ブログ
ブログ一覧
「くじ」と「みくじ」の差
「大吉くじ」は、登録商標です。2023年3月3日時点では、ネットのどこにも、またメディアの記事にも「大吉くじ」という言葉はなく、プロモーションなどでの独占的使用権(商標)が、特許庁から認められています。
ところで、2023年5月に、2023年正月に、名古屋で「大吉みくじ」というものが制作され、配布された。好評なので、今後も続ける旨の記事が出てきました。同じようなことを考える人は、いるものです。
ただ、ちょっと気になったのは「大吉くじ」の構造、すなわち、そこで制作される「大吉みくじ」が、形容詞が異なる「大吉」というところ。私の企画書そのままのような文章で、みんな大吉というアイデアの背景を語っているところ。
まあ、そういうこともあるでしょう。そこにあるコンセプトは、私が考えて好評していたものと、ほとんど変わりません。
実は「企画」には著作権がないので、誰がパクッてもいい。社会がよくなけば、地域が活性化すれば、企画はパクリでかまわない。それゆえに、著作にして著作権を発生させたり、商標登録をしておく。
すると、少なくとも私は、「大吉くじ」のネーミングを安心して使える。この大吉くじの商標ライセンス料でボロ儲けするつもりはなく、むしろ逆で、名古屋のような事例が、たくさんでてほしいと思っています。
で、それはいいとして、「大吉くじ」と「大吉みくじ」は、何が違うのかという問題あります。
「くじ」は、たくさんのものから「当り」などを引き当てる「抽選」の意味になりますが、「みくじ」は「御籤」ともかきますが「神籤」すなわち「神」の意思を示す「籤」になり、神社などでは、そこに「御」というていねいな言葉をつけて「おみくじ」としている。
私は、「大吉くじ」でワンセットで商標登録をしているので、今後も「大吉みくじ」も「大吉おみくじ」も展開するつもりはない。
全国のマーケッターのみなさん、決して「パクリはNG」と、商標の利用禁止訴訟などおこすつもりはさらさらないので、どんどん「大吉くじ」を流行らせていただきたい。

埋もれていく不安
毎日、少しずつ大吉くじを作っている。おえそらく、金の鈴付きのプレミアム大吉くじが、2000札くらい、事務所に山積みになっている。
六畳ワンルームの事務所での存在感は大きい。
また、自作の「ハガキ絵」も、オリジナルは30点ほどだと思うが、NFTにして額に知れたものが、400点ほどあると思う。
いずれも、顧客に頼まれた商品ではない。
パンフレットも、たくさんある。ただ、もっと先にやりたいことが山積しているので、それができるまで、Amazonでの大吉くじの販売はない。
また、NFTも、条件は整えているものの、まだバーコード化したり、市場に出したりはしていない。これからなのである。
今、また持病の急性大動脈解離が起きれば、今度は間違いなく「九死に一生を得ることができなかった」となり、恐怖のブラックホールにおちていく。
そのとき、きっと大吉くじも、ハガキ絵も「何で、こんなことに情熱をもってとりくんでいたのかなぁ」と、あきれられ、廃棄されることだろう。
後継者も、配布してくれる仲間も、今はいない。
ただ、7人が、サポートしてくれている。それを励みに、日々、大吉くじを折り続けている。

地域から立ち上がる道
大吉くじ ありますのノボリは、なかなかいい感じ。11月13日に、クルマで下仁田町商工会に行って、店舗やイベントでの活用について、打ち合わせしてきまた。街にたなびく「大吉くじ」が、全国に広がる日は、そう遠くない気がしています。

こんな夢を見た
毎晩、夢を見ているのだが、今朝のは、ちょっとステキな夢だった。何よりも、パステル調の、ミュージアムのような建物が、よかった。
ロープウェイに乗って、たどりついたのは近代的なプラネタリウム。明るいままで、天井をみると、ちゃんと星座や天の河が観られる。
ファミリーが遊んでいて、子どもの声が聞こえる。
と、いつものように、私はトイレを探す。だいたい、和風旅館、大きな観光ホテル、あるいは時代をさかのぼって学生時代に住んでいた下宿で、トイレを探す。
あった。明るく、きれいで清潔なトイレ。とても広い。どんどん進んでいくと、ソファがあった。そこに、茶色い縫いぐるみがおいてある。
そこに放尿するのかと思ってびっくりしていると、こどもの声で「そこは違うよ」と。確かに、さらに奥にはちゃんと、アサガオが並んでいた。
その一つで用を足しているうちに、目覚めた。子どもの頃は、ここでオネショになるのだが、大人の私は、ちゃんと目覚めて、トイレに行くことができる。
いずれ、ここで、おもらしをするようになる。ただ、どうせもらすなら、こういうステキな、パステルカラーのトイレに行きたい。
ま、まだ先のことと信じているのだけれど。

きらめく時間
夜の街を歩いて、気づくことがある。みんな、暗闇が怖いということ。夜の街のどこかに、きっと、あのブロックホールがある、そんな気がしてきた。
一昨日、フレンチをごちそうになり、久しぶりに伝説の人と話ができた。どうしても急性大動脈解離の話になり、九死に一生を得たことを、長くならないように、伝えることになる。
そこで励まされた言葉が「その体験を書いてください」。まさに、私は、自分の体験を語れる時代に入ったということか。そういえば、竹早高校の同窓会でも、臨死体験が感動につながった。
これまで私は他人を取材して、彼が体験したことを、自分のことのように語ることで、講演を成立させてきた。だが、もう一歩、聴講者の心に踏み込めなかった。
それは「自分の体験」の重みがなかったから。
これから私は、この世界には「今」しかなかったという体験を語り継いでいくことになる。たとえ明日がなくても、少なくとも、考えて、感じている私がある限り、まだ「今」はある。
それが私の、体験したこと。
だから「今」を大切にして、「今」を正直に生きたい。その視点に立つと、すべての外界は貴重にみえてくるし、自分が生きていることの奇跡が、いとおしくなる。
人との出逢いが、大切なことも、そこから来ている。
