もっと光を

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昨夜、ブログに「営業妨害」について書きました。そして、ひと眠りしている間に「あ、書かなければよかった」「相手にしなきゃよかった」ことに気づきました。FBにも「ブログにUp」と書いての出、これは「削除」しました。

いずに、ご覧いただいたFさん。せっかく「いいね」をつけていただいたのに、削除しちゃって、こせめんなさい。

というのも、私は、自分の責務を思ったからです。作家とジャーナリストは違います。私の定義では。ジャーナリストは、社会の暗部をえぐり出したら、それをきっちりと、社会に知らしめる役割があります。

でも、作家は、そこでとどまってはなりません。たとえ「どん底」にあっても、「光」を注がなければ、ものづくりをする意味がありません。光にならないようなら、書くべきではないのです。

私の書いた文章で、元気になっていただけなければ、それは、書く時期がまだ来ていないから。光になるからこそ、書いて、世に問うのです。その意味で、私は、自分がみつけた「光」を書きましょう。

29歳のとき、私は休学期間を含めれば9年間もお世話になりました都立大学の卒業論文に「小説」を提出しました。400時詰め原稿用紙で500枚の力作ですが、指導教官から「終わりに光がない。これを書き直してほしい」と指導されました。

これでは、卒業させられない。暗い場所におちていくだけでは、救いがない。たとえ、そこがどん底であっても、光をみつけられないなら、作家になる□はない。そういうことを、教えていただきました。

そのときは、よく意味がわからなかった。どうして、指導教官は、そんなに偉そうに、指摘するのか。崩壊したところに、光がないんら、それを書いた。光でみちていたら、書かなくてよかった、と思っていました。

しかし、大バカ者でした。50歳で週末作家になった私は、20年前にもらった「光を描きなさい」という言葉の意味が、ようやく、わかったのでしょう。そのためには、20年間に落ちたどん底経験も、あったかもしれません。

私は、光を書きます。

パズル小説では、必ず、光をみつけて、書きます。読んでくれた人たちが「ひょっとしたら、こうすればいいのか」と、世界のすばらしさを再認識できるような、わかりやすい光を書きます。

だから、安心して、読んでいただける。エンタテイメントの要素を存分に入れて、新型コロナ禍で沈んでいる社会に、新しい光を注ぐような作品を書きます。お楽しみに。

2020年9月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster