みなさん、お元気ですか?
中学校の修学旅行で京都に行き、翌年、真夏の2週間ほど、京都と滋賀のユースホステルをまわって、一人旅。そこで「自分の存在」について、深く考えていたのですが、解きたかった時間の謎は、とうとう解けないまま、暗い井戸に落ちていきました。そう、村上春樹の小説によくでてくる、暗い穴。
抜け出したのは、二十歳のときですから、ずいぶんさまよっていました。その後、破天荒な人生を送ろうと、怖いもの知らずでなんでもしました。その集大成として、1980年7月7日から4カ月半、ヨーロッパをふらふら。そこでようやく、自分が何者であったか、わかりました。
私は、選ばれたと思っていたのに、天からチャンスは降りてきませんでした。そこで、自分の存在を、この世界に刻むために、私という人間が生まれる前にはなかったことを遺すために、地を這う選択をしたのです。ずっと休学していた大学にも復帰し、卒業して就職しました。
もう、作家にはなれないかと思っていたときに、恩人である歴史家・作家の加来耕三さんに声をかけられました。「あなたは凄い」びっくりしました。そして、出版社の編集者を紹介してくれて、5年後、自分の本が書けるようになりました。本当に、天才・加来耕三さんには、アタマがあがりません。
その後、週末作家として生きるわけですが、講談社で週末作家入門を出してくれたのが2005年秋。翌、2006年に、とても面白い社長のインタビューをしたときに「週末作家入門」を差し上げたら、真夜中の二時に麹町の事務所に留守電が入りました。「あなたは凄い」。
経営の神様である石橋博良さんに支援していただき、その後、20冊くらい本を核ことができました。神様・石橋博良さんにも、アタマがあがりません。残念ながら、すでに向こうの世界に行かれていますが、ときどき、夢枕にでてきてくれます。ありがたいことです。
さて、新年度が始まります。何だか、もう一人、私に「あなたは凄い」と言って、びっくりさせてくれる人が現れる気がしてなりません。そのときには、パズル小説が社会に認知され、広まっている。そう信じているのですが、10年ほどいばらの道を歩んだので、そう簡単ではないという気持ちもあります。
4月から、誰に頼まれたわけでもないのですが、自腹で、月に1回、京都に3泊4日の旅に出ます。それを、2025年の大阪万博で、宿が高騰して一人旅人が泊まれない状況になるまで、続けたいと思っています。その頃には、京都を舞台にしたパズル小説も、書きあがっているでしょう。
1970年春には就学旅行で京都に行き、真夏には大阪万博に行ったついでに京都に足をのばし、1971年夏にも滞在した京都。
心が、呼んでいる。