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こんな絵を描いてました
みなさん、お元気ですか?
2023年8月24日に急性大動脈解離で救急搬送してもらってICUに入り、九死に一生を得たこともあり、もし元気になったら、好きなことを実行して生きていきたいと願っていました。
その一つが、絵を描くことです。
今月中に、40年ぶりに、水彩画を描いてみようと思っています。NFTとして300円で販売し、オリジナルはステキな額に入れて3万円で、お分けする予定です。
このはがき絵(点景)は、NFTとともに、大吉くじともコラボすることになります。
どういうことかというと、私の点景は、同じ構図で、違うオリジナルの点景が100種類あるのです。
みんなちがって みんな大吉
同じように、みんなちがって みんな同じ構図なんです。
誰も買ってくれないかもしれませんが、広い世界ですから、どこかに、誰か、NFTが欲しい人も、オリジナルが欲しい人もいるという気がします。
生きているうちに、こういう新しい時代を商況する、共創の時代を象徴する仕事をしてみたかったというわけです。
ご期待ください。
ゲームチェンジ
みなさん、お元気ですか?
私は今、ようやく元気を取り戻し、この世界に、どのような「生きてきた痕跡」を残せるのか、改めて考えているところです。
私は、ずっと「自分の世界をつくりたい」と願ってきました。自分が生まれてこなければ、世界になかった「何か」を作りだしたいと、子どものころから、そればかり考えて生きてきました。
オリジナリティこそ、私を支えてきたのです。
最初は、「絵画」の世界で何か新しい芸術が生み出せるのではないかと思っていました。
でもピカソの前に挫折。
科学の世界、とりわけコンセプトを創造するのチカラが求められる基礎物理学は、数学的な素養が足りずに、18歳あたりで断念しました。
その後は、20年くらい小説家になれるのではないかと努力しました。ところが文壇からは認められず(ごく少数の熱狂的なファンはえたものの)別の路をさぐることになりました。
それがビジネス作家や週末作家の世界です。
ところが、それも文壇には届かず、別の新しい世界をつくるしかないと一念発起。12年前に謎解きクロスを開発し、パズル小説、そして大吉くじ、大吉BINGOと、廣川州伸の世界を築いてきました。
それらの致命的な欠点は、どんな社会課題を解決するのか、伝えてこなかったことかもしれません。
私としてもれば「そんなの、わかるだろう」「誰かが、気づいてくれるだろう」という感覚なんです。
とても、奢っていました。面目ない。もっと素直に、みなさんのためのコンセプト開発なのだということを、打ち出していかなければならなかったのかもしれません。
そこで、反省し、今は別のことを考えています。
私が、自分の世界をつくりたかったのは、それが何らかの社会を変えるチカラになると期待していたからです。自己満足で、終わるわけにはいかないのです。
というわけで、私は、競争の価値観から共創の価値観への転換を目指しました。
これまで暗黙の了解として君臨していた「競争が社会をよくしていく」という哲学、ルールをチェンジすることを目指すこととしました。
謎解きクロスも、パズル小説も、大吉くじも、私の中では、すべてゲームチェンジでした。
その具体的な意味付けについては、引き続き、おりにふれて、本ブログで語っていきたいと思います。
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大吉WAKA集
その日は、いつも突然、やってきます。また、降りてきました。クラウドふぁうんディングの「キャンプファイヤー」で、コミュニティを立ち上げて「大吉くじのポジティブ短文」を、みんなで創作する仲間づくりをしていきます。
大吉くじの短文は、すべて「五七五七七」の短歌形式にして、それを「大吉WAKA集」 として編纂しましょう。百人一首のようにしておき、ポジティブな気持ちになり、自己肯定感があふれだすような、洗剤意識に働きかける心のサプリメントを作ります。
なぜ、大吉WAKA集なのか。それは、降りてきたからとしかいいようがありません。
前回の「パズル小説」のコミュニティでは、コロナ禍で、20人以上のサポーターのみなさんに助けていただきました。その歳出リターンである「そして誰も死ななかった」は、まだ完成していませんが、3月には何とかしたいと思っています。
前回、コミュニティといいながら、コミュニケーションは一方通行でした。なぜ、そうなってしまうのか、こちらからの配信だけで終わるのはなぜか、よくわかりませんでした。
しかし、今回は、FBを使うと宣言できるようです。
それで、これまで「地域活性化」のFBをもっていたので、その会員のみなさんと、一緒に進められないか、考えています。最初からFBのアカウントを教え、コミュニティで怪異にになった人だけを「承諾」することで、会員限定のFBアカウントになるのではないでしょうか。
ここらあたりは、福田さんに教えていただくつもりです。
大吉くじプロジェクトは、4月から本格的に展開しますが、これは、その準備となります。
前回の経験で、「リアルな友人以外は参加してくれない」という現実を知りました。なので、今回も「会費で儲けよう」というモデルではなく、会費で運営して、ラストの成果物で、みんなで利益を出そうという発想になります。
大吉WAKA集は、電子書籍として販売します。
1冊500円で、百種。最初は2025年版となりますが、もし、詠み手が増えれば、「季刊」にしたいと思います。
この「大吉WAKA集」が広まれば、自然に、全国で大吉くじが認知されていき、いずれ、えちごトキめき鉄道を起点として、全国のローカル線でも大吉くじが活用されることになります。
楽しみです。
起死回生(6)
昨年、8月24日に急性大動脈解離で緊急入院し、そのまま1CUで臨死体験の7日間を経て、九死に一生を得ました。その後、絶対安静の日々を送りながら、なぜ大動脈解離が起きたのか、その原因究明のための検査を続けました。
そのなかで、一か所、致命的な大動脈瘤への対処が最大の課題となね、11月21日に開腹手術をしました。それから私は、将来の大動脈解離から逃れるため、二度とICUに戻ることのないように体質改善を進めています。
しかし、せっかく授かった「二度目の生命」になりますから、ただ延命するのではなく、元気に創作街道を再開し、新たな価値創造ができる体質づくりにしたいと思っています。それが「起死回生の体質改善」となります。
具体的には、ピークで132キロあった体重は、今朝は102キロ。目標は98キロですので、ゴールが見えてきました。4月、正式に社会復帰するときには「30年ぶりの二けた体重」になっていると思います。
ただ、軽くなるだけでは病気でもなれます。健康とダイエットを両立させるために、数値としては1日の塩分摂取量は「6.0グラム」に抑え、カロリーとしては1800~2000カロリー(少なくてもだめみたいです)としています。
加えて、胃腸が弱っていたので「沖縄もずく」でフコダインを取り、腸まで届く乳酸菌入りヨーグルトを1日3パック食べています。当分は果物で。便秘になったときには牛乳を360cc飲みます。
もちろん、通っている都立病院には3ヶ月に1回通って、全身の状態をチェック。とくに大動脈解離で大きく裂けていた大動脈のCTや心臓の状態のチェック、検査で発見された三ヵ所にある腫瘍の状態確認などを進めます。
それを続けながら、起死回生の一手として私の希望になっているのが「大吉くじプロジェクト」です。
みなさんに愛される大吉くじの展開。現在、大吉くじは「スタンダード100札」と「菜根譚100札」、そして「鉄道バージョン100札」の3種類ですが、これから、あと二種類ふーやして「季節ごとに変える」展開を目指します。
起死回生は、大吉くじの普及にかかっています。大吉くじという「希望」を胸に、日々、大切に生きていきます。これからも、変わらぬご支援、よろしくお願いいたします。
起死回生(5)
8月24日に急性大動脈解離てせ緊急入院し、九死に一生を得て、40日後に何とか退院をした私ですが、大動脈解離の原因が判明したわけではありません。
原因の候補は、いくつかありました。糖尿病、高血圧、メタボ、睡眠時無呼吸症候群、肝臓、甲状腺、副腎の三ヶ所にみつかった腫瘍、猛暑による疲労と一日15時間パソコンの前に座って原稿を書いていた悪しき習慣、などなど。
血管がボロボロになっていて、過度のストレスから、一気に太ももから心臓の手前まで亀裂が走ったらしい、とまではわかっているのですが、その原因がわからなければ再発防止の手立てがありません。
入院時は128キロありましたので「この人はメタボで、糖尿病に違いない」ということで、毎日血液検査をし、血糖値を調べていました。
高血圧の薬を飲み、便通の薬を飲み、血管を強くする薬を飲みました。その結果なのか、もともと大丈夫だったのか、大病した直接的な原因がわかりません。
眼科でも「絶対に眼底に糖尿病の症状がみつかる」という話でしたが、ちゃんと調べても「糖尿病の痕跡はみられない」とこと。
心臓も、1ヶ月ほど毎日、というか24時間、心電図を図って記録してあるのですが、不整脈が少しみられるくらいで、決定的な病は見当たらないとのことでした。
睡眠時無呼吸症候群の検査も、2日間しました。平均として1時間に64回、無呼吸になっていたそうで「即刻、何らかの治療を受けて」ということで、手術をする私立病院にも、申し送りが行われました。
ちなみに、入院時に128キロあった体重が108キロまでおちて退院となったのですが、私立病院では「1時間に何回か無呼吸のときがあったが、これくらいなら何も心配することはないということでした。
都立病院から、大動脈瘤の外科手術をするために移った私立病院でも、1週間の検査入院をして、カテーテルを入れて、心臓に至る血管をつぶさに調べてみても、「あ、血管は、とてもきれいですね」となります。
数値でいうと、50代前半の血管とのことですが「では、どうして大動脈解離になったのでしょう」と聞いてみても「不思議ですね。こんなに明確に、広範囲に裂けているのに、亀裂が心臓の手前で止まっているのも不思議」
最終的には、左の太ももにつながる大動脈の解離を防止する手術として、カテーテルを使って、プラチナでできたステントとか呼ばれる器具を埋め込む手術が行われる予定でいましたが、手術の数日前に、こう告げられました。
「ステントを入れてもいいんですが、身体に異物が入ることになり、将来、何か重大な悪さをする可能性もあります。廣川さんは手術に耐えられる状態ですから、カテーテルを使わず、開腹して直接、大動脈瘤を処置します」
その若い外科医は、他の病院から週2日だけ、心臓や血管の外科手術のためにこられている先生で、どうも「神の手」をお持ちらしい。なかなかのイケメンで、看護師にも、患者さんにも人気の様子。
ただ、私の薬の処方箋を書くときに、たとえば今日が11月12日なら、11月19日という日付を入れてしまい、私の薬が薬局で出せなかったり、手術以外のところではミスが多い。ちょっと天才肌のような雰囲気があります。
これは手術後のことですが、術後の経過をみてもらうために外来として、その先生のところに行ったときのこと。予約時間の2時間後に、ようやく診察となったが、カルテを書き始めてすぐ、緊急の呼び出し。
「すいません。ちょっと様子をみてきますので、5分くらい、ここでお待ちいただいても大丈夫ですか」と。私は、もちろん「わかりました。ここ(診察室)では落ち着かないので、外の長椅子のところにいます」と見送りました。
次に、若き神の手を持つ外科医が戻ってきたのは、3時間後。緊急の手術を、ひとつ、済ませてきたという。
私の大動脈瘤は、とても難しい位置にあったのですが、7時間の手術によって、大成功に終わったのです。麻酔が入ってから目が覚めるまで、夢をみることなく、私の身体は「外科手術後のICU」に運ばれたのでした。