謎解きクロスの効用は、近い将来、脳科学者によって解明されると思っています。
謎があるから、考える。考えるから、AIとは別の知恵が身に付く。だから、囲碁や将棋でAIにかなわなくなったとしても、別のモノサシでみれば、そこにある「人間ドラマ」に惹かれて、囲碁将棋ファンは減らないと、私は思っています。
ですから、ミステリーファンが減らないように、読書をする人が減らないように、謎解きクロスのターゲットも、極端に減ることはないでしょう。
そこにあるのは「人間は考える葦である」というパスカルの言葉と、「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの言葉。
私たちは、現代社会において「瞬発力」が求められています。これは、テレビの影響が大きいと思うのですが、何か減少があったら、即刻、反応しなければいけません。そこに「思考」もなく、考える姿勢もありません。
人生とは何か。
生きるとは、どういうことなのか。愛とは何か。愛することは、なぜ、私たちを幸せにできるのか。
そういうことを考えなければ、私たちは生きていることの意味のようなもののなかの多くを、失ってしまうと思うのです。
街を歩く。
クルマで通り過ぎるような街を、歩く。それも、のんびりと、時間を使って、よりみちをしながら、歩く。
考えながら、歩く。
人間は、歩くことで脳が活性化されて、いろいろなアイデアが浮かんできます。そういうふうに、できているのです。
だから、理由はなんでもいいのですが、街を歩く時間を「無駄」と思う必要はありません。
考えることは、感じることと表裏一体。
瞬発力で行動している人は、私は、感性が鈍っていくと思っています。本当の感動は、瞬間では足りません。じわじわと、心の底から、しみてくる感動も、あります。
夕陽をみて、感じたこと。「わぁ、きれい」
でも、5分くらいみていて、さらに感じることもあります。それは「きれい」という表層的なよろこびを超えたところに、あるものです。
人生は、瞬発力だけでなりたっているのではありません。
「うさぎ」と「かめ」
「瞬発力」と「持続力」
「刹那」と「永劫」
「単発」と「持続」
どちらも、必要なことですが、そして互いに関係があることも事実でしょうが、その「クオリティ」は異なっています。
瞬発力を、いくら高めても、持久力はつきません。別の筋肉が必要なんですね。
刹那のよろこびを、いくら積み重ねても、永劫のよろこびには届きません。
単発の連続が、持続ではないのです。単発は、あくまでも単発。各駅停車と急行は、似ていますが、各駅停車と「特急」は、車両の構造そのものが異なっています。
そんなことを、考えるのもまた、街歩きの楽しさです。
みなさん、10月21日で、渋谷謎解き街歩きは終了します。
ぜひ、お楽しみください。