パズル小説®作家の夢

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2020年度が始まりました。昔は、この日を「エイブリールフール」だとして、あちこちで、みなさんウソをつきまくっていましたが、ネットやSNSが全盛の今、フェイクニュースもあたりまえすぎて、インパクトがありません。何をいっても、どうせネットの99%は偽りの情報なんだから、となってしまいます。

そこで、夢の話をしましょう。2008年9月に赤坂咲かすでミステリーウォークのトライアルを始め、2008年10月に伊豆下田で第1回ミステリーツアーを開催したときには、全国でミステリーツアーを実施し、疲弊している地方都市を元気づけ、活性化することが夢でした。また、2014年に謎解きクロス®を開発したときは、これでミステリーウォークによる地域活性化が拍車をかけると思い、やはり同じように全国展開を夢見ていました。

ところが、私の身体は、ひとつしかありません。さまざまな事情があり、謎解きクロス®の方向性を「イベントのツール」から、自立した「ミステリー小説のひとつのジャンル」として独立させ、私は「作家」に向かいほうがいいと判断。謎解きクロスによるミステリー小説を販売し、そのテーマについて、地域活性を掲げて、地域の謎解き、魅力を謎解きにしていくことを考えるようになりました。ここで私は、ミステリーウォークの企画運営者として全国を元気にするのではなく、それは地域のプロデューサーにお任せして、ツールだけを創作する作家になることを夢としました。

2018年の秋から、私は謎解きクロス®を使ったミステリー小説を配布することで、地域の魅力をクローズアップし、活性化につなげるというコンテキストをつくり、小冊子作製を単独で実現することを目指しました。電子書籍版の「謎解きクロス」を、ごきげんビジネス出版の伊藤編集長につくってもらい、パズル小説®の普及に努めたのが2019年のこと。その集大成として、群馬県の下仁田町では「観光地編」「中心地編」という二種類のパズル小説®をつくり、ポスターまで作成してアピールしました。

そして、2020年3月15日。いよいよ「パズル小説®」の商標登録が終わり、私は独自の道を、堂々と歩いていく「作家」となりました。かつて高村光太郎が「道程」という詩で「ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道はできる」とうたった世界に、ようやく進むことになったのです。今、私の夢は、パズル小説®を、ミステリー小説のひとつとして、日本推理作家協会に認めていただくこと。来年の日本推理作家協会の新年会には、堂々と、真正面から参加することです。

小さな夢? いえいえ、8歳で毎日新聞の「小さな目」に「ラッパ」という詩が載ってから、13歳で小さな親切運動で全国初、中学1年生で兵庫が入選して1万円をもらい、渋沢栄一の息子である渋沢秀雄さんから直筆の手紙をいただいたときからの、18歳で「梅の花の咲くころ」という原稿用紙50枚の小説を書き、文化祭で50部限定で自費出版したころからの、あるいは都立大を休学して小説を書き、すばる文芸賞の一次通過者となったころからの、長い歴史のある夢です。

45歳でビジネス作家、50歳にして週末作家となり、還暦のころに謎解きクロス®を発案し、64歳の今、ようやくパズル小説®作家となった私は、数年後、必ず日本推理作家協会の会員として、全国地域の魅力をパズル小説®で紹介し、100万人のどくしゃにむけて、パズル小説®の大作「そして誰も死ななかった」で、日本推理作家協会特別賞をもらっていることでしょう。

これからも、ご支援のほど、よろしくお願いします。

2020年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster