みなさん、お元気ですか? 何故、絵が好きなのか、書いておきます。
毎日、夢を見続けてきました。そもそも、いつのころからか、一回に90分以上、眠ることができなくなっていました。それで、夢をみて目覚め、トイレに行き、また眠る。それを3回か4回、くりかえすと、もう眠ることができなくなります。それで、起きて活動し始めるわけです。
たぶん、30年とか、40年とか、そういう正解を続けています。昨年、2023年8月24日緊急入院して、九死に一生を得たあとも、それは、変わることがありませんでした。高校生の頃は、一回で、最低8時間、最高記録は27時間も眠ってしまったことがありましたが、どこかで、体質が変わったようです。
そんな私は、今、もう一度、絵描きになろうと思っています。なんで、絵が好きなのか、思い当たったからです。おそらく、他の人には見えにくいものが、ふつうに観えているのだと思います。絵を見ると、作者の描きたかった世界が、ストレートに見えているのです。
自分が、何を観ているかは、他人に伝えることはできません。何かを見るということは、すべて、別々の人間のなかにある脳のなせる技。他人の脳がどうなっているかを、何か客観的なデータを受け取ることができたとしても、一人ひとりの脳同士が、互いに何をみているかは伝え合うことはできません。
そういう世界に、なっていたのです。
私の見ている赤や青が、他人の赤や青と同じかどうか証明はできないけれど、「少し違う」可能性は、子どもころから感じていました。いろいろな絵の中から、すぐに「好きな絵」がわかったのです。その理由は、ピカソの言葉が教えてくれました。
私たちは、色と色との間に、別の色が「見えてしまう」ような脳になっているのです。ピカソは、その脳の性質を利用して、不思議な絵を描いていました。パッと見た世界と、じっくり見ている世界と、見えている世界が異なるような絵を発見したのです。
5分見ていた絵と60分見ていた絵は、見え方が違うと、ピカソは説明していたのですが、脳生理学でも、脳が見えない色や形を「視てしまう」ことが証明されています。私たちは、見えるときと見えないときも、ある。一瞬で、60分後の世界がわかってしまう人もいます。
私は、もともと、そういう目というか脳を持っていたようです。それゆえに、いい絵と悪い絵、というか好きな絵と嫌いな絵の判別ができ、絵を見るのが大好きになっていたのです。とくに、ガラスごしではない絵は、別の色が直接的に浮かんでくるので、それはもう、美しい世界がありました。
18歳のとき、銀座の吉井画廊で開かれたスーチーヌ展で、画廊の人に言われました「君には、見えているんだね」と。私は、見えていたから「はい」と応えました。その人は「画家になるといいですよ」と教えてくれました。「だってスーチーヌが描いたものが見えているのだから」と。
ただ、色は見えていても、デッサンが、いまひとつ、理解できていなかった。デッサンは、地道な努力が必要な世界。私には、ちょっと、向かなかったのかもしれません。ただ、見えていたんです。そして、今も、見えています。九死に一生を得て、このギフトを活かさなくてはと考えているのです。