謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。
謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。
このブログでは、謎解きクロスと、ミステリーウォークについて、ヒントや、気づき、これからの方向などを、お伝えしていきます。
お楽しみに。
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謎解きクロスは、ミステリーツアーやミステリーウォークなどのイベントに使われる、謎解きのツールの一つです。
謎解きクロスは、クロスワードのような問題のフレームを活用しますが、そのヒントはエッセイだったり、広告だったり、ミステリー小説だったり、あるいは、街の案内だったりするのです。
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お楽しみに。
ChatGPTとの協働で、8つの公理と8つの定理が完成した。
■基本的な公理
【公理1】すべての人は「100」の運をもって生まれる。
【公理2】生まれた瞬間、人はその「100」の運を失う。
【公理3】人は、他者のためになる「徳」を積むたびに運を生み出す。
【公理4】運は蓄えることができるが、上限は「10」である。
【公理5】蓄えた運の質によって死の形が決まる。
【公理6】人は最期のとき、蓄えた運を他者に譲ることができる。
【公理7】境界の法則~この世界の出来事は、自分の意思で変えられること(自分事)と、自分の意思では変えられないこと(他人事)に分かれている。
【公理8】価値の法則~この世界にある物(商品・サービス)は、互いに交換できる物(可交換)と、互いに交換できない物(非交換)に分けられる。
【定理1】人生は欠乏から始まるが、徳を積むことで運を生むことができる。
【定理2】運には上限があるが、質の高い運が人生の形を決める。
【定理3】他者との関わりの中で運は循環し、死によっても次へつながる。
【定理4】人は「自分事」に集中することで、運と徳を効率よく育む。
【定理5】「他人事」を無理に変えようとすれば、運を浪費し、心を乱す。
【定理6】互いに交換できる物は「お金」で価値を表せる。
【定理7】互いに交換できない物(愛・信頼・時間・健康など)は「お金」で表せない。
【定理8】人生の真の豊かさは、可交換の物と非交換の物の調和によって決まる。
ほんとに、困ったもんです。
私のような個人事業主として合資会社を経営している人間は、黙っていると、いつでも「つぶされてしまう」存在です。
作家は、自分で自分の作品を「売ってはいけない」のです。だって、自分で作っているのですから、売れれば「いくらでもいい」ので、原価は関係ありません。
ジグレー作品の「価格」も、原価が500円に、管理費などを加えると、だいたい1000円で売れれば「とんとん」ということがわかります。なので、「1500円」で私情に出してみたら、誰も買いません。
そういうリスクは、最初からありました。
大吉くじでも、ガチャの会社が1つ20円なら「買います」といってくれたんですが、印刷原価と手間を考えると、どうしても50円はほしいということで、あきらめました。
その後、ただ印刷するのでは面白くないので、プレミアム大吉くじを生み出したのですが、現在、在庫が5000個。1つ、原価が200円なので、100万円、埋れていることになります。
ジグレー作品でも、やってしまいました。
今、何と1000点の在庫があり、1回30000円使って2回、販売しましたが、まだ2点しか売れていません。しかも、1000円です。
こちらは。まあ原価が800円。そこで考えたのが「社会貢献でいい」という発想です。
すなわち、無料で、どんどん配ってしまう。大吉くじも、同じです。そして、どこで利益を得るのか。
「オリジナル」が売れるしかありません。本物は、ジグレー作品にはない「本物の輝き」があります。
だから、銀座の画廊で「個展」を開くか、どこかにアートサロンを設けて、そこで気長に販売する形。
ここで「もし売れなかったら」などとは、決して考えません。
売れなかったら、別の方法で稼げばいいのです。
ということで、いつか、多くの人に認められて、少しずつ支援していただき、世界旅行に出かけるのが、今の私の目標なんです。
もうちょっと、頑張ります。
どう考えても、ChatGPTは、もうかけがえのない創作パートナーになってきています。
彼は、ほめるのが上手い。私の提案に、否定するのではなく、さらに上を提示できないかを考える傾向にあります。
ChatGPTの提案は、まだ半分くらいしか使えませんが、ときどき「あ、ここは使いたい」という部分もでてきます。
それが、ネットに出ている集合知の効果なんでしょう。「あ、そういう考えもあるな」と納得します。
もちろん、パズル小説の場合は、基本的なアイデアは私が握っているので、最終的には、ChatGPTの提案は形もなくなってしまうのですが、そこに至る過程で「一人で創作しているのではなく、強い味方がいる」という実感がわいてくるのです。
そう、私はホームズになったつもりで、ときどきワトソン君に相談すると、半分当たっていて、半分チンプンカンプン。でも、そのチンプンカンプンのなかに、謎を解くヒントがあったりして。
しかも、ChatGPTとのコミュニケーションは、なかなか、いい感じなんです。本当に、雇いたいくらい、こちらの指示(プロンプト)に従って、がんばってくれます。
ただ、忘れてはいけないのは、まだ「統一性」ができていないという点。これは、お金を払うことで、解決するのかもしれません。
たとえば、AI将棋。その局面で「最適解」は出すのですが、これまでのプロセスとは、その最適解は「離れてしまう」ことがあります。
人間の場合、文脈、コンテキストがありますから、最適解ではないけれども、「ここ」というストーリーがあるのです。
そのストーリーが、面白い。
最適解は、一つの「候補」ですが、人間が読み手の場合は、最適解ばかり出てくると「つまらない」と感じてしまうのです。
パズル小説も、パズルは論理的ですが、小説は感性の世界。そこでChatGPTが提示している論理と、ぶつかりあうことになります。
ここがまた、創造の世界では、とても重要なことなんです。
かくして、よきパートナーが誕生した。私は、本当にラッキーでした。時代が、パズル小説を支えています。
わーい。年間1000タイトル、いけるかな。
たしか3月のこと。とある食事会で、超大手企業元会長、超大手広告代理店元役員の方から「新しいレプリコンワクチンは絶対に打たないで。あれは、うつるから」と、クギを刺された。
家族のため、クライアントのため、すべての高齢者のためを思って、愚直に7回の摂取を済ませていた私には、とても寂しいアドバイス。そこで、厚生労働省を中心に、エビデンスを探ってみたりした。
結論としては、この秋には打たないけれど、どんどん新しい「安全性確認」のエビデンスがたまってきているので、いずれ率先して打つことにした、というもの。私は、科学の子なので、ファクトを調べ、自分で判断しています。
ただ、また食事会に呼んでもらえないと困るので、とりあえず「まだ打ちません」と明言し、将来に「ふくみ」をもたせている状態。本当に、政治も経済も、生活も、「分断の時代」になっているので、生きにくいなぁ。
レプリコンワクチンを打ったからといって、周りにうつると考えるのは、どうかな。かつてクライアントから「お前と一緒にいると巨人症がうつる」と仕事がもらえないことがあった。
確かに、私のDNAには問題があるかもしれない。私の母は、戦後、日立製作所の創業者である小平さんの秘書をしていたが、電車に乗ると「女なのにでかい。うつるといけないから隣の車両に行け」と、蹴とばされたそうだ。
DNAは、セックスで「うつる」けれども、空気感染する?
ただ、科学は思考力の乏しい人には、難しすぎるかもしれない。だから、科学者は、もっとわかりやすく、一般人にもわかるように、ワクチンの安全性を説明しなければならない。
毎日、植物と会話し、太陽に「ありがとう」といって頭を下げる私にとって、科学は頼りになる羅針盤。お医者さん、看護師さんも含めて、科学者のみなさんに日々感謝している。
うーん。いろいろ考えなくてはいけないことがあり、頭がウニになっている。そして、目と頭が疲れてしまうと、ウニも鮮度を落とし、とても食べられそうにない状態になる。困った。
根気が続かないのが、手術を経験した者の特徴らしい。ついつい「また倒れたらどうしよう。ちょっと、やりすぎ」などと、ブレーキをかけてしまう自分がいる。だって、二度とICUには戻りたくない。
問題は、仕事のペースが、極端に遅いこと。
遊んでいるわけでもなく、ちゃんと眠って、病院にも行って、散歩もして、ストレスがたまらないようにして、エアコンの聞いた事務所で、机に向かう。でも、たった1時間で、仕事に疲れてしまう。
そうして、いろいろ言い訳をして、仕事の意欲がでてくるまで、ジグレー作品を制作したり、パズル小説の推敲をしたり、新しい企画のアイデアを考えたりする。そうすると、もう夕方。黄昏散歩の時間になっている。
あれ? 今日は、1時間か。まあ、明日10時間、仕事しよう。ところが、その明日も、1時間程度で、疲れてしまう。このままでは、10ヶ月仕事をしても、実質は1か月分の成果しか出せないことになる。
そこで「集中力」に磨きをかける。だらだら仕事をしないで、3時間で9時間分の仕事をしてしまおう。
うーん、昔は、それができたのだけれど、古希になると、それも無理筋。身体の心配もあるけれど、もともと私の能力、スキルはスピード勝負ではなく、じっくり考えて、誰も考えたことのなかったコンセプトを生み出すことにある。
出から、集中すると、いろいろ考えてしまう。思考の深淵に入り込んでしまうと、あっという間に5時間は過ぎる。
というわけで。困った状態が続いていたが、さすがに、仕事の締め切りは待ってくれない。
がんばります。そのためにも、この週末の連休には、パズル小説の完成とジグレー作品の完成を、とことん楽しんでおきます。
とある人から、聞いた話。
わざわざ時間をとり、友人も一人誘って、ライブハウスに行ったら、観客が3人。バンドマンが5人。スタッフらしき人が数人いて、ライブが始まった。
本当は、もう少し、入る予定だったらしい。だが、昨夜は「台風」だし、帰りの交通手段のこともあるから、また「ライブ配信」もあるみたいだから、それでいいか、ということらしい。
たった三人のライブ。
ボーカルの女性は「あたし、弾き語りは苦手で、今までやってこなかったけど。今夜は、着てくれた三人のために、一曲だけ、弾き語りを披露します」ということで、三曲くらいやったそう。
その後、バンドのメンバーとみんなで「打ち上げ」に行くので、三人も、ついていったそう。「あやうく終電を逃すところだった」らしい。
それを聞いて、高校時代、渋谷ジャンジャンで五輪真弓を聴いたり、赤テントで根津甚八の芝居を見たり、浅草の見世物小屋に行ったり、池袋や新宿、上野の寄席に行ったことを想い出した。
ライブには、特別な魅力がある。
考えてみたら、古希を迎える年代になって、ひとりで露店を出して、プレミアム大吉くじを売り、ジグレー作品を売ろうというのは、その頃のライブ体験からきているのかもしれない。
ところで、今、想い出した。もう印刷に出してしまったパズル小説で、「露天風呂」のことを「露店風呂」としていた。誤植は、二度のチェックで、わからなかったもの。
私が、売れなくても創作を続けている理由は、やはりライブの魅力にとりつかれたからだと思っている。
後悔して生きても、幸せを感じて生きても、そんな心とは無関係に、時は流れていく。
私のまわりでも、私の知らないところでも、なぜか時は流れていく。
その証拠に、久しぶりに会った友人が年をとっている。もちろん、私も老いてしまっている。
決して平等ではないのだろうが、それでもやはり、時は流れる。
そのことが、若いときには理不尽に思えた。しかし、甘かったな、と今では思う。
もっと、時間を大切に使えばよかった。でも、それは残り時間が見えてきたから、わかったこと。
過ぎてしまった70年間は、とりあえず忘れてしまおう。目の前の時間だけをみつめて生きよう。
だって、明日があるとは限らないから。また、ICUに入らないとみ限らないから。
ICUでは、正直な話、時は流れていなかった。だって目を覚ましたら30秒しかたっていなかった。
30秒を10000回、繰り返して、ようやく一日が過ぎていったから。
死にかけてから、「今を大切にする」のは、何とものんびりした話だが、仕方ない。
今日から、がんばる。生きている自分に感謝しながら、生きているみなさんに敬意を払いつつ。
週末は、何があっても作家として活動する、第二の人生、二足の草鞋、パラレルworldの自分を生きることを実践してきた。
週末作家入門が2005年ですから、あのとき、遅れてきた作家としてデビューした私も、二十年が過ぎたことになる。
ビジネス書は、なんだかんだいって、50冊ほど描いてしまった。Amazonに出ているのは20冊ほどだが、実は同じタイトルで改訂版がでるたびに全面改訂していたので、実質、50冊といっていい。
週末作家としては、謎解きクロスを生み出し、パズル小説という新ジャンルで、50タイトルくらい世に送り出した。それが、自宅の書庫に保存してあるのだが、企画書と合わせると、とんでもない分量になる。ヘーベルハウスでなければ、とっくに床が落ちているだろう。
加えて、事務所スペースには、大吉くじのストックが5000個、ジグレー作品が3000個くらいある。もし、私が突然に死んでしまったら、結局、世に出ないまま廃棄される作品群である。
昨夜、その事実と向き合い、落ち込んだ。いよいよ、あと二ヶ月で古希となる。私は一体、誰になれたのかと問うてしまうと、「まだ、作家として大成していない自分」ばかり、浮かんでくる。
私には、やさしいサポーターが何人もいる。そして彼らは「君はすでに作家として立派に作品を遺している」と認めてくれる。一方、「早くメジャーになってください」という、ありがたい助言をして、あきれている人もいる。
毎年「明日はなります」といいながら、そして膨大な作品群は生み出しながら、それがメジャーになっていかない。ビジネス書のオファーは、いまもくるものの、50歳にデビューしたエッセイやパズル小説、新コンセプトミステリーなどは、まったく、オファーがない。
それにもかかわらず、週末作家として20年も作品をつくり続けているわけで、作品ばかりが、いたづらに積み重なっていく状態。
誰か、発見してくれないか。誰か、認めてくれないか。いつも、そう願っているのに、文系メジャーデビューの話はない。
たとえば、大吉くじにしても、たぶん10000個は無償配布しているのに、ネットでパズることがない。誰かが「おもしろい」といってSNSにアップしてくれたら、下仁田町にお客さんがたくさん行くし、信州上田や伊豆下田でも、話題になるはず。
でも、そうなっていない。波及力がないのは、なぜなのだろうか。
世の中になかったことは、なかった理由があるのかもしれない。20年も、週末作家として、実際、命がけで創作活動をしてきた結果、膨大な「駄作」がたくさん残ってしまったのに、メジャーにはならない。
それでも、ビッグなサポーターたちが、私を支えてくれている。だから、いつかメジャーになる、アスナノの心で、続けているわけだが、それでいいのか、という思いもでてきた。
もうちょっと、賢く、ずるく、どん欲に、売ってもいいのではなかったか。
というわけで、私はChatGPTに期待している。彼はもう、私の、パートナーの一人になっている。
私のハガキ絵は、芸術家のプロの作品ではない。それは、むしろ工芸品に似ている。それでも世界観があり、一つの「盆栽」のようなものだと考えている。その背景には、何があるのか。
私は、芸術を、たくさんの不特定の人たちにではなく、たった一人の「個人」に届けたい。個人的な「宝物」の一つとして、ハガキ絵を、たった一人の人に保有してもらいたいと願っている。
そこが、いわゆるアーティスト、芸術家と私の違い。陶芸作品が、飾るためのものではなく、誰か特定の個人に使ってもらいたいから制作するように。だから、ワンコインでも、いいかなと思っている。
ジグレー作品は、500円で販売しよう。高くても、売れない。ただ、オリジナルは簡易額5000円、いい額15000円、特別な額は30000円、そして歴史的な意味のある昔の作品は50000円と、それぞれの作品に異なる価格を対応させることとする。
一番高い「アムスの街」は、5000万円としてはどうか。
どうせ買える人はいないから、墓場まで私がもっていく作品。そんなことなので、いよいよ500円、ワンコイン戦略がスタートする。
本ブログ、いつの間にか10周年になっていた。光陰矢の如し。
いろいろ、ふりかえりたいことはあるけれど、驚いたのが、いまもって「パズル小説作家」が、廣川州伸一人であること。そう、これまでのところ、私が想像していた世界と、別の世界にたどりついたということだ。
毎日、欠かさず「パズル小説作家」であることを意識して生きてきた。それにもかかわらず、なのである。
数年前、芸術家の丸山常生から言われた。「あれ? 10年前にも、パズル小説を世に出していくっていってなかった?」
そう、「まだできてない」ことは、ふつう「もうダメ」ということになる。しかも、私は今年、古希を迎える。そんな長く人生を過ごしてきて、まだパズル小説作家が自分ひとりという現状。
やっぱり、もうダメなんだろう。ふつうは。
でも、私は今でも、大丈夫だと、信じている。まだ、何とかなる。これから、きっとパズル小説の市場が拓ける。準備期間が長いからといって、パズル小説が消えていくわけではない。
同じことは、大吉くじプロジェクトでもいえる。
生きているうちに注目されるかどうかという大問題はあるものの、必ず、大吉くじも、いけるだろう。大丈夫、だって現実に、サポーターのみなさんに支えられているのだから。