私と今の若者との相違点は、たくさんかる。なかでも大きいのが、50年前を知っているか、どうか、だと気が付いた。私の記憶の中には、確かに50年前の出来事が、こびりついている。
その頃の作品は、赤面ものではあるものの、残っている。それゆえ、未来をみる「幅」が、50年前を知らない若者と違っている。その良し悪しはあるものの、決定的な違いだ。
私が二十歳のとき、私は、その事実を知ってはいたが「実感」できなかった。そして、50年以上、生きてきた先輩たちの言葉を抹殺していたように思えている。
言葉というよりも、そもそも、50歳以上の人々の存在そのものが、二十歳の私には「年寄り」として抹殺されて、みえていた。私が観ていたのは、せいぜい四十代までの男女だった。
おそらく、今の若者たちも、似たようなものではないか。
そして私は今、大吉くじプロジェクトを普及させようとしているものの、「なしのつぶて」攻撃に遭って、少し焦っている。このまま、社会に埋もれてしまうのかもしれない。
だれも気づかないまま、十年後に、注目されるのかもしれない。
前は、それでも「いい」と思っていた。しかし、そんなことを言う余裕はない。それが、来年70歳を迎える私の実感。
私の50年前の時間が、あのころに貯めた人生の時間が、これから生きるかどうか。生きる前に、死んでしまうのか、どうか。いずれにせよ、私は、また画家になろうとしている。