私は、どうもAIが生成する人間の画像に、なじむことができない。この世のものとは思われない、違和感を感じてしまう。カメラマンの写真はOKだが、その写真を活用して合成された作品には、何となく違和感がある。
言い方は、難しいが、とくに女性や子どもの場合、AIの画像は「キモイ」のである。笑顔が、おかしい。具体的には言えないものの、ぞくっとする。怖い。なぜかと、ずっと考えていたが、最近、少しわかってきた。
きれいだけれど、浅いのである。表層しか、見えない。その向こうにある、人生もない。たとえば、ピカソの絵は凄いと感じるが、レジュの絵は表層的に見えてしまう、そんなことになる。
ド・ラ・フレネーやニコラ・ド・スタレーも、ずって観ていられる。ジュルジュ・ルオーやレンブラント、コロー、もちろんゴッホやセザンヌ、みんな素晴らしいと感じている。その感性ゆえか、AIのビジュアルに違和感がある。
これは、おそらく、「違和感のある人と、ない人」がいるという世界。もともと脳の機能が、遺伝や生誕のときのDNA配列、その後の生育環境によるDNAスイッチのオン・オフの関係で、一人ひとり異なることからきている。
だから、誰がいいとか悪いとか、正解か間違いかという単純な問題ではない、もともと、CGのアニメに強い違和感があったので、その延長で、AI芸術があるのかもしれない。
なぜ、こんなことを考えているかというと、実はギャラリーを借りて、自分の作品を展示・販売しようと思っているからだ。ひょっとしたら、100人いたら数人は、お金を出して、私の絵を買ってくれるような気がしている。
1点5000円のハガキ絵。これが、売れるかどうか、楽しみ。1000枚のハガキ絵ができたら、ギャラリーを借りたい。それは、大吉くじのプロモーションことかを検証する場でもある。