いつも、散歩するたびに妄想が浮かびます。
小料理屋、料亭、高級鮨店などで、カウンターやテーブル、お膳などにある箸置きに、大吉くじがピッタリではないか。料理が、すべて大吉になるし、心も晴れやかになる。
ただ、ブランドロゴ入りの大吉くじに、50円、支払えるかどうか。もし、支払えない小料理屋、料亭、高級鮨店があるとしたら、たぶん、そう遠くないうちに閉店となるだろう。
あれ? フレンチやイタリアンでもいいかな。
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いつも、散歩するたびに妄想が浮かびます。
小料理屋、料亭、高級鮨店などで、カウンターやテーブル、お膳などにある箸置きに、大吉くじがピッタリではないか。料理が、すべて大吉になるし、心も晴れやかになる。
ただ、ブランドロゴ入りの大吉くじに、50円、支払えるかどうか。もし、支払えない小料理屋、料亭、高級鮨店があるとしたら、たぶん、そう遠くないうちに閉店となるだろう。
あれ? フレンチやイタリアンでもいいかな。
地域活性のための大吉くじ活用は、信州上田とともに、群馬県の下仁田町で先行して進められています。
とくに下仁田町では、14店の飲食店で、お客様にプレミアム大吉くじを配布するというデライト・サービスを展開します。
どこに行けば、大吉くじがもらえるの?
当初から「ノボリ」が必要と考えていましたが、このたび、トライアルとして、「大吉くじ あります」のノボリを発注。
今後、販売するコンテンツは問わず、大吉くじをはいあする仕掛けがあれば、そのテンポは「大吉くじ あります」ののぼりを上げるようになります。
地域から、全国のヒット商品を!。日経PB社の記者の目が確かなら、日経トレンディの「2025年のヒット商品」にピックアップされるはず。
楽しみにしていてください。
リアルな話。
イベント会場、どうも西小山や中目黒などの商店街の路地で、抽選会場のシーンのようなのだが、大吉くじが配られている。西小山ミステリーツアーには3日で3000人が参加したので、大吉くじも3000札、用意している。
もちろん、金の鈴付きのプレミアム大吉くじ。これ、ものすごい人気になっていて、自宅に「貯めている人」がいて、みせてくれた。何マイカ、クリップで止めてあった。「ああ、こんなふうに大事にしてくれるのか」と、うれしくなった。
そのあと、まだまだ見果てぬ夢は続いたのだが、途中、たぶん上田も下田も入っている。なぜか、小さなアオガエルが二匹いて、手の中入れて、逃げないようにそっと持ち歩いていた。
あの二匹は、誰だったのだろうか。
そして、目覚めたら、まだ夜中の二時。スマホ断ちしているので、SNSのチェックはしないが、メールをチェック。ところがねこういうときに限って、なぜかしら「全部、ゴミ箱に移動」してしまう。
今、事務所に来て(ベッドから5秒で事務所なので)パソコンを起動し、30日分のゴミ箱をあさって、大切な保存すべきメールを受信ボックスの移動したところ。半年に一度くらい、こういうことがある。
何で、ゴミ箱に移動したかわからないが、何か、変な動作をしているのだろう。最初は、あわてたが、今は時間をかけて、たんねんに、取り戻すことができるようになっている。
それにしても、今まで、何度ねメールもゴミ箱送りにしたのだろうか。
スマホでメールのチェックは、引き続き、やっていくけれども、ゴミ箱送りや、返信は、ちゃっんとパソコンからするようにしよう。
夜中、週末とはいえ、30分、余計な仕事をしてしまった。ステキな夢をみたけれど、これで帳消し? まぁ、いいか。大吉くじの夢をみている人間は、世界中で、間違いなく私一人なのだから。
最近、大人の発達障害についての本が増えていて、よく売れています。私も、10冊くらい、読みました。なぜ? だって、どうみても、私の子ども時代と、そっくりだったからです。
まず、4歳で入った保育園を3日で中退。集団行動ができなかったので、毎朝、近所にある立教大学のグランドに行き、一人で過ごしていました。
だから、小学校に入学したときには、自分の名前を「ひらがな」で書くことができませんでした。おまけに、ひどい「ドモリ」なので、友達はひとりもいませんでした。
おまけに、人よりも「頭ひとつ身長が高い」ために、二つ上の子どもとしか親交がなかった。小学校に入学し、教室に行っても、自分の机がわからない。字が読めない、書けない。知り合いがいない。
そんな私が、小学校三年生の一学期に学級委員に選ばれるのですが、それは、小学一年生の終わりに毎日新聞朝刊に、「ラッパ」という詩が紹介されたからです。
小学校二年生で描いた消防自動車の絵は板橋区で最優秀賞、東京都の展示会でも金賞をもらって雑誌にも紹介されました。
小学四年生になると、作曲コンクールで当時の小学生としては珍しく「佳作」をとり、中学一年生で応募した標語は唯一の中学生で入選し、渋沢栄一の息子である秀雄さんから直筆の手紙と賞金1万円をゲットしました。
ところが、そんな私は教室から突然いなくなる名人であり(当時は、あまり、そういうことをする人がいなかった)何をしているかというと、散歩をしていた次第。理由は、たんほぽが咲いた、桜が散りそう、とか。
もともと、廣川家は「数か月に一度、二泊三日の旅をする」家系(?)で、週末ではなく、平日に「風邪で休みを取る」習慣があったのです。
11歳のときには二次元方程式を研究していましたし、15歳のときにはユークリッド幾何学の本を読破し、証明の不具合を発見するだけでなく、正しい証明方法を提案して長い手紙を出版社に送った。
しばらくして、著者の大学教授から「あなたのご指摘の通りです。証明については、再販のときに、あなたの証明に差し替えます。感謝」という手紙をもらっている。
ところが、都立竹早高校に入学したころから、暗い穴に落ちてしまった。世界の悪い部分がみえてきて、酒・タバコを覚え、アルバイトをしては一人旅に出ることを始めた。
そう、発達障害のグレーゾーンにいた人間、そのものの人生だったことになる。当時は、そんなことは思ってもいなかったが、なくした傘は1000本。財布は30回、大事なカバンを10回以上置き忘れているし、クレジットカードの再申請は常連となっている。
運よく、サラリーマン生活を13年したものの、独立。本を50冊も描けたのは、優秀な編集者と出逢えたおかげ。彼らがいなかったら、私がビジネス作家になることは、なかった。
みんな、大人の発達障害の一面を示している。
うーん、よく社会生活をしてこられたものだ。九死に一生を得て、いきなり、絵が描きたくなったのも、やはり発達障碍者独特の「感性」を活かしたいと思ったからだろう。
なんとか、生きているので、まだまだ、これから本領を発揮したいと思います。八対象外でも、ちゃんと社会人になれるということを、みんなにも伝えたいなぁ。
2024年11月2日、下仁田町で「フェスティバル」が開かれる。そこで、参加者に配布する大吉くじを、今、作っているところ。実は、誰に頼まれたわけでもない。自分の判断で、制作している。
ということは、もちろに無償の行動となる。コンサルタントの立場からすると、絶対に、やってはいけないことを続けている。でも、私は知っている。古今東西、このような、ひたすら攻める姿勢が、ゼロからイチを生んできた。
誰も、みたことがない大吉くじプロジェクト。推進者、制作者は、発案者である私である。だから、私は、ひたすら、作り続ける。だって、きっと「待っていてくれる」から。
昨夜も、古民家カフェ「めぐる」のスタッフから「大吉くじ、とっても好評なんです」と、ほめていただいた。それ以上も歓びは、ない。それで十分。待っている人がいるのに、「お金にならない」という理由で、止めることはできない。
それが、私が選んだ、コンセプトデザインという世界なんです。
誰も、みたことがなかった商品・サービスを生み出す。これまでは、商標登録や特許の押さえがなかったから「ただ働き」で終わっていた。
2005年からミステリーツアーに係り、2008年から、自らはじめ、2013年には「謎解きクロス」を発案し、パズル小説、大吉くじ、大吉ビンゴと進んできた。そして、全国では、年間1000回、ミステリーウォークが行われている。
初期に参入したパイオニアの一人として、本来は「利益」を得てもいいかもしれない。しかし「地域活性」を目的にした謎解きで、利益を得ることは、2008年当初から考えていなかった。
赤字にならなければいい。
最期は、私は本を書く。それがベストセラーになれば、それまでの20年間の苦労は、すべて回収されることになる。もうすぐ、そんな時代がくるはず。
だから、ひたすら、ただひたすら、私は今日も、大吉くじを折るのです。
コロナ禍となり、SNSとの距離をとるようにしていたが、CampfireのCommunityで、双方向ツールが必要となり、ふたたびFBとTwitter(X)をチェックするようになった。しかし、どうも、頭の調子がよくない。
そんなとき、SNSを1日何回もチェックしてしまうからだと、9月の情報デトックス週間で気づかされた。「スマホ脳」を読んで警戒はしていたが、ビデオが主流になったことで、またFBも面白いと思うようになってしまった。
しかし、ほんの30秒から数分の動画が、なかなか新鮮で、次から次へと、贈らせてくる。やっぱり、ついつい、癖になる。気になってしまう。気が付きと、通勤時間のほとんどを、スマホの画面を見て過ごしていた。
そして、脳が疲弊して、大切な仕事が、なかなか進んでいかなかった。反省。もっともっと、いい仕事がしたいし、大吉くじプロジェクトも、どんどん動かしたい。だから、ちゃんと時間をとるために、スマホのSNSはやめることにした。
FBを止めるわけではない。スマホで観るのを、辞める。ちゃんと時間をつくって、パソコンでチェックはしていく。一日、一回。せいぜい、そのくらいのペースでチェックすれば、あとは、ふれないでおく。
きっと、仕事が、ちゃんとまわるようになるだろう。スマホで仕事を支えようというのが、ちょっと怠慢だったかもしれない。何とかとスマホは、使いよう。パソコンも、AIも、結局は「使いよう」なのである。
大吉くじに活用する「昇り龍」の写真を作成しました。
一応、SNSにも林道していてアップされているはずですが、実は、私の場合、SNSは、ほんの数人のリアルな友人にしか届いていません。スマホの弊害の多くがSNSの弊害と重なるため、スロットマシーンのような機能があるSNSは、だんだん敬遠してきたからです。
※突然、ですますに戻っているのは、ちょっと「公共」を意識したから。やはり、不快な思いをさける気持ちか。
しかし、新たにSNSを始める人は、SNSの魔力にひかれ、ついつい、のめり込んでいくようです。私の場合は、1996年にミクシィからSNSに入っているのですが、その前に、ガラケーのマッチングアプリでオフ会にも参加し、リアルなデートをしたことも、一度だけあります。
もう、名前も忘れてしまいましたが、一緒にクルマで館山に行きました。海を観て、食事して、夕方、最寄りのJR駅まで送って、別れました。お互い、本名も知らないし、それが当たり前の「匿名関係」の走りでした。たぶん。
あれから、30年近くたち、私は大吉くじを世に出しました。これは、よくよく考えると、アンチスマホの一つ。だから、大吉くじは「スマホのアプリ」には、しません。だって、アンチなのですから。
ということで、昇り龍。
大吉くじは、一人ひとりの気持ちに、届くようにと、龍のように天空に舞い上がるように、との願いを込めています。
天まで、とどくといいなぁ。
九死に一生を得て、わかったことのひとつ。金儲けや名誉や煩悩をみたす行為は、ずいぶんと次元が低いなぁということ。生きていることそのものが奇跡なのだから、生きているいちにしておきたいことは何だったのか。それは「出逢い」が、一番、重要だということ。
何前回と見た、キラキラした夢のなかで、そこにいたのは、すべて人。心のある人。懐かしい人。大切な人。また逢いたい人。映像は、一つもなかった。死を前にして人生を振り返る時、テレビの画像は、一つもでてこなかった。あるのは、リアルな体験のみ。
小説世界も、実は、なかった。ただ、浪人時代に、大好きな先輩と行った初デート、コッキーポップのコンサートで観たNSPの「さようなら」「夕暮れ時は淋しそう」「汗」などは、鮮やかによみがえった。人と、人にまつわる体験、それが私の人生の、すべてだった。
そして、危ないところで生き残った私が、しなければいけないことは、金儲けをして豪華客船で世界遺産を巡る旅、ではなく、一人で旅に出て、ひなびた温泉宿に泊まって、大好きな絵を描いて、大吉くじを配布する。そういう世界なんだと思っている。
なぜ?
いまわの際に、そういう世界を想い出すから。一度、あるブロックほーめを見てしまった私は、やっぱり人儲けしか、大切なことはないと実感している。WNI創業者の石橋さんが、いつも教えてくれた。廣川さん、やっぱり、仕事も人生も、人儲けが大切だよね。
だよね。
石橋さんは、いつも励ましてくれた。「この企画、いいね。俺たちならできる」そう、俺たちなら、できる。そう言えるサポーターのみなさんとともに、新しい出逢いを求めて、大吉くじは、ますます拡大していくことだろう。
うん。下仁田町との出逢いは、他の街の人々との出逢いともつながっている。中之嶽神社は、縁結びの神様と知り合いになれる場かもしれない。神社本庁の怒りを買わないように、ひっそりと、控えめに、一人ひとりのみなさんとの出逢いを大切にして、人儲けしよう。
ドジャーズとヤンキースの世界頂上決戦を観ようと、テレビを点けたら、NHKで新プロジェクトXをやっていた。ヤマハの殿堂アシスト自転車の話。
引き込まれた。30年前の話。
特許を取らず、広く開放し、制作ではブリヂストンのチカラを借り、大ヒットするも、10年間、赤字が続いたという。
私は、大吉くじと重ね合わせた。
商標登録はしてあるものの、特許申請は、まだ手続きしていない。なんか、必要がない気がしてきた。
下仁田町からスタートし、全国で、マネしたいところがあれば、どんどん「地域独自の大吉くじ」を進めればいいのではないか。
日本一の大黒様のある場所には、年間30万人が訪れる。その人々が、下仁田町に流れる。その人々がみな、大吉くじを引いて、幸せ勘、自己肯定感をもって帰っていく。
まず、それでいいのでは?
全国で、その土地に合った大吉くじが生まれる。それが、悩める人々の救いになる瞬間が、きっとあるだろう。それ以上、私に何か望むことがあるのだろうか。
私は、大吉くじプロジェクトの創設者として、名を残し、本を書くことで、収益を得ることになる。
それがいい。きっと。
ヤマハのプロジェクトが、教えてくれた。
大吉くじは、原点に立ち返って、もう一度、市場戦略を考えてみることにした。早くも、結論が出た。原点は、やはりオリジナリティの発露である「金の鈴付きプレミアムバージョン」なのである。
もともと、大吉くじを制作したいのではなく、誰かの救いになれるような「一言」を届けたいという気持ちからスタートしている大吉くじ。そみが原点であり、すべては「悩んでいる顧客」を救うのが目的。
大吉くじが、立ち直るきっかけとなり、少しでも自己肯定感を高めてほしいという、その一転が重要。それが利益になるかならないかは、市場が決める。私ではない。私は、ひたすら、制作を続ける。
いずれ「役立った」「救われた」という人がでてくる。一人かもしれないし、10人かもしれない。もしも、100人になり、1000人になり、1万人の人の気持ちを支えるツールになったら、利益がでるだろう。
それまでは、ともかく、一人でも多くのみなさんに大吉くじを知ってもらい、そして、楽しんでいただきたい。願わくば、おみくじではなく「お守り」として、大切に持っていてほしい。
それが、私の「立ち位置」となる。