九死に一生(その3)

2023年8月24日に急性大動脈解離でICUに運ばれた私は、24時間絶対安静を強いられる中、激痛を緩和してくれるモルヒネのせいで、さまざまな幻覚を見るようになりました。

私がみている幻覚について、精神科の女医さんが解説してくれました。「夢から覚めても、幻覚は実際にみえるものです。もちろん廣川さんにしかみえていませんが、薬がぬけていけば、自然にみえなくなるものです」

キラキラした瞳で「どんなふうにみえているか、教えて」と女医さんは小首をかしげる。彼女との距離は、規則なのか、2メートルほどあった。それ以上近づくと、私の心の範疇に入り込んでしまうのかもしれません。

私は、「カーテンの上、金具のあるはずのところには、筆で漢字4文字の言葉が書いてあります。崩してあるから正確には読めませんが、なんだか京都の禅寺で写生をした般若心経ではないか。そんな気がしています」と応えました。

白衣の彼女は、す、と半歩だけ前に来て、私の目を覗き込んだ。私は、夜に見ていた夢の話をしたかったが、どんな内容だったか、すでに忘却していた。それで、夜中に感じていたことを話しました。

いままで、いつも情報につつまれていました。朝起きればBGMを流し、スマホのメールをチェックする。新聞を読み、気になる記事があればテレビをつけてNHKのデジタルかBS1でニュースを見ていました。

本も雑誌もSNSも、見たい時に開くことができた。それが当たり前の日常として、ずっと続いていたんです。ところが、ICUに入ってから、すべての情報が遮断されています。今、何時なのかもわからない。

朝食も昼食も夕食もなく、飲み会もない。ただ、絶対安静の姿勢でいる。こうして先生と話すときは鼻から酸素を吸っているけど、夜は酸素マスクでがんじがらめになっている。

ICUに入った当初は、酸素マスクや点滴や、じっとしていること自体が不自由で、逃げ出したいと感じていました。でも、今は違う。私が耐えられないのは、情報の遮断です。これまで、したことも考えたこともない状態でした。

不自由で息が詰まるのではなく、何もない真っ暗闇のなかにいる感覚。情報がない世界、それが死ぬということなんだと意識すると、ぞっとしました。今、まさに暗闇のどん底にいる自分が意識されてきたのです。

もう、ここから出たい。情報に触れたい。生きたいところに行きたい。人に会いたい。想い出のなか、夢のなかではなく、街を歩き、空を見上げ、自由に歩き回りたい。そして好きな人たちの声を聴き、話しもしたい。

煎じ詰めると、私は「もっと生きたい」と、「まだ死にたくない」と、女医さんに訴えていたのです。逆に言えば、情報から遮断されていることそのものが「黄泉の国の入口」になると気づいていたことになります。

女医さんが、「お仕事は?」と聞きました。これまで「ビジネス作家」と応じていたのですが、黄泉の国の入口でうろうろしている私は、「しがない物書きです」と応えました。一度、言ってみたかったのです。

「凄い。どんなものを書かれるのですか」私は、迷うことなく「パズル小説」と応えました。「あら、面白い。私、パズル大好き」私は、パズル小説について、かんたんに説明しました。

ところが、ICUでは絶対安静なので、しばらく、といってもたぶん1分もたたないうちに、ピコピコ音がして看護師さんが飛んできました。「血圧、上がってます」女医さんが謝り、「また来ます」と小さく手を振りました。

次に、彼女が姿をみせるのはICUを出て一般病棟のベッドに移ってからのこと。私は、まだ絶対安静のままでしたが、ひとまず生命の危機は去り、意識も明確になり、幻覚は収まっていました。

それから3回、彼女は話に来てくれました。私は、主に自分の生い立ちについてしゃべりました。彼女に、自分の存在について、原点となっている経験について、聞いてほしかったのでしょう。

「生きていて、よかった」と言われるたびに、私は嗚咽しました。言葉にできない何かを伝えたくて、それでもまったく伝わらないもどかしさもあり、涙があふれてきたのです。

彼女がいたのは1回10分程度と思うのですが、去ったあと、私は幻想にひたりました。マスクで顔はわかりませんでしたが、たとえば村上春樹のノルウェイの森にでてくる哀しい少女の雰囲気がありました。

生死の瀬戸際にありながら恋愛感情に励まされるのは一つの発見でもあり慰めでした。二度と戻りたくないICUを卒業(と私は言ってました)した後、私は恋愛経験をなぞることで、絶対安静を維持することができたのです。

そして、退院したらパズル小説「愛夢永遠」を書き始めようと強く願っていました。愛夢永遠というのは、20年前に書いた自伝小説で、メルマガで配信していました。ところが収集がつかなくなり、原稿用紙で500枚ほど書いて中断。

それを、今度はパズル小説にしてみようと思い立ったのです。我ながら、ほんとうに懲りないですね。

2023年11月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

九死に一生(その2)

2023年8月24日16時ころから、私は7日間、都立病院のICUに隔離され、絶対安静と面会謝絶の状態に入っていました。

仕事も途中で放り出し、生れて初めて救急車で救急病院に搬送されたのですが、アニサキスによる腹痛だと思っていたので「急性大動脈隔離」だったと知り、本当にびっくりしました。

まったく、そのような人生が待っているとは考えてもいなかったからです。亡き母を二度、救急車で搬送したときは、息子として付き添っている立場。そのときは、自分が搬送される未来があるとはつゆ、知りません。

それまでは、テレビのニュースや映画のワンシーンでしか見たことのないICUに、自分が運ばれていくなんてことも、考えたことはなかったのです。とうに還暦を過ぎていたので、十分、ありうることだったのですが。

まず、おどろいたのが、右へも左へも寝返りが打てないコト。両手には点滴の針が刺さり、クチと鼻は透明な酸素マスクで固められています。水を飲む場合だけ、外されるマスクは、本当に「邪魔くさい」ものでした。

ICUのベッドに横たわったときは看護師さんに「ここが有名なICUなんですね」などと余裕で減らず口をたたいていましたが、次第に「これは大変なことになった」と自覚していきました。

初日は(その1)で記したように、このまま眠ったら死んでしまうのではないかという不安と緊張から、興奮して一睡もできませんでした。そして、たぶん何百回、何千回と「夢」を見たと思います。

ロシアの文豪ドストエフスキーのデビュー作「貧しい人々」か、獄中の出来事を描いた「死の家の記録」か、あるいはそのどちらかの「あとがき」で読んだのかは定かではありませんが、そこにこんなことが描いてありました。

ドストエフスキーは、学生のときに書いた「貧しい人々」がベストセラーとなり文壇デビューしたわけですが、その後、「無神論者」として、ニヒリズムに侵されて、時の政権への反対運動にみを投じます。

ところが、逮捕され、獄中で様々な犯罪者たちと出会い、そのあげく非民主的な差異版で「死刑」を宣告されました。そして、縛り首になる日がきました。

神父に最後の説教を受け、目隠しをされて13階段を上り、首に縄を回され、あとは床が抜けるだけという状態。その13階段をゆっくりと歩いていく数分間に、ドストエフスキーは、それまでの自分の人生についての夢をみたのです。

その数分間は、無限に近い「夢の時間」だったそうです。

そのエピソードを知ってから、私はこう確信していました。死ぬときは、自分も人生をふり返り、たくさんの夢をみるに違いない……しかし、ICUで絶対安静にしていた私は、人生を夢でふり返ることはありませんでした。

代わりに、今まで見た記憶がない、キラキラしてサイケデリック調の世界に息、そこで何かを作っているシーンや、みたこともない人にプレゼンをしているシーンや、凄い物語を思い付いてノートに書いているシーンをみました。

ところが、そのサイケ調ではあるものの、やたりリアルで細かい字まで見えている「成果物」を、どこにも保存することができません。ノートをしまう引き出しも、パソコンも、伝えるスマホもありません。

あ、どうしよう。せっかく思いついたのに、保存がきかない。きっと目を覚ましたら、何を創り出したのか忘れているのだろうな、という意識が沸き上がり、そこで目を開けると、ICUの天井があるのです。

天井には緊急手術用の大きな照明が1つあり、それは幸いなことに私のいた天井で光ることはありませんでしたが、何だか脳に直接働きかけて未来の夢をみさせている新しい装置のように感じていました。

ああ、そうだ。私は、きっと何も残せないまま死んでいくに違いない。死ぬことは、成果を保存できずに、ただ、消えていくことなのか。死にたくない。もっと何かを作り、それを保存して、みんなに伝えたい。

そう考えたとき、いつも強い不安に襲われました。このまま、プツンと世界が終わってしまう。何も遺すことなく、自分が生み出した世界を誰に伝えられることもなく、ただ終わってしまう。それが、今、目の前にある現実なんだ。

そして、私は手元にあるナースコールを押すか、あるいは狂ったように酸素マスクを外してしまうか、衝動的に何らかのアクションをとつていました。ICUの看護師さんは、いつも、何百、何千回と、いつも飛んできてくれたのです。

ICUで隔離されてから二日目か三日目、カーテンをつるしている金具のところに異変があるのに気づきました。私は、看護師さんに聞きました。「あそこにある文字は何ですか」

看護師さんは「ああ、文字が見えますか。それは幻覚です」と言います。「え? 看護師さんには見えないのですか」「はい。私には見えません」「そんな…では、カーテンの下にある、ひらひらしているその文字は、ありますよね」

「ああ、カーテンの影が文字に見えているのですね。それも幻覚です。気になりますか。」「はい」「興奮すると身体にさわりますから、専門のスタッフを呼んでおきます」「では、本当に幻覚なんですね」

それから小一時間もたたないうちに、白衣を着た、目を見るだけで美しさが匂い立つ精神科医がやってきて、私の話し相手になってくれました。彼女は、私が何をしている人か尋ね、根気よく、幻覚について聞いてくれたのです。

2023年11月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

九死に一生(その1)

みなさん、ごぶさたしています。お元気ですか?

まだ進行中ではありますが、心がだいぶ元気になってきたので、少し書いておきます。

実は、2023年8月24日10時、自宅事務所で仕事中、突然上半身に激痛が走りました。それは下腹部全体から始まり、胸部に波及していきました。

椅子から滑り落ち、床にはいつくばって耐え、匍匐前進でトイレに向かいました。そのときは、経験したことのない激痛を「前夜に食べた鮨にいたアニサキス」ではないかと疑っていたからです。

ところが吐こうとしても何も出ず、寝室にいきベッドに横たわりました。それから4時間、激痛に耐えていましたが、まったく収まる気配もない。そこで妻に頼んで救急車両で都立病院に搬送してもらいました。

即刻検査をしてもらうと、救急医から「このままICU(集中治療室)に入ってもらいます」と告げられました。24時間、絶対安静。家族も含めて完全に面会謝絶となります。今、会っておきたい人かせいたら、すぐ連絡してください。

病名は、急性大動脈解離。そのときは初めて聞く名称だと思いましたが、ICUに運んでくれる看護師さんから「びっくりしたでしょう。でも大丈夫。九死に一生を得たんですから、がんばりましょう」といわれた時、思い出しました。

30年ほど前、父の死に立ち会ったときに聞いた病名が大動脈解離。父の場合、大動脈の解離(亀裂)が心臓の近くまで達し、担当医からは「この亀裂が心臓に達したら助かりません。覚悟しておいてください」と言われました。

熊本に赴任していた兄に連絡し、飛んできてもらいました。しかし、彼の到着を待たずに翌日、父は「やってしまった」と口にした後、黄泉の国に旅立ちました。享年74歳。私は67歳で、父と同じ病気に罹ったことになります。

ICUの病室に入る前、長男、長女が会いにきてくれました。一人1分くらいで、話しができます。私は「ついにゆく みちとはかねてききしかど きのうけうとは おもはざりしも」と頭に浮かんだ辞世の句を伝えたのです。

結果的に、ICUには7日間、お世話になりました。1日目は、一睡もできませんでした。というのも、ドラマの知識ですが、冬山で遭難した人が「眠ったら死ぬぞ」と言われていた気がしたからです。

点滴と酸素マスクでスパゲッティ状態の私は、強い痛み止めを処方されていたので激痛は減っていたのですが、5分ごとに酸素マスクを外そうともがき、24時間時間、常に監視していてくれる看護師さんに直されました。

「廣川さん、酸素マスクを外してはいけません。外したら死にます。しっかり息をしてください。わかりますか。生きましょう。自分で生きようと思わなければ、このまま死んで仕舞います。わかりますか。もっと生きてください」

それから7日間、右にも左にも動けず、寝返りもできないまま、ひたすら絶対安静の時間のなかにいて、モルヒネで痛みは減少したものの、数分に一回、幻覚を見て死にたくなり、看護師さんが飛んできてくれる日々が続きました。

ICUで、絶対安静の身体も苦しかったけれど、もっと苦しかったのが、どこにも外界の情報がないことでした。面会謝絶は、情報謝絶であり、心から「このまま死にたい」と思えるほど「圧倒的に不自由な状態」だったのです。

ものごころがついたときから、いつも自由な時間につつまれていた自分にとって、初めて、自分の意思ではどうにもならない場所に入り、「出してくれ。自由にしてくれ」と叫びたくなるような閉塞感に襲われていたのです。

そんな私に、ICUの看護師さんは、延べ10名ほどが交代で、つきっきりで励ましてくれました。私はイビキが強く、いわゆる無呼吸症候群なのですが、呼吸が止まると看護師さんが飛んできてくれます。

「廣川さん、わかりますか。息をしなければ死んでしまいます。生きましょう。はい、息を吸って、吐いて。そうです。その調子。続けてください。息を吸って、吐いて。一緒に、血中酸素濃度を上げましょう」

ICUの7日間、一滴の酒も飲まず、食事も摂らず、ひたすら点滴の力で命をつなぎました。7日後、絶対安静と面会謝絶は続いたものの、一般病棟に。そのときは、1カ月以上、ベットで安静にする生活が続くとは思っていませんでした。

ICUから一般病棟に移れたとき、別の看護師さんでしたが「よかったですね。よくがんばりました。廣川さんは、まさに九死に一生を得ましたね」と言ってくれたのです。ああ、とにかく助かったらしい…と思っていました。

その後、都立病院での40日間の入院から退院し、大動脈解離の再発防止のための動脈瘤切除の手術をするために私立病院にも通うようになったのですが、手術してくれる先生も、同じ言葉を使われました。

先生は、都立病院から申し送りされたCT資料を見て「廣川さんの場合、脚から腹、そして胸部まで大動脈の解離(亀裂)がみられます。ところが、心臓の手前で亀裂が止まりました」

「え? どうして止まったのでしょう」

「理由は、わかりません。こんな激しい亀裂が全身をめぐったのに心臓までは達していません。達していたら、緊急手術をしても助かったかは、わかりません。九死に一生を得たのですから、再発防止も、がんばりましょう」

私は、ICUに入って「こんなに苦しいなら、不自由なら、死んでもいいから自由にさせてくれ」と思い続けた自分を、後悔していました。みんなが、生かしてくれた生命なんだと、ようやく理解していたのです。

2023年11月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

灼熱の代償

残暑、お見舞い申し上げます。

この二カ月間、私も猛暑に悩まされていました。とくに、ここ一ヶ月間は「命の危険」があるなかで、毎日、20枚もの下着を替え、高級な冨士山三例の地下水を10リットル飲み、「おこもり」して原稿作成をしていました。

実は、エアコンの「リモコン」が壊れてしまい。15畳ある事務所スペースが、外部の灼熱の空気と同化していました。しかも、原稿執筆をしているおこもり中は、事務所の一画にある三畳のベッドルームで仮眠をとるのです

エアコンは一緒。15畳が冷やせるエアコンで、そこも冷やしていたのですから、やっぱり外気と同じような、湿気と高温になっています。寝るときは、昔懐かしいアイスノンを枕に仕込んで、汗びっしょりで目覚める日々。

それが2ヶ月も続いていたらね、右足が壊れました。壊死しかけています。腰も、やられました。やばいです。でも、ようやく、9月25日に発刊予定の本、ほぼほぼ、書き終えました。

そして、ようやく、事務所のエアコン、(30年前の電気代をやたらくうエアコンなんですが)エアコン、治してもらいました。今夜から、涼しいベッドで仮眠がとれますので、仕事も、進みそうです。

ずっと、灼熱の大気と生きてきた私は、断捨離をしながら、壊死しかけた右足のケアを続けています。いまのところ、何とか、本物の壊死は免れたようですが、足首は2倍に腫れ、ふくらはぎはコチコチに、皮膚が火傷の跡のように。

明日、締め切りの原稿が二つ。断捨離は、半分で挫折しましたが、まあ、あとの半分は、12月に回しましょう。

残暑、お見舞い申し上げます。

2023年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

時が過ぎていく前に

みなさん、お元気ですか?

おかげさまで、私は、断捨離しては眠り、眠っては断捨離をする日々が続いています。原稿は、半分くらい、忘却の彼方に沈んでいきました。

今、必要なことは何か。目の前の時間が停まってしまう前に、やっておくべきことを、整理しています。そして、やっぱり。自分は「幸せなんだ」と確認しました。

だって、廣川州伸という人間が生まれていなかったら、「謎解きクロス」も「パズル小説」も「大吉くじ」も、2023年8月13日という日本において、存在していませんでした。

たとえばミステリーウォークも、謎解き散歩も、フロントランナーがいました。彼らの背中を追いかけて、走ってきたのです。しかし、この3点セットは、違います。

謎解きクロスで問題を作成し、パズル小説を書き、地域活性のためのミステリーウォークを提案する。そして、たとえば信州上田や伊豆下田で、ミステリーウォークをしていただく。

そこに参加したみなさんには、参加賞として、街中では500円で販売されている「大吉くじ」を、ひくことができます。これが、廣川州伸がつくりあげた「世界」になります。

残念なことに、このような世界が「ある」ことは、ごくごく少数のみなさんしか、知りません。FBで、私が、こんな文章を書いていることも、多くて10人くらい、見てくれるだけです。

それでも、私は信じています。このまま進んでいけば、2025年あたりに、突然マスコミが、この世界に気付いて、特集を組みます。

マスコミがやらなかったら、私が自作自演で、自主制作のプロモーションビデオを作成し、ネットにアップします。

すると、何と10年も前に「江戸川乱歩の少年探偵団」が、謎解きクロスになっていて、映像まで作成されていたことを発掘します。「どうして、誰も気づかなかったの?」

私は、京都に定宿をとり、大阪万博の会場に通いながら、夜は祇園の料亭「丸山」さんで、大切なみなさんと、幸せな時間を過ごしていることでしょう。

あと、二年。私が、深谷宿ミステリーツアーに参加して謎解きを全国展開するとミステリー作家の伊井圭さんに宣言したのが、2005年のことでした。

みなさん、残暑、お見舞い申し上げます。

2023年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

悲しみの断捨離

お盆休みに入りました。この時期ねクライアントがお休みなので、宿題をせっせと片づける習慣があります。その前に、事務的な問題として①合資会社の決済書類の作成②不要となった原稿&アウトプットを破棄する という仕事があります。①決済書類は、いつも後回しにして、まずは「たまった原稿」と「たまったアウトプット」の処理に入りました。

そして、驚きの現実に直面したのです。

私は、コンセプトデザインの第一人者として、「謎解きクロス」と「パズル小説」の創作を続けています。2013年にスタートしていますので、はや10年。その間、書いた手書き原稿は1万ページを超え、アウトプットは5万ページを超えています。段ボール20箱くらいの「創作プロセスがわんるジャンク原稿」です。

もちろん、「箸にも棒にもかからない」手書き原稿とアウトプットは、毎年、捨てているので、2023年8月10日現在、残っているのは「けっこう残したい」と感じているものばかり。しかし、その10年の努力は、まだ実っていません。世界で、謎解きクロスを創作しているのも、パズル小説を書いているのも、まだ私一人なのです。普及していません。

このまま、ブレイクしないまま私が死んでしまうと、どうなるのだろう。18時間かけて、ジャンク原稿とアウトプットを人工シュレッダーにかけながら、ずっと考えていました。どうして、スーパー支援者、投資家が現れないのだろうか。出版社を立ち上げて、パズル小説を100種類、各々1万冊くらい発刊してくれるスポンサーは、なぜ、でてこないのだろう。

そんなことを考えていました。もう、ダメかもしれません。

そんなことを考えるようでは、アントレプレナーとして、ゼロからイチを生み出す人間としては、もう、焼きがまわっているのかもしれません。いいじゃないですか。パズル小説には、20余名の「支援者」がいます。コロナ禍で収入がゼロになった私に、毎月1200円、2年間も払い続けてくれた支援者がいます。彼らのご恩に報いるために、いよいよ、「そして誰も死ななかった」の完成と発刊を、引き続き。目指していけばいいのです。

今、読足しが生まれていなかったら、世の中に誕生していなかった「新世界」が3つあります。「謎解きクロス」「パズル小説」そして「大吉くじ」です。私は、クリエイターとして、日々、それらを作り続けています。まだ、私しか、居ません。でも、この3点は、必ずブレイクします。

ということで、恐ろしい数の創作のプロセスがわかるジャンク原稿を、今日も断捨離します。まだ、ブレイクしていないのは悲しいですが、いずれ、その悲しみの向こうに、必ず、支援者は現れます。

それを楽しみに、断捨離しましょう。2025年かな?

2023年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

上毛新聞に掲載されました

プレミアム大吉くじのトライアルとして進めていたプロジェクトのうち、日本初として採用された群馬県下仁田町の「下仁田カツ丼の会」のプロジェクトの記事が、地元の新聞である上毛新聞に掲載されました。

かつ丼食べればみんなハッピー!

大吉のおみくじ贈るキャンペーン

群馬・下仁田町の食堂8店

 群馬県下仁田町の食堂8店でつくる「下仁田かつ丼の会」(市川進代表)は22日、かつ丼を注文した客に大吉のおみくじをプレゼントするキャンペーン「かつ丼食べてハッピー大吉」を始めた。「全員を前向きに」と、全てのくじが大吉に設定された目新しい仕掛けだ。メンバーは町内への誘客に期待する。

 おみくじは、れすとらんヒロ、鍋屋、常盤館、きよしや、茶茶、日昇軒、安兵衛、食亭エイト(いずれも同町下仁田)の8店で計500枚用意し、なくなり次第終了する。くじには「助言」のほかに、町の名物「下仁田カツ丼」の写真などを載せ、地元グルメもアピールする。

 キャンペーンの考案者は作家の広川州伸(くにのぶ)さん(67)=東京都板橋区。引き当てた誰もが前向きになれる仕掛けとして、くじを大吉に統一したという。それでも「満足な大吉」「ラッキーな大吉」といったバリエーションが100通りあるため、くじを引くワクワク感があり、各店へのリピーター創出にもつながるとしている。

 会員たちは事前にくじを引き、運勢を示す言葉や助言がそれぞれ異なることを確認。「若い世代や女性を呼び込める」「引いて嫌な気分にはならないよね」などと感想を話し合った。誘客効果などを検証し、次年度以降の運用につなげる。市川代表(71)は「おみくじをきっかけに町外のお客さんが店に来てくれればいい」と期待している。

2023年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

下仁田町民はアントレプレナー

2023年7月19日、群馬県下仁田町に行き、下仁田カツ丼の会のみなさんの会合に出席。そこには、8店舗の飲食店経営者と上毛新聞記者さんがこられていました。そこに私は、下仁田町商工会の白石局長の推薦で、プレミアム大吉くじのプレゼンをさせてもらったのです。

おそらく、全国初の「大吉くじのプロモーション正式採用」は、下仁田町商工会となります。そして、その舞台は、トリガーとして「下仁田カツ丼を提供している飲食店(老舗旅館さんも食事ができるので飲食店に数えていますが)」で、プレミアム大吉くじの配布がスタートします。

問題は、そのスピード。7月22日土曜日には、8店舗で、下仁田カツ丼スタンプラリーで「下仁田かつ丼ください」といってくれたみなさんに、差し上げとのこと。凄いです。トライアルがスタートしたら、すぐに「次の一手」に入ります。何ヶ所か、主要施設で、プレミアム大吉くじを配布してくれる予定。

私は、大吉くじを説明するときに、必ず「誰もみたことがない景色を一緒に見に行きましょう」と誘うのですが、トライアルは跳び越えて、信州上田は10月に600札の配布、伊豆下田は11月に200札の配布を、ミステリーウォークの参加賞として進めます。これは、決定しています。

おそらく、本格的に下仁田町でプレミアム大吉くじを配布してくれるのは、9月になるでしょう。やはり、全国初は、下仁田町です。その理由は、私は「たった一つ」という気がしています。それは地域の人びとがアントレプレナーシップがあるかどうか、です。

アントレプレナーシップがあるから、他県では「まだやっていない」私の謎解きのミステリーウォークも、謎解きクロスも、そして、実は下仁田町では「パズル小説展開」も、全国初として、実際に展開してくれていました。

これから、楽しみです。

2023年7月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

だから私、京都に行きます

祇園祭で、宵山で。この時期、ホテルの一室を、週末の3日4日、一人で占領して、のんびりと、歴史の重さを感じてきます。

盆地である真夏の夏の京都、そこは観光以外は、いくもんじゃない。しかも、熱中症や新型コロナや、極端気象が待っている、京都。それでも、私は祇園祭と宵山を体験するために、行きます。

一昨年、祇園祭を外して、秋に祇園のミシュラン料亭で一人、個室で、板さんを独占しての特別料理を食べながら、いろいろ話してみたのですが、やはり、祇園祭の時期に「また来たい」と思ったのです。

一年に、何度か、京都をサクサクできるような仕事、人生になるといいなぁと思っていた30代、40代、50代。60代になっても、なかなか京都には行けませんでしたが、あるとき、気づきました。

一人で、地方の温泉旅館に行き、一人でのんびりする人生もいいけれど、私は、やっぱり京都かなぁ、と、

いってきます。

2023年7月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

プレミアム大吉くじ 繁盛

みなさん、お元気ですか?

2023年3月3日に商標登録と特許出願を済ませた「大吉くじ」は、おかげさまで新展開を迎えています。

これまで、トライアルを進めてくださったお客様を列挙してみます。

■押上・カフェめぐる ■高級レストラン&ホテルチェーン ■宮古島・東急グループ観光施設 ■寸又峡温泉郷 ■有名航空会社 ■えちごトキめき鉄道 ■上田商工会議所(ミステリーウォークの賞品に決定)  ■下仁田町商工会(老舗旅館■下田商工会議所(ミステリーウォークの賞品に決定)など。

その他、祇園のミシュラン取得の料亭や、自動車の販売店などで検討していただいてます。

NGのお客様も、記してみます。「松本市関連施設」「ガチャガチャを展開するトップ企業」「元料亭関係者」「焼肉チェーン店FC本部」など。

また、行政のイノベーションを研究している任意団体でも紹介していただくなど、地道なPRも進んでいます。その中では、尊敬する元講談社名編集長や、謎解きクロスをずっと支援してくださる投資家夫人にも絶賛していただきました。

この中で、これからスタートアップとして大活躍できそうな施設が下仁田町です。何といっても、商工会事務局長の推しが、ハンパではありません。町全体をテーマパークとしてとらえ、謎解きクロスを展開するとともに、参加賞として誰もが幸せになる大吉くじを全面的にバックアップしてくれます。

大きく育つといいなぁ。ちなみに、私がトライアルのために制作して配布している、鈴のついたプレミアム大吉くじは、すでに20ロットを超えています。7月中には、もう20ロット、トライアル用に制作します。

すでに材料費だけで30円の投資、タイムチャージは時給3000円としても200時間なので60万円。1ロット4.5万円、すなわち1札500円で売れればトントンということになります。

ただ、トライアルでは試行錯誤が続きましたので、今後は、すべて半分で制作できますので、1札250円ならトントン。50円の営業経費を使えば、1札300円というのが、値ごろ感になりそうです。

2023年7月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster