通しがたつと思いますので、まっさきに、沖縄に飛びます!

それまで、お元気で。

2020年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

思考時間をかけて熟成させる

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。今回は、人生について、ちょっと書きます。

50年前、みなさんと同じように、私も「天才」であり、かけがえのない人生が、向こうにあると信じていました。

その当時、何をしても「パっ」とうかんできました。これは、この年代の特徴で、いわゆる「はやみえ」するのです。何をするべきかということも、たぶん、数秒で決まっていたと思います。

今思えば、ただ考えていなかっただけなのですが、それで人生を乗り切れると信じていました。だいたい、やることは成功しました。

ところが、高校に入るときに、最初の「違和感」に襲われました。というのも、私は小石川高校に入って京都大学に進むつもりでした。

中学三年生のときに、いくつかの「ひらめき」をみせました。二十歳すぎてら、ただの人になり、その後は、ただのおっさん道を歩いた私ですが、15歳のころは、自分でもびっくりするくらい頭がクリアになっていました。

それで、いくつかの出来事を経験しました。

一つは、大学生が使うユークリッド幾何学の教科書に、証明の誤りを発見し、正しい証明を、ペーパーでいうと3枚ほど書きあげ、数学教授に封書で送ると、ていねいな返信がきました。

一つは、代々木ゼミナールの日曜ゼミに通っていたときのこと。数学の先生が、大学数学科の先生で、受験の技術だけでなく、たまに基礎数学理論の話をしてくれました。

そんな関係で、授業中、「三角形の内角の和が180度である」という定義だけを使って、接弦定理を証明しました。とともに、「円」の性質と「三角形の内角の和が180度」ということは、ともに「定理よりも強い呪縛がある公理に関わっている」ことを証明しようとしました。

授業後、そのペーパーをもっていくと、「君は、京都大学にいくといい」といわれ、その気になりました。結果だけいえば、18歳になった私は、自分が兄弟どころか、信州大学にも入れない学力だったことをつきつけられます。

高校の3年間、受験勉強をまつたくしなかったのですから、それもまた、今思えば当然のこと。でも、当時は、驚きました。京都大学の数学の試験問題を解くのに、2時間どころか10日間くらいかかったのですから。

同じく15歳のとき、練馬工業高校に行って工学系の先生を呼び出し、「アルミ」についてのヒアリング。それベースに実用新案の申請を考えていましたが、特許庁で調べてもらうと「やなぎやきんごろう」さんが、すでに取得していました。

奮起した私は、新しいゲームを考案し、実用新案を申請。それが通ったので、発明協会に持ち込んで、玩具メーカーを紹介してもらいました。たぶん、バンダイだったと思いますが、手紙を書いたら、ていねいな返事がきました。

「当社では商品化できない」といい、別の玩具メーカーを紹介してくれたのです。それで「見本」を制作し、メーカーに持ち込みました。残念ながら「市場に出してもヒットさせる自信がない」と、そこで止まってしまいました。

15歳の夏、中学3年生の夏休み、宿題を3日くらいで終わらせた私は、30日以上、朝から晩まで一人で絵を描いて過ごしました。そのとき生まれた絵は2枚。うち、自画像と名付けた一枚を観た美術の先生は、ショックを受けました。

どんなショックかというと、その年で、中学教諭を辞め、もう一度、画家になる道を進むことにしたということです。一枚の絵に、人を動かす力があるということを知りましたが、16歳のとき、その絵は焼いてしまいました。

あれから、50年。いつも、懸命に生きてきました。まぁ、悔いはないのですが、私の人生は、これからなんです。

ようやく、謎解きクロス®と、それを使ったパズル小説®という、これまで誰も踏み込んでいかなかった世界をつくることができました。

だから、これからなんです。そして、「0から1」を生み出したので、これからは「1から100」にしてくれるパートナーとともに歩く必要があります。

私は今、思考時間というコンセプトにとらわれています。人生は、何をしたのかという実体験とともに、何を考えたかという実体験も、重要な要素。そのとき、思考時間をしっかりとかけるということが、新たな発想を生む原点となります。

改めて、65年も生きてしまった自分をふりかえりつつ、あと、何年くらい思考時間がとれるのか、つらつらと考えている私です。

こんなことを考えて、書いているうちに、きっと新型コロナ禍を乗り越えるプロセスが、熟成し、浮かんでくるのだと思います。

2020年11月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

特許へのプロセスを発見

謎解きクロス®については、かつて、こんな経緯がありました。

まず、商標登録を済ませました。そのとき特許庁に相談にいくと「なぜ特許にしないのか」と指摘され、「公表して6カ月」以上、経ってしまったので、特許取得ができないことがわかりました。

これは、実は商標登録でも同じ仕組みになっています。

何とか、謎解きクロス®を「特許」に転換する方法がないか、1年くらい考えましたが、相当、難しいと判断。

ですから、まぁ、いいのかなと考えなおしました。

そもそも、謎解きクロス®の作品そのものは「著作権」で守られています。

謎解きクロス®7×7や謎解きクロス9×9で問題を提示するパターンは、廣川州伸以外が活用することは著作権法違反になってしまうので、できないということも、特許庁にいって教えてもらっていました。

それで「よし」としていました。

2019年2月、「パズル小説®」を商標登録でしばっておく戦略は、謎解きクロス®で学んだものです。そして、いよいよ、パズル小説®も登録商標となったので、これから、社会に出ていくこととなります。

さて、一昨日、黄昏散歩をしていたときのこと。降りてきました。1年間以上、謎解きクロス®を特許にできないかと、その道を模索してきたことが、ようやく、結実することになりそうです。

12月、少し仕事が落ち着くタイミングで、沖縄に飛びます。そこでは新型コロナ対策で、せっかくの夜も飲みに行かず、ホテルで過ごしますので、丸2日間、夜があいています。特許の書類を、まとめましょう。

ひょっとしたら、この特許は、歴史に残ることになるかもしれません。どうすれば、謎解きクロス®が、特許になるのか。特許庁でも、そのロジックを発見すれば、きっと大丈夫と、励まされました。

ここでのポイントは、これ以上、書かないほうがいいということです。告示は、しないほうがいい。ひょっとして、6カ月間、さらに悩み続ける可能性もあるのですから。

いずれにせよ、特許う申請をしたら、すぐに、オープンにします。2021年の元旦には、きっと、「今年は、パズル小説®とともに、謎解きクロス®も、大きく飛躍するでしょう」と、お伝えできると思います。

ご期待ください。

2020年11月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

すでに、つかんでいる未来

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。

さきほど、黄昏散歩をしていたら、浮かびました。テレビには、もうData放送が完備されています。そこで、パズル小説の「keyword」が、データ放送から降りてくるとしたら、どうでしょう。

まず、長編ミステリー風パズル小説®そのものが、謎解きクロス®の部分を除いたとしても、優れた長編小説になっていること。それがあれば、一つの小説で、二度、楽しめる。本格推理小説というのは、そもそも、小説としての面白さに加えて、謎解きや暗号の解読という要素が入ることで、二度、おいしい展開でした。

まさに、パズル小説®の完成形は、そうなっている。それが理想の展開なのです。すると、同じように、ドラマを観る面白さささもに「犯人あて」の楽しさがでてきます。それが、データ放送の展開なのです。

テレビで「そして誰も死ななかった」を観る。それでは、あかされない謎解きを、データ放送を使って展開します。

同じような仕掛けは、リアルな場面でもできそうです。実際、上田の謎解きさんぽでは、京都でしたかったリアル現実が小説世界に反映する仕掛けを進めています。

単純なのですが、坂にある階段を数えて、15段ならA、17段ならB、19段ならCなどとしておき、実際に行って、階段を数えることで、ABCのヒントのどれを使うか、決まるしかけです。

この方法なら、リアルな街に「行ってみて、確かめる」という行為が、一つ、必要になってきます。

これは、けっこうARとしてICT技術わ活用しなくても、実際に遊びとしても楽しいと思っています。

数える。測るという行為。眺めるという行為が、ヒントになっているパターンです。

パズル小説の世界は、きっと新しい小説世界を構築しています。すでに。

2020年11月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

下仁田町で、夢よ、ふたたび?

みなさん、こんにちは。日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。謎解きクロス®を使ったミステリー小説を書いています。

まだ、本格長編デビューはしていませんが、2021年秋の作品完成を目指して、CAMPFIREのCommunityを展開しています。

さて、昨年。群馬県の下仁田町で、パズル小説®を2種類、発刊していただきました。今年は、コロナ禍の関係で、あらゆるイベント、祭りが中止になって、私の出番もありませんでした。

それでも、何かできないかなぁと思っていたら、ふたたび、下仁田町商工会さんからお声掛けいただきました。

まだ、申し込んだだけで採択されていませんので、情報はここまでですが、地域活性化に、少しでも、貢献できたらうれしいです。

2020年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

機は熟して、京都へ向かう

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。今、京都をテーマとしたエッセイを考えています。

ずっと、たぶん5年前から、京都を舞台としたパズル小説®を書いて、世に問いたいと思っていました。その時はもう、毎年5000万人が京都を訪れ、街はパニック状態にありました。

電車はもちろん、バスでの移動は困難を極めます。有名どころの寺院の入場は長蛇の列。中国語がとびかい、韓国語も、東南アジアの言葉もありました。欧米からこられたみなさんも、観光地としてのラッシュに驚いていました。

そんな京都を舞台に謎解きクロス®の長編バージョンをつくり、旅行代理店に協賛してもらって本にしようと、いくつか、お声がけしました。まあ、友人のツテなので門前払いとはなりませんでしたが、企画を聞いても、鼻で笑う感じ。

ビジネスとして、すでに成立している「京都観光」なので、改めて、何かプロモーションをする必要がなかったのです。15年前、横浜の元町に行き、プレゼンしたときにいわれた言葉を思い出しました。

「この街は、黙っていても人がくるからね。ミステリーウォークは、必要ない」

お金を払ってくれるなら、考えてもいいということでした。京都もまた、同じような存在だったのです。そのような地域は、日本中、たくさんありました。そこで私は「各駅停車」の商店街にお声掛けするようになったのです。

新幹線が停まる駅は、たとえば熱海とか、小田原とか、横浜。出番はありません。下田、伊東、喜多方、松本、須坂、下仁田……例外は上田でしたが、JRではなく「しなの鉄道」がお客様となりました。

しかし、ミステリーウォークの企画してから15年、実際にやり始めてから12年メになる2020年。ついに「機は熟した」と感じています。

新型コロナ禍と共生する世界を考えれば、三密を避け、パズル小説®を活用して地域の魅力をアピールすることが、どんだけ効果的か。いずれ、全国の地域プロデューサーのみなさんが、気づくと思っています。

京都でも、必ず、パズル小説®のニーズがでてきます。10年、早かったのです。沖縄も、屋台村も、みんな早すぎた。だから、スタンプラリーでいいや、なんて思われてしまったのでしょう。

今、三密を避けている時代なのに、わざわざ、スタンプだけを求めて、どこかに行くでしょうか。

じっくりと、パズル小説を配布し、読者が、自分のペースで「ヒント」を求めて「京都に行こう」と思ってくれる。そんな時代が近づいています。

2020年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

アガサ・クリスティに挑戦する

パズル小説®全国展開プロジェクトの「ブログ」に、こんなことを書きました。本ブログにも、転載しておきます。

日本初のパズル小説®作家の廣川州伸です。CAMPFIREのCommunityで「パズル小説®全国展開プロジェクト」を推進しています。まだまだ、会員募集中なので、読書やパズル、街おこしなどに興味関心がある方は、チェックしてみてください。

ちょっと、感じていること、書きます。

私は、コンセプトデザインを作り出す仕事をしてきたのですが、たぶん、そのルーツをたどれば、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」の読書体験があると、今さらながら、思った次第。

ネタばれになるといけないので、そのストーリーを語ることはできませんが、最初に読んだときには、キツネにつままれたみたいな気分。一体、何が起きていたのだろうと思い、もう一度、初めから読みました。

何が驚きだったのか。やはり、今まで知っていた「ミステリー小説」のルールを見事に逆手にとって、これまでに成立してこなかった作品を生み出したことです。しかも、そこに「探偵」はいませんでした。

アガサ・クリスティは、「読者」を探偵の側に置き、「探偵さん、あなたはこの謎を解くことができますか?」と問うていたのです。

正解を知ったときの、驚きもまた、別格でした。「やられた」と思いつつ、だまされたことの気持ちよさもあり、自分のなかで、こりかたまっていた常識のようなものが、ガラガラと崩れていくのがわかりました。

そうか。ミステリー小説は、これでいいんだ。それが、アガサ・クリスティが教えてくれたことでした。探偵ホームズね怪盗ルパンも大好きでしたが、彼女の作品には、作家魂を刺激するコンセプトがあったのです。

ところが、ここに、中学生だった私の大いなる誤算があった。自分がミステリー小説を書くときには、少なくとも、世の中で一度も取り上げられていないアイデアの、画期的な作品にしなければいけない、と思ってしまったのです。

しかも若かったので、心の深くに、刻み込んでいました。

10代、20代と、ある意味では「アガサ・クリスティを超えるアイデア」の方向にチャレンジし、とうとう「自分にはできない」と、ちょっぴりあきらめて、実社会にでていったのが、29歳のときでした。

もし、「そして誰もいなくなった」を超えようと思わなかったら、別の作品を生み出して、文壇の端っこに拾われていたかもしれません。

チャンスは、何度かありました。

22歳のとき、ある女流作家さんと知り合ったときと、シナリオライターさんと知り合ったときも、弟子になって数年勉強すれば少なくともデビューはできたと思います。さらに進んで、25歳のときにも、弟子入りのチャンスがありました。

このころになると、文芸誌が募集するなんとか賞の一次予選は通過するようになっていました。ちなみに、当時のことですが、これは自慢することではなく、ふつうの文章が書ければ通過します。二次予選が難しく、一度も通過しませんでした。

大先生のところに通い、アルバイトとして企画と下書きの仕事を受ければ、数年後には、何とか作品を世に出すことができたと思います。

せっかく、誘っていただいたのに、「この世界に、誰も書かなかった小説を編み出す」ということにこだわった結果、飛び込んでいくことができず(もっとも、10代20代は生意気だったので、誘ってくれた作家より自分のほうが才能があると思い込んだ馬鹿者でしたが)。

ここで、みなさんが感じてくれていることがあるかもしれません。

私が、本プロジェクトで、パズル小説®の見本として世に問うミステリー風小説®が、なぜ、アガサ・クリスティのパロディの形をとっているのか。「そして誰も死ななかった」などという、面白味のないタイトルを、後生大事に守っているのか。

そうなんです。この作品は、あの不朽の名作を、アイデアレベルで、超えていこうとしています。それが、私の目時なのです。

一人では、とても太刀打ちできそうにない、この作品。でも、20人のみなさんが支えてくれれば、心が折れることなく、成し遂げられるかもしれません。

世界初は、もう決まっています。謎解きクロス®を使ったパズル小説®なんて、廣川州伸以外は、生み出せないからです。ただ、あの「そして誰もいなくなった」を超えるアイデアが、ちゃんと編み込まれているのか、そこが重要となっています。

これも、ネタばれになるから告知はできませんが、ヒントがない段階で、正解にたどりつく人は、1万人に一人。本にでているヒントで正解するのが5%。地域活性のために支援してくれているみなさんの指定する地域に配布される「ヒント」を使えば、半分の方が解けます。

1年後、2021年10月、電子出版で刊行となる「長編ミステリー風パズル小説®そして誰も死ななかった」は、そいうい作品になるのです。

仕掛けだけは、すでに出来上がっています。自分が読者だったら、度肝を抜かれる「完璧なアイデア」です。

本日の雄たけびは、ここまでとさせてください。

2020年10月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster