深谷市では、1万円札の「顔」となった渋沢栄一翁への期待が高まっています。マスコミでも話題になり、おそらく、謎解きクロスで作ったパズル小説「血洗島の讃劇(誤植ではありません)も、きっとリバイバルとして注目されることでしょう。私も、大いに期待しています。
ところで、自虐的な発言になりますが、こういう考え方があります。世界は「電子マネー」の時代に。お札の流通がどんどん減る時代に、1万円札で、よろこんでいいのか?
いいんです。 よろこんで、いいんです。日本では、電子マネーの普及は「限定的」となります。サラリーマンの給料が、単なる紙切れに印字された数字になったときから、会社への親密度は下がり、ロイヤルティは定価しました。本来、中小企業の経営者は「現金」を封筒に入れて、給料を手渡しすべきだったのです。
でも、日本の場合、お金は単なる数字ではありません。タンス預金があるのです。1万円札が新しくなったら、少しずつ、タンスの紙幣をチェンジしていくことになります。古い1万円札が、あらかた回収されるまでの1年間に、タンス預金が、動きます。これは大きなビジネスチャンス。
渋沢栄一さんは、タンス預金の顔でいるよりも、価値を生み出す原資になってほしいと願うはずですから、たとえば1000万円のタンス預金があったら、いったん、全部、渋沢栄一翁の1万円札になるものの、その半分は、「せっかくタンスから世界に出てきたのだから、何かいいことに使っておくか」と、投資に向かうことでしょう。
渋沢栄一さんは、タンス預金の顔でいるよりも、価値を生み出す原資になってほしいと願うはずですから、たとえば1000万円のタンス預金があったら、いったん、全部、渋沢栄一翁の1万円札になるものの、その半分は、「せっかくタンスから世界に出てきたのだから、何かいいことに使っておくか」と、投資に向かうことでしょう。
電子マネー全盛期になっても、私たちは、サイフに渋沢栄一翁の1万円札を、納めておいて、遊びに出るのです。